はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

はがき随筆

2018-03-29 19:09:47 | ペン&ぺん
 「はがき随筆」の掲載作品の中から、昨年の年間賞とペンクラブグランプリを先日紹介させていただきました。受賞者の話を伺っていて、たまたま共通した思いがあることに気づきました。
 一つは戦争へのこだわりです。ペンクラブグランプリの西尾フミ子さん(83)は、兄が通信兵として鹿屋の海軍航空隊に配属になったのをきっかけに「少しでも一緒にいたい」と願った母が、西尾さんら娘を連れて栃木県から鹿屋へ移ってきたそうです。やがて兄は戦死し、姉は鹿屋空襲で爆弾が降る中、防空壕の中で赤ん坊を出産しました。こうした戦争中の体験を「忘れることは罪だ」との思いでペンを握っていらっしゃるとのことでした。
 年間賞の伊尻清子さんの義母は25歳のとき、30歳だった夫が硫黄島で戦死し、その息子である伊尻さんの夫は父の顔を知らずに育ったそうです。ちょうど桜の時期、義母は霧島へ夫の部隊を訪ね、それが最後の別れになりました。それでも苦労を感じさせなかった義母の生き方を作品にしていらっしゃいます。
 もう一つ共通してしたのは、お二人とも60歳のころに夫をがんで亡くされたことです。ショックを乗り越え、やがて「自らの思いを多くの人に聞いてもらっている」という支えにつながったと話してくださいました。
       ◇
 毎日新聞は4月から鹿児島、熊本、宮崎の3県のニュースが互いに乗り入れる形で一つの地域面を製作することになりました。はがき随筆についても熊本、宮崎からの投稿が登場することになります。全体の掲載数をふやすため、3県の作品を集めた特集を週1回、右ページに新たに設けます。倍率は上がりますが、熊本や宮崎に負けない作品を少しでも多く掲載したいと考えています。引き続き皆さまのご投稿をお待ちしています。
鹿児島支局長・西貴晴


ドキュメンタリー

2016-01-27 18:08:01 | ペン&ぺん


 先週発表になった第70回毎日映画コンクールの受賞者欄を見ていたら、ドキュメンタリー映画賞で、「沖縄うりずんの雨」の名が挙がっていた。「沖縄の近現代史をみつめ、人々の尊厳を伝える」というキャッチフレーズが示す通り、米軍の記録映像を交えて戦中・戦後の沖縄の歴史をたどる作品。「うりずん」は春分から梅雨入りまでの季節を示す方言という。
 私は映画を鹿児島市内のガーデンズシネマで見たのだが、一番の関心は沖縄問題というより、映画製作・配給会社「シグロ」30周年記念映画といううたい文句だった。
 シグロは1986年に設立され、日本最大といわれた三井三池炭鉱(福岡県大牟田市)の歴史の明暗を描いた「三池~終わらない探鉱の物語」(2005年)などの作品を世に問うてきた。そのルーツをたどれば、水俣病映画を手がけた土本典昭監督(1928~2008)にたどり着く。 
 土本監督といえば早稲田大から岩波映画へ。原爆や原発、アフガン問題なども手がけ、戦後のドキュメンタリー界を引っ張った一人と言っていいと思う。「三池~」の熊谷博子監督をはじめ、西山正啓氏や藤本幸久氏ら知る人ぞ知る記録映画監督を育てたことでも知られている。かつて三池や水俣で勤務した私にとっては懐かしい名前だ。
 ところで「うりずん…」が歴史をたどる映画とすれば、たまたま同じガーデンズシネマで見た別の作品「戦場ぬ止み」は、米軍基地移設問題など沖縄の〝今〟を描いた映画だった。監督がテレビ出身だったせいか、こちらの作り方の方が私にとっては親しめたが、これは人によって評価が異なるかもしれない。
 コンクールでは、4姉妹の絆を描いた「海街diaay」で綾瀬はるかさん、長沢まさみさんが主演、助演の女優賞を受けた。こちらは映画館で見逃したので、いつかDVDで見てみたい。
  鹿児島支局長 西貴晴 2016/1/24 毎日新聞鹿児島版掲載
 

