はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

「輝く米」

2013-10-31 21:52:05 | 岩国エッセイサロンより
2013年10月31日 (木)

岩国市 会 員   稲本 康代

いとこから秋の贈り物が届いた。添え書きに「この新米は、今年の暑さに負けないで、雨や風に揺れながら、カエルの合唱を子守歌にして庄原でとれたんよ。召し上がれ」と。早速、夕飯に炊きあげると素晴らしい!
 米粒一つ一つが、つやつやピカピカと輝いている。ついつい食べ過ぎてしまった。 
 昔から、米を作るには八十八もの手間がかかる、といわれている。機械化が進んでいる今でも、30以上の手がかかるそうだ。毎日、何気なく食べているご飯。我が家に来るまでの苦労と汗を思い、一粒一粒がありかたく、いとしく感じられた。

(2013.10.31 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロン
より転載

あゆみ

2013-10-31 07:46:12 | はがき随筆
 随友のDさんから、「はがき随筆と共に33年──『あゆみ』」と題された随筆集が届いた。Dさんの載った随筆を友人がパソコンで冊子にしてくれたとのこと。「それでは本に」ということになったらしい。いい話だ。
 Dさんの随筆はうまい題名、優れた描写力と表現力。ユーモアと品性のある前向きの文で多くの賞を取られている。
 Dさんとの出会いは第一回はがき随筆大賞の表彰式。当時の毎日ペンクラブ山口の女性会長で、鹿児島との交流の生みの親だ。それから11年。──。彼女との縁を作ったくれた毎日新聞社と「あゆみ」にありがとう!
  出水市 清田文雄 2013/10/30 毎日新聞鹿児島版掲載

三角おにぎり

2013-10-31 07:40:38 | はがき随筆
 孫の運動会に私はお弁当のおにぎりを作った。遠い昔、子供たちが小学生の頃、亡き母はお土産持参で前日から来ていた。
 当日作る母の三角おにぎりは実に見事だった。
 両手のなかで転がすように作っていて、まるで型から抜き出されたように竹籠の中に並べられた。
 それに比べ、私のものはいびつで、母はかやぶき屋根みたいだと笑った。
 半世紀近い歳月を経ても、あの日の事が思い出される。
 母は私の三角おにぎりを見て、何というだろうかと、一人含み笑いをする。
  鹿児島市 竹之内美知子 2013/10/29 毎日新聞鹿児島版掲載

座右の銘

2013-10-31 07:33:57 | はがき随筆
 私の祖父は格言の好きな人だった。戦時中、外地で官吏をしていて部下も多いようだった。
 職場の部屋や自宅の書斎に格言を掛け、良い言葉を思いついたりすると紙に書いて壁に貼り、部下や家族に説明するのが祖父の楽しみのようだった。
 終戦後、その祖父が亡くなって文箱を片付けていると、1枚の画仙紙に墨で黒々と「座右の銘はわが身の戒めとするものであって、ひとに見せびらかすものにあらず」と書いてあった。
 私はそこに、祖父の焦りを見た。そのせいか、私の部屋には今でも格言らしきものはどこにも見当たらない。
  鹿児島市 高野幸祐 2013/10/28 毎日新聞鹿児島版掲載

大地の子

2013-10-31 07:10:50 | はがき随筆


 「白い巨塔」や「沈まぬ太陽」など数々の作品を残し、作家の山崎豊子さんが逝った。88歳。中でも「大地の子」「不毛地帯」が印象深い。以前この欄で書いたが、私の父は1942(昭和17)年に旧制中学を卒業し、旧満州(現中国東北部)で働いていた。45年5月に現地で招集され、シベリアで4年間、抑留生活を送った。侵攻してきた旧ソ連軍に旧日本軍はなすすべもなかった。父は重機関銃の射手だったが弾丸の1発もなく、特に若い女性や幼い子供のいる家族は悲惨だったことを何度も聞いていた。まさに「大地の子」「不毛地帯」はそのまま父の半生と重なっていた。
 戦火に巻き込まれる恐れや飢えもあって多くの日本人の親が「我が子だけは生き延びてほしい」と中国人に託し、中国人も我が子同様に育てた。父が現地で早く結婚し、子供がいたら、父も当事者になっていただろう。父も生きていれば88歳。山崎さんと同世代だ。
 父の本棚にも山崎作品が多くあった。時代劇と時代考証が好きだった父は時代劇に関わらず、よくドラマや映画に「これは違うぞ」と文句を入れていた。旧満州が登場すると、なおさらだった。が、ドラマの「大地の子」にはじっと見入っていた。その現場にいた父が山崎作品にうなずいたのだから、取材力は確かだったに違いない。
 27日から読書週間が始まった。読書の魅力は自分の知らない世界や時代へ行け、人の苦しみや心の痛み、悲しみを知ることができることだ。山崎作品に描かれる旧満州から引き揚げて来た人たち、残留孤児の皆さんの苦労は計り知れない。
 本は、まさに私の人生勉強の師匠。己の未熟さを思い知らされ、たいした苦労でもないのに「悲劇のヒーロー」を気どる私の器の小ささに恥ずかしくなることがある。山崎作品を読み返してみようと思う。
  鹿児島支局長 三嶋祐一郎

