はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

後に残るものは

2010-11-14 21:55:58 | 女の気持ち/男の気持ち
 「人生を終えたのちに残るのは、集めたものではなく、与えたものである」
 この言葉は、私がバスを降りて勤務先まで歩いて行く途中にあるお寺の掲示板に書かれていたものだ。
 その言葉に触発されて考えた。私がこれまでに他の人に与えたものは、何があるのだろうか、と。
 自分の人生を振り返ると、いろいろな人々との出会いがあり、人から与えてもらったことの方が、与えたものよりはるかに多いことに改めて気がつく。
 人生の分岐点では、私に必要な言葉を与えてくれた人がいた。それは友人、知人だけではなく、本の中の登場人物だったりした。
 愛の貸借対照表を作るとしたら、確実に与えた愛より、与えられた愛の方が多い。
 この借金の部分を、どう穴埋めしていくか。それが私の残りの人生の課題なのだろう。
 特別な才能も、お金もない私だが、一番大きな財産は健康である。この健康な体を元手に、お返しの人生を送りたいと思う。
 私が弱った時に元気をもらったように、私も人に元気を与えたい。希望を持てないで居る人には、「朝の来ない夜はない」と伝えたい。未来を担う子供たちには、命の尊さを語っていきたい。
 そして願わくは、人生の幕引きの時に、誰かに言いたいものである。
 「ありがとう。いい人生でした」と。
  北九州市 淺野かつえ 2010/11/14 毎日新聞の気持ち欄掲載

バトンタッチ

2010-11-10 14:47:03 | 女の気持ち/男の気持ち
 定年ばんざーい! 仕事仕事の毎日から開放された私はカリスマ主婦を目指すと宣言した。お正月、節分、雛祭り、七夕、夏祭り、お盆など、年中行事にこだわりたい。家族や友人と思いっきり行事を楽しみたいのだ。
 女系家族である我が家。祖母や母から私にいつの間にか伝承されてきた我が家流がある。昨年の夏に逝った母が大切にしてきた行事だから粛々と続けていきたい。そこで母の法事はホテルでの会食をやめ、倉庫から掘り出した古い漆器類を使い、自宅での精進料理でもてなした。「おばあちゃんやお母さんがきっと喜んでいるわよ」という叔母たちの言葉がうれしかった。
 結婚して40年。気がつくと母がしていたようにしている自分がいる。
 息子のお嫁さんは外国育ちの帰国子女。我が家の行事、家事をどう受け止めているのだろう。このお嫁さん、私のすることが気になるらしく、帰省のたびにしつらえや日本料理に関心を示してくる。いじらしいと思うが、無理してほしくない。強制はしたくないのだ。今の時代、自由でいい。若い核家族世代がどんなアレンジをするかも楽しみだ。
 「あなたのスープ、最高ね。あれは自慢できる味よ」とほめる。彼女、料理が上手なのだ。イタリア料理は抜群に美味だ。
 「女2人、料理好きでよかったね」と乾杯する。行事を通して心躍る時を過ごせたらそれでいい。
  大分市 宇藤真由美 2010/11/6 毎日新聞の気持ち欄掲載

幸せに老いるとは

2010-11-09 19:39:04 | 女の気持ち/男の気持ち
 共働きのため、わが家の3人息子は義母が大きくしてくれたようなものだ。
 その義母の81歳の誕生日の少し前、市外に就職した次男が帰省して、家族で誕生祝いをした。バースデーケーキを囲んで、歌をうたい記念写真を撮り、いよいよロウソクを消そうとした義母を、息子たちが「おばあちゃん、ロウソクをを消すとき入れ歯を飛ばさんでよ」とちゃかす。義母も「そんなことせんよ」と言いながら、本当にそうなったらと心配なのだろう、慎重に何度も息を吹きかけて消そうとし、皆の笑いを誘う。
 就職した息子から思いがけずピンクの花柄のかわいいパジャマをプレゼントされ、うれしそうに「どこに着ていこうかねえ」とおどける義母。また笑いの輪が広がった。
 男の子ばかり3人の孫を育てる時は、いろいろ大変なこともあったろう。それでも子や孫に囲まれ、ハハハと笑う義母を見ていて、これまで一生懸命育ててきたからこそ、今のような関係ができたのではないかと感じた。
 近年、体のあちこちが衰え、81歳の誕生日からデイサービスを利用するようになった義母。それでも顔に笑みが絶えることはない。
 縁や絆の薄れが社会問題として叫ばれる中で、義母は幸せな老方をしているのだろう。それがこれからも続くよう見守っていきたい。そして私もそんなすてきな老い方ができたらいいなと思う。 
  島根県益田市 原 典子 2010/11/5 毎日新聞の気持ち欄掲載

