共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

珍しい八重咲きドクダミ

2023年05月16日 18時45分25秒 | 
今日は暑くなりました。何しろ最高気温が26℃まで上昇しましたから、子どもたちも大人たちもすっかりあてられてしまいました…。

まだ5月だというのに、今からこんなに暑くなってもらっては困ります。5月でこの暑さということは、本格的な夏を迎えたらどうなってしまうのでしょうか…。

そんなことを考えながら小田原駅への道を歩いていたら、どこからか独特の酸えたような匂いが漂ってきました。

『ああ、これはドクダミだな…。』

と思いながら匂いのする方に行ってみるとドクダミの花が咲いていた…のですが、そのドクダミは



なんと八重咲きだったのです。

ドクダミといえば



こうした一重咲きのものを想像しますが、八重咲きのドクダミは見たことがありませんでした。調べてみたところやはり珍しいもののようですが、園芸種として開発されたのか変種なのかまでは分かりませんでした。

世の中にはまだまだ知らないことが沢山あるということを、改めて実感させられました。今後も学びを深めて、様々なことに興味を持とうと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吹奏楽経験者には懐かしいホルスト《吹奏楽のための組曲》より第1組曲

2023年05月15日 18時18分18秒 | 音楽
昨日からの雨が、今日も昼過ぎくらいまで残っていました。そんな中、今日は知人とオンラインでやりとりしていたのですが、そこでホルストの《吹奏楽のための組曲》の話になりました。

《吹奏楽のための組曲》は



組曲《惑星》で有名なイギリスの作曲家グスタフ・ホルスト(1874~1934)が書いた吹奏楽のための作品で、1909年に書かれた第1組曲と、1911年に書かれた第2組曲があります。この作品は日本の吹奏楽界でも取り上げられることの多い作品で、吹奏楽経験者との会話ではかなりの頻度で登場する曲です。

私も知人も吹奏楽経験者だったので、思わぬ懐かしい話題に花が咲きました。知人は第2組曲が好きなようでしたが、私は第1組曲の方が好きです。

《吹奏楽のための第1組曲》の作曲、初演の背景については不明点が多いのですが、1909年に作曲され、同年に初演したとされています。確実な所では1920年6月20日に、王立軍学学校で演奏されたことが分かっています。

《吹奏楽のための第1組曲》は、『シャコンヌ』『間奏曲』『マーチ』と名づけられた3つの曲から成っています。全体で10分弱の短い曲ですが非常に中身の濃い充実した作品で、切れ目なしに演奏されるようにホルストによって指示されています。

第1曲『シャコンヌ』では、爽快感のある簡潔なテーマを繰り返しつつ、装飾的な変奏を展開させていきます。雄大な展開が素晴らしい曲で、この曲のテーマが作品全体を支配しています。

第2曲『間奏曲』は、冒頭に現れる『シャコンヌ』のテーマを下敷きとしたリズミカルで躍動的なテーマが印象的です。中間部では民謡風のテーマが現れ、その後これら2つのテーマのモチーフが組み合わされながら展開していきます。

第3曲『マーチ』は、金管楽器とバスドラムの強打が印象的な如何にもマーチという感じのテーマと、『シャコンヌ』のテーマを発展させた民謡風のテーマから成ります。結尾ではこの2つのテーマが組み合わされ、華やかに音楽を締めくくります。

そんなわけで、今日はホルストの《吹奏楽のための第1組曲》をお聴きいただきたいと思います。下野竜也指揮による東京佼成ウィンドオーケストラの演奏で、ホルストが吹奏楽のために遺した名曲をお楽しみください。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は母の日

2023年05月14日 18時00分18秒 | 
今日は母の日です。厚木の街の花屋でも



色とりどりのカーネーションの鉢植えや


大小様々なブーケが店頭に並び



生憎の雨にも関わらず、多くの人が買い求めている姿が見られました。

私の母は28年前に他界しているので、もう随分と母の日なんて祝っていません。母が他界してからしばらくはババの日ということで植物好きな祖母にプリムラやペチュニアなどの鉢植えを贈っていましたが、その祖母が他界してからはそんなこともなくなりました。