駅伝

2015-11-26 12:41:59 | ペン&ぺん
 

 4日に指宿市であった県高校駅伝競走大会。男子は鹿児島実業が終始安定したレース運びで18年連続の優勝を果たした。女子は鹿児島女子が神村学園を破って初優勝を遂げた。さらに15日の全九州高校駅伝で、4位に入った女子の樟南が地区代表として都大路への切符を手にした。県勢としては男子の鹿児島実業、女子の鹿児島女子、樟南の計3校が12月20日、京都市である全国大会に出場することになる。
 鹿児島女子は、昨年まで28回を数える女子の県大会の歴史の中で13回も準優勝に甘んじてきて、今回ようやく手にした優勝旗。ゴールの競技場は歓声があふれた。一方、敗れたとはいえ神村学園の追い上げも見事だった。1区はトップと1分差の4位だったが、4.5区の区間賞を含む力走で、鹿児島女子と24秒差まで縮めて2位に入った。
 都大路である全国大会は毎日新聞が主催者の一つ。私も3度ほど取材に訪れたことがある。
 ある年、何度も優勝経験がある福岡県の男子チームを担当した。選手の一人が大舞台の直前に体調を崩したのだが、監督はあえてオーダーを変更しなかった。優勝候補といわれながら、結果は8位。選手交代を考えなかったのかとレース後に聞くと、ベテラン監督は「負ける年もあるのがレースだ」とひょうひょうと答えた。負けはしたが、選手を信じて任せた監督の選択が印象に残った。そしてチームは翌年、見事に優勝を果たした。
 佐賀県の女子チームを担当した年、事前取材で合宿所を訪れ、監督とまちに飲みに出た。店にいた客が次々と私たちのテーブルに来て、監督に激励のビールをついでいく。地域住民の多くが選手の力走を祈っている姿を目の当たりにした。
 大会本番まであと1ヶ月足らず。チームのために懸命に走ってタスキをつなぐ。都大路での県勢の走りに期待したい。
  鹿児島支局長 西貴晴 2015/11/25 毎日新聞鹿児島版掲載


スクラム

2015-10-07 14:53:32 | ペン&ぺん


 イギリスで開催中のラグビー・ワールドカップで、南アフリカを相手にまさかの勝利を収めた日本代表。最大の見どころは試合終了間際、相手ペナルティーで得たチャンスで、キックではなくスクラムを選択したことではなかろうか。得点は29-32の点差。キックで3点が入れば同点だが、日本はあえてスクラムを選び、劇的な逆転トライで5点を挙げた。「同点じゃなく、勝ちに行くという気持ちだった」とリーチ主将は語っている。
 思い出したのが「死闘」とも呼ばれる1987年、関東大学対抗戦の早稲田ー明治戦。約8分間に及ぶロスタイムで、3点を追う明治は何度もペナルティーキックのチャンスを得るが、このときも明治はキックではなくスクラムを選んで早稲田を追い詰める。守る早稲田と攻める明治。グラウンドには雪が残り、テレビ画面には、選手の体からもうもうと立ち上がる湯気。重戦車といわれた明治のフォワードの攻撃をしのぎきった早稲田が勝ったが、今も語り伝えられる試合になった。
 日本代表でもう一つ思い出したのが、キックで勝利に貢献した五郎丸歩選手の母校、佐賀工業高校だ。佐賀支局で働いていた20年ほど前に何度も取材に通ったが、なにしろ佐賀県内では向かうところ敵なしで、県大会では100-0で勝つことも珍しくなかった。
 ところが覚えているのは、逆に佐賀工業に敗れたチームのとある場面。既に100点近い差がついているのにキャプテンが最終盤、選手を集めて気合いを入れた。「(ゲームは)今からだっ!」。敗退が見えているのに、このひと言で選手は奮いたった。このあたりが勝敗だけではない高校スポーツの楽しさだろうか。
 国内でもラグビーシーズンがやってくる。〝花園〟と呼ばれる高校の全国大会を目指した県予選も開幕間近。鹿児島でどんなドラマが見られるのか今から楽しみだ。
  鹿児島支局長 西貴晴
  