綴られた思い

2013-10-31 07:05:03 | はがき随筆
 約1カ月前に掲載されたはがき随筆を思い浮かべる。母親の介護をする息子さんの正直な心情をつづった文が心に残っている。文章の最後に「できるなら母を置いてどこか遠くへ行きたい。がんたれ息子である」と綴ってあった。
 私も義母のことを思い、介護する人の言いようのない心の葛藤を想像する。随筆に綴られた、介護の奥深さや心の葛藤を経験した人にしかわからない複雑な気持ち。随筆を書くことで少しでも心は癒されたかしら。励まされたかしら。お母さんも息子さんも平穏な心に向かいますようにと願い再び読み返した。
  垂水市 宮下康 2013/10/27 毎日新聞鹿児島版掲載

知らぬが仏

2013-10-31 06:59:39 | はがき随筆
 高齢者の3人に1人が、がんにかかるといわれる現代。最近考えさせられる事があった。息子は「がんの告知は当然でしょう」と言うも、そうとばかりは言えない。病人の性格などを考え本人には告知しないことも。
 私が中学生の時、母が若くしてがんを患い、不治の病と聞いた時のあの衝撃を思い出した。
 あれから60年。
 今、私が、がんになったらと考えてみる。珍しい病気でもなく、納得して闘病に臨むでしょう。しかし、更に年老いて弱ってからのそれは、告知されない方がいい。「知らぬが仏」で逝ける幸せもある。
  霧島市 口町円子 2013/10/26 毎日新聞鹿児島版掲載

「今日は栗ご飯」

2013-10-29 21:48:54 | 岩国エッセイサロンより
2013年10月29日 (火)

岩国市  会 員   安西 詩代

「30キロ超の大物がかかったよ」。毎日田畑を荒らし、夜な夜な栗を食べに来ているイノシシ。平地にわなをかけても手前で引き返してしまうそうだ。「じゃあどこに」「イノシシの通り道の急斜面にかけるんよ。アッと気が付いても自分の体重で止まれず、わなに突進してしまうからね」
 人間とイノシシの知恵比べを聞きながら、亥年の私も「坂道で引き返せないことがある。危ない! 危ない!」。それから数日たっても、他のイノシシも出てこない。「気をつけろ」の回覧板が回ったのか? 「イノシシが来んので栗を持って帰りんさい」

  (2013.10.29 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載

はがき随筆9月度

2013-10-26 15:23:29 | 受賞作品
 はがき随筆9月度の入賞者は次の皆さんです。
 【月間賞】11日「父が見た星空」種子田真理(61)=鹿児島市
 【佳作】15日「ペットの盆供養」一木法明(78)=志布志市
     21日「初秋」橋口礼子(79)=出水市


父が見た星空 延命治療などをせずに自宅で息をひきとった父親の、臨終の時の様子です。父親の最期に天井に星を見ていたという。幻視だといってしまえばそれまでですが、本当に見えていたと信じるのが家族の愛情でしょう。自分の好きなものを見ながら死んでいく幸福が、暖かく描かれています。
 ペットの盆供養 僧職の筆者に、ペット霊園から、盆供養の読経と法話の依頼があった内容です。行ってみると、室外に溢れるほどの参列者で、飼い犬にも飼い主に対する深い思いがあるのではないかと話した。釈迦入滅の時、動物も嘆き悲しんだという涅槃図は私たちに馴染みのものですが、犬から人へという法話の内容に興味深いものを感じました。
 初秋 昨今の初秋のたたずますい誰もが心地よく感じるものですが、それが実に美しくまた優しく描かれています。朝焼け、涼風、彼岸花、葛の花、その中での早朝散歩、残りの人生を自然の美しさに溶け込ませていきたいというのも、ある意味では日本人らしい悟りかもしれません。静かな文章です。
 次に心に残ったものを3編紹介します。
 森園愛吉さんの「今自慢のもの」は、緑のカーテンを試みたが、何度も失敗した。それが、今年はヘチマで成功した。自慢するほどのものではないのかもしれないが、やはり自慢したくなり、それが嬉しい。読んで嬉しくなる文章です。秋峯いくよさんの「追悼歌文集」は、夫君とご母堂のために追悼文集を出し、周囲の人に喜んでもらっている。題は自分の短歌からとり、「夫を待つ庭」とした。こういう家族のいたわりあいは素晴らしいと感じました。的場豊子さんの「日割り何十銭」は、結婚して46年、結納金が破格だったことを、ご主人が高い買い物だったとふざけたのに対して、病気一つせず、4人の子供を育て、両親をみとったのだから、日割り何十銭の安い買い物だとやり返したという内容です。ご夫婦の中の良さをほうふつとする文章です。
(鹿児島大学名誉教授 石田忠彦)

