はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

その晴れの日に

2011-02-24 14:55:29 | 女の気持ち/男の気持ち
 母が夜に、あろうことか裸足で外に出た。83歳。それが認知症の始まりであった。
 年齢を尋ねると、答えはいつも決まって「19歳」だった。同居の兄も首をかしげるだけで理由は分からない。叔母が見舞いに来てくれて、ようやくその謎が解けた。
 母は19歳のとき、川向かい村から人力車でこし入れしたのだという。大正の当時、それはとりわけ羨望の的だったらしい。80年余りの人生で、そのことが一番心に残る思い出だったのだろうか。
 半年後、母は脳梗塞で息をひきとった。
 それから20年が過ぎ、今日は三女の結婚式。私は5人きょうだいの末っ子。三女はそのまた末っ子で、母が9人の孫の中で特に可愛がっていたのだ。
 披露宴、私は娘の手をとって、客席の間をあいさつして回った。和装の花嫁の頭には、黒い朱塗りの半円形の櫛に螺鈿の花が舞い、金を施した彫りのある本べっ甲のかんざしが光っている。
 それは母の死後、兄嫁が石蔵の中に見つけた遺品。明治時代の工芸品は、祖母から孫へ受け継がれたのである。
 「見て、母さん、きれいよ」
 私の声にならない呼びかけに、母が答えたような気がした。
 「はい、私は19歳、その髪飾りをして、父さんのところへきたのよ」
   宮崎市 三重野文子 2011/2/23 毎日新聞 の気持ち欄掲載

娘からのメールに

2011-02-10 15:34:03 | 女の気持ち/男の気持ち
 「園のおばあちゃんが亡くなって今夜はお葬式だよ」
 「そう。大変なお仕事だね」「亡くなるのは寂しいし悲しいし大変なことが多いけど、お世話してると皆かわいいよ。手がかかる人ほどかわいいよ。人生の最後を看取る事ができて家族の人に感謝されて、やって良かったと思えるよ」
 特別養護老人ホームで介護福祉士をしている娘とのメールのやりとりです。
 職員の皆さんはきっと娘と同じ気持ちでお年寄りに接してくださっていて、家族の方々にもその気持ちが通じていることでしょう。
 娘は脳梗塞で寝たきりだったおじいちゃんと小さい時から一緒に生活していました。
 「小さい時にはおじいちゃんに何もしてあげられなかったけど、おばあちゃんや、先々お父さんたちの介護もちゃんとしてあげられるようになったから安心してね」と言ってくれます。
 職場ではそんな気持ちを持った沢山の介護職員の皆さんが働いてくれているに違いありません。利用者の皆さんや家族の方の思い通りにできないことは多々あると思います。高齢化社会のなかでさまざまな問題が起きています。私もいずれは施設の御世話になって介護を受けたり、その家族の立場になったりするでしょう。その時には職員の皆さんに感謝の気持ちを持って接していきたい。そう思わせてくれた娘のメールでした。
  垂水市 宮下康 2011/2/10 毎日新聞の気持ち欄掲載

雪よ、降れ

2011-01-30 17:17:21 | 女の気持ち/男の気持ち
 カーテンを開けると、今朝は銀世界だ。静かに降り続く雪に、昨秋、広島県の帝釈峡で出合ったオオサンショウウオを思った。
 紅葉の美しい季節。土産店は観光客でにぎわっていた。その軒先に古びた水槽があった。
 何? のぞくと長くて大きな黒いものがいる。落葉が沈んだ水の底で置物のように動かないそれは、1㍍を超すオオサンショウウオだった。「うわっ」。私は思わず叫んでしまった。「まあ、気持ち悪い」。つられてのぞき込んだ娘は顔をしかめた。「いやだ、キモーイ」。爪先立ちして見た孫娘は飛びのいた。「まあ、何、これ」。その後も人々の驚きの声が続く。
 水槽の隅につかえたしっぽを曲げたまま、微動だにしないオオサンショウウオ。人間が漏らす勝手な言葉を、長い間浴び続けてきたのだろうが、身を隠すことも逃げ出すこともできないのだ。そう思い至ると不憫に思え、大きな頭についたつぶらな目が、悲しみに耐えているように見えた。
 「じっと我慢して、サンショウウオはかわいそうね」
 反省を込めて孫娘に問いかけると、嫌っていたのにコクンとうなずいてくれた。
 やみそうにない雪はぼたん雪に変わった。山深い名所も雪に閉ざされ、訪れる人もいないはず。静かな店先の水槽の中で、オオサンショウウオは心穏やかに過ごしていることだろう。
 山口県美弥市 吉野ミツエ 2011/1/27 毎日新聞の気持ち欄掲載

