はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

台風男

2008-08-31 18:59:02 | はがき随筆
 私の故郷、薩摩川内市下甑町手打の実家には、83歳の母が一人で住んでいる。毎年、今の時期には台風が甑島方面へ向かうことが多く、接近する2.3日前に私は帰省する。高齢の母が気がかりだからである。
 帰省すると、近所の人たちが「台風男がやって来た」と言う。台風が甑島に来そうになると帰ってくる男ということらしい。いつしか台風男の異名をとることとなった。
 甑島の住人は、今年こそ台風男が現れないようにと願っていようが、こればかりは台風に聞いてもらわないと……。
<故郷(ふるさと)で台風男の異名とり>
   鹿児島市 川端清一郎(61) 2008/8/31 毎日新聞鹿児島版掲載

記憶の中の色

2008-08-30 18:12:16 | はがき随筆
 スイカの赤い色は風化しかけた遠い日の記憶を呼び覚ます。五十余年前。夏休み。小学時代。左利きの祖父。早朝のスイカ畑。その日の出荷用を取り終わると祖父は朝露にぬれてよく冷えたやつをカマで割ってくれた。空腹の胃袋に染みわたったその赤い味が今も忘れられない。
 いつか、中学生の私を見て涙を流す祖母を見た。「ますますMに似てきた」と両手で顔を覆って泣く。息子のMは戦死していたのだ。肩に日露戦争での傷のある炉端の祖父。どこか母に似たMの軍服姿。壁にかかるセピア色の大きなその写真を、私は黙って見つめていた。
   出水市 中島征士(63) 毎日新聞鹿児島版掲載

11歳の意見

2008-08-30 18:04:45 | はがき随筆
 「母ちゃん、いつもとっても面白くないって顔で仕事してる人がいるよね。自分の仕事が好きでなければ、辞めるか転職するか寿退社するばいいのにね」
 11歳の娘がその人を見てから2回目の夜、私にそう言った。
 おそるべし、11歳。私も実はそう思っていたんだ。なんでこんなにブスッとした顔ができるのかな。とても不愉快。
 「だけど、いい勉強になったでしょ」
 「うん」
 世の中のいろんなことを見て知って、自分でしっかり判断できる人間に、娘にはなってほしい。
   鹿児島市 萩原裕子(56) 2008/8/29 毎日新聞鹿児島県版掲載

平和への願い

2008-08-28 16:05:25 | はがき随筆
 あの日も美しい青空だった。
 一瞬の光と音で広島の街は廃墟と化した。遠くの防空ごうから見たピンクの雲は脳裏から消えない。夫は市内の宇品から検疫所のあった似島へ傷ついた人々を運ぶ兵士だった由。大阪で結婚後、厚生省まで手帳交付の申請手続きで苦労したが、長い年月を経て証人は見つからなかった。残念だった。
 数々の病を乗り越え、故郷に落ち着き、重苦しい戦争体験と平和への願いを人々に語り始めた矢先に急逝した。私の話も聞いてほしかったのに……。夕風に揺れる風鈴の音に夫のささやきを聞く。
   薩摩川内市 上野昭子(79) 2008/8/28 毎日新聞鹿児島版掲載

母の赤い思い

2008-08-27 16:16:26 | はがき随筆
 瀬戸港そばの万葉歌碑を見に行った。その後、ふと、事故死した長島の教え子の家に、足が向いた。道すがら、赤土の段々畑サツマイモが目につく。
 亡き勇君のお母さんは、うちにおられた。「線香をあげさせてください」とお願いすると「今年はちょうど、勇の十三年忌でした。息子が呼んだのでしょう」と喜ばれた。
 彼女はお茶を準備しながら「今でも、勇が死んだとは思っていません」と話される。
 私は、ハッとして心を打たれてしまった。
 お母さんの勇君への思いは、赤土よりもなお赤かった。
   出水市 小村 忍(65) 2008/8/27 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆7月度入選

2008-08-26 15:37:18 | 受賞作品
 はがき随筆7月度の入選作品がきまりました。
▽鹿児島市唐湊2,東郷久子さん(73)の「蝶道」(28日)
▽同市慈眼寺町、馬渡浩子さん(60)「腫瘍に命名」(23日)
出水市高尾野町芝引、清田文雄さん(69)の「ハナの想像妊娠」(9日)──の3点です。

