今回は、伝板蓋宮跡から歩きます。
板蓋宮(いたぶきのみや)は、643年に皇極天皇が遷都した飛鳥ではじめての宮です。645年には、ここを舞台とした歴史的事件が起こります。乙巳の乱(大化の改新)です。中大兄皇子と中臣鎌足によって、蘇我入鹿が暗殺された歴史の舞台です。その後、壬申の乱に勝利した天武天皇が、飛鳥浄御原宮を開いたのも、この地とされています。
血なまぐさい歴史の舞台も、今はのどかな田園風景です。
そこには、ただ風が吹いているだけ♪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/d9/b35506393880522870f97bafd89080fd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/7a/ae9bd2cd9970248c17a1a9e2c351a6ba.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/83/b638b0d6790fbab913c36c8ddc158aa8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/c8/d9df9d1f539cb0eb92bdde8248d8a22b.jpg)
万葉歌より「采女の袖 吹きかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く ー志紀皇子ー」<采女の袖を吹きひるがえす明日香風、今は都も遠く、空しく吹くことよ。>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/19/43980e0de45c92f2a4c2942a533d72e0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/2a/af40d38c22bd41286fa238f980592aae.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/30/83d321b5bed502e63aa23b106ca35ce9.jpg)
遠くに飛鳥寺の屋根が望まれます。飛鳥の宮が華やかだった頃は、このあたりはどんな風景だったのでしょうか?
犬養孝は『万葉の旅』飛鳥浄御原宮のページに「地は真神の原の一部にあたり、東方に八釣山、遠くに三輪山を望み、真北の香具山との間には広大な田畑がひろがり、西北ま近くに雷の小丘があって眺望がたいへんよい。いまここに立てば、飛鳥風がびょうびょうと田畑を吹くのみであるが…。」と書いています。
飛鳥川のほとりに、訪れる人もないお堂がありました。中には弥勒石が祀られています。地蔵菩薩のようですが…。下半身の病気が治るという伝説があり、わらじがたくさん吊されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/a9/33b0bd15de902fdd10b4f3fe365b0f1f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/3e/2788fd9985ae31b85b53f77a18ef0f1a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/74/713628378b4733b26f973b8f46bacc16.jpg)
飛鳥には、歴史の風が吹いているようです。
次回は、飛鳥資料館の猿石です。
板蓋宮(いたぶきのみや)は、643年に皇極天皇が遷都した飛鳥ではじめての宮です。645年には、ここを舞台とした歴史的事件が起こります。乙巳の乱(大化の改新)です。中大兄皇子と中臣鎌足によって、蘇我入鹿が暗殺された歴史の舞台です。その後、壬申の乱に勝利した天武天皇が、飛鳥浄御原宮を開いたのも、この地とされています。
血なまぐさい歴史の舞台も、今はのどかな田園風景です。
そこには、ただ風が吹いているだけ♪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/d9/b35506393880522870f97bafd89080fd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/7a/ae9bd2cd9970248c17a1a9e2c351a6ba.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/83/b638b0d6790fbab913c36c8ddc158aa8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/c8/d9df9d1f539cb0eb92bdde8248d8a22b.jpg)
万葉歌より「采女の袖 吹きかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く ー志紀皇子ー」<采女の袖を吹きひるがえす明日香風、今は都も遠く、空しく吹くことよ。>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/19/43980e0de45c92f2a4c2942a533d72e0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/2a/af40d38c22bd41286fa238f980592aae.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/30/83d321b5bed502e63aa23b106ca35ce9.jpg)
遠くに飛鳥寺の屋根が望まれます。飛鳥の宮が華やかだった頃は、このあたりはどんな風景だったのでしょうか?
犬養孝は『万葉の旅』飛鳥浄御原宮のページに「地は真神の原の一部にあたり、東方に八釣山、遠くに三輪山を望み、真北の香具山との間には広大な田畑がひろがり、西北ま近くに雷の小丘があって眺望がたいへんよい。いまここに立てば、飛鳥風がびょうびょうと田畑を吹くのみであるが…。」と書いています。
飛鳥川のほとりに、訪れる人もないお堂がありました。中には弥勒石が祀られています。地蔵菩薩のようですが…。下半身の病気が治るという伝説があり、わらじがたくさん吊されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/a9/33b0bd15de902fdd10b4f3fe365b0f1f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/3e/2788fd9985ae31b85b53f77a18ef0f1a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/74/713628378b4733b26f973b8f46bacc16.jpg)
飛鳥には、歴史の風が吹いているようです。
次回は、飛鳥資料館の猿石です。