じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

瀬戸内晴美「夏の終り」

2018-12-21 21:15:50 | Weblog
☆ 瀬戸内晴美さんの作品集「夏の終り」(新潮文庫)から表題作を読んだ。

☆ 一人の女性と二人の男性。女性は前の夫と離婚し、対照的ともいえるような二人の男の間で揺れている。一人の男は荒々しく彼女を求める。しかし彼はもう一人の男とも表面上は巧くやっている。もう一人の男には妻子がある。律儀にも二人の女性を掛け持ちする生活をしている。あえて性的関係を求めようとしなくなった。何を求めて関係を続けているのか、それは私には分からない。

☆ 私にとっては、はっきりいってどうでもいい話だ。知らない男女がどんな関係で、それぞれがドロドロの関係に陥っても、身から出たサビだとしか思えない。

☆ これが「性(さが)」というものなのだろうが。お疲れさんという感じだ。
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城山三郎「今日は再び来たらず」

2018-12-21 15:32:34 | Weblog
☆ 城山三郎さんの「今日は再び来たらず」(講談社文庫)を再読した。1988年に一度読んでいるから30年ぶりだ。改めて読むとなかなか新鮮でもある。

☆ 1977年の作だからまだ子どもが街にあふれ、予備校が繁盛をしていた時代だ。当時の塾は教室に数十人の生徒を入れて一斉授業をしていたのだから、今から思うと実にうらやましい効率性だ。

☆ それから40年、少子化の一方で小資本で展開できる塾は過当競争。よりサービスを、より個別指導をということで、経営効率は悪くなる一方。大手は学生を多用したブラック経営でなんとか収益を保っているといったところだろうか。

☆ 業界内でのグループ化も進んでいるようだ。

☆ 作品の中で本屋と花屋と塾は不況にも強いと言われるが、インターネットと物流の進歩は街の本屋を苦境に追いやっている。塾も個性と実績がなければ、遠からず淘汰されていくだろう。

☆ 時代を超えて本書から学ぶべき点は多い。長年、塾稼業をしていると我流に固執し基本を忘れがちだ。そんなとき良い刺激を与えてくれる。

☆ そしておなじみのフレーズ。予備校教師は5つの役割を担わなければならないというところ。学者であり、芸者であり、役者であり、易者であり、医者でなければならない。今の時代一人でこの5役を演じられる人はまずいないが、そこは組織での役割分担なのだろう。それそれ基礎的な素養をもった上で、自分の得意分野をどこに定めるか。

☆ これからも塾業界で生きていくには、心しなければいけない点だと思う。
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星新一「最後の地球人」

2018-12-21 12:04:05 | Weblog
☆ 星新一さんのショートショート集「ボッコちゃん」(新潮文庫)から「最後の地球人」を読んだ。

☆ 科学が進歩し、寿命が延び、生産力が増加して人口が爆発的に増えた。100億、200億と。ところがあるとき夫婦から1人の子どもしか生まれなくなった。専門家はいろいろと理由を考えたが原因は不明。人口は急減し、とうとう最後の夫婦を残すのみとなった。

☆ その夫婦に子どもが生まれた。しかし両親とも死んでしまった。人工の保育によって育てられた子どものその後は・・・。

☆ 新たな「創世記」を予感させる作品だった。

☆ 手塚治虫の「火の鳥」で、火の鳥の血を浴びたために死ねなくなった男のエピソードがあった。古代から権力者は不老長寿を求めて苦労をした。しかし、死があるからこそ不老長寿に、つまり「生きる」ことに意味があるのだ。「死ねる」ということはある意味幸福なことなのかも知れない。
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