社殿まで来ました。
吾妻神社の創建は第12代・景行天皇の御代と伝わります。景行天皇の皇子である日本武尊(やまとたけるのみこと)が海路で上総國(現在の千葉県)に向かったところ、海の神の怒りをかって嵐になってしまいました。その時、同乗していた日本武尊の妃・弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)が、海神の怒りを鎮めるために舟から入水し、波浪を鎮められたという伝説があります。
後に、この辺りの海岸に弟橘媛命の櫛が流れ着き、その櫛を埋めて御陵を造ったところから、この辺りの土地のことを『埋澤(うめざわ)』と呼ぶようになり、後にそれが転じて『梅沢』という地区名になったのだそうです。
無事に上総の平定を終えて再びここを舟で通り掛かった時、日本武尊は「ああ、吾が妻」と号泣されたそうです。それが『吾妻山』というこのお山の名前の由来だそうです。また、入水した弟橘媛命の小袖がこの辺りの浜辺に漂着し、これも山頂にお祀りしたことから、その海岸を『袖ヶ浦海岸』と呼ぶようになりました。
我が身を挺して愛する夫の危機を救った弟橘媛命の遺徳を偲んで創建されたこの御社は、その一途な愛の物語故に、恋愛の神様、縁結びの神様として尊崇されているそうです。山登りは結構キツいε=(*。*;)ですが、弟橘媛命の遺徳に肖りたい方は、一度訪れてみては如何でしょうか。
吾妻神社の創建は第12代・景行天皇の御代と伝わります。景行天皇の皇子である日本武尊(やまとたけるのみこと)が海路で上総國(現在の千葉県)に向かったところ、海の神の怒りをかって嵐になってしまいました。その時、同乗していた日本武尊の妃・弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)が、海神の怒りを鎮めるために舟から入水し、波浪を鎮められたという伝説があります。
後に、この辺りの海岸に弟橘媛命の櫛が流れ着き、その櫛を埋めて御陵を造ったところから、この辺りの土地のことを『埋澤(うめざわ)』と呼ぶようになり、後にそれが転じて『梅沢』という地区名になったのだそうです。
無事に上総の平定を終えて再びここを舟で通り掛かった時、日本武尊は「ああ、吾が妻」と号泣されたそうです。それが『吾妻山』というこのお山の名前の由来だそうです。また、入水した弟橘媛命の小袖がこの辺りの浜辺に漂着し、これも山頂にお祀りしたことから、その海岸を『袖ヶ浦海岸』と呼ぶようになりました。
我が身を挺して愛する夫の危機を救った弟橘媛命の遺徳を偲んで創建されたこの御社は、その一途な愛の物語故に、恋愛の神様、縁結びの神様として尊崇されているそうです。山登りは結構キツいε=(*。*;)ですが、弟橘媛命の遺徳に肖りたい方は、一度訪れてみては如何でしょうか。