化野と言えば、化野念仏寺で有名な所です。京都を代表する観光地の嵐山の近くにありながら、微妙な距離(徒歩40分)のおかげで、渡月橋周辺ほどの混雑はありません。
私が訪れた20日(日曜日)の午後も、出会う観光客もちらほらで静かな嵯峨野を楽しむことができました。

化野は、東山の鳥辺野・洛北の蓮台野と並ぶ平安時代からの墓地(風葬や土葬です)があったところです。化野念仏寺のリーフレットによれば、この地にお寺が建立されたのは、約千二百年前ということです。境内にある八千体を数える石仏・石塔は、往古あだし野一帯に葬られた人々の墓だったそうで、明治の中期に地元の人々の協力で集められたそうです。(8月23.24日の千灯供養は有名)

西行法師もこの地で「誰とても とまるべきかはあだし野の 草の葉ごとにすがる白露」と、人の命のはかなさを読んでいます。

化野念仏寺の前を愛宕(あたご)街道が通っています。今は町並み保存地区として、昔の面影が偲ばれるようになっています。

このあたりは鳥居本(とりいもと)と呼ばれるところです。戦前までは、愛宕山への参詣の門前町として、旅籠や土産物店、茶店などが軒を連ねていたそうです。


奥に進んで行くと、鳥居本の地名となった一ノ鳥居がありました。鳥居の下では、今も昔ながらの店構えで、お店が営業していました。



ところで、愛宕山は、今も火伏せの神様として多くの人々から信仰されています。私も2012年の4月にお参りしたのですが、お参りというよりは登山でした。なにしろ往復5時間近くかかった記憶があります。
頂上にある愛宕神社を、本能寺を攻める直前に明智光秀が参詣した話や、嵐電の嵐山駅から清滝まで愛宕電気鉄道という電車が走っていた話など、まだまだ話はつきませんが、それは、また機会があればお話ししたいと思います。
※今日のおみやげは、京都出町柳ふたばの豆餅です。嵯峨とは正反対ですが…。当初は賀茂神社に行く予定でしたが、駅伝のため嵯峨野へ変更しました。とりあえず、豆餅だけ買って嵯峨野に行きたかったのですが、30分も並びました。
(ふたばの豆餅とよもぎ餅)
私が訪れた20日(日曜日)の午後も、出会う観光客もちらほらで静かな嵯峨野を楽しむことができました。

化野は、東山の鳥辺野・洛北の蓮台野と並ぶ平安時代からの墓地(風葬や土葬です)があったところです。化野念仏寺のリーフレットによれば、この地にお寺が建立されたのは、約千二百年前ということです。境内にある八千体を数える石仏・石塔は、往古あだし野一帯に葬られた人々の墓だったそうで、明治の中期に地元の人々の協力で集められたそうです。(8月23.24日の千灯供養は有名)

西行法師もこの地で「誰とても とまるべきかはあだし野の 草の葉ごとにすがる白露」と、人の命のはかなさを読んでいます。

化野念仏寺の前を愛宕(あたご)街道が通っています。今は町並み保存地区として、昔の面影が偲ばれるようになっています。

このあたりは鳥居本(とりいもと)と呼ばれるところです。戦前までは、愛宕山への参詣の門前町として、旅籠や土産物店、茶店などが軒を連ねていたそうです。


奥に進んで行くと、鳥居本の地名となった一ノ鳥居がありました。鳥居の下では、今も昔ながらの店構えで、お店が営業していました。



ところで、愛宕山は、今も火伏せの神様として多くの人々から信仰されています。私も2012年の4月にお参りしたのですが、お参りというよりは登山でした。なにしろ往復5時間近くかかった記憶があります。
頂上にある愛宕神社を、本能寺を攻める直前に明智光秀が参詣した話や、嵐電の嵐山駅から清滝まで愛宕電気鉄道という電車が走っていた話など、まだまだ話はつきませんが、それは、また機会があればお話ししたいと思います。
※今日のおみやげは、京都出町柳ふたばの豆餅です。嵯峨とは正反対ですが…。当初は賀茂神社に行く予定でしたが、駅伝のため嵯峨野へ変更しました。とりあえず、豆餅だけ買って嵯峨野に行きたかったのですが、30分も並びました。