百舌鳥日和

2013-10-26 15:11:31 | はがき随筆
 「お若いのね。今朝も半袖!」。
 顔なじみのおばあさんから声をかけられた。外に出た時、ブルッと震え、歩くと手首が冷たくなる朝だ。散歩して山あいから太陽が昇る瞬間を私は待っている。
 その時、「キ、キキッ」と百舌鳥の高鳴き。乾っとした冷気の中での雄叫びは空気をつんざく。見上げれは、空は高く、電柱の上でしっぽを左右に振り、猛きん類の目で威嚇しているかのようだ。聞きほれていると「百舌鳥日和ですね」とあいさつされたご老人。日差しも柔らかくなり、小さな秋をいくつか拾い、至福を感じた朝であった。
  姶良市 山下恰 2013/10/25 毎日新聞鹿児島版掲載

私は勝つ

2013-10-26 15:04:40 | はがき随筆
 家庭菜園を始めて2年半。1年目は植え付けしたものは「前世は農民だったかも」と思うほど全てうまくできた。
 友達と食事に行った時、畑自慢をして得意になっていたら、横のテーブルの方が帰り際に「1年目はだいでん、ゆ、でくっと」とさりげなく捨てぜりふ。 
 少しの慣れから、虫取りやカラス、干ばつなどで愛情不足があった。今は以前の荒れ地だった頃のスギナなどはどうにかめどはついたが、クコ茶は取っても取っても出てくる。種を残すための必死の抵抗に思える。いじらしくもあり、憎くもあり、私との戦いである。
  阿久根市 的場豊子 2013/10/24 毎日新聞鹿児島版掲載

自慢話

2013-10-26 14:47:05 | はがき随筆


 テレビのクイズ番組で富士山が撮り上げられていた。懐かしく思い、古いアルバムを開いた。富士山頂の観測所の前で笑っている20歳の私がいる。パッチワーク中の妻に話しかける。
 20歳の記念に友と登ったこと。眼下に広がる雲海が真綿色の道に見えたこと。そして近隣に富士山に登った人は少ない──と自慢話をする。妻は「うん、うん」と聞いている。
 あれから47年。富士山は日本一の山から世界遺産となった。青春の富士山を抱き、ひときわ輝く家族遺産へと自身の項を目指している私に、妻は「その話しは何回も聞きましたよ」と。
  出水市 宮路量温 2013/10/23 毎日新聞鹿児島版掲載

白いバラ

2013-10-26 14:31:08 | アカショウビンのつぶやき


 玄関の横に白いバラが咲いている。初夏の頃の一番花と違って、どこか夢のように白く優しい。元気だった母が丹精込めて育てていたバラだが、父母が亡くなり、廃屋同然となった実家の庭から移植したものだ。
 もう8年になるだろうか。移植した時は弱りきっていた。人に聞いて、缶ビールや日本酒を薄めてやったりしたものだ。今では樹勢もよく緑も鮮やかになり二番花も開くようになった。
 バラの前でいつか足を止めている自分に気付く。バラに心引かれるのだ。じっとバラを見つめる。安らかに行った母の寝顔を思い浮かべる。
  出水市 中島征士 2013/10/22 毎日新聞鹿児島版掲載

またまた台風

2013-10-24 20:32:16 | アカショウビンのつぶやき

台風27号は、相変わらず停滞気味…。
大きな影響はなさそうですが、
独居老人の我が家は、台風対策をすませました。
対策といっても、助っ人のTさんが、
雨戸を閉めたり庭の見周りに来て下さるのです。
「大丈夫だと思うよ」とのTさんに、「二階だけ閉めて」とお願いし
我が家の台風対策完了です。

一方で明日は、
鹿児島市でお母さんコーラスフェスタ。
一年間の成果を発表します。

でも鹿屋は陸の孤島。
フェリーが欠航したら、出場できないのです……。

台風は無視して、最後の練習はきっちりやりました。
練習の後は、練習場として使わせて頂いている
鹿屋キリスト教会の会堂をみんなでお掃除しました。


 お掃除はアッと言う間に終わりました。



明日はガンバルゾーの笑顔です。



「左手のありがたさ」

2013-10-22 11:00:06 | 岩国エッセイサロンより
2013年10月22日 (火)

   岩国市  会 員   林 治子

 力夕力夕とにぎやかな食器の音。「どうしたん」と犬小屋へ。食事の真っ最中。うまく舌を使うね、と見とれていた。ふと2年前に左手首が折れた時のことを思い出した。手術はしないで済んだものの、ギプスで固定してもらった途端、異変に気が付いた。元気のはずの右手まで動きが鈍い。きっと頭の中で、手に行く指令が混線してしまったのだろう。自分の手であって人の手のよう。食べるということがこんなに大変なことだと思い知らされた。
 「それにしてもお前はうまく食べるな~」と頭をなでると、追加をしっかり催促された。

 (2013.10.22 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載