はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

ランドセル

2010-05-31 19:22:54 | はがき随筆
 小1の入学式、新1年生なのに、親戚が使い古したランドセルだった。戦後で食べるのがようやくの時世。使い古したランドセルを背負うと、同級生が「古いランドセルだね」と言った。父が親戚から頂いたものだった。古いランドセルだねとの軽蔑には動じなかった。皆は新しいランドセルだった。隣の○さんも新しいランドセルだった。○さんとは仲良しだが古いとは言わなかった。ランドセルが古かろうと学校は楽しかった。物品などで心は左右されまい。学問が充実すれば良い。人生の道は一生が学問の魂の塊だ。いにしへのランドセル物語……。
  姶良市 堀美代子(65) 2010/5/31 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はつるビカードさん

公園のハモニカ

2010-05-30 22:13:04 | はがき随筆
  夕暮れを少し長く感じ出す季節のころ。近くの公園からセンダンの香りとともに、ハモニ力の音色が我が家に届きだした。
 一日の疲れを流す風呂場にも聞こえてくる。「月の沙漠」など哀愁を帯びた懐かしいメロディが流れる。風呂の壁にジンタのように響く。シワやシミの増えた体を洗い、湯船に浸かって耳を澄ませていた。心に少年時代の温かさがしみてきた。
 ゴーールデンウイークの喧騒が過ぎた時。少し猫背気味にして、ハモニカを吹きながら公園の中を歩いていた初老の男の姿が消えた。春のトワイライトタイムの夢うつつのように。
  鹿児島市 高橋誠(59) 2010/5/30 毎日新聞鹿児島版掲載

6月5日

2010-05-29 22:38:54 | はがき随筆
 65年目の6月5日が巡ってきた。決して忘れる事の出来ないこの日の早朝は、神戸の街が2度目の大空襲で、壊滅的な被害を蒙った日なのである。空襲警報のサイレンが鳴り終わったかと思う間もなく、上空から無数の焼夷弾が雨霰の如く落下した。国道の舗装路には、あたかも杭を打ったかの如く、辺り一面に突き刺さり、家屋に命中した数力所からは、火災が発生し煙が立ちこめてきた。身に危険を感じたので、すぐさま防空壕へと走った。時間そこそこの間に、町内の家屋は全焼し、その日以来親しんできた人々とも散り散りばらばらとなってしまった。
  霧島市 有尾茂美(81) 2010/5/29 毎日新聞鹿児島版掲載

牡丹と焼酎

2010-05-29 17:55:05 | はがき随筆
 「オーイ! 咲いたぞ!」の夫の声に、急いでかけつけた。赤と白の2株の牡丹がやっと咲いたのだ。絹のようなしなやかな花びらを重ねきらきらしている。思わずにっこり。やさしい香りとともに底の主役になった。
 たくさんの牡丹を見たくて出水まで行ったが一足遅かった。記念にと蕾が二つある鉢を抱えて歩き始めた。「高いぞ」の声。「父さんの焼酎代と思えば…」と私。我が家に嫁いだ牡丹はピンクの豪華な花を見せてくれた。調子に乗り近くのお店からお婿さんを連れて来たと黄色の牡丹を横に置いた。気付いた夫は「焼酎代は大丈夫かよ!」と。
  薩摩川内市 田中由利子(68) 2010/5/29 毎日新聞鹿児島版掲載

不思議な花

2010-05-28 23:34:36 | はがき随筆
 烈しい雨音で早朝庭に出る。夫が植えた30余年の樹木を取り除いた山土の凸凹から土と水が流出し側溝が溢れアプローチまで水中歩行の状態に呆然とする。
 何とかしなくては1人住まいの心身障害者の自分には無理だと思いながらも必死で作業を終えた時は全身ずぶ濡れのまま目をこらすと雑草の下に小さな小さなビオラ(黄・紫)とピンクの桜草が? なぜ? 一度も植えた事がないのに? 不思議な花。
 体に不安を持ち落ち込む心に明るさと温かさを与えてくれた小さな花を心の中で育てたい。
薩摩川内市 上野昭子(81)2010/5/28 特集版-6

