興福寺の五重塔を見ると、いつも思い出すことがあります。それは、我が司馬遼太郎さんの『街道をゆく24』の「奈良散歩」の一節です。
「われわれが、芝生と松林の静まりのなかで、かって二十五円で売りに出された国宝興福寺五重塔を得るようになるのは、明治政府が正気をとりもどしたおかげである。」
明治初年の廃仏毀釈の煽りをうけて、五重塔が25円で売りに出されたのです。買主は、最初は薪にしようとしましたが、壊すのに大変な労力が要るのがわかり、焼いてしまって金目の金具だけでも取ろうとしました。しかし、付近の住民から火の粉がどこへ飛ぶかわからないとの抗議で、結局、買うのをやめたそうです。その後、明治政府もその行き過ぎに気付き、保存に努めるようになったということです。

今は国宝として、大事にされている五重塔にも、こんな歴史があったんですね。鹿さんもホッとしたことでしょう。

興福寺には、西国三十三所第九番札所の「南円堂」があります。ここは、巡礼者だけでなく多くの観光客も訪れるところです。今日も海外からの方々もたくさん来られていましたよ。

鹿さんと一緒に南円堂を眺めました。


興福寺には鹿さんがいっぱいです。次に行く春日大社もですが、これには訳があるんですよ。それは、また次にお話しましょう。
「われわれが、芝生と松林の静まりのなかで、かって二十五円で売りに出された国宝興福寺五重塔を得るようになるのは、明治政府が正気をとりもどしたおかげである。」
明治初年の廃仏毀釈の煽りをうけて、五重塔が25円で売りに出されたのです。買主は、最初は薪にしようとしましたが、壊すのに大変な労力が要るのがわかり、焼いてしまって金目の金具だけでも取ろうとしました。しかし、付近の住民から火の粉がどこへ飛ぶかわからないとの抗議で、結局、買うのをやめたそうです。その後、明治政府もその行き過ぎに気付き、保存に努めるようになったということです。

今は国宝として、大事にされている五重塔にも、こんな歴史があったんですね。鹿さんもホッとしたことでしょう。

興福寺には、西国三十三所第九番札所の「南円堂」があります。ここは、巡礼者だけでなく多くの観光客も訪れるところです。今日も海外からの方々もたくさん来られていましたよ。

鹿さんと一緒に南円堂を眺めました。


興福寺には鹿さんがいっぱいです。次に行く春日大社もですが、これには訳があるんですよ。それは、また次にお話しましょう。