長いようで短かった6年間―
その締めくくりとしての卒業式が終わりました…。

卒業生は、在校生や先生、保護者に見送られ、体育館(式場)をあとにします…。
静かに、一歩ずつ・・・直線に進み、直角に曲がり、ゆっくりゆっくり立ち去っていきます。
パッフェルベル「カノン」の美しい調べに乗りながら…ゆっくり、ゆっくり…。

違う中学校のダブダブの制服を着て、それぞれが旅立っていくのだなあとしみじみ感じました。
嬉しいのに、悲しい。そして華々しい…。
その時にやっと、式中には感じなかった感慨深いものを感じました。
式中の祝辞では、保護者に対して、いろいろな苦労が思い出されることでしょう、と述べられた方が何人かいらっしゃいましたが、
苦労したことが思い出されるというよりも、
自分の忙しさにかまけて、いろいろしてあげられなかったことがたくさんあったのではないかと考えあぐねたたりしていました。
実際は忙しいわけでもなく、自分の時間に固執しているだけなのです。
子供のために生きる―
子供が成人するまでは、人生の半分は子供のために生きる、ということが大切なような気がします。
もちろんこれは私のことです。
周りのお母さんたちは、自然と子供のためにエネルギーを使っている素晴らしいお母さんたちばかりです。
その締めくくりとしての卒業式が終わりました…。

卒業生は、在校生や先生、保護者に見送られ、体育館(式場)をあとにします…。
静かに、一歩ずつ・・・直線に進み、直角に曲がり、ゆっくりゆっくり立ち去っていきます。
パッフェルベル「カノン」の美しい調べに乗りながら…ゆっくり、ゆっくり…。

違う中学校のダブダブの制服を着て、それぞれが旅立っていくのだなあとしみじみ感じました。
嬉しいのに、悲しい。そして華々しい…。
その時にやっと、式中には感じなかった感慨深いものを感じました。
式中の祝辞では、保護者に対して、いろいろな苦労が思い出されることでしょう、と述べられた方が何人かいらっしゃいましたが、
苦労したことが思い出されるというよりも、
自分の忙しさにかまけて、いろいろしてあげられなかったことがたくさんあったのではないかと考えあぐねたたりしていました。
実際は忙しいわけでもなく、自分の時間に固執しているだけなのです。
子供のために生きる―
子供が成人するまでは、人生の半分は子供のために生きる、ということが大切なような気がします。
もちろんこれは私のことです。
周りのお母さんたちは、自然と子供のためにエネルギーを使っている素晴らしいお母さんたちばかりです。