じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

平岩弓枝「鏨師」

2019-10-10 18:14:22 | Weblog
☆ 平岩弓枝さんの「鏨師(たがねし)」(文春文庫)から表題作を読んだ。緊張感のある面白い作品だった。作品中に刀剣の姿が描かれているが、そのような凛とした感じを受けた。

☆ 刀剣鑑定家がいる。彼の義弟に器用な鏨師がいた。カネのため偽の銘を打ったために、義兄から絶縁される。

☆ その鏨師が病に倒れ、余名わずかとなる。保有していた刀剣は処分し、最後に残った一振り。鏨師の娘がそれを鑑定家(つまり伯父)に、鑑定を依頼する。

☆ その刀は本物かそれとも偽物か。この刀に込められた想いとは。

☆ 職人の矜持をかけた勝負に引き込まれる。

☆ 1959年(昭和34年)の作品だが、本物は決して色褪せない。真の刀剣同様、普遍性を感じさせる作品だった。
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校長の力量不足と孤独

2019-10-10 10:24:23 | Weblog
☆ 「そこまで嫌がっているとは思わなかった。悪ふざけが過ぎた」、神戸市立小学校の同僚教員いじめ(ハラスメント)問題。校長の聞き取りに加害教員が語った言葉だという。

☆ 校長の指導がどれほどのものだったかは不明だが、それを受けた加害教員は被害教員に不満を述べていたとも言う。

☆ いじめの首謀者がいて、その取り巻きがいて、彼らを傍観する人達がいる。典型的ないじめの構造だ。これが小学生、中学生ならよくあることだが、30代、40代の教員の話となると絶句せざるをえない。

☆ 教員のパーソナリティの問題、教員組織風土の問題、管理職の問題。問題が重層的に堆積しているようだ。

☆ 「校長は校務を掌り、所属教員を監督する」(学校教育法)と定められている。

☆ 今回の原因を校長の力量不足とするのは酷な気もするが、長期にわたるハラスメント、それにしかるべき指導ができなかったこと、ハラスメントを止められなかったことの結果責任を問われよう。校長、教頭を含め管理的立場にある教員がナメられていたと言ってもよい。長期在勤の教員と短期で転勤を繰り返す管理職との力関係も気になる。

☆ 前校長の指導の在り方も気にかかる。管理職の交代、経営方針の変更、その辺りの影響はどうなのだろうか。

☆ 教員の年齢構成も気にかかる。1980年代、教員の採用が抑制されていた時代があった。一方で団塊世代の大量退職で若年教員が増えている。さらには非正規採用の教員(講師)の増加だ。そのせいで教員の年齢構成がいびつになっている。「チーム学校」とは言い、多様な人が学校に絡んでいるが、根幹の経営システムが揺らいでいるように感じる。教員組織が弱体化しているのではないか。

☆ 児童・生徒の教育、これは学校の本務だ。それに親対応、教委対応。教員組織がしっかりしていてこそこうした激務に対応できるが、その足元がぐらついていたのではどうしようもない。

☆ 力量が不足していても、大過なく職を全うする校長もいる。優秀な教頭に恵まれたり、たまたま大きな問題が起こらなかったりと運が味方すれば、「飾り」のような校長でもやっていける。逆に、力量があってもその力が十分に発揮できない経営環境というのもありそうだ。

☆ かつて管理職と組合が激しく対立する学校があった。その組合も今では組織率が低下して(行政側の圧力の成果か、そもそも教員が組合活動のような拘束性を嫌う傾向にある。世の中が豊かになったのも大きい。多忙の問題はあるとはいえ、教員の待遇も戦後間もなくの劣悪なものとは比べ物にならない)、教員文化に大きな影響を与えていないようだ。世代間の断絶があるのかも知れない。

☆ 自分自身の考えを整理しながら書いていると多くを書きすぎた。

☆ 「やんちゃな教員」は今に始まったことではない。加害教員は児童の指導はしっかりやっていたようなので、そういう意味では「不適格教員」ではない。何が彼らを継続的なハラスメントに追い込んだのか。学校経営や行政の在り方はどうだったのか。非常に興味深いところだ。

☆ そして、今回の件は特異な例なのだろうか。他の学校では同様のハラスメント(教員の性的ハラスメントはよく聞くが)は起こっていないのだろうか。学校の閉鎖性も改めて問題に感じる。
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