夫の試練?

2011-01-20 15:09:11 | 女の気持ち/男の気持ち
 よくよく気をつけていたつもりだったのに、原付で事故に遭い右膝を骨折した。昨年11月8日のことである。しかも小さな道から出る側だった私の方が悪いことになり、二重にショックだった。
 足を固定する金具を装着する手術を受け、リハビリも順調に進んでいたが、階段を上るリハビリでワイヤ部分が化膿し、足が腫れて歩けなくなってしまった。良くなっては歩いてまた化膿しての繰り返しに、思いがけず入院生活が長引いている。
 一番困ったのは主人。単身赴任は無理だからと付いてきたのに、それ同様の生活に追い込まれてしまったのだから。子どもたちは遠くにいるので応援を望むべくもない。最初は病院に来るたびに元気をなくしてやつれていく。それでも洗濯して掃除も時々して、天気の要否には布団も干しているというからびっくり。
 「やるじゃん、お父さん」
 思わず拍手も飛び出す。
 そのうち生活のリズムをつかんだのか、表情も明るく声も元気になって、また太ってきたので安心する。
 この入院は、どちらかといえば私よりも主人にとっての試練なのかもしれないとふと考える時がある。この先、急に一人になっても困らないように用意されていた特別な時間なのかもしれないと。
 仕事にも早く戻りたいし、主人も不自由な生活から解放してあげたいけど、もう少しかかりそうです。
  鹿児島市 浜地恵美子 2011/1/20 毎日新聞の気持ち欄掲載

タンスの中のふるさと

2011-01-19 21:04:20 | 女の気持ち/男の気持ち
 気になっていたタンスの整理をしていたら、きれいな白い布にくるまれた品が出てきた。はてな、何だろうといぶかりながら開いてみると、懐かしい四つ身の振り袖だった。ふるさと日田で過ごした幼き日の思い出を染み込ませて、幾星霜をひっそりとタンスの底で眠っていたのだ。
 山里にある日田の冬は厳しい。盆地特有の濃い霧が美しい日田杉を育み、城下町には清流が幾筋も流れて水墨画のようなたたずまいを見せる。そんなロマンチックな冬景色に包まれる家並みには、下駄の音がよく似合った。
 正月にはのんびり水車が回り、コットン、コットンと日がな臼の音が聞こえる広場で、男の子は竹馬やコマ回し、凧揚げに興じていた。かたや女の子は毬つき、お手玉、羽根つきにいとまがなく、振り袖を風にひらひらとひらめかせていた。ところが私の振り袖だけは、風が吹いてもなぜかひらめかないし、少し着ぶくれした感じだった。ただ疑問を口にすることはなく、歳月が流れ去った。
 風邪をひきやすい私のために真綿を入れて丹念に母が仕立てたこと、私が嫁ぐ日にタンスにしのばせたことを後から姉に聞かされた。
 親の心子知らず。今さらながら亡母の愛をかみしめる。ふるさとの思い出とともにそっとタンスの中に納めた。
 お母さん、本当にありがとう。
  福岡県春日市 吉満さかえ 2011/1/18 毎日新聞の気持ち欄掲載