亡き人の齢を数えても詮無いことと分かってはいますが、毎年この日を迎えるとちょっと哀しい気持ちになります。それもまた致し方ないことなのですが、この哀しさが薄らぐ日はくるのでしょうか…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日はメンデルスゾーンの《交響曲第4番『イタリア』》初演の日〜パーヴォ・ヤルヴィ指揮によるライブ

2023年05月13日 15時11分51秒 | 音楽
今日は朝から雨が降ったり止んだりを繰り返す、生憎の天候となりました。予報ほどには気温も上がらなかったこともあったので、今日は自宅で大人しくしていました。

ところで、今日5月13日は『イタリア』の愛称で親しまれているメンデルスゾーンの《交響曲第4番イ長調》が初演された日です。



《交響曲第4番イ長調 作品90》は、フェリックス・メンデルスゾーン(1809〜1847)が1831年から1833年にかけて作曲した交響曲です。メンデルスゾーンがイタリア旅行中に書き始められたために『イタリア』という愛称で呼ばれるこの曲は、躍動的なリズム、叙情と熱狂、長調と短調の交錯による明暗の表出が特徴的で、メンデルスゾーンの交響曲の中でも最も親しまれている作品です。

1830年10月から翌1831年4月にかけて、メンデルスゾーンはイタリアに旅行し、ローマでは謝肉祭や教皇グレゴリウス16世の就任式などを目にしました。その間にこの曲の着想を得て作曲に取りかかったことが彼の手紙などから分かっていますが旅行中には仕上がらず、一度は中断することとなりました。

翌年の1832年11月、メンデルスゾーンはロンドンのフィルハーモニック協会から交響曲、演奏会用序曲、声楽曲各1曲の作曲依頼を受けました。これを受けたメンデルスゾーンは放置していたこの交響曲の作業を1833年1月に再開して3月には完成させ、演奏会用序曲《フィンガルの洞窟》と共にフィルハーモニック協会に提出しました。

そして《交響曲第4番イ長調》は1833年5月13日、ロンドンにおいてメンデルスゾーン自身の指揮によって初演されました。この時、メンデルスゾーンは24歳でした。

『イタリア』という愛称ながら、第4楽章がサルタレッロというイタリアの舞曲のスタイルで書かれている以外にイタリアを象徴するような音楽はありません。それでも、イタリアの陽光のように明るく溌剌としたヴァイオリンのメロディが心地よい第1楽章や、ヴィオラやクラリネットといった中音域楽器の活躍が特徴的な第2楽章、流麗なメロディとホルンのファンファーレ的な音形が印象的な第3楽章と、どこをとっても魅力的な音楽に満ち溢れた名曲となっています。

そんなわけで、今日はメンデルスゾーンの《交響曲第4番イ長調『イタリア』》をお聴きいただきたいと思います。パーヴォ・ヤルヴィ指揮、フランクフルト放送交響楽団による、2012年のライブ映像でお楽しみください。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まったりとはいかないもので…

2023年05月12日 19時05分55秒 | ネコ(=゚ω゚=)
今日は、朝から気持ちのいいお天気に恵まれました。穏やかな朝日を受けて、いつも寄り道して参拝している辨天様の境内付近には



茶トラちゃんをはじめとして



ハチワレちゃんや



トラ猫ちゃんといった、いつもの地域猫ちゃんたちがまったりしていました。

しかし、今日の小学校支援級勤務はまったりとはいかない荒れっぷりでした。今日は何人かのレギュラーの先生方が出張等でおられなかったのですが、そのいつもとの違いに過敏に反応した一部の子どもたちが荒れに荒れたのです。

かく言う私も、腕を引っ掻かれたり下腹や脚を蹴られたりと散々な目に遭いました。しかし、そもそも『昭和の恐いオッサン』で通っている私ですから、やるべきことをやらない子どもたちに対しては身勝手な我が儘を一貫して認めない方向をし続けました。

