じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

浅田次郎「西を向く侍」

2019-10-20 19:12:15 | Weblog
☆ 浅田次郎さんの「五郎治殿御始末」(新潮文庫)から「西を向く侍」を読んだ。

☆ 暦と言えば冲方丁さんの「天地明察」を思い浮かべるが、「天地明察」が4代将軍徳川家綱の時代の物語であるのに対して、西を向く侍」は明治初期が時代背景となっている。

☆ 算術と暦学を修めその学識が評判の成瀬勘十郎。徳川の治世なら御徒士としてその才覚がいかされたであろうが、明治維新で幕臣の多くはリストラされ、彼もまた待機組に据え置かれた。

☆ そんな折、明治5年12月2日をもって太陰暦から太陽暦に暦が変わるという詔勅が出された。あまりの性急な変革に、成瀬は血相を変え文部省へと向かった。


☆ 今さらながら考えてみれば、なぜ「大の月」は1月、3月、5月、7月、8月、10月、12月なのであろうか。どうして2月は28日(閏年であっても29日)なのだろうか。明治政府が採用したグレゴリオ暦がそうなっているから仕方がないということなのだろうか。

☆ 小学生の頃、「小の月」を覚えるのに先生が「西向く侍=二、四、六、九、士(十一)」と教えてくれた。それがこの作品のタイトルの所以であろうが、同時に西洋ばかりに目を向ける薩長政府への批判も込められているように感じた。 
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映画「アラジン」

2019-10-20 13:32:16 | Weblog
☆ 映画「アラジン」(2019年)を観た。ディズニー映画らしいエンターテインメントだった。

☆ ストーリーは「アラジンと魔法のランプ」の通りだろうか。幼い頃に読んだか聞いたかで、ストーリーははっきり覚えていない。「アリババと40人の盗賊」や「シンドバッド」とごっちゃになっている。

☆ とにかく、歌あり、ダンスあり、バトルありで、特撮が駆使されビジュアルが素晴らしかった。キャストも素敵だったなぁ。ジャスミン役のナオミ・スコットさん、美しい。インド系の人はきれいだね。ジーニー(魔人)役のウィル・スミスさんは役にピッタリだった。アラジン役のメナ・マスードさんは初めて見た。ダンスが軽やかだった。猿のアブーは名演技だった。本物なのか作り物なのかわからなかった。

☆ 塾生の評価が高かったので観てみたが、楽しめた。

☆ 「これでもかー」というぐらいのハッピーエンド。映画ぐらいハッピーエンドでないとね。
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不射之射

2019-10-20 10:11:40 | Weblog
☆ 伊坂幸太郎さんの「アイネクライネナハトムジーク」(幻冬舎文庫)から「ルックスライク」を読んだ。その中で、中島敦の「名人伝」が取り上げられていたので改めて読んだ。短い作品だが、学ぶところが多い。

☆ 紀昌という弓矢の名人の話。紀昌は最初、天下第一と言われる飛衛に弟子入りする。厳しい修行の後、もはや師匠の飛衛のほかに自らを超えるものがいないことを悟る。天下第一となるためには飛衛を亡き者にするしかない。紀昌は飛衛を襲うが、そこは飛衛、紀昌の矢をかわし難を逃れる。

☆ 策略が失敗し己の非を恥じた紀昌、紀昌の襲撃を回避した己の技量に満足した飛衛、この両者は涙のうちに抱擁する。命のやり取りをした者が抱擁するシーンは俗人には理解しがたい。

☆ とはいえ、身の危険を感じた飛衛は紀昌を遠ざけるべく新たな師匠を紹介する。甘蠅と呼ばれるその人物は人里離れた山岳で仙人のような暮らしていていた。紀昌の弓の技を見て、評価はするがそれはまだ「射之射」であると言う。紀昌の前で甘蠅は「不射之射」を披露する。弓矢もなく高く飛ぶ鳶を射落としたのだ。

☆ 9年の修行を経て町に下りてきた紀昌。それは「木偶の如く愚者の如き容貌にかわっていた」という。名人芸を所望する人々に対して、紀昌は生涯二度と弓を引くことがなかったという。「弓を執らざる弓の名人」として喧伝され、さまざまな伝説が生まれる。

☆ しかし当の紀昌にとっては、そんなことはどうでもよい。「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ」心境だという。弓矢というものさえ忘れてしまったようだ。


☆ 山奥での修業は人知を超えるものであったのだろう。その無表情と言い、感情の喪失と言い、今の時代で言えば認知症だ。名人の極致というのは、人を超えることだったのだろうか。

☆ 物事を知識や理屈で捉えているうちはまだまだ未熟。あるがままにして真理に到達した境地、「我と彼と別なく」と言われるように依正不二の境地、それは凡人には空想でしかないが、それが名人の境地なのであろう。
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