同居者

2010-10-30 12:32:08 | 女の気持ち/男の気持ち


 面白いこともあるものだ。息子が家を離れるたびに小動物が現れる。最初は6年前だった。
 就職で彼が独り立ちした4月のある朝、入れ替わるようにツバメの若夫婦がやってきた。1人暮らしの家の玄関先だけが急ににぎやかになった。
 「新しい入居者を紹介します」
 写メールを送ると、すぐに返信があった。
 「仲良く暮らすように」
 そして今回。突然の移動で慌ただしく出発することになった前夜のこと。帰宅するなり、靴も脱がないうちに息子が弾んだ声で言った。
 「夕べ、とってもいいものに会った」
 深夜の風呂場で、小さなヤモリに遭遇したのだという。
 「どんなの」
 「灰色のかわいいやつだよ」
 何気なく視線を動かした息子が、小さいけれど、はしゃいだ声をあげた。
 「あっ、あれだ、あれだよ」
 つられて玄関の天井の隅の暗がりに目を凝らすと、小指ほどの大きさのものが逆さまになってゆっくり歩いている。
 「ヤモリがいる家に、悪いことは起きないっていうからね」
 息子は安心したように顔をほころばせた。
 うちにもちゃんといたんだね。ヤモリ君、末永くよろしくね。私も嬉しくなって、一緒に笑った。
  鹿児島市 青木千鶴 2010/10/30 毎日新聞の気持ちより 写真はフォトライブラリより

道つくり

2010-10-27 20:21:52 | 女の気持ち/男の気持ち
 毎年秋に行う「道つくり」が、予定時間をオーバーしてやっと終わった。作業後の飲み会で、町内会長が「遅くなりました」とお詫びのあいさつをした。詫びることはない。彼が一番激しく働いたのだから。
 一昔前までの「道つくり」は楽だった。行事が近づいたら道辺りの田畑や山の所有者たちは草を刈り、木の枝を払い、道を直して待っていた。会員たちは釜や鍬を担いで歩くだけ。景色のいい所では座って雑談を楽しんだ。
 今はやぶになって通れない所がある。この10年の間に働き手の先輩たちの多くが亡くなった。順繰りだから仕方ないが、後継者が育たないのが寂しい。若者たちは米や野菜作りでは生活ができないから、農地を離れて町で働く。親たちも同じような暮らしだったが、休日には田畑を耕し道を整えた。今の若者たちにはその余力がないのが残念だ。休日には眠るか遊ぶかしている。誰も責められない。
 今年は町内会長など数名が刈払い機で作業したから、農道も山道も通れるようになった。鎌だけの手作業だったら、「年内いっぱいかかっても終わらん」と誰かが冗談交じりに本音を言う。もっともだ。
 我が町内の良き習慣はこうして継続されている。10年先もと願うが、それにはみんなの協力が要る。そのころまで私は働けるかなあ。たぶん無理だろう。せめてみんなの迷惑にならないように暮らしたい。
  山口県光市 岩城勝彦 毎日新聞の気持ち欄掲載