私だって鬼ではありませんから、頭が痛いとか気分が悪いとかいった体調不良であればできるだけのサポートはします。ただ、単にやりたくないとかめんどくさいとかいう意向は一切受けつけません。

勿論、様々に異論はあるだろうということは重々承知していますし、他の子たちのようにいろいろと出来ないことは彼らにとって不便なことだろうと察しています。だからといって、自分の感情を最優先にするあまり他者に暴力を奮うというのは話が別です

彼らがこんなにも手厚いサポートを受けていられるのもあと数年足らずのことで、そこから先は非常を極めた大人の世界に嫌でも放り出されることになるのですから、支援級の子だからといって甘やかしてばかりはいられないのです。週明けになってレギュラーの先生方が戻られたら私の報告書を御覧になって驚愕されるかも知れませんが、それでも彼らには自身のしたことと向き合ってもらおうと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

未明の横揺れ

2023年05月11日 15時55分51秒 | 日記
今朝4:16、関東地方で大きな地震がありました。震源地は千葉県木更津市沖、地震の規模を表すマグニチュードは5.6で、



震源に近い近い千葉県木更津市では最大震度5強を観測しました。

神奈川県央の厚木市でも震度3を記録しました。私はまだ就寝中だったのですが、嫌な横揺れで目が覚めて飛び起きました。

直後のテレビのニュースやウェザーニュースでも続々と状況が報道されていましたが、木更津市では屋根瓦が落ちたりする被害が出たようです。つい先日、能登地方で最大震度6強の地震が発生したばかりですから、嫌でも意識させられますし心配にもなります。

日本に住まう以上、いつまた大きな地震が来るかも分からない状況です。仮に大きなが来たとしても困らないよう、我が家の備えを改めて見直そうと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふんわり爽やか『夏みかん&ヨーグルトムース』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2023年05月10日 20時40分20秒 | カフェ
今日も小田原はいいお天気に恵まれました。今日も子どもたちは元気いっぱいに勉強してり遊び回ったりしていて、それに振り回される大人たちはあたふたさせられました(汗)。

そんな小学校勤務を終えて後片付けを済ませてから、横浜あざみ野の音楽教室に移動しました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日は暑かったので、何だか爽やかなものがいただきたくなりました。そこでオーダーしたのが、



今月の新商品『夏みかん&ヨーグルトムース』です。

柔らかな食感のヨーグルトムースにお店自家製の夏みかんのマーマレードとジュレがトッピングされ、フレッシュなカット夏みかんが添えられています。急に暑くなった今日に相応しい、実に爽やかな風味のスイーツです。

美味しいスイーツをいただいて、心身共にホッとしました。今日はコク深いアイスコーヒーと一緒に、美味しく堪能しました。

明日から週末にかけて、また雲行きが怪しくなるようです。梅雨の走りのような感じもありますが、どうなっていくのでしょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コントみたいな展開(汗)

2023年05月09日 17時45分20秒 | 
昨日の冷たい雨から一転して、今日は五月晴れの空が広がる一日となりました。そんな気持ちのいい天候の下で、今日も小田原の小学校ではいろいろなことがありましたが、その中でちょっと笑ってしまうようなことがありました。

休み時間に校庭に出ていたら、何人かの子どもたちに呼び止められました。何だろうと思っていたら

「先生、あそこに咲いてる花って何ですか?」

と聞いてきたのです。

呼ばれた方にいってみると



この時期よく見かける紫色の花が咲いていました。そして

子:これです。何て名前ですか?

私:しらん。

子:え?

私:だから、しらん。

子:え?知らないんですか?

私:いや、だから『紫蘭』っていう名前の花なの!

