はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

「香水瓶の世界」

2011-04-28 17:54:22 | 世の中、ちょっとやぶにらみ



2011年04月27日 | 旅行・レジャー山の中腹にそびえる美術館

 

美術館から見下ろす宮島全景

国道2号線を広島に向かって40分も走ると、左手山の中腹に、御殿を思わせる立派な建物が見えてくる。なんじゃろうあれは・・・と思いながら数年を経た。
美術館を併設していることは知っていた。春の陽気に誘われ、この建物で開かれている“きらめく装いの美・香水瓶の世界”という特別展を見学した。

お揃いのスーツを着て、あっちこっちに立っている駐車場案内のお兄さんに、建物の由来・目的など軽く尋ねてみた。
仏教を基盤とした新興宗教総本山の位置づけであるような話を手短にしてくれた。不得要領、もう少し聞きたかったが、先方も詳しく説明したがらない様子も見えた。それ以上掘り下げるのも憚られ、曖昧のまま駐車と本館を結ぶ送迎バスに乗った。

まさに一つの山を好きなように手を加え、豊かな自然を取り入れて豪快に開発した御殿そのものの雰囲気がある。瀬戸内海に浮かぶ安芸の宮島が、朱の鳥居を含めて一望に見渡せる贅沢なロケーション。見応えはある。

今回の目的は、飽くまでも「海の見える杜美術館」としての訪問であった。
古代より香水は神と人間、そして男女を結びつける役割を持っていたと言われる。宗教儀式では、神に芳香を煙として手向け、その煙に願いを込めたという。

それほどの貴重品・高級品を保管する容器である香水瓶にも、格別な思い入れがあって、金銀ダイヤオパールなど、最高級の装飾が施されているのだ。
それにしてもフランス王侯貴族などという人達は、遙か高いところで雲の上の生活をむさぼり、その下に何千万人という庶民が細々と生活していたのかと思うとちょっと切なさが頭をよぎる。 

どうしても庶民の悲哀のほうに目がいってしまうようだ。

山口県岩國市の「はがき随筆」仲間のブログ「世の中、ちょっとやぶにらみ」より転載させていただきました。 アカショウビン


「未来を信じて」

2011-04-28 17:44:51 | 岩国エッセイサロンより
2011年4月28日 (木)
岩国市  会 員   中村 美奈恵

就職活動中の大学4年の息子が私に聞く。「最近、心に残った新聞記事は何?」。先日受けた会社の面接でそう聞かれたという。私はその日の新聞を広げながら「これ」と指さした。「今だからこそ宝物は何ですか」。それは、東日本大震災で避難されている人たちが、自分の手元に残ったものの中から宝物を見せてくれる記事だ。
 
 86歳の女性は手作りの「手提げ袋」。私と同じ歳の女性は焼け残った「封筒」。子供たちを抱き寄せた42歳の男性は「家族」。理由を読みながら、手にした宝物が一人一人にとってどれほど大事かを考えた。息子は言う。
 「面接でこんな記事に感動しましたと答えると、だから、どうしたのかと問われる」
 私は言った。
 「人って元気なときばかりじゃないよね。何かがうまくいかないとき、気持ちが落ち込んでいるときに、こんな記事にあったら、自分も頑張らなきゃあって、また前を向いて歩き出すんじゃないかね」

 息子はうなずき、記事に見入った。「僕はこれが一番いい」。指さしたのは右手を胸に当てた84歳の男性の写真。 
 「妻にまだ会えないが、思い出はここに」

悲しみの中にあるだろう男性のほほ笑みが心を打つ。

就職活動する人たちにとって、今は最も大変な時期だ。不採用の通知、返送された履歴書に落ち込む息子。

未来を信じて頑張って。

  (2011.04.28 毎日新聞「女の気持ち」掲載)岩國エッセイサロンより転載

いとしき万年筆

2011-04-28 17:18:28 | はがき随筆
 40歳代のころ、使い慣れた万年筆。ボールペンが流行して、いつの間にか万年筆は引き出しにしまったままになった。転勤で何度か引っ越ししたが、その都度また引き出しに納めた。
 今年の正月、引き出しを開けた時、ふと万年筆を使いたくなった。インクを入れたが、調子が悪い。先日、山形屋に持って行き、直してもらった。スムーズに書けるようになり、柔らかく書きやすい万年筆は、昔の自分の字に戻ったように思えた。
 高校生のころ、学生の胸ポケットに万年筆がさしてあった。なつかしさが胸に広がった。ペン習字を始めようかな。
  出水市 年神貞子 2011/4/28 毎日新聞鹿児島版掲載 画像はフォトライブラリより

