☆ 浅田次郎さんの「五郎治殿御始末」(新潮文庫)から「西を向く侍」を読んだ。
☆ 暦と言えば冲方丁さんの「天地明察」を思い浮かべるが、「天地明察」が4代将軍徳川家綱の時代の物語であるのに対して、西を向く侍」は明治初期が時代背景となっている。
☆ 算術と暦学を修めその学識が評判の成瀬勘十郎。徳川の治世なら御徒士としてその才覚がいかされたであろうが、明治維新で幕臣の多くはリストラされ、彼もまた待機組に据え置かれた。
☆ そんな折、明治5年12月2日をもって太陰暦から太陽暦に暦が変わるという詔勅が出された。あまりの性急な変革に、成瀬は血相を変え文部省へと向かった。
☆ 今さらながら考えてみれば、なぜ「大の月」は1月、3月、5月、7月、8月、10月、12月なのであろうか。どうして2月は28日(閏年であっても29日)なのだろうか。明治政府が採用したグレゴリオ暦がそうなっているから仕方がないということなのだろうか。
☆ 小学生の頃、「小の月」を覚えるのに先生が「西向く侍=二、四、六、九、士(十一)」と教えてくれた。それがこの作品のタイトルの所以であろうが、同時に西洋ばかりに目を向ける薩長政府への批判も込められているように感じた。
☆ 暦と言えば冲方丁さんの「天地明察」を思い浮かべるが、「天地明察」が4代将軍徳川家綱の時代の物語であるのに対して、西を向く侍」は明治初期が時代背景となっている。
☆ 算術と暦学を修めその学識が評判の成瀬勘十郎。徳川の治世なら御徒士としてその才覚がいかされたであろうが、明治維新で幕臣の多くはリストラされ、彼もまた待機組に据え置かれた。
☆ そんな折、明治5年12月2日をもって太陰暦から太陽暦に暦が変わるという詔勅が出された。あまりの性急な変革に、成瀬は血相を変え文部省へと向かった。
☆ 今さらながら考えてみれば、なぜ「大の月」は1月、3月、5月、7月、8月、10月、12月なのであろうか。どうして2月は28日(閏年であっても29日)なのだろうか。明治政府が採用したグレゴリオ暦がそうなっているから仕方がないということなのだろうか。
☆ 小学生の頃、「小の月」を覚えるのに先生が「西向く侍=二、四、六、九、士(十一)」と教えてくれた。それがこの作品のタイトルの所以であろうが、同時に西洋ばかりに目を向ける薩長政府への批判も込められているように感じた。