というやり取りがあり、その子たちも私も、たまたま近くでこのやり取りを聞いていた子どもたちも大笑いになりました。

私の答え方もちょっと紛らわしかっただろうと思いますが、音(おん)だけで伝えようとすると時にこんなコントのようなやり取りになってしまうのだ…ということを改めて認識しました。今後またこんなトンチンカンなやり取りをやらかしてしまわないように、言葉選びには気をつけようと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日から5類に

2023年05月08日 17時30分25秒 | 日記
今日は、朝のうちにものすごい大雨が降りました。昼前には雨も止んだものの気温は上がらずじまいで、長袖シャツでないといられないくらいの一日となりました。

さて、ニュースで御覧になってご存知の方も多いかと思いますが、今日から武漢熱の扱いが2類から5類に格下げされました。今まではいろいろと面倒なことに振り回されていましたが、今日からは一応季節性インフルエンザと同等の扱いとなります。

街中を見てみると



マスクをしている人といない人の割合はまちまちでした。中にはマスクを顎にかけて歩いている人もいて、どこぞのギャグではありませんが

「マスクすんのか〜い、せぇへんのか〜い」
「マスクをするのかしないのか、どっちなんだい!?」

という状況が見て取れました。

もう皆さん、散々ニュースで聞いてご存知かと思いますが、改めて2類と5類の違いを確認すると



こんな感じになります。今まで武漢熱に罹患した場合には行政から病院への入院勧告や医療費の公的負担、無症状者への適用、罹患者や濃厚接触者への外出自粛要請等が出されましたが、それが季節性インフルエンザと同等の5類に格下げされたことで、それらが全て無くなります。

武漢熱と季節性インフルエンザとの違いを改めて比較してみると



こんな感じになります。どちらも罹患した場合の致死率は同程度ですが、感染力がより強いことや治療薬が確立していないこと、季節性が無く年中罹患する危険性があることが、インフルエンザとの大きな違いです。

いずれにしても、これから大切なのは

◎マスクをするならする、しないならしない。
◎マスクを着けていない人がいても、とやかく言わない。

ということを念頭に置いて生活することです。かつてあちこちでトラブルになった、無意味なマスク警察が出没しないようにしてもらいたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日はチャイコフスキーの誕生日〜個人的に初めて演奏したチャイコフスキー《イタリア奇想曲》

2023年05月07日 17時30分17秒 | 音楽
昼前から降り始めた雨はどんどん強まって、夕方頃には上着を一枚羽織っていないと肌寒く感じるくらいまで気温が下がりました。昨日まで夏日騒ぎをしていたというのに、こんなに一気に気温が下がると面食らいます。

ところで、今日5月7日はチャイコフスキーの誕生日です。



ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840〜1893)は、言わずと知れたロシアを代表する作曲家で、叙情的で流麗、メランコリックな旋律と和声、華やかで効果的なオーケストレーションなどから、クラシック音楽界の中でも人気の高い作曲家のひとりとなっています。

チャイコフスキーは1840年5月7日、ウラル地方ヴォトキンスクで、鉱山技師(工場長)イリヤ・ペトローヴィチ・チャイコフスキーの次男として生まれました。8歳でピアノを始めたチャイコフスキーでしたが、その後法律家になるために勉学に勤しんで法務省に勤めていました。

しかし1861年、21歳でロシア音楽院に入学すると23歳で法務省を辞職し、1865年に卒業しました。本格的に音楽家として歩み始めたのは翌年の1866年、なんとチャイコフスキーが26歳の時でした。

チャイコフスキーの音楽家としての最初の仕事は、モスクワ音楽院での教師でした。はじめはとても貧しかったようですが、音楽院の校長であったニコライ・ルビンシテイン(1835〜1881)の暖かい助けによって救われたといいます。

1866年1月にモスクワへ転居したチャイコフスキーは、この年に《交響曲第1番『冬の日の幻想』作品13》の作曲を始め、12月に第2楽章が初演、翌年2月に第3楽章が初演されました。因みに、全曲が初演されたのは1868年のことです。

国民的色彩の強い《交響曲第1番》の初演をきっかけに、1868年にはサンクトペテルブルクでロシア民族楽派の作曲家たち、いわゆるロシア5人組(ミリイ・バラキレフ、ツェーザリ・キュイ、モデスト・ムソルグスキー、アレクサンドル・ボロディン、ニコライ・リムスキー=コルサコフ)と知り合い、交友を結びました。同年、バラキレフの意見を聞きながら《幻想的序曲『ロメオとジュリエット』》を作曲し、それをバラキレフに献呈しています。