対象地域

2015-09-12 16:14:41 | ペン&ぺん

 水俣病の被害者救済を巡って先週「熊本県内の救済対象地域の外に住んでいた3761人が救済された」という生地が載っていた。熊本県は「大概地域の外側でも申請を呼びかけ、1人でも多く救済しようと取り組んだ結果だ」と、この数字を肯定的にとらえている。これに対し、被害者団体は「水銀に汚染させた魚は海の中を自由に動き回るのだから、そもそも対象市域かどうか線を引くこと事態がおかしい」と反論していて、議論がかみ合っていない。
 「救済対象地域」とは何か。2009年に成立した水俣病被害者救済特別措置法(特措法)に基づく救済制度は、原因企業・チッソ水俣工場のあった熊本県水俣市を中心に、熊本県内の3市町の全域または一部を「対照し地域」に定めた。これらのエリアでは水銀汚染魚を通じて、通常以上の水銀を体内に取り込んだ可能性があるというのが理由。具体的には過去に水俣病認定患者が存在した地域が対象になった。
 地域外からも申請はできるが、水銀に汚染された魚を多く食べたことょ証明しなくてはならない。1956年の水俣病公式確認から来年で60ねん。当時の食生活を証明するのは簡単ではなく「半世紀前の魚屋の領収書を持ってこいということか」などと新生社が反発したのも無理からぬことだろう。熊本県内では、対象地域内の申請者の90%が救済されたが、地域外は64%だったという。
 御名町病は被害がどこまで広がって、患者が何人いるのか、実はいまだにはっきりしていない。今の救済制度から漏れた住民1001人がいま国や熊本県、チッソを相手に熊本地裁で裁判を起こしているが、この中には鹿児島県内の原告348人が含まれている。私はたまたま特措法が成立したころ水俣で勤務したが、水俣病問題は解決から遠いという気が今もしてならない。
  鹿児島支局長 西貴晴  2015/8/31 毎日新聞鹿児島版掲載

クラブ

2015-08-18 15:18:44 | ペン&ぺん


 県内の社会人野球クラブチーム「鹿児島ドリームウェーブ」が、7月に宮崎市であった九州クラブ野球選手権大会で沖縄のチームを破って優勝し、9月4日に埼玉・西武ドームで開幕する全日本選手権への出場を決めた。全日本選手権出場は3年ぶり2度目。クラブチーム日本一を目標に掲げるドリームウェーブが今回、どこまで成績を伸ばせるか、開幕を楽しみに待ちたいと思う。
 チームは、〝欽ちゃん球団〟として話題になった茨城ゴールデンゴールズとの鹿児島市での試合に合わせて、2005年に鹿児島ホワイトウェーブの名前で発足した。チームによると、国鉄鹿児島鉄道管理局野球部(鹿鉄)が1987年になくなって以降、県内では社会人の硬式野球部がなかったという。欽ちゃん球団との試合は5―1で見事に勝ったが、試合後も野球を続けたいと願う関係者が集まって再スタート。12年には現在のチーム名に変更した。
 社会人野球は大きく企業チームとクラブチームに分かれている。日本野球連盟傘下のチーム総数は昭和20年代には200を超えた企業チームは今年4月時点で86まで減り、逆にクラブチームは268に増えている。
 企業チームが恵まれているとは決して言えないと思うが、クラブチームの場合、選手の雇用協力を仰ぐところから始まり、選手は選手で社業と野球の両立に向けて懸命だ。それでも野球を続けたいという情熱がないとできないことだと思う。
 鹿児島のチームとして地元で親しまれるためには「まず試合で勝つこと」とチーム関係者は言う。プロ以外でスポーツに関わって生きていくにはどうすればいいのか。ドリームウェーブの挑戦は鹿児島のスポーツ文化に試金石の一つといっては大げさだろうか。そんな意味でも全日本選手権での活躍を祈りたい。
  鹿児島支局長 西貴晴 2015/8/9 毎日新聞鹿児島版掲載


