はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

大晦日のリフォーム

2007-12-31 11:58:16 | アカショウビンのつぶやき
 クリスマス寒波が来ないと思っていたら、年末寒波が襲ってきた。南国鹿児島でも桜島が初冠雪。風も強く最後の庭仕事が億劫になった。
 歳を取るごとに寒さがこたえ、背中にカイロ、首にマフラー、家の中でも防寒スタイルで、パソコンの前に座ってみると膝のあたりがまだ寒い。ロングスカートは動きにくいし膝掛けより少し便利な物を! と大晦日なのにミシンを引っ張り出した。作るのは膝掛け代わりの「ミニ巻きスカート」。
 半世紀以上も昔、母が生地を取り寄せあつらえで作ってくれたオーバー、当時は殆どオーダーメードの時代だった。しっかりした生地で、どっしり重かったが、当時37㌔しかなかったやせっぽちの体を温かく包んでくれた思い出の品。
 なかなか処分できず、リフォームしようと「やりかけ仕事」の引き出しで半世紀近くも眠っていたというシロモノ。
 適当にジョキジョキ切って簡単ソーイングで作ってみた。
なかなかの出来映え温かい(*^o^*)と自画自賛だが間もなく帰ってくる子供たちには「スコットランドの兵隊さんもどき…」と言われそう。
今年もミシンは大活躍してくれた、裁縫箱を片付けて、さあこれから庭掃除!
 
 皆様はお正月の準備は完了、今ごろは年越しそばの準備でしょうか。
 最後までバタバタしているアカショウビンです。

 皆様どうぞ良いお年をお迎えください。

独り言

2007-12-31 11:39:24 | はがき随筆
 年々、独り言を言うことが多くなった。毎日のように「どこ、やったけ」と言いながら物を部屋中探し回る。まだ「どっこいしょ」と腰を上げるような年ではないが、愚痴が多い。
 幼いころ、なくなった父に代わり祖父がいろりの横座に座っていたのを思い出す。祖父はラジオのニュースに向かってよく独り言を言っていた。優しい祖父だったが政治のことになるとやかましく奇妙な姿に見えた。
 あれから55年。いつの間にかテレビのコメンテーターにどなっている私がいる。可愛い孫たちの目に「変なジジイ」と映らないといいが……。
   鹿屋市 上村 泉(66) 2007/12/31 毎日新聞鹿児島版掲載

ワラスボも金

2007-12-31 11:32:27 | はがき随筆
 「ワラスボも金。睦美ちゃんにとっては宝物」と孫の遊び散らかしたものを大切にしてくれていた母。ひん曲がった折り紙、ちびたクレヨン、チラシの裏に書きなぐった宇宙人さながらの自画像、幼子の目に映った草や木や花や小鳥や犬や猫。
 〝取っておき魔〟の母の遺品をエイヤッと焼きながら、数枚を抜き出してコピーした。特製の便せんの出来上がり。母の残してくれた愛の形である。
 とっくに自立、めったに里帰りしない娘にせっせと手紙を書いた。照れくさいのか、娘は便せんのコピーの絵には、知らんぷりを決め込んだ。
   鹿屋市 伊地知咲子(71) 2007/12/30 毎日新聞鹿児島版掲載

万感

2007-12-29 13:26:40 | はがき随筆
 12時間の空の旅。真っ赤な夕日が美しいド・ゴール空港に降りた。憧れのパリの街。どこも観光客でいっぱい。エトワールの凱旋門、ループル美術館の美術散歩、著名作の前は黒山の人だかり。エッフェル塔、モンサンミシェル修道院。ノートルダム寺院、セーヌ川、石造りの昔ながら街並み。のっぽビルは見当たらない。フランスは至る所世界遺産だそうだ。何もかも文化最高の殿堂だ。婿殿が計画、親類同士8人連れ、今回で3回目の家族旅行。シャンゼリゼ大通りや街角を薩摩弁丸出しで楽しんだ。万感を一生の思い出として感謝の旅だった。
   大口市 宮園 続(76) 2007/12/29 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はT.ARさんからお借りしました。