チャイコフスキーは、5人組の音楽とはある程度距離をとっていました。それでも、この後のチャイコフスキーの音楽にはロシア風の影響が随所に現れるようになっていきました。

さて、そんなチャイコフスキーの誕生日にご紹介するのは《イタリア奇想曲》です。これは私が高校生の頃に初めて演奏に参加したチャイコフスキー作品として、個人的に思い入れの深い曲でもあります。

《イタリア奇想曲 作品45》は、チャイコフスキーが1880年に作曲した管弦楽曲です。イタリア様式の伝統的な奇想曲風の作品で、原題は『民謡旋律によるイタリア組曲』といいます。

実はこの前あたりから、チャイコフスキーは精神的な打撃を受けてノイローゼに悩んでいました。チャイコフスキーは37歳の時に結婚したのですが、彼の芸術を全く理解しようとしない妻との生活がたった3ヶ月で破綻してしまったことが大きな要因でした。

この精神的な落ち込みを回復するべく、チャイコフスキーは弟とともにイタリアへの旅行へ出発します。フィレンツェ、ヴェネツィア、ナポリなどを経たのち、チャイコフスキーは目的地であるローマへたどり着きました。

この旅でチャイコフスキーはイタリア人の「人生をおおらかに楽しむ生き方」を見た影響もあり、ノイローゼの症状は和らいでいったのでした。その時にイタリア各地で聴いた民謡や踊りなどから刺激を受けて、チャイコフスキーはこの曲作りを開始しました。

イタリアから帰国後の1880年5月15日に本格的に作曲に取り組み、同年夏に妹のアレクサンドラが住むウクライナのカメンカでオーケストレーションを施して《イタリア奇想曲》は完成しました。同年12月6日にモスクワのロシア音楽協会の定期演奏会でニコライ・ルビンシテインの指揮によって初演されてかなりの好評を持って迎えられたこの作品は、高名なチェリストのカルル・ダヴィドフに献呈されました。

トランペットの華やかなファンファーレで始まると、いかにもイタリアらしい楽しげなメロディが次から次へと現れます。やがてタランテラのリズムが始まると音楽は熱を帯びてどんどん盛り上がっていき、最後には打楽器を含めた全オーケストラの華やかな響きの中で音楽を締めくくります。

そんなわけで、チャイコフスキーの誕生日である今日は《イタリア奇想曲》をお聴きいただきたいと思います。マリス・ヤンソンス指揮、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団による、1985年のライブ映像でお楽しみください。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兜ひとつで一悶着…

2023年05月06日 17時00分45秒 | 日記
今日は、やたらと風の強い日でした。明日から天候が悪くなるようなのですが、この強風はどうやらその前兆のようです。

ところで、昨日の端午の節句の記事ですっかり書き忘れていたのですが、連休前の火曜日に支援級の子どもたちに



新聞紙で兜を折ってあげました。通常の兜の他に



応用型の長兜も新聞紙で作って子どもたち全員に被せて、支援級の担任の先生に写真も撮ってもらいました。

今年度に私が担当している支援級のクラスは全員男子なので、事前に人数分作っておきました。しかし、一人だけ最後まで被ることを拒否し続けていた子がいたのです。

その子は何に対しても過敏な上に被害妄想もかなり強く、例えば席替えするのに他の子が机に触っただけで大騒ぎしたり、近くで話していた時に子どもたち同士でマスクを着用しているにも関わらず

「○○の唾が顔についた!」

と大騒ぎして、彼が唾を飛ばしたと指摘した子に執拗に謝罪を強要したりする子です。かなり行き過ぎるので、支援級の担任の先生から何回も注意されてその時は反省の素振りを見せているのですが、一向に止む気配はありません。

