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共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

本殿

2012年08月17日 16時45分19秒 | 日記
平塚八幡宮は仁徳天皇の68年に、この一帯を襲った大地震の被害に心を痛めた天皇が、国土安穏を祈って、應神天皇・神功皇后・武内宿禰を御祭神としてお祀りしたのが創祀です。

写真は八幡造の本殿です。関東大震災で社殿が崩壊した後、昭和3年に再建されたものです。

この御社は古くは《鶴峰山八幡宮》と呼ばれていました。今でも御社の御紋所は鶴丸紋で、あまりちゃんと写っていませんが、提灯には鶴丸紋が染め抜かれています。
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二の鳥居

2012年08月17日 16時05分32秒 | 日記
一の鳥居をくぐり、巨大な鯉が群れ泳ぐ池に掛かる石橋を渡って手水舎で手と口を清めると、すぐ横に二の鳥居があります。

御覧頂くと分かると思いますが、珍しい青銅製です。かなり緑青が浮いているところを見ると、恐らく戦時中の金属供出は免れたのでしょう。尤も、いくら軍部でも、鳥居にまでは手を付けられなかったのかも知れません。
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相模國一國一社

2012年08月17日 15時50分59秒 | 日記
四之宮までを巡って、次は八幡宮です。ということで、以前にも参詣した《平塚八幡宮》へやって来ました。

ちょうど例大祭の時期で、一の鳥居の周囲に沢山の提灯が飾られていました。
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摂社

2012年08月17日 15時21分37秒 | 日記
本殿の右隣りにある摂社です。

左側は天照大御神と須佐之男命をお祀りする《神戸神社》(ごうどじんじゃ)、右側は来朝した百済の王子・阿直岐(あちき)と博士・王仁(わに)、菅原道真公をお祀りする《奨学神社》(しょうがくじんじゃ)です。

主祭神が学問の神様であることもあって、境内には沢山の合格祈願の絵馬が奉納されていました。

お祭りの予定等はHPを御覧下さい。

前鳥神社HP
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社殿

2012年08月17日 14時41分19秒 | 日記
手水舎で手と口を清めて参詣しました。打ち水をして下さった境内に、木立を抜けてきた風が吹き渡ります。

ここの御祭神は莵道稚郎子命(うぢのわきいらつこのみこと)・大山昨命(おおやまくいのみこと)・日本武尊(やまとたけるのみこと)の三柱です。

莵道稚郎子命は応神天皇の皇子です。俊秀の誉れ高く、論語をはじめとした典籍を学ばれました。しかし兄皇子と皇位を譲り合い、最終的には兄皇子をたてるべく自らはお隠れあそばしました。その後、生前の遺徳を偲び、修学・学問の神様として祀られるようになったのですが、この神様をお祀りする神社は非常に少なく、京都・宇治にある宇治神社と宇治上神社以外にはここだけということでした。

大山昨命は活動と福祿の神様、また日本武尊は比々多神社と共に東征の折、こちらでしばし休息なさったという言い伝えがあり、火難避けと安全守護の神様として祀られています。
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ここにもぉ?!

2012年08月17日 13時47分30秒 | 日記
鳥居の横に、何とここにも宮鐘がありました。

比々多神社もそうでしたが、この鐘はいわゆる『時の鐘』ではないので、控えめになら突いてもいいのです。折角なので、私も一回突かせて頂きました。
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相模國四之宮

2012年08月17日 13時11分56秒 | 日記
いよいよ四之宮まで来ました。平塚市にある《前鳥神社》(さきとりじんじゃ)です。

今までの御社と違って、この御社の創建年代はよくわかっていないそうです。天平時代の、この辺りのことを書いた記録に『大住郡埼取郷』という記載があり、これが『さきとり』の名前の由来になったのだそうです。

神社ならではの鬱蒼とした木立に中に、石の鳥居が見えて来ます。
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珍しい

2012年08月17日 00時48分28秒 | 日記
神社を出て程なくしたところに《御神田》がありました。この田でとれた米を使って神前に供える御神酒や御神餠を作ります。

伊勢神宮をはじめとして、ある程度以上の社格の神社には必ず御神田がありますが、大概は神社から離れたところにあります。こんな近くにある御神田は初めてだったので、驚きました。

比々多神社HP
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何故ここに…

2012年08月16日 23時57分25秒 | 日記
ここは神社の敷地内。決してお寺ではないのに、何故か鐘楼が…。その名も『宮鐘』といいます。

明治時代に神仏分離令が発布されるまで、各神社にはそれぞれに神宮寺というお寺がセットで建っていました。この鐘も、そういう神宮寺にあったものなのか…と思って、たまたま通り掛かった社務所の職員の方に聞いてみたら