 かつて、生活綴り方教室などで「文章は観察である」という教育がなされたことがあります。対象をよく観察して、それをそのまま文章にしなさいという指導法です。確かに文章が精細な観察に基づいている要素があることは否めません。しかしそれだけでは「芸」がありません。やはり文章は自然ではなく、創られたものです。
 東郷さん「蝶道」は、たんにチョウが飛んで来たことを描いたといえば、身もふたもありませんが、必ず通る庭の蝶道を見つけ、そのチョウが挨拶をして通り過ぎるという情景は、心がなごみます。
 馬渡さん「腫瘍に命名」は、長年「共生」している視神経の腫瘍に、可愛い名前を付けたという話です。これには、デパートでご主人とはぐれたとき、その腫瘍名(?)で呼び出してもらったという、オチがつきます。ご自分への客観視の姿勢がいいですね。
 清田さん「ハナの想像妊娠」は、可愛がっている座敷犬が想像妊娠したという話題ですが、素材の奇抜さが抜群で、一気に読ませます。それに、この展開とまとまりのよさは、起承転結の文章構成を上手に活かしているためです。
 次に印象に残ったものをあげてみます。
若宮康成さん「今日も雨」(7日)は、老いて精神的な活動が衰え、奥さんが勤めに出られた後は、ただ家の中をウロウロするだけ。せめて「老猫・千代美」と話そうとしたら、彼女も雨の中を出かけてしまった、という、老いの哀感が溢れています。岩田昭治さん「プレゼント」(18日)は、父の日のプレゼントに、娘さんが、誕生日の「東京日日新聞」(毎日新聞の前身)を送ってくれたことに、娘さんの成長を感じて、満足したという内容です。山室恒人さん「ひそかな楽しみ」(16日)は、娘さんに内緒で孫娘にアイスクリームを食べさせたら、孫娘が私に向かって口を「スパスパ」するのでばれてしまった話です。孫はどうしてこんなに可愛いのでしょう。
(日本近代文学会評議員、鹿児島大名誉教授・石田忠彦)
係から 入選作品のうち1編は30日午前8時20分からMBC南日本放送ラジオで朗読されます。「二見いすずの土曜の朝は」のコーナー「朝のとっておき」です。



正体見たり

2008-08-26 15:02:23 | はがき随筆
たまにウオーキングですれ違う人が気になる。野球帽、サングラス、上下のジャージー、靴と身なりすべてが黒で統一されている。冬ならまだしも、夏までこうだと不思議ですらある。
 ある朝、旧道で向かいからその人の歩いてくるのに出くわした。と、ふいに角の家へ姿を消した。そこは肉屋だった。店頭ののぼりに「黒毛和牛」「特選黒豚」の文字が躍っている。この黒にこだわりがあったのか。
 家に帰り妻に話すと「本当にそうかしら」と半信半疑である。「いや確かにそうなんだ」と私は自分の胸の中でストンと落ちた結論に大きくうなずいた。
   大口市 山室恒人(62) 2008/8/26 毎日新聞鹿児島版掲載

隣組のこと

2008-08-25 10:25:44 | はがき随筆
 大戦下の昭和17年~18年ごろ歌われた<とんとん とんからりと 隣組 格子を開ければ 顔なじみ……> 当時住んでいた神戸の下町は固いきずなで結ばれ、食糧の配給で命をつないでいた。1歳で亡くなった弟を手厚く葬ってくれた人々。父の戦死でここ山川に引き揚げた。記憶のなかの隣組。63年たち、私も老いた。もう、このごろのことにはついていけない。今、回覧板も時々、無言で回ってくる。私も呼び鈴を押して、さして御用のお方でもあるまいと郵便受けに差し込む。指先で何でも済む今、機器オンチの私。昭和一桁は切なく悲しい。
   指宿市 宮田律子(74) 2008/8/25 毎日新聞鹿児島版掲載

青黒い海

2008-08-24 18:15:28 | 女の気持ち/男の気持ち
 5歳になったばかりの昭和22年3月、トラックの荷台に積まれた大きな荷物の間に乗せられて大連港に向かった。数日間倉庫の中で待機したあと、今度は引き揚げ船に乗せられた。
 大きな船が港を出た。翌日、船の底から母に手を引かれて甲板に上がり、大勢の人とただ一点を見つめていた。「ボーー」と、ひときわ長く低く汽笛が響いた。その時、青黒い海に向かって大きな白い箱が斜めに落ちていった。
 箱は波間に浮かんだまま、ゆっくり遠ざかって行った。たった数日間の引き揚げ船の中で、こんな光景を何度か見た。故国を目前にして命尽きた人の水葬であることは後で知った。きらきらと光る明るい瀬戸の海を見るとき、60年前に見たあの底のないような青黒い海での出来事を、ふと思い浮かべるときがある。
 大連にいるとき幼かった私には、戦争につながる記憶は何もない。苦しかったとか、ひもじかったとか、怖かったという記憶も。
 ただ、引き揚げ船の甲板で見たこの光景だけは鮮明に記憶している。あのときのあの人たちは、あの海の底で今も静かに眠っている。
 引き揚げてきた日は昭和22年の3月18日だったという。
 8月15日、今年も終戦記念日のサイレンを聞きながら1分間の黙とうをした。戦いに敗れて63回目の夏。
   山口県岩国市 沖 義照(66歳) 2008/8/24 毎日新聞鹿児島版
の気持ち掲載
写真はオフイスeyeさん