そんな子なので、得体の知れない他人である私が作った兜を被ることなんぞ以ての外となるのは分かっていました。一応人数分作っておかないと

「僕だけ仲間はずれにされた!」

と大騒ぎしてトラブルに発展するかも知れないのでただ作っておいただけでしたから、拒否されても私は特段何も思ったりはしませんでした。

しかし、いざ写真撮影の段になった時に、今度は自分の分の兜がないことに文句をつけ始めたのです。なので

「被りたくないんでしょ?どうしてもみんなと写真に写りたいんだったら、私が君の頭の上で被っているかのように持っていてあげる。それなら問題ないはずですよね。」

と言ったら、渋々みんなと並んで写真に収まりました。

支援級の子どもたちというのはただ勉強が追いつかないだけではなく、様々なタイプの子がいます。先程の子も、

「他者から何かされた!」

と思うことについては執拗に相手を追いかけ回して謝罪を強要するのですが、逆に自分が他者に何かをしてしまった時にはひたすらもっともらしい理由をこねて自己を正当化して、自分がボスと認めた支援級の担任の先生に注意されるまでなかなか頭を下げようとしません。

他の支援員の先生の中にはすっかり持て余してしまっている方もいて、半ば諦めながら注意していたりします。一方、私はその子に対して

「支援級の子だからといって『何でも大目に見てもらえる』などと思っているのであれば大間違い。ダメなものはダメです。」

と、何度もハッキリと注意して、謝罪すべき場面ではきちんと謝罪するように指導しています。

正に

『目には目を、歯には歯を、しつこさにはしつこさを』

です。なので、彼からすると私は相当面倒くさい、ヘタをすると大嫌いな支援員なのだと思います。

そんな大嫌いな支援員の折った兜ですから、尚更彼は被りたくなかったでしょう。渋々みんなと写った写真でも、かなり不貞腐れた顔で写っていました。

支援級の子であるということは彼らにとって『不便』なことだろうと思いますが、決して『不幸』なわけではありません。確かに通常級の子たちに学習が追いつかないことは大変なことですが、だからといって人間社会の中で生きていく以上

『支援級の子は他の子たちがしている勉強や他者への気遣いをしなくてよくて、己の感情の赴くままに周りを翻弄していい』

わけではないのです。

週が明けたら、また彼らとのやり取りが待っています。少なくとも私は彼らに嫌われることを恐れず、真摯に向き合っていこうと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴーゴーカレーランチと緊急地震速報

2023年05月05日 18時18分18秒 | グルメ
今日は端午の節句です。そして、今日も私は特に予定はありませんでした。

さて、今日は小学校で使うものを買いに厚木の有隣堂に行きました。そして、頃合いも頃合いだったので、厚木一番街にあるゴーゴーカレーに行きました。



久しぶりに食した金沢カレーは、安定の美味しさでした。毎月5の付く日は『ゴーゴーの日』ということでトッピングサービス券がもらえるのですか、今日は令和5年5月5日の『ゴーゴーゴーの日』ということで



いつもよりも豪華なトッピングサービス券がもらえました。

ランチを終えて帰宅したら、テレビから突然けたたましい緊急地震速報がながれてきました。何事かと思ったら



14時42分、石川県能登地方を中心として最大震度6強を観測する大規模地震が発生した瞬間でした。この地域では2020年頃から大小様々な地震が頻発していましたが、今回の地震は昨年6月に発生した震度6弱を超える規模のものとなったようです。

今日は一昨日会った昔の生徒が石川県に帰る日だったので慌てて連絡してみたのですが、ちゃんと返信があったのでホッとしました。ただ、帰った後に自宅の中で何もおきていないといいのですが…。

それにしても、金沢カレーを食べてきた後に能登でこんな地震が起きたことに、少なからず動揺しました。気象庁の会見では今後2〜3日は同レベルの余震が発生する危険性が呼びかけられていましたが、せめて今日以上の被害が出ないことを願うばかりです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日はピアノの生みの親クリストフォリの誕生日〜フォルテピアノによるドメニコ・スカルラッティのソナタ

2023年05月04日 18時18分18秒 | 音楽
今日は日中夏日となりました。なので今日はどこへも出かけずに、ちょっと溜まっていたデスクワークに勤しんでいました。

