初冬の飛鳥をカメラ片手に歩きました。(気分は、入江泰吉ですが…)今回は、甘樫岡から伝板蓋宮跡周辺と飛鳥資料館を歩きました。この時期は訪れる人も少なく、静かな飛鳥を味わうことが出来ました。
飛鳥は万葉歌が似合うところでもあります。犬養孝の気分で万葉歌も詠んでみました。(歩いたのは12月12日です)
甘樫岡から車の通らない地道を川原寺に向かって歩いていきました。やがて、弘福寺が見えてきます。弘福寺は川原寺の金堂跡に建てられています。川原寺は、かつては飛鳥寺などと並ぶ大寺院だったそうです。今は、礎石のみが往時を偲ばせます。
(弘福寺)
(弘福寺)
(川原寺跡)
川原寺の前には、道路をはさんで橘寺があります。桜の頃に訪ねた時には、多くの参拝者があり駐車場に入る車が渋滞していました。今日はひっそりと初冬の空気の中に佇んでいました。
(橘寺)
(橘寺)
犬養孝著『万葉の旅』に橘寺のページがあります。 そこには「橘の 寺の長屋に わが率宿し うなゐ放りは 髪上げつらむか ー作者未詳ー」という万葉歌があげられています。
橘寺は聖徳太子誕生の地と伝えられています。聖徳太子は、飛鳥時代の始まりとなった推古天皇の摂政として活躍した人物です。仏教をめぐって、蘇我氏と物部氏の争いがあったのもこの頃のことです。
そんな時代を感じながら古い道を歩きます。
(道端の石仏)
橘寺の近くには飛鳥川が流れています。万葉びとは、この川をたくさんうたっています。
「明日香川 瀬々の玉藻の うちなびく 心は妹に 寄りにけるかも ー作者不詳ー」<明日香川の瀬という瀬に生い茂って靡いている玉藻のように 私の心はただひたすら お前に靡き寄ってしまったよ>
(明日香川)
歩き疲れたころ、ちょうど喫茶店がありました。素敵なお庭を見ながらおいしいコーヒーをいただきました。(散歩というお店でした)その庭の先は、伝板蓋宮跡へとつづいていました。
次回は、伝板蓋宮跡周辺あたりを歩きます。
飛鳥は万葉歌が似合うところでもあります。犬養孝の気分で万葉歌も詠んでみました。(歩いたのは12月12日です)
甘樫岡から車の通らない地道を川原寺に向かって歩いていきました。やがて、弘福寺が見えてきます。弘福寺は川原寺の金堂跡に建てられています。川原寺は、かつては飛鳥寺などと並ぶ大寺院だったそうです。今は、礎石のみが往時を偲ばせます。
(弘福寺)
(弘福寺)
(川原寺跡)
川原寺の前には、道路をはさんで橘寺があります。桜の頃に訪ねた時には、多くの参拝者があり駐車場に入る車が渋滞していました。今日はひっそりと初冬の空気の中に佇んでいました。
(橘寺)
(橘寺)
犬養孝著『万葉の旅』に橘寺のページがあります。 そこには「橘の 寺の長屋に わが率宿し うなゐ放りは 髪上げつらむか ー作者未詳ー」という万葉歌があげられています。
橘寺は聖徳太子誕生の地と伝えられています。聖徳太子は、飛鳥時代の始まりとなった推古天皇の摂政として活躍した人物です。仏教をめぐって、蘇我氏と物部氏の争いがあったのもこの頃のことです。
そんな時代を感じながら古い道を歩きます。
(道端の石仏)
橘寺の近くには飛鳥川が流れています。万葉びとは、この川をたくさんうたっています。
「明日香川 瀬々の玉藻の うちなびく 心は妹に 寄りにけるかも ー作者不詳ー」<明日香川の瀬という瀬に生い茂って靡いている玉藻のように 私の心はただひたすら お前に靡き寄ってしまったよ>
(明日香川)
歩き疲れたころ、ちょうど喫茶店がありました。素敵なお庭を見ながらおいしいコーヒーをいただきました。(散歩というお店でした)その庭の先は、伝板蓋宮跡へとつづいていました。
次回は、伝板蓋宮跡周辺あたりを歩きます。