最後の全員集合

2010-10-02 17:42:01 | 女の気持ち/男の気持ち
 父は7人兄弟。幸いなことに一声かけるとすぐ集まれる距離に全員健在である。盆、正月、彼岸と、年4回は必ずそろう叔父、叔母に、幼いころの私は正直、煩わしさを感じることもあったが、この年になるとすごいことだと敬意を覚える。迎える母も大変だったと思うが、昨年の母の葬儀に涙してくれた彼らに、私には入り込めない不思議なものを感じた。
 その「全員集合」が、祖父の五十回忌の法要で最後となった。2人だけで頑張っていた叔父夫婦が、息子たちの住む東京へ行くことになったのだ。
 ここ数年、皆がそろうと必ず足腰の弱ってきた2人の話になってはいたが、本人たちは生まれ育ったこの土地を離れがたく、結論が出せないでいた。「この年で東京に行ったら…」、「家はこのままにして、とりあえず行って来たら……」と、七人七様に繰り返す話題だった。
 私たち夫婦も他人事ではない。いつの日かの自分たちを重ねて、気持ちを伝えた。
 「同じ行くと決めたのなら、息子たちのそばで留守番もできるし、茶碗も洗える今、思い切って家も手放して頼った方が賢明じゃないかと思う。出ておいでと言ってくれる時に行った方がいいよ」
 誰が言ったか「高学歴、親不孝」。親の五十回忌に下した叔父たちの決断が「再幸の道」となりますように。
  山口県防府市 伊達玲子(58歳) 2010/9/30 毎日新聞の気持ち欄掲載

母娘はライバル

2010-10-02 17:21:11 | 女の気持ち/男の気持ち
 「随筆入選したよ」と報告する私に、娘は「ふーん、良かったね」とつれない。言葉にまるで心がこもっていない。
 私たちはよく似た母娘だし、よく一緒に出かけたりもする。いわゆる仲良し母娘なのだが、こと文章の投稿となると途端にライバルに変身するのだ。
 下手な雑文を投稿する私に似たのか、娘も新聞・雑誌に投稿を繰り返している。お互いに相手のことが気になるため、素直に認めることができにくくなり、つい対抗心を燃やしてしまうというわけだ。
 組み立てもせずに頭の中で考え、書きなぐって推敲すら満足にしない私。それに比べて娘はさすが国文科卒。きちんと組み立て、起承転結もしっかりしている。私もひそかに「なかなかやるね」と思ってはいるのだが、それでも娘の文を見て「私ならこう書くね」と心の中で批評したりしている。娘は娘で「お母さんは長い文は苦手だもんね」などとズバズバ言う。
 たまたま2人とも1次通過者として名前が載った時のこと。偶然にも2人の名前が並んでいたのだが、私の方が先に書かれているのを見て娘は「悔しい」と歯がみしていた。
 公募ガイドを眺めては「これなら書けるね」「このテーマはねえ」などと言い合っている2人の夢は、掲載された2人の作品をまとめて出版すること。
 題名はもちろん「親娘はライバル」。
  福岡市早良区・保育士 本田節子(65) 2010/9/29 毎日新聞の気持ち欄掲載

カモメパン

2010-09-13 21:37:15 | 女の気持ち/男の気持ち
 冬のある日、鹿せんべいならぬカモメパンを食べてしまった。夫の母のお見舞いと私の母の誕生祝いを兼ねて、古里に向かう有明フェリーに乗船した時のことである。
 昼食まで間があり、小腹がすいたので、売店でパンを買った。ユニークな名前だなとは思ったが、それは素朴な味で、それなりにおいしいと思っていた。船内放送でカモメの餌だと知るまでは。
 どうしよう、おなかは大丈夫だろうか。下を向いて寝たふりをする。下船時にパンのことを尋ねたら、食べても大丈夫と言われ、ホッとした。
 春が来て、義母の体調も回復した。米寿を過ぎてなお料理に精進している。いろいろな食材のおいしい食べ方を教えてくれる。新しいレシピの情報収集も欠かさない。料理は義母の生きがいだ。実家の母も父の三回忌を無事済ませ、元気になった。
 夏、所用でまたフェリーを利用した。その時々にいろいろな思いで船に乗る。デッキに出ると、島原半島と海のコントラストが懐かしい。平成新山は在りし日の父を思い出させる。今は静かなお山だ。
 結婚後長く住む古賀市もどこか古里の景色に似ている。子どものころから山を仰ぎ見て暮らしたせいか、山の様子が気になる。ここもホッとする町になった。
 ちなみにカモメパンは冬の限定商品という。カモメは冬の渡り鳥だったのだ。
  福岡県古賀市 下田 緑・52歳 2010/9/12 毎日新聞の気持ち欄掲載