姫路城

2007-12-28 15:46:30 | はがき随筆
 昔、山陽線で東京行き「はやぶさ」の車窓から見た姫路城に行った。白鷺城の別名通り、白が美しいお城である。
 時あたかも山陽の錦秋真っ最中。堀端の柳の黄葉と桜もみじ。城郭の庭の桜ははや落葉して、木の下の紅葉のかさみは自然の醸し出すルビーの観だ。
 お城に登り早々におりて城の風格を眺め、石垣のさまをスケッチしていたが、何より桜もみじが気になり拾うことにした。
 どれもこれも命終えているが、極みの美しさを色彩に表現している。人もかくあれと思いつつ拾った。お城の白に対照する赤である。
   鹿児島市 東郷久子(73) 2007/12/28 毎日新聞鹿児島版掲載

温暖化対策

2007-12-27 16:48:32 | かごんま便り

 前米副大統領のA・ゴア氏がノーベル平和賞を受賞した。地球温暖化の啓発に尽力したというのが受賞の理由。ゴア氏は環境問題をライフワークにしており、活動ぶりがドキュメンタリー映画「不都合な真実」(06年)として紹介されている。
 「不都合な真実」は、上映が政治活動につながるとして裁判ざたになったり、彼の主張に不正確な点があるとの批判が出るなど、いろんな意味で話題を呼んだ。だが70年代からいち早く地球温暖化に関心を寄せた先見性や、精力的に各国で講演を繰り返してきた実績はさすがだ(森博幸・鹿児島市長も市報「かごしま市民のひろば」12月号で絶賛)。それだけに世界最大の二酸化炭素排出国である彼の母国が、今なお国際世論の足並みに同調していない点は何とも皮肉だが……。
 同市環境アドバイザーの末吉竹二郎さんが講演で、温暖化を巡るショッキングな話題を取り上げていた。「北極海の氷が今夏、最小になり、80年当時から面積が半減した。2020年夏には消滅するかもしれない」「コシヒカリが、かつて米作に不適とされていた北海道以外では作れなくなる恐れがある」──など。
 「温暖化対策に『やり過ぎ』はない」と末吉さんは早急かつ強力な取り組みを訴える。それには我々一人一人が「できることをやる」ことなしには始まらないし、実効も上がらないと思う。
 たとえば、近場の移動は徒歩か自転車で▽買い物にはマイバッグ持参▽無駄な電気を使わない▽きちんとゴミを分別し可燃ゴミは最小限に──といった具合だ。こうした小さな意識改革こそがさまざまな施策の下支えになる。
   ◇
 今年最後の鹿児島評論でした。少々早いですが皆さん良いお年を。年明けからはタイトルを一新します。引き続きご愛読ください。

鹿児島支局長 平山千里
2007/12/25 毎日新聞鹿児島版掲載



落とし穴

2007-12-27 12:44:02 | はがき随筆
 種子島で今年1月に発見された「3万年前の落とし穴」が最近、テレビで話題になっていた。発見された当時はそれほど興味を持たなかったが、改めて〝日本一古い落とし穴〟として紹介されてみると、これは行ってみなくてはと腰を上げた。
 見た目には何の変哲もない穴だが「日本人類の起源にかかわる」そうだ。考古学上における重要さを実感した。
 近くには日本一の大ソテツ、さらには貝に書かれた「山」という日本一古い文字も発見されている。鉄砲伝来の種子島には〝日本一〟がまだまだ眠っているような気がしてきた。
   西之表市 武田静瞭(71) 2007/12/27 毎日新聞鹿児島版掲載

オサルさん出没予報

2007-12-26 22:14:17 | アカショウビンのつぶやき
 去年鹿屋市に開局したラジオ局「FMかのや」は、地域FMならではの話題を毎日提供している。
 毎週火曜日「おはようラジオ」で紹介される「オサルさん出没予報」はとてもユニーク。
   
 「ボーンボーンボーン」 不気味な打楽器のイントロに続き、
 「このコーナーは国立少年自然の家の協力でお送りしています」と女性パーソナリティMさんの爽やかな声。
 「12月25日、ひろちゃんグループは24日の予想に反して南下し、19日以来5日ぶりに鹿屋市花岡町の東の山に移動しました。25日もこの辺に留まるか、場合によっては西に移動し、鹿屋市小薄町方面に向かうでしょう。一方ゆかりちゃんグループは24日は予報通り、鹿屋市小野原町の北の山に移動し夜、鳴き声が聞こえていました。25日もこのあたりに留まるか、場合によっては南下して小野原町の南の山に向かうでしょう。年末は上野町方面に向かうことも予想されますので農作物の被害にご注意ください……」と。

