小学生の曾孫2人が阿蘇の稲刈りに行っている様子がスマホで送ってきた。楽しそうな顔を見て、ふと戦後の食糧難時代が甦る。当時、米はなく、雑穀や芋類の日々、近所の方が「陸稲を作ったら」と隣村に近い農地100坪程を貸して下さった。母と2人で鍬で耕し、種籾をまいた。肥料が大変、今のような金肥はなく人糞だけ。前後の肥桶を天秤棒で担ぎ、1日2往復を数回。そして草取り、やっと秋には穂波が。昔の足踏み脱穀機を借り、収穫できた。僅かな米だったが、どれだけ助かったことか。1年で終わったが、今では到底考えられない思い出。
熊本市中央区 原田初枝(92) 2022.10.17 毎日新聞鹿児島版掲載
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