花火

2010-09-06 21:19:52 | 女の気持ち/男の気持ち


 8月中旬、風がそよりとも吹かない蒸し暑い夜の9時近く、外からポーン、ポーンと規則正しい小さな音が聞こえてくる。ベランダに出てみると、遠くの山並みの空に花火が上がっていた。
 「ああ、花火か……」
 どこから打ち上げられているのか分からないが、毎年見られる美しい打ち上げ花火である。
 じっと見ていると、去年の今ごろはまだ夫は生きていたんだなあと、頭の中で時間をもどす。
 親を介護していた夫から、体調が悪いと電話があった。すぐに姑を預かってもらえる施設を探し、8月31日に検査入院をした。その結果、末期の胃がんで手遅れであることが分かった。ショックで動転する私に代わり、夫が自身で病状説明を聞いていた。それからバタバタと日が過ぎて、ひと月と5日で帰らぬ人となってしまった。
 本人は苦しく辛かったと思うのだが、見舞客には終始笑顔を見せて応対していた。しかし、亡くなる前日に「見舞客は断ってくれないか」と寂しそうな小さな声でそうつぶやいた。
 翌日、血圧が急に下がり、この世を去った。
 映画のタイトルじゃないけれど、名もなく貧しくを地でいったような人生だった。自分を無にして相手をたてるすべをもっていた。私にはまねのできることではない。
 花火を見ながら時の流れの早さを感じた。
  福岡県宗像市 安西純子(60歳) 2010/9/6 毎日新聞の気持ち欄掲載

人生の教科書

2010-09-03 21:01:53 | 女の気持ち/男の気持ち
 私が河野裕子さんの歌と出合ったのは今から10年前、長男が2歳のころのこと。当時の私は初めての子育てで戸惑ったり迷ったり、なによりくたびれていた。
 そのころの息子は、夜は寝ないし、日中もおんぶしないと眠らない。そして私以外には絶対にだっこされないのだった。
 もちろん息子はとても可愛いが「いつになったらゆっくり眠れるのかしら」と、そんなことばかり考えていた。河野さんの歌を知ったのはそんな時だった。
《朝に見て昼には呼びて夜は触れ確かめおらねは子は消ゆるもの》 
 この歌は私の心の奥に深くやさしく入ってきて「ああそうだ。私はこの一瞬をもっと大切にしなければ」と気づかせてくれた。
 今では12歳、9歳、5歳の3人の男の子の母となった私だが、子育てに迷うといつもこの歌を暗唱する。
 けれど、たったの10年の間に長男と次男は1人で何でもできるようになり、放課後などは自転車でさっそうと出かけていってしまう。ああ私は置いてきぼりだなあと思ったこのごろは、心の奥からこんな歌を取り出して涙したりする勝手な母だ。
 《さびしいよ息子が大人になることもこんな青空の日にきっと出てゆく》
 河野さんの歌に、私はどれだけ励まされ、助けられたことだろう。
 河野さんありがとうございました。あなたの歌は、私の人生の参考書です。
  福岡市南区 藤崎 智子(42) 2010/9/3 毎日新聞の気持ち欄掲載

魔法の靴?