名字の変わった賀状に

2011-01-14 22:05:17 | 女の気持ち/男の気持ち
 今年も多くの年賀状を頂いた。その中に確かに見覚えのある筆跡、下の名前も頭にこびりついている女性からの1枚があった。
 「昨年は色々ご迷惑、ご心配をおかけしました。新しい職場で働いており体調も良好・・・」と、近況が記されている。
 昨年までは、倅との連名で届いた年賀状。名字は我が家のものだった。今年は名字が変わっている。隣に倅の名前もない。
 6年間の結婚生活。共働きの利を活かして二人名義でマンションも買った。子どもこそ出来なかったが、順調でリッチな生活ぶりに親としては安心していた。それまで不穏な兆候もなく夫婦の間にすきま風が吹いていようとは思いもしなかった。我々には遠く及ばない、二人にしか分からぬ理由があったのだろう。昨年初め、お互い大人の感覚で円満な離婚に調印した。
 確かな家庭で育てられ、看護師として嘱望された彼女。その聡明さ、利発さは舅の私からみても好ましいものだっただけに、残念に思う。彼女の助けを求める声や、倅の気持ちの揺れをもっと早く感じ取ってやれなかったか。親としての不甲斐なさに悶々とした一年を過ごした。彼女から新しい住所を記した年賀状をもらって、やっと少し胸のつかえが取れた。
 次は、彼女からも、倅からも、新たな幸せが訪れたとの報告を受けたい。
 人生いつだってやり直しは出来るのだから。

山口県岩国市 吉岡賢一 2011/1/14 毎日新聞「男の気持ち」 掲載

長い一日

2011-01-06 15:03:58 | 女の気持ち/男の気持ち
 年末、交通事故で折った足の骨を固定していた金具の抜針手術をした。
 車いすで手術室に入ると医師や看護師が何やら忙しく動き回っていた。2人がかりで「よっこらしょ」と小さな手術台に乗せられた私に、担当医が一つ一つ優しく声をかけてくれる。
 「海老のように丸くなって」
 「ハイ、消毒しますよ」
 「次は麻酔をしますよ、ちょっとチクッとしますから我慢してね」
 まるでだだをこねる子どもをあやしているようだ。
 下半身が少しずつ温かくなってきた。麻酔が効いてきたようだ。足を動かそうとするが、まったく動かない。しばらくして「さあ始めようか」との担当医の言葉に、「はい」と看護師の声が聞こえた。「いよいよか」と深いため息をついた。
 痛くもかゆくもない足元で数人の医師が手術を始めたようだ。寝ている手術台がかすかに振動する。
 「ドライバー取って」と担当医の声が聞こえた。
 「それは違う。うんそれそれ」と看護師に指示している様子がよく分かる。
 手術台の揺れがさっきよりも大きくなった。骨に固定していたねじを抜いているんだと思いながら、体は緊張していた。
 「金づち取って」と、また担当医の声が聞こえた。
 「ウッソー」と思った瞬間、カン、カン、カンと音が手術室に鳴り響いた。私は完全に体が固まった。
 長い長い一日だった。
  長崎市 小浜武蔵 2011/1/6 毎日新聞の気持ち欄掲載

「来年はいい年かも」

2010-12-29 20:17:17 | 女の気持ち/男の気持ち
2010年12月29日 (水)
岩国市  会 員   貝 良枝

 朝9時、ゴミ出しをしていないことに気づく。徒歩1分のゴミ集積所だけど、ゴミ袋を車に積み込む。もうこの時間では、収集車が来た後かもしれない。そうなるとゴミ袋を持ち帰らなくてはいけない。それを見られるのはカッコ悪いから車で運ぶ。
 「エコじゃないよなぁ」と独り言を言いながら集積所に行くと、まだ収集車は来ていなかった。安心したら、ラジオからギターの音色とほんわかした歌声で「トイレには、それはそれは、べっぴんさんの……」と歌っている。ひょっとしてこれは「トイレの神様」?
 車を止めて聴き入った。目の前の田舎の風景に溶け込むような穏やかな歌だった。前から気になっていた歌で、聴いてみたいと思っていたからちょっとうれしかった。
 空は晴れ。ゴミ出しは間に合った。気になっていた歌も聴けた。今日はいい日かも。
 それから1カ月後、ボランティアの集会があった。その集会で「この歌を聴いてください」と「トイレの神様」がかかった。
 「おばあちゃん、ありがとう ホンマにありがとう」まで聴いたら涙があふれてきた。ふと見ると、周りの人も涙している。みんな同じ気持ちだったんだ。優しい歌にまた出合えた。優しい人たちと同じ場所にいられた。今日はいい日だ。
 大晦日の紅白歌合戦でこの歌がまた最後まで聴けるらしい。来年はいい年かも。
  (2010.12.29  毎日新聞「女の気持ち」掲載)岩国エッセイサロンより転載