変身

2008-08-24 17:55:58 | はがき随筆
 Mさんのユニークなはがき随筆を読み、その発送に笑ってしまった。私にはこのようなしゃれた考えなど寄りつきもしない。だが、好奇心だけはもぞもぞ動いているようだ。ならばと一ひねり考えてみた。
 本名から「之」を抜き、「子」に「の」を置き換えて「竹内みちの」に変身した。何かドラマが起きそうな……と思いきや何のことはない。このことを知る娘からメール。「みちの先生。暑いですが、夏休み宿題の習字を教えて下さい」と孫2人を送り込む。やられた!と思いながらも了解する。<ばあばあを先生と呼びアイス食べ>
   鹿児島市 竹之内美知子(75) 2008/8/24 毎日新聞鹿児島版掲載

涼との同体

2008-08-23 07:26:37 | はがき随筆
夏の特集(下)-4
 以前、県立出水養護学校に勤務した時「分け隔てなく息をしている」ことに気付いた。
そして、互助互愛の精神で日々の生活を営んでいることにも気付いた。一つの学びであった。
 今、古稀である。生かされていることに感謝の念を深く持ち続けることの大切さを知る。また、学び続けることによって小さなことへの実践ができる。「涼」のさわやかさを感じ取れる。涼の言葉のあやは、一所懸命働かせることのできる心の感興である。そう思うと、詩や随筆の創作が生き生きとしてくる感がある。涼との同体、今日もますますという日である。
   出水市 岩田昭治(68) 2008/8/23 毎日新聞鹿児島版掲載

涼を得た書道展

2008-08-23 07:19:01 | はがき随筆
夏の特集(下)-3
 黎明館を囲む木から、暑さをあおるようにセミ時雨が降る。
 館内はクーラーがほどよく効いていて、人心地がつく。目当ては毎日現代書道巡回展。鹿児島では初めての開催なので、楽しみで胸が躍る。会場は書道展特有の厳粛な空気が漂い、鑑賞する人たちの目が輝く。
 M氏の芸術書「雲」に見とれていると、年配の女性が「あなたも気に入りましたか」と話しかけてきた。「ハイ。雲を薄墨でにじませ、ふんわりと流す構成がすごいですね」と私。展示された244の練達の作品は私の心を洗い、暑さを吹き飛ばす涼風になった。
   出水市 清田文雄(69) 2008/8/23 毎日新聞鹿児島版掲載

追憶

2008-08-23 07:11:28 | はがき随筆
夏の特集(下)-2
 中学時代の夏のひとこま。縁先の竹すだれと風鈴の澄んだ音色にひとときの「涼」を求めて、家族と語り明かした懐かしい思い出がある。
 夏草が伸び、ぽっぽっと白や黄色のかれんな花たちが月明かりに照らされて、荒れ気味の庭もそれなりの風情があった。
 数十年の時を経て、生まれ育った地域の家並みも生家も昔の名残はうせ、今風に様変わりした情景は、うれしくもあり一抹の寂しさもあった。
 遠い日、縁先のすだれと風鈴の音色に心身を癒された心の豊かさと、亡き父母を恋うる。
   鹿屋市 神田橋弘子(71) 2008/8/23 毎日新聞鹿児島版掲載

怨霊

2008-08-23 07:03:58 | はがき随筆
夏の特集(下)-1
 父の通夜の晩のこと。私は一人ぼんやりとした明かりの中で居間にいた。ガラス越しの廊下に目をやると誰か立っている。私は「どうぞ」と戸を開け、お茶でもと台所に立つ。戻ると誰もいない。湯飲みを持ったまま背筋が寒くなった。頑健だった父も後半は複数の病を患い、母が献身的に支えた。私は弟夫婦に任せきりで、みることを余りしなかった。何度かの入院、衰弱していく父。電話が鳴る度に心配していたが、別れは突然きた。母に言葉も残さずに。ただ、一人娘の私には「会いたい」と口癖のように言っていたという。あれは父の怨霊か……。
   出水市 伊尻清子(58) 2008/8/23 毎日新聞鹿児島版掲載

涼夜

2008-08-22 23:18:14 | はがき随筆
夏の特集(中)-4
 夕涼みがてらのタコ釣りに誘われた。近くの港の岸壁で、細いロープに釣り針をつけただけの簡単な仕掛けを海中に投げ入れ、タコが食いつくのを待つ。あたりが来たら一度グイッと引いて、後は緩めたり引いたりとタコとの駆け引き。タコが疲れて力を抜いた一瞬を見逃さず、素早く引き揚げると釣れるらしい。日は暮れても港なので昼間のように明るい。潮風は心地よく蚊もいない。エアコンなしにはいられない我が家の近くに、こんな快適な避暑地があったとは……。幸せ気分にすぽりはまった。タコにも災いをおよぼさず、ホントいい夜だった。ん?
   出水市 清水昌子(55) 2008/8/22 毎日新聞鹿児島版掲載