テッポウユリ

2010-05-28 23:29:58 | はがき随筆
 2度目の腰の手術を受けることになり、貯血のため鹿大病院へ行って来た。帰りの高速船、まだ湾内を走行中に突然「流木を確認したため一旦停止します」のアナウンス。「え-っ、まだ流木が漂流しているんだ」。カミさんは世間を賑わせたニュースの現場に遭遇して興奮気味。しばらくしてから船首を右に振り再び走り出した。無事我が家に帰着、門を入ったらテッポウユリが咲き始めていた。翌日写真に収めた。玄関の正面でアマリリスと競演している。生前、母がニコニコしながら「きれい」を連発していた姿を思い出す。亡くなって来月で4年になる。
 西之表市 武田静瞭(73)2010/5/28毎日新聞鹿児島版掲載 特集版-5
写真は武田さん提供

知ったかぶり

2010-05-28 23:25:03 | はがき随筆
 「嵐って知ってる?」。突然小3の孫に聞かれる。「知ってるよ。韓国の人が歌うグループでしょう」とばあばは知ったかぶり。「違うよ、あれは東方神起だよ」と嵐のファンは笑う。
 そして、またしても質問。「ダルビッシュって知ってる?」「日本ハムのピッチャーでしょう、格好いいよね」。ばあばは少し自信ありげだ。「じいじもね、ピッチャーをやっていたころは格好よかったよ」 「へえぇ-」。
 よろよろ歩く姿から想像もできないといった孫の表情。「じゃあさ、ラミレスって知ってる?」「あ-、よく食べに行く所だね」。
  鹿児島市 竹之内美知子(76)2010/5/28 毎日新聞鹿児島版掲載 特集版-4

不届きな口

2010-05-28 23:22:19 | はがき随筆
 昨年7月、友人の妻から「不届き者!」と一喝された。ある陶芸家の壷を一緒に見て、彼女に「これよりいい作品を造ってみせる」と私が大言を吐いたからだ。私の□は夢を語ったのだが、陶芸や美術に真剣な彼女にはすまなかった。
 今年の3月、鹿児島市立美術館に行った。同市所有のモネの『睡蓮』を見て、また悪い癖がでた。受付に購入価格を聞いた後、「2億5千万だったのなら3億で譲ってもらえませんか」と相談したが、無視された。
 私は大言を吐き、人を不快にさせる。不届きな□は夢をすぐ話してしまう。申し訳ない。
  出水市 小村忍(67)2010/5/28 毎日新聞鹿児島版掲載 特集版-3


手伝い

2010-05-28 23:19:34 | はがき随筆
 種子島の小学校で5年の時、校舎新築があり、遠くの瓦工場から屋根瓦を何度も運んだ。6年生になったら新校舎に入らせるとの約束は、ほごにされた。中1の時、移住した屋久島の中学校で、再び新築工事があり、建設地造成のために数本の松の大木を切るにあたり、生徒たちが綱で引いた。竹製のモッコで土運びもした。今度は新しい校舎に入ることができた。
 定時制から全日制に変わって2年目の、島の高校に入るとすぐに、商業科の校舎新築が始まり、基礎造りを手伝わされた。
 よくよく校舎造りの作業に縁があったと、今は懐かしく思う。
  薩摩川内市 森孝子(68)2010/5/28 毎日新聞鹿児島版掲載 特集版-2

スロージョグ

2010-05-28 23:16:24 | はがき随筆
 テレビでスロージョギングを知り実践している。スロージョグとは、歩くでもなく、走るでもなく、その中間と言ったところか。取り組んでみるとこれが難しい。競争社会を生き抜いてきた私。ジョギングと聞くと少しでも速くという気持ちが働く。これだと大腿のなんとか筋が使われ、結果乳酸が蓄積され、疲労が早い。「時速4~5㌔の歩くような速度で」が必須なのだ。うまくいけば、血圧及び血糖値降下・脳の活性化・肥満防止と、いいこと尽くめとか。大通りではちょっと気恥ずかしいので、専ら裏道を選んで励んでいる私たち夫婦である。
  霧島市 久野茂樹(60) 2010/5/28毎日新聞鹿児島版掲載 特集版-1

ケンちゃん阿蘇の旅

2010-05-28 22:54:55 | はがき随筆
 息子の携帯に電話したが届かない範囲。「どうしてるかな」とそえておいたら、のちに「ケンちゃん元気だよ。今、阿蘇に来ている」との電話。「そう! 阿蘇に。夜は冷えるからよく気をつけてね」と。8ヵ月の君を守れと伝える。
 阿蘇か! そういえば毎週土曜の夜、帰省して、翌日曜の夕方、阿蘇越えで大分へ行っていた息子のこと、懐かしかろう。もう草萌ゆる候かしら。私も中3の修学旅行で、近年は娘家族と一緒に行って草千里に砂千里や中岳火口を覗くこともできた。ケンちゃん、なにを見たのだろう。
  鹿児島市 東郷久子(75)2010/5/27 毎日新聞鹿児島版掲載