善意の義援金

2011-04-28 17:13:08 | はがき随筆
 「東日本大震災の義援金をお願いします」と、言いながら3人で店の前の街頭に立った。
 3月30日、夕方4時から約1時間。時期も遅く、小さい体をより小さくしていた。
 ところが、買い物ついでのお母さんが、連れの小さな男の子にお金を持たせ、私の胸に抱いた箱にお金を入れた。「ありがとうございます」と、感謝。子どもはすこし、はにかみながらもニコニコしていた。次々と6組の方が義援金を入れてくれた。
 尊い義援金は赤十字社に。人々の善意に、私の目は、いつか潤み、募金の他にも何か……と励まされてしまった。
 出水市 小村忍 2011/4/27 毎日新聞鹿児島版掲載

大地震に思う

2011-04-28 17:07:53 | はがき随筆
 桜が散って若葉の季節を迎えた。東日本大震災から1カ月過ぎたが、現地はまだ余震が毎日何回も続いている。家を失い、家族を亡くされた被災者の方々は、どんな気持ちで毎日を過ごしていらっしゃるのか、かわいそうでならない。
 しかも放射能の危険もあり、頑張ろうと言っても明日に希望の持てない毎日。遠く離れて見守っているだけで、はがゆいし情けないが、早急に打つ手がない。こんな時、義援金箱にお金以外の物を投げ込む人がいると聞くと無性に腹が立つ。今はみんなが力を合わせて復興を計る時だ。善意を信じたい。
  志布志市 小村豊一郎 2011/4/26 毎日新聞鹿児島版掲載

春の別れ

2011-04-25 18:35:45 | はがき随筆
 ウオーキングを兼ねて2.3日おきに片道2㌔歩き母を見舞うのが数年来の日課でした。その母が逝ってしまい身も心も寂しさになえていきます。行年109歳、万107歳でした。最期まで意識はしっかりしていて、介護士さんや見舞客に感謝の言葉を細ってゆく声で返していました。
 父が招集されて戦死した戦中戦後を女手一つで一生懸命育ててくれた母。死ぬ瞬間までも私は守られていたのです。死後も守ってくれることでしょう。有り難い、有り難い母でした。
 火葬場への道は桜が満開。母をたたえているようでした。
  霧島市 秋峯いくよ 2011/4/25 毎日新聞鹿児島版掲載

真の友

2011-04-25 18:23:16 | はがき随筆
 東日本大震災の影響か、遠く離れたわが市も乾電池や水などが品薄である。大震災から1カ月がたち、ようやく水が1ケース買えたから、東北の友に送ったと息子が言う。
 震災後、都会では買いだめする人も多いと聞く。いつどんなことが起こるか分からないから、必要なのかもしれない。でも──。
 三十数年前のオイルショックの時、幼い2人の息子と公園で遊んでいると、近くのバス停に止まるパスから、トイレットペーパーや洗剤を持った多くの人が降りてきた。
 今日は安売りなのかな。それにしてもと呑気にしていた私は、後になってびっくり。
 夫が勤めを終えて帰宅するやいなや方々を回ったが、一つも残っていなかった。
 買い置きのない洗剤。困っていると友のひとりが「2.3回分しかないけど」と言って少ない洗剤の中から小分けしてくれた。我が家と同じ幼い子どもが2人いるのに。ありがたく本当にうれしかった。
 別の友がご主人の転勤で荷造りを手伝った。押し入れの中からなんと十数箱の洗剤が出てきた。黙って荷造りをした。身内も知人もいない町に嫁してきた私に、とても親切にしてくれた人なので、複雑な気持ちになり悲しかった。
 人間の心の内は本当に困った時に現れるものだとつくづく思った。小分けしてくれた友とは、今も文通している。ご夫婦のふると九州に住んでいる。
  山口県宇部市 田中正子 2011/4/25 毎日新聞の気持ち欄掲載

