はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

古墳巡りはおもしろい(その3)

2015-12-11 19:13:56 | 古代史の舞台を歩く
古市古墳群の中心になるのが、「応神天皇陵古墳(誉田山古墳)」です。
かなり大きな古墳です。下から見るとちょっとした山です。
 (東側から後円部を見る)

 (拝所からの景色)

 (外側の濠には水がありません)

 (空から見た誉田山古墳)


次に訪れたのが、「仲姫皇后陵古墳(仲津山古墳)」です。この古墳は、古市古墳群では2番目の大きさです。(日本第9位です)仲姫(ナカツヒメ)は応神天皇の皇后です。応神天皇の御陵も大きいから皇后のお墓も大きいということなのでしょうか?しかし、造られた時代が応神天皇陵より古いらしいのです。これってどういうことでしょう?いずれにせよ大王の古墳にはちがいないでしょう。
 (拝所からの景色)

 (フェンスごしの景色)


最後は、「允恭天皇陵古墳(市野山古墳)」です。(前回「墓山古墳」と「允恭天皇陵古墳(市野山古墳)」と「継体天皇陵古墳(太田茶臼山古墳)」が同規格で造られている話をしました)允恭天皇は、倭の五王の済(せい)に比定されている天皇です。
 (市野山古墳案内板)

 (濠には水がありません)

 (近鉄土師ノ里駅)

近鉄土師ノ里駅は、「仲津山古墳」と「市野山古墳」にはさまれたような所にあります。ここにも古い街道の「長尾街道」が通っています。
ところで、土師氏といえば古墳造りに関わった一族です。ここ、古市古墳群(百舌鳥古墳群も)では、4世紀末頃から盛んに大古墳が造られるようになりました。それまでは奈良県を中心に造られたいた大古墳が、どうしてこの地に造られるようになったのでしょう?その頃活躍した倭の五王とも関係がありそうです。大きな謎でもあり、古代史のロマンでもあります。

今回、すばらしい天気に恵まれ、サイクリングをしながら古墳を巡ることができました。さいごは石川まで走り、二上山から葛城・金剛の景色を楽しみました。
 (一番右が先日登った金剛山)

今回、巡った古市古墳群の地図です。



※古市古墳群は、百舌鳥古墳群(5月13・14日参照)と共同で、世界文化遺産登録をめざしているそうです。そのことには異論はありませんが…。ただ、多くの古墳が、すぐ側まで家が建て込んでいて(これってすでに損傷や破壊ってことではないのでしょうか)そのため、容易に古墳に近づけないのです。また、近づけてもほとんどの古墳が立ち入り禁止なので、世界遺産として遠くから眺めるだけなんでしょうか。(宮内庁はどう考えているのでしょう?)世界遺産に登録するのなら、いろいろと条件整備もお願いしたいと思います。