 各地で野生生物と人間との共存が難しくなっている。動物園に居るオサルさんは可愛いけれど、野菜畑を荒らすオサルさんは、にっくき害獣…。野生生物とどうやって折り合いを付け、棲み分けていくのか知恵を出すのは、人間の側の問題だと思うのだが。

写真はちゃんぷさんからお借りしました。

菜の花ツリー

2007-12-26 17:38:34 | アカショウビンのつぶやき
 クリスマスも終わってしまい、新しくはないけれど南国らしいニュースを一つ。
 毎年1月に行われる「菜の花マラソン」で全国的に有名な温泉地・指宿市では、JR指宿駅前に菜の花で作った高さ約3㍍の菜の花ツリーが登場しました。ツリーの土台には、酒造会社から借りた焼酎ケース165個が使われたと言うのも鹿児島ならでは…。
 ツリーに使った菜の花は「いぶすき菜の花マラソン」用に栽培した約2600本の菜の花が使われたと言うのですから半端じゃありません。更に24日のクリスマスイブにはライトアップされたそうで、担当者は「日本でただ一つの菜の花ツリー。南国からの『春』のプレゼントです」と春風のような笑顔だったとか。
2007/12/22 毎日新聞鹿児島版掲載より

孫娘の結婚

2007-12-26 17:37:39 | はがき随筆
 天高い秋の空を眺め、長男夫婦と私たち祖父母は胸を躍らせ鹿児島市のSホテルに行く。 定刻に式が始まり、正午より披露宴。宴会場をのぞくと席はぎっしり。従業員に聞くと、何と300席弱という。
 孫紗来(さき)は3人兄姉の末っ子。高卒後は進学をあきらめアルバイトをしていたが、学生時代はスポーツで鍛えた体。友人の紹介で自衛官を志望し、合格して昨年3月末に入隊。両親は入隊にやや不安を抱いていたが、帰宅ごとに礼儀正しくなり、に人間的にも成長できたと喜ぶ。
 紗来、祖父母が会話のできるうちにひ孫を抱かせてくれ。
   姶良町 谷山 潔(81) 2007/12/26 毎日新聞鹿児島版掲載

Merry Christmas

2007-12-25 22:39:13 | アカショウビンのつぶやき

















 鹿屋キリスト教会のクリスマスは、12月15日土曜、教会日曜学校で学ぶ幼児、小中学生の子供たちのクリスマス祝会でスタートしました。
 12月23日は、クリスマス礼拝と言って特別の礼拝を捧げます。クリスマスイブの24日は、教会員だけでなく、どなたでも参加できる教会のクリスマス祝会で、イエス様の御降誕を共に御祝いします。翌25日は近くにあるハンセン病療養所・星塚敬愛園の恵生教会・クリスマス祝会に参加します。これでクリスマス行事は全て終了です。
 二千年前、クリスマスの夜に、
 「いと高きところには、栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と天使たちは讃美しました。
 私たちも闇が覆う、この世の光となって来られた嬰児イエスさまの誕生を喜び、共に感謝を捧げました。
 クリスマス祝会では、ハンドベル演奏、合唱讃美、独唱、ピアノ演奏、ヴァイオリン演奏など、それぞれが神様から戴いたタラントを生かして神様を讃美し、楽しいひとときを過ごしました。
 恵生教会の祝会では、双方から二人の姉妹が尊い信仰の証をされ、感動のひとときでした。さらに三味線の音色に合わせた沖縄の方言による讃美を、参加者一同で歌いました。恵生教会の方々はいろいろな障害をもちながらも、神様への強い信仰によって力強く明るく生きておられ、いつもこちらが励まされて帰ってきます。
 新しい年もすべての人々に神様の祝福がありますように、争いのあるところに真の平和が訪れますようにと祈りつつ…。
 