ところで、今日5月4日はクリストフォリの誕生日です。



バルトロメオ・クリストフォリ(1655〜1731)は1700年頃にフィレンツェのメディチ宮廷に仕えていた楽器製作者で、ピアノの始祖となるフォルテピアノを考案した人物です。



上の写真はニューヨークメトロポリタン美術館に収蔵されている、現存するクリストフォリの3台のフォルテピアノのうちのひとつです。1720年にクリストフォリの工房で制作されたもので、現在でも演奏することが可能とのことです。

バロック時代、室内鍵盤楽器といえばチェンバロとクラヴィコードが双璧でした。



チェンバロはバロック音楽を代表する鍵盤楽器として、音色も含めてご存知かと思います。発音原理としては、



軸に取りつけられたプレクトラムという爪状のもので弦を下からはじいて音を出します。

チェンバロはしっかりした構造のため、大きな音が出ます。ただ、機械的に弦をはじくだけの奏法のために音量調節ができないため、



鍵盤を二階建てにして、下鍵盤がフォルテ(強い音)、上鍵盤がピアノ(弱い音)と使い分ける必要があり、ピアノのように無段階に音量を調節することはできませんだした。

一方クラヴィコードは



チェンバロよりも小さく音域も狭いものですが、発音原理としては



現在のピアノのように弦を下からタンジェントというパーツで叩いて音を出します。

クラヴィコードはピアノのように鍵盤を押す力加減で音量調節が可能な楽器で、バッハはチェンバロよりも愛奏していたといわれています。ただ残念なことにものすごく音量が小さく、弾いている本人とその近くにいる数人でないと聞こえないくらいしか音量がありません。

そんな一長一短ある鍵盤楽器をどうにかできないか…と思い立ったのがクリストフォリでした。爪で弦を弾いて音を鳴らすチェンバロの音が強弱の変化に乏しいことを不満に思っていたクリストフォリは、



クラヴィコードの金属製のタンジェントよりも大きな革張りのハンマー仕掛けで弦を打って音を鳴らす現在のピアノ・メカニズムの原型を1700年代頃に発明したといわれています。

クリストフォリのフォルテピアノには、

◎暖かく優雅な低音域
◎気迫ある中音域
◎明快で単発的な高音域

から成る3つのはっきり異なる音域があります。開発当初はソロ楽器としてよりも主に伴奏用に作られたフォルテピアノでしたが、クリストフォリの考案した新鍵盤楽器はこれまでにない音色の優れた柔軟性から『グラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ(弱音も強音も奏でられるグラヴィチェンバロ)』と呼ばれました。

聴いていただくと分かりますが、クリストフォリが発明したフォルテピアノは現在のピアノと大きく異なり、どちらかというとまだチェンバロに近い音色をしています。チェンバロよりも複雑な構造は近代のピアノの仕組みを予見させるものですが、クリストフォリのフォルテピアノは鍵盤も短く、音を伸ばすためのサスティーンペダルもまだありません。

クリストフォリがフォルテピアノを発明した後、それをドイツのフライブルクやドレスデンで鍵盤楽器の制作をしていた ゴットフリート・ジルバーマン(1683〜1753)が改良を重ねて、より音域を広げた新しいフォルテピアノを作りました。その時ジルバーマンがアドバイスを求めたのが、



ヨハン・セバスティアン・バッハだったといわれています。

そうして作られたフォルテピアノは、プロイセンのポツダムの宮廷でも使われるようになりました。バッハは1747年にポツダム宮廷を訪れた折にそのピアノで君主フリードリヒ大王から与えられた主題(メロディー)を即興演奏し、後にバッハはその主題を基にしたリチェルカーレやトリオ・ソナタをまとめた《音楽の捧げ物》を大王に捧げました。

ただ、バッハが『クラヴィーア・ダモーレ』ともいわれたフォルテピアノを愛奏したという記録は、残念ながら残されていません。その後ピアノが本格的にチェンバロから鍵盤楽器の主役に取って代わるようになるのは、モーツァルトやベートーヴェンの時代を待たなければなりません。