2010-09-02 21:28:22 | 女の気持ち/男の気持ち
 駅前通りの小さな、ありふれた靴店。店主夫妻が懇切なアドバイスをしながら、靴を見たててくれると、知人が教えてくれた。
 若いころは、先のとがったおしゃれなハイヒールを痛みをこらえて履いていた。しかし外反母趾がひどくなり、近ごろはかかとの低い靴ばかりを愛用している。それでも長時間靴を履いていると足が痛くてたまらす、行儀が悪いが、椅子に座るとすぐ靴を脱いでしまうありさまだ。
 そんな悩みを話すと、素足になるように言われる。外反母趾に加え、高が薄くて足が長いと見立てられ、数足の靴を選んでくれた。
 次々と履きながら、今までと違う感覚に驚く。さらに靴の内側に薄いクッション材を入れると、ぴったりと足に吸い付くようだ。合わせてもらった靴で店内を歩いてみると、ついさっきまで履いていた靴と全然履き心地が違う。
 「足は第二の心臓ですからね。足に合う靴を選ばないといけないですよ」と言われ、2作を購入した。「そんなに痛かったのなら、買った靴を履いて替えればいいじゃないか」と夫に言われ、軽やかな足取りで車に乗り込む。
 後日、夫と外出した時に、家に着くまで一日中一度も靴を脱ぐことがなかっのにおどろいた。いつも車の中で脱いでいたのにであ。
いつみ車の中で脱いでいたのにである。まるで魔法の靴を履いているかのようだ。「赤い靴」のカレンのように、いつまでも踊れそうなこのごろ。
  福岡県飯塚市 西田磨美(54) 2010/9/2 毎日新聞の気持ち欄掲載



そのままだ!

2010-09-02 21:11:43 | 女の気持ち/男の気持ち
 車いすに揺られ、2階の集中治療室から4階の脳外科病棟に戻ってきた。病室の大きな窓から、皿倉、帆柱山の緑の稜線がくっきり迫ってくる。
 「おかえり」
 私より前から入院していた若い2人が明るい声で迎えてくれた。
 「ただいま。元気ですよ」
 「本当だ。私負けそう」
 私の娘と同い年のYさんが少し笑って言う。彼女の手術はまだ先になりそう。
 病名、脳腫瘍。右前頭頭頂部、髄膜種。担当医から説明を聞き、手術承諾の署名、捺印を終え、7月半ばの雨の続く日に入院。2日後に摘出手術を受けた。
 「髪はそのままで、手術室で消毒します」
 「えっ、剃らなくていいの。うれしい!」
 手術を前にうれしくなった。
 「尼さん頭は美人しか似合わんもん」
 そばにいた人たちが皆笑った。
 「おばちゃん頑張って」とYさんの声。
 夫と息子夫婦に励まされて、深い眠りから目覚めたのは手術の翌日の朝。
 「分かりますか。あなたのお名前と生年月日を言ってください」
 すらすら答えられた。
 ベッドの上に起こしてもらい、熱いタオルで顔をそっとぬぐい、歯を磨いてすっきり朝を迎えた。鏡を見る。頭の上に白い絆創膏が帽子のように載っていて、顔が丸く膨らんでいた。でも、髪はそのままだ!
  北九州市 金色 鞽子(74) 2010/9/1毎日新聞の気持ち欄掲載

夏ごころ

2010-08-29 16:23:15 | 女の気持ち/男の気持ち
 毎年のことながら、この暑さはいつまで続くのかとうんざり。真っ青な空と入道雲の山には感動するが、ギラギラと燃える太陽がうらめしくなる。午後からはひたすら耐えて過ごすしかない。セミも息を殺している。力尽きて地面にひっくり返っているセミもあちこちて見かける。教材にと植えられた朝顔にはもう種ができている。
 芝生に置かれた大きなビニールプールの水はすでにぬるんでおり、子どもたちの歓声を待っている。ふと子供の声がしたような気がして、窓の外を見ると公園帰りの孫と友だち3人が水をかけっこして大騒動の始まりだ。子供たちはすぐにびしょぬれになり、押したり、体をぶっつけたりの大はしゃぎ。逃げ回るのはいつも女の子。その楽しさを分けてもらおうと、ガラス越しに私も一緒に遊びだす。急いでカメラを持ってきて、輝く夏の一瞬を切り取る。無邪気に遊ぶ子供たちの何と楽しそうなことか。
 大人はつまらないな。人目を気にして見えを張り、なかなかむちゃができない。常識が頭をよぎり、羽目を外せないことばかり。いつまでも子供でいられたらいいのにと思う。
 でも私はもう完全に手遅れ。だから心だけプール遊びに入れてもらうしかない。寝そべったり腹ばいになったり。そのうち、体も小さくなっちゃったよ。
 あれっ、いつの間にかお隣のママさんもカメラで子供たちを追いかけている。
  熊本県八代市 鍬本恵子(64) 2010/8/29 毎日新聞の気持ち欄掲載