最後の息

2011-04-25 18:14:21 | はがき随筆
 特定集中治療室に夫は移された。危機を察した娘は学校に迎えに行って来ると飛び出した。やがて小3と中1の孫息子が走り込むように駆け寄り「じいじー、がんばってー」と両手をさすって励ます。夫は、その声に応えるように、大きく息を3回して静かに息を引き取った。主治医が黙礼されると「えっ?」。孫たちが「じいじ!」と叫んだ。「僕たちを待っててくれてありがとう」と夫の肩にすがりついて号泣していた。孫たちに慕われ愛された夫は幸せな最期であった。
 「心からありがとう」。合掌。
  鹿児島市 竹之内美知子 2011/4/24 毎日新聞鹿児島版掲載

カミさんは神様

2011-04-23 21:32:38 | 女の気持ち/男の気持ち
 「昨夜はよく眠れた?」
 朝食がすんでパソコンの受信メッセージを検索している時、カミさんが声をかけてきた。ここのところ2人とも寝つきが悪く、午前2時、3時になってもあっへゴロゴロこっちへゴロゴロと寝返りを打っている老夫婦なのである。午前2時、3時といっても別に驚くにはあたらない。というのも寝床に入るのが午前1時ごろだから。チャンネル権を握るカミさんの見たいテレビ番組の放送時間が遅いため、寝るのが遅くなってしまうのである。そして起床は午前9時前後。
 「そういえば、昨夜は珍しくよく眠れたなあ。トイレにも2度しか起きなかったし」
そう答えて私はパソコンに向き直った。私としては一応カミさんの質問に答えたし、そこで話は済んだと考えたのであるが、カミさんはまだ私の顔を見つめており、何か言いたそうな様子をしている。その視線に気がついて、カミさんに向きを戻した。
 「だからさあ、アタシはどうだったのって聞こうよ」 
 そこで私は「どうだったの」とカミさんの言った言葉を繰り返した。普通なら「催促してから聞かれたって面白くない」となるところだろうが、カミさんは違う。
 「私もよく眠れたのよ、今朝はすっきりした気分よ」と、笑顔で答えるのである。そんなカミさんの様子を見て私は、次は催促される前に聞かなくてはと思うのであった。
  鹿児島県西之表市 武田静瞭 2011/4/23 毎日新聞の気持ち欄掲載

東日本大震災

2011-04-23 21:25:33 | はがき随筆
 3月11日から1カ月余りが過ぎた。その日スーパーで買い物をしていたら「東北で、すごい地震があったらしいよ」と息子が知られてくれた。地震津波原発の爪痕がテレビでまざまざと映し出された。どうすることもできない人間の非力さにしばらくの間、言葉を失い、気持ちが上滑りして変な精神状態がつづいた。それでも桜の季節、今年ほど桜がきれいだと思ったことはない。4月に入り、あちこちで入社式の凛々しい若者を見た時「これからこの人たちがこの国を背負ってくれるんだ!」とエールを送る反面、自分がもう若くないことを思い知った。
 伊佐市 今村照子 2011/4/23 毎日新聞鹿児島版掲載

エジプト革命の中で

2011-04-23 21:10:21 | 女の気持ち/男の気持ち
 2カ月前、私は旅行者として反政府デモや争乱が続くエジプトにいた。アブシンバルをはじめ南部の古代遺跡のスケールに驚き、感動の幾日かを過ごした後、カイロに着いた。日本からのメールでタハリール広場のデモのことを少しは知っていたが、夜間外出禁止令で空港に足止めになるとは思ってもいなかった。真夜中、空港近くのホテルに移動できたものの、室外に出ることを禁じられたりもした。
 旅行中、ガイドをしてくれたムハマドさんは自宅が暴徒の略奪にあい、不安な日々を過ごす家族のことを心配しながらも最後まで私たちのサポートに徹してくれた。その姿に私たちは何度も胸が詰まる思いをした。 
 ホテルに缶詰になって3日目の朝、ここも危険ということで、急遽空港に避難。出国を待つ人であふれるロビーでミニ難民となった。
 独裁政権に終止符は打たれた。国民が参加する政治に変わりつつあると聞く。しかしムハマドさんをはじめ観光業を生業とする人々には厳しい日々がこれからも続いていくだろう。
 東日本を襲った巨大地震、津波そして追い打ちをかける原発事故。被災地の惨状に胸を痛める毎日に、ホテルで投函を依頼したことさえ忘れていた自分宛の絵はがきが届いた。
 あわためてゆったり流れるナイル川、そしてカイロで遭遇した数日間を思い出した。
  北九州市八幡西区 只松たより 211/4/22 毎日新聞の気持ち欄掲載