川内川物語

2007-12-25 17:39:12 | はがき随筆
 なぜか、川内川は元気をくれた。源流探しでがけから落ちてケガをしたこと、流域の米作りや築堤の歴史などをただひたすら歩いて調べ、書き続けた。
 12~13年調べて増えた資料を見た先輩や友人の励ましで、本にすることを思い立った。表紙絵は、滝音が聞こえてくるような見事な曽木の滝を、Nさんの好意で描いていただいた。
 やつと本ができ上がり地方紙で紹介され、思いがけず民放でも放映された。おかげで友人や先輩、図書館の方々にも喜んでもらえ350冊が完売。皆さんと川内川に深く感謝した。本は今年の大きな思い出になった。
   出水市 小村 忍(64) 2007/12/25毎日新聞鹿児島版掲載

寝床から

2007-12-24 16:49:34 | はがき随筆
 病院の起床は早い。6時半である。初めのころはなじめず、毎朝苦労したものだが、もう6年目となると、むしろ起床時間より早く目がさめてしまう。習慣というものだろう。
 早起きは三文の得というけれど、なるほどその通りだ。誰よりもいち早く新聞に目を通せるし、じっくりと洗面、歯みがき、トイレの用を足すことができる。これで、この一日も、余裕を持って過ごすことができる。
 気持ちの良いものである。病院という閉所で人生の案配を一考するのもよかろうと思う。「十五夜や床ずれの中から見る」などと雑俳もできたりする。
   姶良町 小野美能留(60) 22007/12/24 毎日新聞鹿児島版掲載

X線の精密検査

2007-12-23 20:29:44 | はがき随筆
 市役所から親展が届いた。レントゲンの集団検診に引っかかったので、再検査をうけるように、との指示書だ。主治医への封筒も入っている。
 精密検査に行くと医師は目の前で封を開けた。右の肺に線が引いてある。軽い問診の後X線室で技師を持つが、なかなか姿を見せない。<もし結果が悪かったら身障者の妻や寝たきりの母、愛犬の世話は……>などと余計なことを考えるが、♪そんなの関係ねぇ! オッパッピーを口ずさんで不安を打ち消す。
 医師の「肺はきれいです」の一言にホーッ。これで我が家も希望の新年を迎えられる。
   出水市 清田文雄(68) 2007/12/23 毎日新聞鹿児島版掲載

支局長選 心に響く一作

2007-12-23 17:38:42 | 受賞作品
 笑いあり 涙あり 心温まる…

 悲しい事件・事故が相次いだ今年の九州・山口。でも読者は心温まる話も読みたいのです。そんな時に目がいくのが各地域面に連日載っている、はがき随筆です。掲載随筆を選ぶ支局長等が推す「今年、心に響いた一作」を読みながら、ますますはがき随筆の奥深さを感じています。全作品を一挙に紹介しました。思わず笑ってしまう作品、勇気づけられる内容、そしてジーンと心が温まる感動作。年末のひととき、じっくりお楽しみ下さい。


<山口> 「真夜中の劇場」 福元 圭子(63) 光市 9月21日
 「なんちゅうてもやれんでよぉ、寝言で歌を歌うんじゃけぇ」「えっ、本当、歌詞ついちょった?」
 「一番でやめたと思ったら、また次を歌ったぞ。たまげたでよぉ、ハハハ……」「あなた、それ夢じゃないん?」「バカたれ、お前ほどボケちゃおらん。歌うのが分かっちょったら、カセットをセットしちょくんじゃったけどな。しかし、覚えられんもんじゃのぉ。長い寝言は特にいけん。あしたの朝は言うちゃろうと思うけど、どうしても思い出せん」
 毎晩のように一人で笑ったり泣いたり叫んだり。さて、今晩の出し物は。

 抱腹絶倒。ユーモアあふれる会話。笑顔で話す夫婦の姿が目に浮かぶ。
   (山口支局長 柴田種明)