必達

2015-07-26 17:51:04 | ペン&ぺん

 東芝の水増し会計問題で先週、歴代3社長がそろって辞任した。記者会見で現社長は「140年の歴史の中で、最大ともいえるブランドイメージの毀損があった。一朝一夕では回復できない」と述べ、事態の深刻さへの認識を示した。
 「140年の歴史」というのは1875(明治8)年、電信機の受注拡大に伴い、銀座に工場を設けた旧田中製造所の創業が始まり。やがて「芝浦製作所」と改称し、同じ三井財閥の中野東京電気と合併して「東京芝浦電気」へ、さらに1984年に「東芝」に社名を変更した。グループ売上高6兆5000億円超、従業員約20万人というから、日本を代表する大企業の一つには違いない。
 かつて日本一といわれた三井三池炭坑があった福岡県大牟田市で私は勤務したことがあるのだが、鉱山機械を作る地元の三池製作所と並んで東芝の名前は知られていた。石炭で日本のエネルギー供給を担った三池炭坑と、同じ三井グループの中で炭車製造や電気部門を担当した〝東京・芝浦製作所〟。こんなイメージで周囲の人は親近感を抱いていたように思う。
 そんな歴史のある企業でなぜ巨額の水増しが起きたのか。第三者委員会は「長期的な視点ではなく、当期利益至上主義から『チャレンジ』という収益改善の目標値が示され、損失先送りなどを行わざるを得ない状況に追い込まれた」などと指摘している。記者会見で社長は「チャレンジという言葉ではなく『必達目標値』という言葉を使っていた」と述べたが、社長から「必達」と言われて誰が逆らえようか。
 「組織の三菱、人の三井」と言われることがある。今回の第三者委は提言で「上司の意向に逆らえない企業風土を改革する」ことを挙げている。トップの暴走を止める人材を誰がどう育てるのか。今回の問題はこんな問いを投げかけているようにもみえる。
 鹿児島支局長 西貴晴 2015/7/26 毎日新聞鹿児島版掲載


大賞

2015-07-11 11:54:15 | ペン&ぺん

 九州・山口の毎日新聞地域面に掲載している投稿コーナー「はがき随筆」で、鹿屋市の森園愛吉さん(94)の作品「愛妻」が最高賞の大賞に選ばれ、このほど北九州市で表彰式があった。掲載総数は各県・地域合わせて年間7000編以上。採用されなかった作品を含めれば膨大な数に上る投稿の中で、昨年のナンバーワンに輝いた。
 森園さんの作品は、26年前に病に倒れた妻への思いがテーマだ。再掲をお許しいただきたい。
 《61歳で倒れ、右半身重度まひ。孫子と平穏円満に暮らそうとした初老の妻はその時、人生の全てを失った。16年間みてきたが、体力の限界を感じ「すまん」と思いながら施設にお願いした。施設に遺し、別れに人知れず目頭の潤むのを覚えた。それから26年、87歳。施設の暮らしも10年が過ぎた。語らいも笑いもなく、心通う潤いもない砂漠に呻吟起居する妻の病状は静に信仰。誰だかも分からず、ただ生命があるだけ。子どももそれぞれ安定してこれからこそが本当の人生であったが、一瞬にして暗闇に転落した妻。限りない不憫の情、その果てを知らない。》

 審査にあたった芥川賞作家の村田喜代子さんは「『苦』も語らず、『悲』も語らず、病妻への不憫に凝縮した文体の格調に心打たれる。老いて揺るがぬ人間の尊さが短い文章に光っている」し評した。老いや病は誰もが通る。長い夫婦の道のりを正面からつづった作品だ。「その果てを知らない」という最期の一行に私も強い印象を受けた。
 はがき随筆はわずか252文字(14字×18行)の中で、暮らしの中の印象的な出来事や、人生の喜怒哀楽をつづるコーナー。表現技術も大事だが、なにより心のこもった作品を期待したい。どなたでも参加できます。多くの方の投稿をお待ちしています。
  鹿児島支局長 西貴晴 2015/7/6 毎日新聞鹿児島版掲載

おかあさんの木

2015-06-24 20:31:24 | ペン&ぺん


 女優の鈴木京香さん(47)が先日、新作映画「お母さんの木」のキャンペーンで鹿児島市を訪れ、市内の西田小で児童に原作を読み聞かせた。作品は息子たちを戦争に取られ、そのたびに庭に桐の木を植えて無事を祈った母親が主人公。西田小では、映画で母親役を演じた鈴木さんの感情豊かな表現に、児童や保護者からすすり泣く声が漏れたという。
 その鈴木さんは昨年の毎日映画コンクールで田中絹代賞を受賞している。個別の作品というより、映画の世界で偉大な功績を上げた女優に贈られる賞。由来となった田中絹代(1909~77)は「愛染かつら」「楢山節考」「赤ひげ」などに出演した昭和を代表する女優の一人だ。鈴木さんは今年2月に川崎市であった授賞式で「あまりにも大きな賞で半信半疑。日本の女性らしい女性を演じられるよう、賞の名に恥じることのないよう努力したい」と語っている。
 ところで、その田中絹代が出演した「陸軍」という映画をご存じだろうか。太平洋戦争末期、1944年の松竹大船作品で、監督は木下恵介。日清、日露、日中戦争へと続く軍人一家3代の人生を描く。「陸軍省後援」の肩書きがついた。
 この映画で有名なのはラストシーンだ。日中戦争に出征する兵士の隊列と、人混みをかき分け、息子の姿を目に焼きつけようと懸命に隊列を追い続ける母親の姿が延々と映し出される。死地に赴く息子を送る母親の締め付けられるような悲しみ。作品は陸軍省が期待した勇壮な戦意高揚映画ではなく、大胆な“反戦映画”となった。母親役を演じきったのが、当時35歳の田中絹代だった。
 映画「陸軍」から70年余り。今回、鈴木さんはどんな母親役を演じてみせるのだろうか。作品が現代と戦争中と時間軸を行き来するというのも興味深い。「おかあさんの木」は6日から全国公開されている。
  鹿児島支局 ・西貴晴 2015/6/16 毎日新聞鹿児島版掲載

