☆ 朝日新聞「読書」のページ、今回の「大澤真幸が読む 古典百名山」は、エミール・デュルケームの「自殺論」を取り上げていた。
☆ このコラムは、いつも難解な作品を大澤さんが読み解いてくれる。今回はそもそも原作がわかりやすいからか、あまり難解さを感じなかった。要は、自殺といういたって個人的な行為の背景に「社会」の存在を発見したことだという。
☆ 私は大学の3回生の「教育哲学」の授業で、デュルケームの「自殺論」をレポートしたことがある。その原稿が出てきたので読み返してみた。
☆ まずはデュルケームのプロフィール。1858年生まれで1917年に亡くなっている。フランスの社会学者である。「自殺論」は1897年に書かれたもので、多くの統計資料を根拠として、実証的に自殺を研究。社会的要因を強調した。後世から見ると統計資料の必ずしも正確でなかったり、社会的要因を強調するあまり非社会的要因を軽視したと批判もされるが、先駆者としての功績は大きい。
☆ 序論では、「自殺」を「死が当人自身によってなされた積極的、消極的行為から直接、間接に生じる結果であり、しかも、当人がその結果の生じうることを予知していた場合をすべて自殺と名づける」(世界の名著47「デュルケーム ジンメル」より宮島喬訳「自殺論」64頁)としている。
☆ 消極的行為とは、一切の食を断ってじっと坐して生命の灯りが燃え尽きるのを待つようなもの。間接に生じる結果とは、禁じられた異教への信仰をあえて公然と表明し、捕縛、処刑を甘んじて受けること。当人がその結果の生じうることを予知していた場合とは、「覚悟の死」であること。つまり自殺とは人間固有の行為である。
☆ 従来は「自殺者は精神病患者である」というようにもっぱら個人的要因によって規定されていた。それに対してデュルケームは「全然異なった側面から自殺を捉えることも可能だ」(前掲書66頁)と考えた。つまり社会学的研究として。人間は孤立した個人として生きているのではなくあくまで社会的存在として複雑な社会的連関の中に生きている。「社会と個人」の関係を考える中で、自殺という現象を説明しようとした。
☆ 第一編では非社会的要因について言及されている。自殺と精神病的状態(当時は自殺には罰則が科されたので、それを免除するため精神病とすることもあった)、自殺と正常な心理状態(同じ人種であっても地域的に自殺の数に差があるので、文化的な要因があるのではないか)、自殺と宇宙的要因(気候や季節との関係。デュルケームは気候というよりは文化的要因、季節というよりは社会的活動との関係を考えた)、模倣(自殺は伝染するか。デュルケームは地理的分布からこれを否定する)
☆ 第二編は社会的原因と社会的タイプと題し、自殺を分類している。「自己本位自殺」では宗教生活のあり方から、家庭生活のあり方から、政治社会のあり方から考察している。
☆ 宗教生活のあり方からでは、カトリック諸国に比べてプロテスタント系諸国の自殺が多いことから、「集団的生活への参与と結合感情こそが個人の生を意味あるものたらしめている」(161頁)としている。
☆ 家庭生活のあり方からでは、①極端な早婚は、特に男子において自殺の増大を促す、②20歳を超えると既婚男女は未婚男女に比べて自殺が少なくなる、③既婚者における自殺抑止力には男女差があり、男子の方に大きい、④配偶者と別れると自殺は増えるが未婚者ほどではない、と分析し、夫婦集団の自殺抑止力は小さいが、家族集団は集団精神や責任意識の高揚によって人々を生につなぎとめているとしている。
☆ 政治社会のあり方からは、戦争や政変は自殺率の低下を促すとしている。それは「社会的激変は少なくとも一時的にはきわめて強固な社会的統合を実現させる」(154~155頁)からだという。
☆ 次に「集団本位自殺」に言及している。「人は社会から切り離されると自殺しやすくなるが、あまり強く社会の中に統合されていると同じく自殺をはかるものである」(166頁)という。未開社会にも自殺は存在するとして、老年に達したものや病に冒されたものの自殺、夫の後を追う妻の自殺、臣下の殉死、集団や神との一体化をめざした宗教的な自殺を挙げる。軍隊における自殺が一般市民よりも多いことも指摘している。
☆ 次に「アノミー的自殺」。デュルケームにおけるアノミーとは「行為を規制する共通の価値観や道徳的基準の失われた混沌状態」だという。好景気の時にも不景気の時にも自殺は増加する。つまり経済上の急激な変動は自殺を増すということから、欲求と社会規制との不均衡、欲望のとめどない拡大が個人を苦しめるとしている。
☆ 「自己本位自殺」「集団本位自殺」「アノミー的自殺」のほかに「宿命的自殺」に言及している。欲望があまりに強い規範的拘束下に置かれたため、鬱積し憤懣や怨念と化して自殺が起こる。例えば、身分が違うために叶わぬ恋をはかなんでの心中。
☆ 第三編は社会現象としての自殺一般と題して、社会や時代背景から自殺を考察している。
☆ そして「実践的な結論」として自殺を生じないような社会は存在しないとした上で、自殺の予防策として「社会集団を強固にし、個人を十分に把握し、個人自身も集団に結びつくようにさせること」を挙げている。特に「職業集団」の役割に期待している。
☆ 私は「アノミー」という概念が面白いと思った。「規範の混乱、葛藤であり、個人は複数の両立しえない規範の義務を果たそうと努力するところから生ずる緊張とひずみに特徴づけられる行動」(ニスベット)、「社会的には文化構造すなわち特定社会の行動規範の体系の崩壊、心理的には個人の道徳観念が衰退するか混乱して心理状態」(マートン)などいろいろあるが、要するに社会的にも個人的にもアイデンティティが危機に瀕した状態を指すようだ。
☆ 参考文献 宮島喬「デュルケム 自殺論」(有斐閣新書 1979年)