あの日のひとり旅

2010-12-22 11:58:47 | 女の気持ち/男の気持ち
 つましい暮らしの中で母は、私の成人式のために振り袖を買ってくれた。それは本当に美しい振り袖だった。ところが成人式の3日前、母は脳いっ血で急死した。もう成人式には行かないという私を、兄は美容院と写真館に連れていった。
 しばらくして私は旅に出た。行き先は四国高知の足摺岬。別府から一晩かけて徳島へ。大歩危小歩危を見ながら土讃線を下った。土佐清水辺りからバスに乗って行き着いたような。小さめの椿の花が美しかった。
 と、後ろから誰かが走ってくる。名刺をくれた背広姿のその人は、牧師さんだった。辺りを見渡せばあちらこちらに「死ぬな」「思いとどまれ」「早まるな」「相談に来い」と慈愛に満ちた立て札が立っていた。
 椿の花を見に来たと話す私に牧師さんは言われた。
 「ダメです。すぐ親元へ帰りなさい。女の子がこんな所を1人で旅してはいけません」
 次の日、はりまや橋近くに自宅があるという牧師さんは、高知市内、桂浜、坂本龍馬ゆかりの場所、高知城と案内し、私が帰りの汽車に乗るのを確かめて1枚のはがきをくださった。家に着いたら必ずポストに入れるようにと。私は帰り次第礼状を送った。
 以来、仏教徒の私にキリスト教の聖書の一節を書いた年賀状が届く。
 もう一度高知へ行きたい。もう誰も私の後ろから走って来てくれる人はいないだろうけれど。
 大分市 鉾之原まさ子 2010/12/22 毎日新聞の気持ち欄掲載

2人の母と

2010-12-14 18:24:17 | 女の気持ち/男の気持ち
 すれ違いを修復できぬまま、母は7年前に旅立った。
 4人姉妹の長女で、婿を取れと言われた母は教師の道をあきらめ、職業軍人の父と見合い結婚した。終戦後、2人で小さな商いを始めたが、うだつは上がらなかった。夫婦のいさかいが絶えず、父を見限った母は息子の私に自分の希望のすべてを託した。自尊心が強く見栄っぱりで慎みのない母を、私はいつしか遠ざけるようになった。
 不仲の両親を長い間見てきた私は、自分の妻とうまくやることを最優先にしたが、母は必ずしもそれを望んではいなかった。父の死後、私たち夫婦との対立は悪化の一途をたどった。
 妻との結婚で、私にはもう1人の母ができた。彼女は早くに夫を亡くし、私の妻を筆頭に4人の子どもを育て上げた。飾り気のない彼女の前で、私は素直に自分を出せ、気づかぬうちに本当の息子のような気持ちになっていった。
 80歳を超えた彼女は、長男夫婦と浜松に住み、私とよくメールのやりとりをする。話題は専ら私たちの一人娘と2歳になる孫のこと。そして互いに思わしくない体調のこと、新聞に掲載された私の投稿のこと。
 人は子どもを産めば、母親になれるわけではない。まして誰もがマリアのような良き母にはなれない。母と子は互いの力に助けられて成長し合うのだ。
 最近、母の短所を自分に見つけて驚く。嫌だった母と少し近づけた気がする。
  鹿児島県霧島市 久野茂樹 2010/12/9 毎日新聞の気持ち欄掲載