<筑豊> 「いつも一緒」 松岡 香織(32)
 嘉麻市 6月26日
 息子が泣きべそをかいている。理由を聞くと自分が写っていないと一枚の写真を差しだす。夫と私の結婚式の写真だ。この子にとっては家族はいつも一緒が当たり前なのだ。2歳半の子供にどう説明したらいいのか分からず何度も頭をなでた。よしよし、よしよし。そんな息子もいずれは私たち親の元を離れていくはず。だけど今のこの気持ちがあればこの先のどんなつらいことも乗り越えてくれるのではなかろうか。
 今回、小さな小さな我が子に教わったこと。それは、家族の意味。私たちはいつも一緒だよ。だから安心して大きく大きく羽ばたいてね。

 1枚の写真から学んだ家族の意味。筆者の歓声にハッとさせられました。(筑豊支局長・後藤浩明)


 <北九州> 「どんな子供も日本の宝」 松尾 淳一(40) 北九州市 2月16日
 母が言う。「今朝も目がさめてよかったね。さあ戦争が始まるよ」。オマルに座って手と顔をふく。食事に時間がかかる。命の重さはみな同じ。全面介助で何もできなくても、そばにいてくれるだけでいいと言う両親は70歳と68歳。僕は2回目の成人式を迎えた。
 毎日テレビで寂しく悲しいニュースばかり。「立派なお友達が亡くなってもったいない。この子はいらないというお子さんは一人もいないよ。うちにもらってきて育てたい」と母は嘆く。
 いじめに遭っているお友達、生きているといつかはきっと良いことがあります。僕も一生懸命生きています。

 どんな時も前向きに生きるよう、勇気をもらった。きっといいことがある。(報道デスク・宮本勝行)


<宮崎> 「母の気持ち」 永井 ミツ子(59) 北郷町 7月30日 
 夕食後、くつろいでいると、息子より「夏、彼女をつれて帰るよ」と電話があった。突然のことに、驚きが喜びに変わり、御祝いの言葉を言おうとした時、「彼女、足が悪いんだよ」。息子の不安げな声に「反対されると心配していたんだなあ」と胸が熱くなった。
 私が励ますように「大丈夫」と言うと、「ほらネ」と彼女に呼びかける声と、小さな笑い声が聞こえた。
 「詳しいことは帰ってから」と電話は切れたが、私はその場から動くこともできず、息子の言葉を思い返した。
 「正確は、誠実な人」と言うひと言に支えられ「ヨーシ」と立ち上がった。

 筆者の気持ちの変遷の描写が見事で胸を打つ。県内審査では入賞しなかった作品だ。(宮崎支局長・大島透)


<佐賀> 「誕生日」 佐伯 スミ子(85) 唐津市 9月18日
 9月6日0時、85歳になり、「誕生日は1日中家事から解放」を宣言し就寝した。しかし5時起床、赤飯を作っていた。新米、新小豆で上出来。神様へお供えし、せっせと重詰め。「やはり作ったね」と配達係の孫。門にまで見送り、そのまま草取り。蚊をたたいた手のひらをみれば、生命線がくっきり。ここは百歳線か! 親友から「おこわありがとう。何がいい?プレゼント」「ダイヤもサファイアも何もいらぬ、わたしゃ家事を1日安みたい」「笑わせないでよ、罰あたり。健康に感謝しな」。ホーム入所、入院の友も多々。働ける日々に感謝し85歳に乾杯。

 「誕生日は家事解放」を宣言しながら早朝に起床。タフさに頭が下がった。(佐賀支局長・満島史朗)



<鹿児島> 「父の親指」 徳丸 伸子(54) 阿久根市 5月15日
 いつからだろう。眉がかゆくなると親指でかいている。7年前に他界した父が、晩酌しながらやっていた。他の指ならスムーズなのに、親指で眉をかくなんて不自然で、ぎこちないかゆみ止めの格好なのだ。
 気がつくと、娘の私がやっている。これがまた、親指の太さが、眉によく接触してかゆみが止まる。心の中で笑って、父が現れたことをおかしく、そして懐かしく思う。
 多分、93歳を迎えた母のことが心配で、時々、親指の力を借りて、母の事を頼んだよと言わんばかりの父の、お願いなのかもしれない。

 最近、亡父に話し方が似てきた と言われる私。親子って不思議だなと思う。(鹿児島支局長・平山千里)