金比羅まつり

2011-04-23 21:03:03 | はがき随筆
 草木萌え出る4月16日、集落センターで旧暦3月10日まつりがあった。
この伝統行事は海の祭りとして野外に出て寒い冬から開放された喜びを老若男女が楽しんだものです。
 今は第10回村づくり推進委員会のもとで実施されている。大フロアに各自、重箱のご馳走を広げ、談笑の中で昔を語り、回顧し将来を論じる。同じ集落に住みながら今の車社会では日ごろ多忙で、住民同士接する機会がない状態です。
 歌や踊り、抽選で賞品受賞。小生4等の海苔。爆笑の一日、ありがとう。
  阿久根市 松永修行 2011/4/22 毎日新聞鹿児島版掲載

「つつましく」

2011-04-23 19:22:18 | 岩国エッセイサロンより
2011年4月22日 (金)
岩国市   会員   吉岡 賢一

一瞬にしてすべてを奪ったあの大震災。避難生活の不自由さや苦しさを目にする時、我が家の生活もすべての面で細かく見直しをしていることに気付く。  

多くを買い込んで冷蔵庫をフル稼働させる電力の無駄遣いをやめた。ガソリンは満タンをやめ、車を軽くする。出掛ける回数も極力減らし、一度により多くの用件を済ませる。

これまで特に気にしなかったこんなささいなことが、我が国再生や復興の原動力につながると思えば長続きがする。忘れかけていた「つつましく生きる」という生活。気持ちまでまろやかにしてくれる。  
 (2011.04.22 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩國エッセイサロンより転載

「郷愁の香り」

2011-04-23 19:19:30 | 岩国エッセイサロンより
2011年4月20日 (水)
    岩国市  会 員   横山 恵子

仏壇のスイセンがほのかに香ってきた。幼いころを思い出させる香りだ。私はおてんばだった。あれは忘れもしない6歳の春。2歳下の妹を連れ、友人たちと川に置いてある船に出入りして遊んでいた。突然「ドボーン」という音に驚いて振り返ると岸に立っていた妹が川の中に。

私は泣き叫びながら走り、浮き上がってきた妹の手を思いっ切り引っ張った。手をつかんだ瞬間「助かった」と心の中で叫んだ。重い足取りで帰る途中、母に会った。びしょぬれの妹を背負った母の後をとぼとぼと……。ほろ苦い光景が香りと共によみがえった。
  (2011.04.20 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩國エッセイサロンより転載

福島から避難して

2011-04-21 22:24:19 | 女の気持ち/男の気持ち
 原発事故のため、福島県南相馬市から熊本市に避難して1カ月がたった。
 3月11日午前2時半に洗濯物を取り込んでいると、烏が数十羽飛んできて、聞いたこともない声で一斉に鳴き始めた。「変だ」と夫に話した16分後、震度6弱の大揺れ。夫婦で柱にしがみつき、この世の終わりかと青ざめた。 
 福島県沿岸は、地震、津波、原発と三大被害にあった。私の住まいは原発から20~30㌔圏内だ。15日に屋内避難と言われたが、スーパーはすべて閉まっている。冷蔵庫の残り物と乾物、缶詰でしのいだ。電話も通じず、外界から遮断された状況だった。
 16日に電話が通じ、熊本市に住む夫の弟が「貸家を探しておくからこっちへ来い」と言ってくれた。30数年前に家を建てた時に原発の存在を知り、「もしも」が常に頭に合ったので、持ち出す物はまとめて置いていた。それをバッグやリュックに入れ、17日に自宅を後にした。必要なものは、パーフェクトにそろっているはずだった。
 知り合いに手紙を書こうとして愕然とした。住所録が入っていない。涙が出た。ある日、毎日新聞の「希望新聞」欄に私を案じて投稿してくれた秋田の女性がいた。名前を見た時、うれしさのあまり、また涙が出た。係の記者さんの尽力で住所もわかり、文通が出来る。毎日を愛読して40年を超えた。新聞はやっぱり大切だとつくづく思う。
  熊本市 五十嵐靖子 2011/4/21 毎日新聞の気持ち欄掲載