今日も日中は汗ばむ陽気となりました。昼間だけならTシャツ一枚でも過ごせそうですが、まだ朝夕が涼しいので一枚羽織るかどうか悩むところです。
ところで、今日5月1日はドヴォルザークの祥月命日です。
アントニン・レオポルト・ドヴォルザーク(1841〜1904)は後期ロマン派に位置するチェコの作曲家であり、チェコ国民楽派を代表する作曲家です。
ブラームスに才能を見いだされた後に《スラヴ舞曲集》で一躍人気作曲家となったドヴォルザークは、交響詩《モルダウ》で有名なスメタナとともにボヘミア楽派と呼ばれています。その後、アメリカに渡って音楽院院長として音楽教育に貢献する傍らネイティブ・アメリカンの音楽や黒人霊歌を吸収し、それらを《交響曲第9番『新世界より』》や《チェロ協奏曲ロ短調》《弦楽四重奏曲『アメリカ』》といった様々な自身の作品に反映させています。
晩年のドヴォルザークには尿毒症と進行性動脈硬化症の既往があったのですが、1904年の4月にこれが再発してしまいました。そして5月1日、昼食の際に気分が悪いと訴えたドヴォルザークはベッドに横になるとすぐに意識を失い、そのまま息を引き取りました(享年62)。
ただし、ドヴォルザークの直接の死因は脳出血だったといいます。ドヴォルザークの葬儀はその4日後の5月5日に国葬として行われ、棺はまずプラハの聖サルヴァトール教会に安置された後、ヴィシェフラド民族墓地に埋葬されました。
そんなドヴォルザークの祥月命日にご紹介するのは、歌劇《ルサルカ》です。
アメリカから帰国後のドヴォルザークには、多くの栄誉が与えられました。1895年、ウィーン楽友協会はドヴォルザークを名誉会員に推挙すると伝え、同年にウィーン音楽省はプラハ音楽院への援助を増額する際に、ドヴォルザークの俸給を増額するようにと明記しました。
また、1897年7月には、かつてドヴォルザークが得ていた奨学金の審査を行う委員会であるオーストリア国家委員会の委員となりました。さらに1898年には、それまで音楽家ではブラームスしか得ていなかった芸術科学勲章を、フランツ・ヨーゼフ1世の在位50周年式典の席で授けられました。
様々な栄誉を身につけたドヴォルザークでしたが、彼の中には『オペラで大当たりを取ったことがない』という焦燥感がありました。というのも、ヨーロッパでは古典派の時代から『オペラで成功していない作曲家は真に一流であるとは見なされない』という傾向があったのです。
そんな折、ドヴォルザークはチェコの民話に着想を得た台本《悪魔とカーチャ》に出会い、オペラ創作に邁進していきました。1898年から1899年にかけて作曲されたこのオペラは1899年11月23日に初演されると大成功を収めました。
そして、次にドヴォルザーク出会ったのが、《ルサルカ》という物語でした。物語の内容は水の精ルサルカが人間の王子に恋をして自分の美しい声と引き換えに人間の姿を手に入れて王子と結ばれる寸前まで迎えたものの、想いがすれ違う中で最後は悲しい結末を迎える…というアンデルセン童話の『人魚姫』にかなり似たお話です。
1900年4月に着手されて11月27日に完成したこの妖精オペラは、1901年3月31日にプラハで初演されて前作同様に大成功を収めました。しかし、様々な事情で音楽の都ウィーンで上演される機会を逃したことで国際的な名声を生前に受けることは叶わず、ドヴォルザーク自身は決して満足できずにいたようです。
そんな《ルサルカ》の中から、今回は『月に寄せる歌』をとりあげてみようと思います。
『月に寄せる歌』は、人間の王子を好きになった水の精ルサルカが、人間になりたい気持ちを月に歌うアリアです。ドヴォルザークの有名な歌曲《我が母の教え給いし歌》にも通ずるような静かで美しいメロディにのせて、ルサルカの王子を思う心が切々と歌われます。
そんなわけで、今日はドヴォルザークの歌劇《ルサルカ》から『月に寄せる歌』をお聴きいただきたいと思います。ルネ・フレミングの歌唱で、ルサルカの切々たる心情吐露をご堪能ください。