<筑後> 「バスの中で」 久保田 清子(77) 大牟田市 10月6日
 うだるような暑さの中、バスに乗って一息ついたころ「……ご協力下さい」と運転手さんの声。何を協力? と思っていると運転手さんが「ほらついたぞ。バスハードで料金もらうぞ」。騒々しくなったが、バスの中は笑い声に包まれた。抱き起こされたのは小さな男の子。大きなランドセルを背負ってぐっする寝込んでいたのだ。やっと目が覚め下車していく。バスは何ごともなかったように発車した。車内アナウンスで「御迷惑かけます。学校帰りはバスの中ですぐ寝てしまうので、これからもよろしく」心得た乗客は、笑顔でいっぱいになった。

 運転手の絶妙なアナウンスで乗客も笑顔に。こんなバスに乗ってみたい。(久留米支局長・荒木俊雄)


<大分> 「挙手の礼」 臼杵 富子(84) 豊後大野市 9月12日
 戦争中、日豊線と鹿児島線を乗り継いで、実家と福岡市の学生寮を行き来していた。ある日、日豊線の車中に二人の海軍士官の方が乗ってこられ、一人が挙手の礼をして私の前に席に座った。婚の軍服、腰に短剣。死線は私に注がれ、私は目の置き場に困った。
 偶然が重なり車中でのデートが続いた。ある日「今日は小倉まで送るから」と。不安を感じた。今日で会えなくなるかも。しかし彼は「出撃」を言葉に出さなかった。小倉駅のプラットホーム、汽笛が鳴り挙手の礼で私を見送る彼。しばらくして彼は皇国の土となった。今も幻となって現れ、挙手の礼をして去って行く。

 出征兵士を送る歌「夜のプラットホーム」と重なった。父母の世代の青春を思う。(大分支局長・藤井和人)


<福岡> 「一個のナシ」 立石 進一(74) 福津市 11月3日
 包み紙をはがしたら一個のナシでした。信号待ちの車間をすり抜け、薄暗いバス停に立つ私どもへ届けて下さったのは、筋向かいのすし店のおかみさん。家内ともどもご厚意に深く感じ入りました。去る9月のこと。私どもの金婚式はバスで20分のすし店さんに決め、おいしいすしに満足。帰り支度の折、お見せの名の由来などを笑顔のご主人に尋ねました。「内証ですが、私どもは今日お店で金婚式ができました」とお礼を言って表へ出たすぐの出来事でした。海外観光や金製品の贈呈もかなわず、ただ温かな人の志が一個のナシに黄金色の輝きを放つかに見えました。

 二人だけの金婚式にナシ一個の志。それだけで、なぜか温かな気持ちになる(福岡報道部・松田幸三)


<熊本> 「息子を送る」 柳詰 敏子(84) 球磨村 9月5日
 朝5時半、いつものように起きて朝食の準備をする。みそ汁にキュウリの漬物、目玉焼き。息子と2人で食べる朝食は今日で終わる。10日間の休暇で帰って来ていた。ほっとしたり、寂しかったりというところである。
 フェリーの切符が取れず、大阪まで車で戻る。心配しても仕方がない。畑のキュウリ、ピーマン、オクラなどを土産に乗せた。
 送り出してからデイケアに行った。気が紛れてよかった。夕方になると、今ごろはどこを走っているだろうかと気になった。ビールの空き瓶を眺めては息子を思いだしている。

 読み返すほどに、母親の気持ちが伝わってくる。故郷が恋しくなった。(熊本支局長・中島伸也)



<長崎> 「乗り合わせて」 入江 美代子(64) 長与町 9月19日
 電車の中で若い夫婦が赤ちゃんにミルクを飲ませていて、床にこぼしてしまい、テッシュでふき取っている。私も持ち合わせのティッシュをあげると「ありがとう」と手話で話された。耳がご不自由のようだ。床を丁寧にふき取り、笑顔の黙礼で降りていかれた。
 バスの中では私の横に妊婦の方が立たれた。「お席、替わりましょうか」と声をかけると「次で降りますから」。降りる時、わざわざ「ありがとうございました」と言われた。私も「お大事に。丈夫な子を産んで下さい」と声をかけた。最近の若い方もすてきな人が多いなーと、うれしくなった。

 自己中心的世相。こんな当たり前のことが当たり前のようにあってほしい。(長崎支局長・前田岳郁)