じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

ドラマ「琥珀」

2019-10-06 21:19:38 | Weblog
☆ ドラマ「琥珀」(2017年)を観た。浅田次郎さん原作。大人のドラマって感じだった。

☆ 定年間際の老警官に西田敏行さん、訳ありの喫茶店オーナーに寺尾聰さん、家庭に問題を抱えながらも明るく漁協に務める女性を鈴木京香さんが演じる。

☆ 良い本があって、名俳優3人がそろえばそれだけで観る価値がある。地味だったけれど、心温まる作品だった。

☆ おいしいコーヒーが飲みたくなった。
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北条民雄「いのちの初夜」

2019-10-06 15:24:23 | Weblog
☆ 「日本近代短篇小説選」(岩波文庫)から北条民雄さんの「いのちの初夜」を読んだ。力強い作品だった。

☆ 北条民雄という作家のことは知らなかった。ハンセン病を発病し、施設に入所。1937年(昭和12年)に急逝したという。

☆ 「いのちの初夜」という作品は、ハンセン病で病院に収容された男性の最初の1夜を描いている。がらんといた病室に並ぶ無機質なベッド。そこに横たわる人々はそれぞれに機能が失われている。

☆ 男性はその光景にショックを受ける。膿の臭いに、淀んだ空気に堪えられず、病室を抜け出す。しかし、どこに行き場所があるのだろうか。死のうとして死にきれず、生きようとして帰る場所がない。男性は魂の漂泊に恐れおののく。

☆ そんな彼に当直の男性が寄り添う。自らも同じ病を背負う彼は、安っぽい慰めなどしない。その病気になりきってしまえという。5年に渡り人々の苦痛、苦悩を見てきた諦観がある。

☆ 彼は言う。ここにいる患者は人間ではないと。「生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。」(277頁)

☆ ハンセン病は今では治る病となった。しかし、不治の病や難病の苦痛、経済苦、人間関係など、人の苦しみは尽きない。絶望的な状況の中でも尚生き抜くこと。力まず焦らず怯まず。そんな勇気を与えてくれる作品だった。
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報道の死角

2019-10-06 09:16:00 | Weblog
☆ 朝日新聞「天声人語」を読んで「はっ」とした。抗議行動が続く香港。記者はデモに参加したが新聞等で報じられるような過激な衝突は最前線のごく一部で、ほとんどが平和的なデモであったという。

☆ 私が学生の頃、韓国では光州事件があった。マスメディアは連日、戦場のような光景を報じた。その前後だったか、韓国からの留学生に聞くと、衝突の光景ばかり報道しているから韓国全体が混乱しているように見えるだけ、と話していた。

☆ 60年安保の時、岸首相は「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園はいつも通りである。私には『声なき声』が聞こえる」と語ったという。「声なき声」は首相の幻聴だと思うが、確かに一理はある。あの大混乱の中でも多くの国民は結構平穏だった。いや、日常の生活に追われていたのだろう。 

☆ ニュースは、目を引くものに走りがちだ。そこに死角はないのだろうか。

☆ 同じく朝日新聞「日曜に想う」で福島申二編集委員がセンセーショナリズム(扇情主義)について書いている。アメリカの新聞王ハーストの訓示から、売れる紙面づくりの秘訣を紹介している。1面から2面、3面と読むにつれて、「すごい」「大変だ」「助けてくれ」という紙面をつくればよいという。

☆ これはなかなか興味深い。今や新聞の購読者が激減し、その影響力はネットに移行しつつあるが、スポーツ紙や週刊誌の見出しにはセンセーショナリズムが生きているようだ。

☆ 商業紙(誌)だから仕方がないのかも知れないが、結局は一人ひとりのリテラシーに委ねられているということか。


 
☆ 余談ながら、戸川猪佐武は「小説吉田学校」(角川文庫)の中で、総選挙で自由党が大勝利した結果を受けて、吉田茂首相に「いや、まだ油断はならんよ」「いままでの発表は、全部、嘘かもしれん。報道機関という奴は、なにしろ嘘をいうからね」(106頁)と言わせている。

☆ また佐藤栄作首相は退陣会見で「偏向的に新聞は大嫌いだ」と大見えを切って、テレビカメラだけの会見をやった。(会見というよりか退陣表明だけれど)

☆ 新聞は権力者に嫌われてこそ価値がある。最近の大新聞はサイレントマジョリティに耳をすましているだろうか。販促に窮してそれどころではないかな・・・。

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