「いや、最初からあそこにあったものと聞いていますが…」

ますます分からなくなりました…( ̄_ ̄|||)。

因みにこの鐘は二代目なのだそうです。初代の鐘は太平洋戦争の資源回収のために供出してしまい、戦後、昭和25年(1950年)に再鋳造されたものだそうです。
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空気が違う…

2012年08月16日 13時15分16秒 | 日記
御神木近くまで進みました。この辺りは空気の質が違っているような感覚を覚えます。実はこの御社の周辺に360基あまりの古墳があったり、それよりも更に古い縄文期のストーンサークル的な遺跡があったりと、様々な遺構に事欠かない土地柄なのだそうです。

この御社の創祀は神武天皇6年、国土創造の神・豊國主命(とよくにぬしのみこと)を主神としてお祀りし、国土安泰を祈願したのが創祀と伝わっています。その後、淳和天皇の御代に勅使が遣わされ、当國総社《冠大明神》(こうぶりだいみょうじん)の神号を賜りました。

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厳粛

2012年08月16日 00時00分15秒 | 日記
ケイタイで写真を撮りまくっていたら、バッテリー残量が大変なことに…。ということで、通常は撮影したその場で文章を付けるのですが、今回は帰宅してからまとめて文章を付けております…。

鳥居をくぐり、手水舎で手と口を清めてから拝殿に向かいました。かつての川匂神社もそうでしたが、こちらの社域もいくつもの大木に囲まれています。写真に写っている杉の御神木もかなりの大木です。
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相模國三之宮

2012年08月15日 17時07分56秒 | 日記
今日は伊勢原市に来ました。相模國一ノ宮・寒川神社、二之宮・川匂神社に続き、今回は三之宮《比々多神社(ひびたじんじゃ)》に参詣します。

伊勢原駅からバスに乗って『神戸』と書いて『ごーど』(バスの字幕に思いっきりこう書いてありました)と読むバス停で下車し、そこから東名高速のアンダーパスをくぐったりして、約10分程不安を感じながら歩いたところに御社があります。

稲の香ばしい香りが漂う風に吹かれながら緩やかな坂を上ると、川匂神社よりももう一回り小さい鳥居が迎えてくれます。
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おまけ

2012年08月14日 22時00分38秒 | 日記
国道1号線の『川匂神社入口』という信号のところに、東海道の一里塚の遺構があります。

ここはお江戸日本橋から18里(約72km)の地点です。ちょうど平塚宿と小田原宿の間で、かつては《梅沢の立て場》と呼ばれ、茶屋などが軒を連ねる大変賑わったところだそうです。お正月の箱根駅伝のコースでもありますから、よく見るとかなり一瞬ですが映ります(^_^;)。
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『夫婦』だったのに…

2012年08月14日 21時21分16秒 | 日記
神楽殿のところに『夫婦杉』という、2本並んだ杉の御神木が「ありました」。その2本の杉の間を妊婦さんが通ると安産になると言われて「いました」。ところが…今は写真の通り1本しかありません。

実は昨年9月21日に関東地方を直撃した台風によって、片方の木が神楽殿に倒れ掛かるようにして根本から折れてしまったのだそうです。今はかつて御神木が立っていたところを、石で場所が示してあるのみになってしまいました。

そういえば、以前の社殿は全体が鬱蒼とした森に囲まれていたイメージが強いのです。しかし今回久しぶりに訪れてみて、最初は漠然と「えらく境内全体が明るいなぁ…」くらいに思ったのですが、社務所に掲示してあった直後の写真を見て合点がいきました。

あの台風では、厚木神社もかなり被害を被りましたが、こちらの被害は更に甚大だtったようです。そう思ってよく見渡すと、一年近く経つのに未だに囲い垣の一部が壊れたままだったり、摂社が土台だけになって仮の御幣が立ててあるだけだったりと、あちこちに浅からぬ爪痕が残っていました。

これから少しずつ修復していくのだと思いますが、御祭神のためにも一日も早い復興を御祈念せずにはおられませんでした。
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社殿

2012年08月14日 20時46分10秒 | 日記
拝殿です。ここの御祭神は大名貴命(おおなむじのみこと)、大物忌命(おおものいみのみこと)、級津彦命(しなつひこのみこと)、級津姫命(しなつひめのみこと)、衣通姫命(そとほりひめのみこと)です。

衣通姫命は允恭天皇(いんぎょうてんのう)の皇妃で、出産時にここの御社で安産を祈念したところ無事に皇子をしたということで、今でも安産祈願が絶えません。
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