奥穂高岳へ

2010-08-26 12:12:16 | 女の気持ち/男の気持ち
 十数年前、上高地を旅した。河童橋から見た残雪輝く穂高連峰は美しい風景画として強く脳裏に残った。観光客の中に重いザックを背負った登山者もいたが、山登りに何の興味もなかった私には、ただの行きずりの人でしかなかった。
 ところが定年後、人生は想定外の方向へ動き、今年私はその行きずりの人となって、日本で3番目に高い奥穂高岳を目指していた。
 テレビや写真で何度も見た涸沢カールを目の前にして足がすくむ。吊尾根の上は果てしなく青い天空。深呼吸をし、雪渓を踏みしめ、これから登る岩の峰を仰いだ。
 6年前の私は近くの里山に息切れし、1年たっても久住山にも登れなかった。何がそうさせたのか、夫の足手まといになりながら、私の山歩きは続いた。毎日のウォーキングも欠かさず、3年目には体重8㌔減。持病の腰痛も消えた。九州の山々を中心に歩き、山数は400座を超えた。
 中高年の登山事故が報じられると、「私はどうか」と振り返る。万全の準備、体力の範囲内、この鉄則を守り、ここまでやってきた。
 「今年こそ、あの山へ登ろう」と心に決め、春からトレーニングをし、山岳保険にも入った。
 そして夢はかなった。
 久住山にさえ登れなかった私。その同じ私が、3090㍍の岩の峰に今、確かに立っている。
 ゆっくり喜びがわいてきた。
  福岡市 吉次美穂香(66)2010/8/26 毎日新聞の気持ち欄掲載

風止め籠り

2010-08-24 11:18:18 | 女の気持ち/男の気持ち
 起源ははっきりとは分からないが、先祖から受け継いできた小さなお宮がある。春は境内にある桜の花のころに花見籠り、秋の二百十日ころには風止め籠りを村の行事として行い、台風から農作物を守る祈りを捧げてきた。
 お籠りが近づくとみんなでお宮の掃除をして、家庭ごとにだんごや漬物など自慢の我が家のものを持参してお供えした。
 お籠りには子どもから年寄りまで家族そろって参加する。手作りの弁当を重箱に詰めてお宮に集まり、それぞれの家庭の味を交換しながら、味の批評や世間話に花が咲くのである。
 少し高い所にあるお宮まで、緩やかな坂道を登ってくる年寄りたちの手を引いたり、背を押したりするのが子どもらの役割だった。
 二十数戸の村も1人また1人と離農する人が増え、田畑を耕作する人がわずかになって、8、9年前に風止め籠りも廃止になった。
 今夏のお宮の掃除の時に誰かが「ねえ、今年は風止め籠りしようやないねえ」と言った。「うん、しようや、しようや。ごちそうやらないでいいやないね」と久しぶりに小さな村人が風止め籠りをすることになった。
 本当にうれしい。昔の素朴なにぎわいと、みんなの笑顔に会えるのだ。
 早速我が家の梅干し、漬物などの準備にかからなくちゃ。そうそう、弁当開く前にみんなで唱えるご詠歌の稽古もしなくっちゃ。
  福岡県岡垣町 藤井和保(61) 2010/8/23 毎日新聞の気持ち欄掲載