日本ゲートボール連合のホームページによると、1947年、鈴木栄治(秋田市太平出身)が北海道芽室町において、クロッケーをヒントに子供向けに考案したそうです。何も遊びがなかった当時、子供達に喜ばれたようです。
別の資料によると、太平洋戦争で敗戦し、フィリピンのモンテンルパ収容所に入れられた日本兵達が考案したそうです。1953年、釈放されて帰国した彼らは、日本体育協会に持ち込み、ゲートボール(GB)という名称と競技規則が設けられ、日本ゲートボール協会ができたそうです。学校スポーツ、職場スポーツとして普及をはかったが発展はしなかったようです。
1964年、東京オリンピックが開催されたが、当時、文部省は、国民皆スポーツを提唱しました。老人にはGBがいいのではないかと注目されたそうです。
1975年頃になると老人スポーツとして、まずは熊本県で、続いて鹿児島県、宮崎県、佐賀県など九州で盛んになったそうです。県体育大会種目に採用したこともあり、急速に全国に広がったそうです。
当時は、関連団体がいくつも各地に誕生し、競技規則も違いがあったが、次第に統一され、1984年、現在の日本ゲートボール連合が誕生したそうです。
行政の助成もあり、老人の間で爆発的に普及したが、GBは、激しい運動はないものの、打撃も作戦も非常にむずかしく、老人向きスポーツとは言えません。老人にもできるスポーツです。今では若い人の方が、上達が早く、老人チームはまず若者チームには勝てません。勝てなければ面白くありません。老人愛好者はどんどん減っています。日本ゲートボール連合も方針を変え、若者重視になっています。そして、現在は、ほかのスポーツ同様若者愛好者が増えています。
若者達は「美しいゲートボール」を主張し、一気にGBの打撃水準も作戦水準も向上しました。また、今ではGBは世界のスポーつになりつつあります。素晴らしい国技になりそうです。