噴火

2015-06-23 05:20:25 | ペン&ぺん

 口之永良部島の新岳噴火から今日で11日。今も住民の全島避難は続いている。避難先での暮らしはこれからどうなっていくのか。噴火への警戒はいつまで続くのか。先行きが見通せない中で、住民の不安も大きいだろう。地元の屋久島町も懸命に支援の在り方を模索しているようだ。避難の長期化を視野に入れて、課題を一つ一つ解決していくしかないようにみえる。
 恥ずかしながら私自身、口之永良部での噴火というものを全く考えたこともなく、備えも何もなかった。噴火前日は県警を舞台にした志布志事件で警察、検察の控訴断念という大きな出来事を記事で紹介したばかり。翌日、支局でゆっくりテレビを見ていたら、午前10時ごろから突然、噴火の映像が流れ始めた。慌てて支局の記者を隣の屋久島に向かわせ、その後は東京や大阪、福岡などから屋久島に向かう応援記者の高速船の予約や宿泊先、レンタカーの手配に追われた。
 内輪の話で恐縮だが、着の身着のまま屋久島に渡った記者の一部は宿の風呂場で下着を洗濯しドライヤで乾かしながら取材を続けた。後日、シャツや下着を買って鹿児島から現地に送ったのだが、派遣期間に限りのある記者の場合はまだ恵まれている。命の危険にさらされながら荷物をまとめる時間もなく島を後にした住民のたいへんさはいかばかりだろう。毎日新聞が実施したアンケートでも「衣類など必要なものがない」といった回答があった。今後の住む場所や仕事、健康問題など課題は山積と言っていいと思う。
 それにしても犠牲者が一人も出なかったことは特筆すべきで、中でも印象に残ったのは学校の対応だ。今回、避難を決めてから全員が学校を後にするまで3分しかかからなかったという。教職員は、子どもの命を守るというなにより大事な仕事を無事果たした。素晴らしいことだと思う。
  鹿児島支局長 西貴晴 2015/6/8 毎日新聞鹿児島版掲載

判決

2015-05-18 07:16:32 | ペン&ぺん

 2003年の県議選を巡る選挙違反事件(志布志事件)で、無罪が確定した住民が警察や検察に損害賠償を求めた訴訟の判決が先週、鹿児島地裁であった。結果は紙面でお伝えしたように、県や国に賠償を命じる内容だった。法を守らせる警察や検察の仕事が「違法」とされたのだからただ事ではない。私は事件当時、福岡県内で勤務していて詳細は知らなかったが、判決を読むと改めて捜査は問題だらけだったと言わざるを得ない。
 住民が医療機関で点滴を受けてから取り調べに応じ、体調不良を訴えても帰宅を認めない“任意捜査”。捜査会議を開かず捜査官の情報交換を禁じ、誤った見立てのまま、あり得ない自白を強いた。弁護士との接見内容について取調官の誘導に沿って70通以上の供述調書をつくり、そこで弁護方針への拒絶感を植え付けた。取り調べの中で住民に著しい屈辱を与えて人格を傷つけ、自由な意志決定を阻害した。
 判決はこうした捜査の状況をつぶさに示し「警察官の個人差を考慮にいれてもとうてい合理性を肯定できない」「社会通念上許されず、違法」などと言っている。
 警察だけでなく、検察の対応についても違法だったと判決は認めた。すべての証拠を勘案してもとうてい有罪判決を期待できないのに、漫然と裁判を続けた。「公益の代表者」「法の正当な適用」という検察官の仕事に違反したというのが裁判所の判断だ。
 判決後の記者会見で、住民からは捜査官の謝罪を求める声が相次いだ。違法な捜査で苦しめられた以上「おわびせよ」と住民が求めるのは当然のことだろう。
 それにしても、こんなひどい捜査がなぜまかり通ったのか。担当捜査官の暴走を誰も止めることはできなかったのか。県警への信頼をどうやって回復するのか。いまさらながら判決が与えた課題は重いと思う。
  鹿児島支局長 西貴晴 2015/5/18 毎日新聞鹿児島版掲載