大阪の友へ

2010-05-28 22:49:27 | 女の気持ち/男の気持ち
  初夏を思わせる昼下がり、母はベッドでスヤスヤと昼寝を楽しんでいる。話す人のいない私はラジオの音楽番組を聴きながらお皿を洗っていた。
 流れる水を見ながら、私は45年来の友人である中学1年生の時の同級生のことばかり考えていた。
  5月の初め、2年ぶりに彼女は大阪から帰ってきてくれた。少しやせたなと思い、さりげなく体調を聞いてみた。ゆっくりと説明しながら病名を教えてくれた。私はショックを受けたが、手料理をデザートのビワまで何一つ残さずきれいに食べてくれたことに、ささやかな希望の光を見いだす思いだった。
 今から12年前、重い脳梗塞のリハビリのため、母は一時期、神戸の姉のもとに引き取られた。病院に入院し、80歳近い体で耐えていた時、大阪のはずれから4度も5度もバスと電車を乗り継いで母の見舞いに来てくれたのが彼女だった。その時の感動を母は今でも郷謝しながら私に話す。私が人生で初めて母と離ればなれになった試練の時だった。
 彼女は母を決して「おばさん」と呼ばない。「お母さん」と言ってくれる。
 「どんなごちそうを食べるときより、電話で○○ちゃんと話すと楽しい」と母は言う。
 何もしてあげられない無力な私だけれど、手紙を書いたり、電話をしたり、ふる里便を送ってあげたりしよう。友情に感謝しながら。
  鹿児島県指宿市 関 弘子・55歳 2010/5/28 毎日新聞の気持ち欄掲載

ペットレス

2010-05-26 23:23:28 | はがき随筆
 トントントン! 階段を駆け上がってくる足音に″ハナ!″と叫んで跳び起きた。返ってくるのはー静寂。夢か…。
 約1年前、愛犬ハナの突然の死にショックを受け、それを今も引きずっている私ー。
 愛犬の毛は黒色だったので同じ色に弱い。裏庭のペット塚で動く黒ネコにドキッとし、サツキの花のみつを吸う黒アゲハチョウや、塚の上を旋回するツバメに胸が騒ぐ。こんな未練がましい主に、天国のハナは喜んでいるのやら、あきれているのやら、夢の中で教えて…。
 6月22目は愛犬の一周忌。彼女への思いは消えない。
  出水市 清田文雄(70)  

的は敵

2010-05-25 20:29:38 | ペン&ぺん
 「解党的出直しをしなければなりません」
 そう土井たか子が言った。それが私の失敗の始まりだった。
 1995年から96年にかけての自社さ政権。社会党(96年1月に社民党に党名変更)は解党し、新しい党をつくることを模索していた。新党運動の中心に久保亘がいた。党書記長で、鹿児島選出の参院議員。そして私は鹿児島支局記者だった。
 土井の講演は鹿児島で行われ、私が取材した。講演の前半は、党の置かれていた厳しい現状、つまり与党内で埋没しかねないこと、時代の変化、民意の移り変わりに党のあり方が十分に追いついていないことを説明していた。そうした話は地元の久保も何度も演説し、講演し、党の県組織の大会などで語っていた。要するに、この党は今のままではいけない、と。
 久保は「だから解党し、新たな民主リベラル勢力を結集し直すべきだ」と訴えていた。
     ◇
 講演を聴き終わり、短いメモを書き、東京・官邸クラブにFAXした。そのメモには冒頭の「解党的出直し」という言葉は抜け落ちていた。余りにも当然のことに思えたからだ。
 翌朝、他紙を見て、がく然とした。「土井氏、新党を否定」という大きな見出し。要するに新党運動を進める久保の地元に土井が乗り込み、講演で新党を否定したという記事だった。
 「解党的出直し」は、いわば当てこすり。解党はしない。新党もなし。この党は出直すんです。そういう意味だった。政治家の言い回し、含意に対する敏感さに欠けていた。
 あれ以来である。的という言葉は私の敵になった。
     ◇
 連立政権内で、普天間移設問題は、どう決着するのか。「5月末期限」が宙に浮く。与党・社民党のあり方が再び問われている。(文中敬称略)
 鹿児島支局長・馬原浩 2010/5/24 毎日新聞掲載