今日も風の冷たい一日となりました。やはり、関東地方は立春過ぎが寒いようです。
さて、今日2月7日はグレゴリオ・アレグリの命日です。
グレゴリオ・アレグリ(1582〜1652)はその生涯の大半をローマで活躍した司祭であり、作曲家・歌手だった人物です。
アレグリの作品には器楽曲もいくつかありますが、カトリック教会の司祭であったこともあって圧倒的に宗教音楽が多く遺されています。その中でも断トツに有名なのが《ミゼレーレ》という9声部の合唱曲です。
《ミゼレーレ》はローマ教皇ウルバヌス8世の治世である1630年代に作られたと推定されるもので、かつては
ミケランジェロのフレスコ画で有名なヴァチカン・システィーナ礼拝堂に伝わる秘曲中の秘曲といわれた作品です。
この《ミゼレーレ》は、復活祭一週間前の聖週間の中の水曜日から金曜日にかけてシスティーナ礼拝堂で行われる『暗闇の朝課』の儀式に用いられました。『暗闇の朝課』は午前3時から始まる儀式で、祈りを捧げながら礼拝堂内に灯された蠟燭の灯りを一本ずつ消していって最後の蠟燭が消されるまで続くもので、《ミゼレーレ》はその最初の読唱の終わりに演奏されることを念頭に置いて作曲されました。
この《ミゼレーレ》はその霊性を保つために、かつてはシスティーナ礼拝堂以外の場所での演奏は勿論、耳コピーしたりして楽譜に起こすことも固く禁じられていました。もしそんなことをした日には教会から破門されるという、カトリック教徒からしたらこれ以上ないほど恐ろしい仕打ちが待ち受けていたのです。
ところが、父レオポルトと共にローマを訪れて水曜日の礼拝の場に居合わせた14歳当時のモーツァルトがこの曲を耳にして、その記憶を頼りに《ミゼレーレ》を丸々採譜してしまいました。更に金曜日に再度礼拝堂に行って細かな間違いを修正したものを持ち出して、なんとそのままローマを発ってしまったのです。
しかも、その後の旅の途中でチャールズ・バーニーというイギリス人の歴史家と出会ったモーツァルトはその耳コピーした楽譜をバーニーに譲ってしまい、バーニーはその入手した楽譜をロンドンに持ち帰って1771年に出版までしてしまいました。イギリス国教会の国民であるバーニーにとっては、カトリック教会からの破門もヘッタクレもなかったのでしょう。
ところが、ひとたび《ミゼレーレ》の楽譜が出版されてしまうと、諦めたのか教会からの禁令は撤廃されました。時のローマ教皇クレメンス14世はモーツァルト少年をローマに召喚しましたが、教皇はモーツァルトを破門に処するのではなく、むしろ彼の音楽的才能による神業を絶讚したといいます。
こうなると最早なし崩し的になったのか(笑)、1831年にはメンデルスゾーンによっても写譜されました。その後リストによるものを始めとして、18世紀から19世紀にかけて写譜された譜面が数多く現存しています。
禁令が解かれてからも、今日に至るまで《ミゼレーレ》は今もなお歌い継がれる有名なア・カペラ合唱曲となりました。ただ、聴いているとルネサンス音楽っぽい感じを受けますが、年代と照らし合わせると一応初期バロック音楽ということになります。
そんなわけでアレグリの命日である今日は、彼の代表作である《ミゼレーレ》をお聴きいただきたいと思います。《最後の審判》を始めとするミケランジェロの壮麗なフレスコ画に囲まれた中で歌われる、静謐な世界観を御堪能ください。