昨日の夜。10時すぎ。
なんとなく、外を歩きたくなって、アテもなく歩いてみることにした。
部屋のあるマンションを出て、なんとなく、最寄のJRの駅の方へ歩く。
途中、前に気になっていた定食屋を思い出して行ってみるが、もう既に閉まっていた。
そのまま表通りに出てみると、出たところに本屋があり、まだやっていたので、のぞいてみることにした。
気になる雑誌・本を数点見付ける。
写真の雑誌だったり、デザインの本だったり…。
ここ最近の写真の雑誌・本を見てみると、いかに軽いノリの写真雑誌・本が多いことか。
それなりに写真人口は増えたが、その恩恵は写真産業を昔から支えてきた人たちには、あまりにも還元されなさ過ぎた。
理由は、一言。デジタル化だ。
そして、そのデジタル化も写真自体を軽くしてしまった要因のひとつだ。
写真は、大きく分けると、絵画系と社会派系とに分かれるが、もともと絵画をやっていて写真をやり始め、そして、写真をやる中で、絵画から社会派へ変わっていった僕としては、時代が逆行している感さえあるが、でも、良く考えてみると、かなり以前にも絵画系の写真が持て囃された時期があったように思う。浅井慎平氏が知られるようになった頃がそうだろうか?それでも、時代はそこに写っていた。
そう、そこそこ世間に知られる写真家の写真には、絵画系でも時代が写り込んでいるように感じる。そして、今で言えば、梅佳代の写真にも時代が写り込んでいるように思う。
それを知らずして、感じずして、写真をやりだすのは、少々危険?だと思う。けれど、若い頃の僕もそうだったかもしれない。僕が写真をやりだしたキッカケは、まさしく、浅井慎平だ。
まぁ、いまでも、昔のコネと後藤繁雄とそれなりの作品があれば、それなりな「写真家」にはなれるのかもしれないが(もちろん、それにしても大変な難しさがあるのは当然だが。)、もう、「写真家」というものには興味がないし、むしろ、なりたくない。
それにしても、こんなに写真雑誌の種類は増えたのにも関わらず、写真集が相も変わらず活況しないのは、なぜなのだろうか???
そんなことを思いながら、デザインの本とか、森山大道の写真を語っている本とか、買おうと思ったけど、
結局、先日、藤原新也さんが自身のブログで紹介していた、石田昌隆さんの「オルタナティヴ・ミュージック」(ミュージック・マガジン社)を買う。
以前、GEBOさんに教えてもらった、「DE LA SOUL」なども紹介されている。辞書のように濃密な一冊に感じる。
本屋を出て、近くにあった喫茶店に入って、早速、今買った本を読んでみようか、と思うが、さすがに、もう、夜11時。こちらも閉店時間で中に入れずw。
そのまま、駅前へふらふら歩いて、いつもは行かないコンビニに入り、晩飯を購入。
それから、まっすぐ帰った。