はじめまして

2015-05-07 20:22:11 | ペン&ぺん


 気のせいか少し車の中がざらざらする。高速道路の鹿児島空港を過ぎたあたり。前任地の山口県下関市から鹿児島へ赴任する際、九州自動車道を車でゆっくり南下した。あれっと思いながら窓を閉め、鹿児島市内に入って聞いてみると、相手はこともなけに「今日は降ってますよ」。鹿児島は灰のまちだったことを思い起こした。
 灰には参ってしまうけど、桜島は美しい。ただ、それでも噴火は恐ろしい。私が鹿児島に最初に赴任した29年前の1986年、噴石がふもとのホテルを直撃したことがあった。屋根を破って地下室が火事になった。取材の翌朝、再び現場を訪れ、近くに落ちた別の一抱えもある噴石に水を掛けてみると、一晩たっているのにジュッと一瞬で水蒸気が上がった。
 当時から桜島はしょっちゅう噴火していた印象があるのだが、気象台のデータをみると、私がいた1980年代はおおむね年間200~600回だったのに対し、ここ数年は頻繁に1000回を超えている。どか灰の覚悟だけはしていた方がいいのだろうか。
 それでも鹿児島のまちはずいぶんときれいになったように感じる。当時、道路に積もった灰を回収する専用車両が導入されたという記事を書いた記憶があって、それから30年近くたつのだから、きっと降灰対策も進んでいるのだろう。先週末、天文館から歩いて帰宅し、背広の肩にうっすらと広がった灰をはたきながら、改めて鹿児島に帰ってきたと思った。
   ◇
 5月1日付で鹿児島支局に赴任しました。私自身は名古屋や東京で育ちましたが、両親は加世田と串木野の出身です。初任値の鹿児島から小倉、佐賀、大牟田、長崎、水俣、下関と回って、再び鹿児島で勤務することになりました。あえて「はじめまして」の気持ちでまちの様子を見ていきたいと思います。
  鹿児島支局長・西貴晴 2015/5/4 毎日新聞鹿児島版掲載

再会を願って

2015-05-01 06:47:49 | ペン&ぺん


 九電川内原発1.2号機の再稼働差し止めを地元住民らが求めた仮処分申請で、鹿児島地裁は申し立てを却下した。高浜原発の再稼働を認めない福井地裁とは逆の判断だった。基準地震動や火山の危険性などについて争ったが、裁判官で判断が異なることを、改めて多くの人が感じた。
 南米チリ南部のカルブコ火山が43年ぶりに噴火、噴煙は高さ1万5000㍍に。ネパール中部でもマグニチュード(M)7.8の強い地震。時間の経過と共に犠牲者が増えている。桜島も連日、3000~4000㍍の噴煙を上げて活発だ。大正噴火から101年がたち、エネルギーが蓄積されているのだろう。
 私たちは東日本大震災でもう「想定外」の考えは、通じないことを学んだ。原発も火山も人ごとと思わず、自身の問題として考え、警戒も怠らないようにしたい。
 災害や病気などで親を亡くした遺児を支援する「あしなが学生募金」の活動が県版(19日付)に載ると、支局に2万円が届いた。心優しく、人ごとにできない読者に違いない。住所、氏名は無記名。分かるのは加世田の消印だけ。確かに学生募金事務局に送金しましたよ。
 弊社の人事異動(5月1日付)に伴い、土田暁彦記者が周南支局(山口県周南市)へ、私は報道部(福岡市)へ赴任します。代わって西貴晴記者(現・下関支局長)が新支局長、内田久光記者(現・報道部)が次長として着任します。二人も鹿児島経験者です。よろしくお願いします。
 私の鹿児島兼務は2回目で通算6年。20年前鹿屋通信部時代に長女が生まれ、両親を連れて県内を回っただけに鹿児島は思い出がいっぱい。支局長として、もっと何かできなかったか後悔ばかりです。今後は福岡から薩摩を見守っていきたいと思います。皆さんお元気で。お世話になりました。
  鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2015/4/30 毎日新聞鹿児島版掲載