同級生からの電話

2010-12-08 17:53:00 | 女の気持ち/男の気持ち
 引き出しの整理をしていたら、奥の方から1枚の振り込み用紙が出てきた。日付は平成14年11月15日、額は10万円、振込先は高校時代の同級生である。
 その電話は突然かかってきた。時刻はよく覚えている。2時半きっかり。彼女の息子が営む学習塾が経営難で3時までに振り込まないと不渡りを出すという。
 「20万たりないのよ、何とかならない」
 一介の主婦に随分と乱暴な依頼だ。しぶる私に彼女は言った。
 「息子を助けたいのよ」
 この言葉は私の母心を揺さぶった。思わず「半分なら何とか」と思わず言っていた。受話器を置いてから、3時に間に合わないことに気付いた。娘の自宅から銀行が近いことを思い出し、慌てて電話を入れた。
 「昨日給料日だったから10万ならあるわよ。お母さんが信じられる人というのなら、いいよ」
 いともあっさりと引き受けてくれた。それから娘は庭履きをつっかけて走った。5分前だったという。
 翌日、同じ時刻に同級生から「昨日はありがとう」と電話があった。彼女は続けてさらりと言った。
 「もう一度お願いできないかしら」
 背中がゾクッとした。瞬間、息子の話はウソと悟る。振り込め詐欺と同じ手口だ。こうしてその同級生とはそれっきりになった。
 娘は私を気遣って何も言わない。私と同じくらい傷ついたはずなのに。
  北九州市 野上 栄子 2010/12/6 毎日新聞の気持ち欄掲載

「隣の棟上げ」

2010-12-05 22:48:55 | 女の気持ち/男の気持ち
2010年12月 5日 (日)
岩国市  会 員   片山 清勝

 隣の空き地で棟上げが始まった。レッカー車のアームが伸び、太い棟木が揺れながらゆっくりつり上げられる。上で待つ2人のとび職がそれに手をかけ、掛け矢を使ってほぞに打ち込む。交互に打ち下ろされる掛け矢はコーン、コーンと乾いた心地よい音をたてる。終わり近くなると2人が同時に掛け矢をたたく。
「よっしゃ」の声で棟木が収まる。声のたびにたたずまいが締まるのが分かる。
 その様子を夫婦と娘さんだろうか、腰をおろしてじっと見守っている。組み終わるたびホッとする3人の表情が何ともいえない。
 ふと我が家を新築した十数年前を思い出した。 仕事帰りに誰もいない建築現場を毎日訪ねては、その日の作業を確かめ、昨日と違ったところを家で待つ妻に話す。妻もそれで安心していた。
 子どものころ、家の建築現場は散らかっている木切れを使って遊べる楽しい場所だった。カンナからヒュルルと飛び出す薄く長い削りくずを手品のように見つめた。大工の技の極みということは後になって知った。最近は加工された木材が持ち込まれる。建築現場もシートで囲まれ、中の様子が見えないのは寂しい。
 家を成すには大変な苦労が伴う。しかし、新しいものが出来上がる楽しみがあるから頑張れる。見上げながらうなずく建主に、かつての自分が重なる。
 新しい隣人が越してくるのは、いつだろうか。
  (2010.12.05 毎日新聞「男の気持ち」掲載) 