それでも、クリストフォリの発明があったからこそ、今日我々がピアノを楽しむことができるようになったことに違いはありません。そうした意味で、クリストフォリの功績は偉大です。

そんなわけでクリストフォリの誕生日である今日は、クリストフォリ作のフォルテピアノによるドメニコ・スカルラッティの《ソナタ第9番ニ短調》をお聴きいただきたいと思います。メトロポリタン美術館所蔵の楽器で、現在のグランドピアノの始祖となった鍵盤楽器の古雅で素朴な響きをお楽しみください。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元生徒と堪能した『メロンワッフル』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2023年05月03日 20時00分40秒 | カフェ
今日は憲法記念日です。祝日だからゆっくりと休んでいていい…はずなのですが、習慣というのは悲しいものでいつもの水曜日と同じ時間に目が覚めてしまいました…。

今日は、昔あざみ野の音楽教室に通っていた元生徒が帰省しているということを連絡してくれたので、久しぶりに会うことにしました。落ち合う場所は勿論《雫ノ香珈琲》です。

5月に入って月替りメニューも一新していました。なので、今日はその中から



『メロンワッフル』をオーダーすることにしました。

お店の看板メニューであるクロワッサン生地のワッフルに、爽やかな香りのメロンがドーンと添えられています。上からかけられているのは塩キャラメルソースなのですが、塩味の効いたソースがメロンの甘味を引き立ててくれています。

今日は暑くなりましたか、私も彼もアイスコーヒーをオーダーして美味しく堪能しました。コーヒーを飲みながら彼の近況や悩みを聞いていましたが、当時中学生だった昔の生徒がアラサーになって年齢相応の悩みを抱えていることに、何だか感慨深いものを感じてしまいました。

生きていれば、いろいろなことがあります。決していいことばかりではないでしょうが、彼には彼なりに自分を信じて突き進んでいってほしいと願うばかりです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八十八夜に聴く文部省唱歌《茶摘み》

2023年05月02日 20時35分20秒 | スイーツ
今日は祝日の合間の平日で、普通に学校がありました。子どもたちは明日からの連休が頭にチラついているのか、どことなく浮ついているようにも見えました。

さて、今日は八十八夜です。

八十八夜は雑節のひとつで、立春を起算日(第1日目)として88日目(立春の87日後の日)にあたる日のことを言い、末広がりの「八」が二つあることから縁起が良いとされてきました。そのため、八十八夜に摘み採られるお茶は不老長寿の縁起物として重宝され、その新茶を飲むと一年を災いなく過ごせるといいます。

そのことを記念(?)してか、今日の給食には抹茶プリンが出されました。小さな子どもたちに出すような抹茶プリンですから実際には本当にほんのりとお茶の香りがする程度のものでしたが、それでも何人かの子が

「にが〜い」
「むり〜」
「たべらんな〜い」

とギブアップしていました。

抹茶プリンを食べながら八十八夜の話をしましたが、その中で八十八夜を歌った《茶摘み》という歌があることも話しました。しかし、令和の子どもたちは

「せっせっせーのよいよいよい」

で始まる手遊び歌も知らないようで、反応は今ひとつでした…。

《茶摘み》は1912年(明治45年)刊行の唱歌集「尋常小学唱歌」に掲載された日本の唱歌ですが、文部科学省はそんなことも教えてはくれません。自分の省庁の名前を冠した文部省唱歌を教えないということは、一体どういう了見なのでしょうか。

そんな憤りを覚えながら子どもたちに《茶摘み》を歌って聴かせて、最終的には子どもたちにも歌ってもらいました。これからも文科省が教科書に文部省唱歌を載せる気が無いのなら、こちらが勝手に子どもたちに教えるまでです。

因みに、給食で出された抹茶プリンがあまり抹茶感がなかったので、帰宅途上にコンビニに立ち寄って



抹茶スイーツを買ってきました。大人には、このくらい苦味が効いていた方が美味しいものです。

そんなわけで、八十八夜の今日は文部省唱歌《茶摘み》をお聴きいただきたいと思います。幼い頃に遊んだ手上を思い起こしながらお楽しみください。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする