今回は、奈良市にある宝来山古墳を訪ねました。近くには唐招提寺や平城宮跡があります。
紅葉も終了した今は特に撮りたい被写体も無く、近場で知的好奇心を満たしてくれる古墳巡りにはまっています。
(本当は冬のアルプスの姿を撮りに行きたいのですが、信州の天気は変わりやすく、おまけにガソリン代が高くて遠出もままらないからです。)
宝来山古墳(垂仁陵)は美しい姿をした前方後円墳です。周濠も広くて古墳を引き立てています。

この島は垂仁天皇の命により常世国に不老不死の実を求めて使いに行った田道間守(たじまのもり)の墓とされる陪塚です。

前方部の先の方には生駒山が望めました。

第11代垂仁(すいにん)天皇陵として宮内庁によって管理されています。

周辺にはいくつかの陪塚がありました。

すぐ横を近鉄橿原線が走ります。

こちらは特急です。

田道間守が不老不死の国から持ち帰ったのは橘といわれています。

広々とした水濠ですが、実は江戸時代に御陵を修復した時に、ため池のような用途で改造されたそうです。

ところで、宮内庁によって管理されている垂仁陵ですが、垂仁天皇が生きた時代は4世紀前半と考えられています。(実在しなかったと考える学者もいます)

ところが、この古墳が造られたのは4世紀後半から5世紀前半と考えられ、100年も差があるそうです。(天皇陵にはこんな話が多いです)

近くに安康天皇陵があります。安康天皇といえば宋に使いを送った「倭の五王」の「興」に比定される大王ですが、治定されている天皇陵はどうやら古墳ではないようです。

古墳巡りは本当に面白くて興味がつきません。最後に美しい宝来山古墳の姿を空からもご覧ください。
宝来山古墳を訪れたのは二度目のことです。伊勢街道を歩いている時に立ち寄りました。
大阪から「暗峠(くらがりとうげ)」を越えて奈良に向かう途中に宝来山古墳があります。
ここから三条通をまっすぐに進めば興福寺に至ります。
※訪問日 2021.12.10
紅葉も終了した今は特に撮りたい被写体も無く、近場で知的好奇心を満たしてくれる古墳巡りにはまっています。
(本当は冬のアルプスの姿を撮りに行きたいのですが、信州の天気は変わりやすく、おまけにガソリン代が高くて遠出もままらないからです。)
宝来山古墳(垂仁陵)は美しい姿をした前方後円墳です。周濠も広くて古墳を引き立てています。

この島は垂仁天皇の命により常世国に不老不死の実を求めて使いに行った田道間守(たじまのもり)の墓とされる陪塚です。

前方部の先の方には生駒山が望めました。

第11代垂仁(すいにん)天皇陵として宮内庁によって管理されています。

周辺にはいくつかの陪塚がありました。

すぐ横を近鉄橿原線が走ります。

こちらは特急です。

田道間守が不老不死の国から持ち帰ったのは橘といわれています。

広々とした水濠ですが、実は江戸時代に御陵を修復した時に、ため池のような用途で改造されたそうです。

ところで、宮内庁によって管理されている垂仁陵ですが、垂仁天皇が生きた時代は4世紀前半と考えられています。(実在しなかったと考える学者もいます)

ところが、この古墳が造られたのは4世紀後半から5世紀前半と考えられ、100年も差があるそうです。(天皇陵にはこんな話が多いです)

近くに安康天皇陵があります。安康天皇といえば宋に使いを送った「倭の五王」の「興」に比定される大王ですが、治定されている天皇陵はどうやら古墳ではないようです。

古墳巡りは本当に面白くて興味がつきません。最後に美しい宝来山古墳の姿を空からもご覧ください。
宝来山古墳を訪れたのは二度目のことです。伊勢街道を歩いている時に立ち寄りました。
大阪から「暗峠(くらがりとうげ)」を越えて奈良に向かう途中に宝来山古墳があります。
ここから三条通をまっすぐに進めば興福寺に至ります。
※訪問日 2021.12.10