オンブバッタ

2010-12-05 22:33:47 | 女の気持ち/男の気持ち


 夏場に勢いよく伸びた菜園の雑草を抜きとり、耕運機で耕したあと白菜を丁寧に植えておいた。
 久しぶりに様子を見に出ると、大きくなり始めた葉が穴だらけになっている。あんのじょう、大小のアオムシがとりついている。「ごめんな」とつぶやきながら1匹ずつ取り除いた。
 そのとき、葉の陰からバッタがはい出してきた。見ると2匹がセットのオンブバッタだ。体長4㌢くらいのメスの上に、体長2.5㌢ほどのオスがちゃっかりと乗っかっている。白菜にとってはこれも害虫には違いないが、アオムシと同じように踏みつぶすことができない。見るからに固いきずなで結ばれたカップルに見えるからであろう。
 それにしてもオンブバッタのオスは、なんとも安易な生き方を選んだものだ。エサはメスが探してくれるし、そこへ行くにもメスにしがみ付いておけばいい。すべてメスに頼って生きている。まさにヒモのような生き方だ。
 そんなことを考えていると、近頃の私も何やらオンブバッタに似ていないとも言えないと思えてきた。退職後は稼ぎはなく、買い物から調理まで三食すべて奥さん任せ。出かける時に車に乗せてもらうこともある。ほとんどのことは任せきりで、出番といえば、めったにない力仕事と枝切りなどの高所作業くらいだ。
 オンブバッタの姿に、ちょっぴり自分の最近の暮らしぶりが重なった。
  山口県 岩国市 沖 義照
   (2010.12.03 毎日新聞「男の気持ち」掲載)写真は沖さん提供

無駄になれ!

2010-11-25 13:00:56 | 女の気持ち/男の気持ち
 3階建ての我が家は、玄関が2階にあるので階段を11段上がらなければならない。老後の人生を思いやるときに最も恐れていたのが、加齢によるひざと腰の痛みからの歩行困難で、玄関までの11段が魔の階段になることだった。
 そこで喫茶店として貸していた1階をワンルームにリフォームすることにした。かなり迷ったが、これからの20年を見据えて早めの対策を講じたのだ。73歳の夫と64歳の私たち夫婦にとって、リフォームに踏み切るのは体力的にも精神的にも今をおいてないと思ったからだった。
 喫茶店のカウンターはそのまま活用して、対面式のキッチンにした。厨房は衣類や寝具、生活用品などを置く部屋に。食器類は作り付けの食器棚に収まるだけに絞り込み、室内にはベッド以外の家具類を置かないようにした。車椅子での生活も視野にいれてのことである。
 不要なものは買わない。余分なものは増やさない。買いだめはしない。それを常に自分自身に言い聞かせて、老後の日々はシンプルをベストとして過ごしたい。
 打ち合わせ、見積もりも終えて、工事開始が待ち遠しい。
 当面は私のマイルームとして使って良いとの内諾を夫からは得ている。願わくは、ずっとその状態が続いてほしい。 
このリフォームが無駄だったということになるのが一番いいから。
  長崎市 松本和子 2010/11/25 毎日新聞の気持ち欄掲載

絶対に生きようね

2010-11-20 10:56:38 | 女の気持ち/男の気持ち
 東京から里帰りしたKちゃんが我が家を訪ねてくれました。彼女のお父さんは私のいとこで、子どものころからT兄ちゃんと呼んでいます。
 5月中旬に乳がんで右のおっぱいをなくした彼女。その体調を気遣う私に、こういってワンピースのボタンに手をかけます。
 「おばちゃんに傷を見てほしいの」
 それで乳がん先輩の私も傷を披露することに。
 「これってすごい光景やね」
 お互いの胸を開いて見せ合う姿を笑いあったものの、筑豊女の潔さを持った彼女に同士的なつながりを感じ、じんわりと涙が出ました。
 彼女は退院すると中学生と小学生の娘さんに胸の傷を見せたそうです。
 「2人は『ゲゲゲの鬼太郎』のぬりかべおばけみたいと言ったの」と笑って話してくれました。乳房温存手術をされたお姑さんは「さっぱりしているね」とおっしゃったとか。
 子どもさんとお姑さんの言葉に家族のやさしさと温かさを感じ、長い乳がん治療とつき合っていかねばならない彼女のこれからに、安堵を覚えました。
 まだ40代半ばの彼女はきっぱりとこう言って帰って行きました。
 「子供のために、あと30年は生きたい」
 彼女の意志の強さをもってすれば、神仏は必ず味方してくださると信じて疑いません。
  福岡県飯塚市 村瀬朱実 2010/11/18 毎日新聞の気持ち欄掲載