傍観者になるな

2015-04-22 20:27:15 | ペン&ぺん
 まさか、長崎市長選も無投票とは――。統一地方選第2ラウンド(後半戦)で県内は枕崎、阿久根、垂水の3市議選が19日告示され、いずれも選挙戦がスタートした。21日は2町長、5町村議選が告示されるが、今のところ、選挙となりそう。候補はそれぞれの地域が抱える問題や将来のビジョン、活性化策などを訴え、有権者も候補の考えを精査できる機会だ。
 今地方選首長、議員選そろって全国的に無投票が多くなっているのが懸念されている。投票率の低下と政党が候補補擁立できないのも心配。現職に対抗馬を立て、論戦を展開できるパワーや政策、人物が地域にない、いないのは残念。鹿児島と並ぶ全国屈指の観光地・長崎なのに。被爆地・ナガサキで自分こそが市のトップとなって、核廃絶や世界平和を訴えようと志のある人は、いなかったのだろうか。 会社の専売だからではないが、山田孝男・特別編集委員の本紙コラム「風知草」(20日付)を読まれただろうか。現筆再稼働と裁判所の判断についての考えを述べ、更に九州電力川内原発の運転差し止めの仮処分申請に対する決定が22日、鹿児島地裁で出ることを紹介している。
 全国版の日ラムで取り上げるということは、それだけ全国から注視される裁判所の判断なのだろう。コラムに「そもそも、厳罰再稼働を高唱する資格は、自宅に核廃棄物を受け入れる人間にしかない」とあった。私はこの4行にくぎ付けになった。フクシマ、チェルノブイリ(旧ソ連)などの原発事故で古里に住めなくなった人たちの思いや事故からの警鐘が理解出来ずに、傍観したままでいないだろうか、と。
 原発も統一地方選も決して人ごとではなく、やはり身近な私たちの問題として受け止めたい。傍観者をやめ、22日は当事者として真剣に原発問題を考える日にしたい。
  鹿児島支局長三嶋祐一郎 2015/4/21 毎日新聞鹿児島版掲載

早期発見で治療を

2015-04-15 16:12:57 | ペン&ぺん


 12日投開票された県議選は悪い予感が的中、投票率は過去最低の48.78%だった。他県の多くの選挙も投票率が50%を割った。生活に身近な県議選、つまりは地方自治だ。選挙離れを深刻に受け止めなければならない。県内だって、川内原発やTPPに代表される農業問題、地域の過疎・高齢化など議論されるべき課題は山ほどあるはずだ。
 音楽プロデューサー、つんくさん(46)が喉頭がん治療で、声帯を摘出した報道に見入ってしまった。理由は二つあった。
 私の父も、私が子供の頃、喉頭がんを患った。声がかすれる症状が比較的早く現れたので、すぐに調べ、がんと分かった。父も当時48歳の働き盛り。事前の検査で、声帯の全摘を覚悟した。シベリア抑留経験者の父もさすがにショックだったようだ。いざ、喉を開くと声帯の全摘は免れた。術後に医師から、訓練で声が出ると聞かされた時のうれしそうな表情が忘れられない。命も声も助かった。手遅れならば、私の人生も変わっていただろう。もちろん、以前の声ではなく、かすれた声だったが、聞き取れた。
 次は、海上自衛隊鹿屋航空基地の「エアーメモリアル」前夜祭に登場した、つんくさんら「シャ乱Q」。「シングルベッド」「ズルい女」などのヒット曲で人気絶頂。1996(平成8)年5月、鹿屋に来てくれた。ステージの基地格納庫が観客で埋め尽くされたのを、今も覚えている。
 父は旧満州(現中国東北部)に渡った17歳からたばこを覚えた。吸えなかったのはシベリア抑留の4年間。結局、父は肺がんで75歳で逝った。医師は、喉頭がんも肺がんも父のがんの要因をたばこと指摘した。大好きだったから仕方がない、か。女性も乳がん、子宮がんなどが心配。つんく♂さんの快方を祈りつつ、読者の皆さんも我が子が可愛いと思うなら、早期に検診を受けてほしい。
  鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2015/4/15 毎日新聞鹿児島版掲載