はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

ラジオの反響

2010-07-29 21:29:32 | アカショウビンのつぶやき
 平成6年から始めた、コミュニティFMの番組作りボランティア、8月でとうとう5年目を迎える。
開局したばかり、ナイナイづくしの小さなFMラジオ局を地元で支えなければと、請われるままに引き受けた10分番組「心のメモ帖」。

「素人っぽいところがいいのよ」
なんておだてられて続けてきたけれど、5年目ともなればそれも許されない。

止めよかなあ…
誰か引き継いでやってくれる人はいないかなあ…
と少々悩みはじめた昨今だった。

そこに思いもかけぬ出来事が…

4月に放送した番組を、電波が届きにくい鹿児島市で、たまたま聴かれたリスナーさんが放送内容に感動され、夢のような展開となってしまったのである。

その番組に登場したのは市成小学校のT君。
霧島国際音楽祭でチェロの演奏を聴いたときの感動をまとめた作文で、鹿屋市立図書館のエッセイコンテストで特選になった作品。

たまたまラジオを聴かれたリスナーさんは、霧島国際音楽祭の舞台、みやまコンセールのOさんだった。
作文の内容に感動されたOさんから音楽祭に参加されるアーチストの方々にも聴いてもらいたいので、音源を頂きたいというメールが届き、次々と話が展開していった。

そしてついに、作文の中に登場した「チェロのおじさん」、つまり霧島国際音楽祭・音楽監督で日本のチェロ奏者の第一人者、堤 剛氏とTくんのご対面が実現することとなったのである。

8月6日鹿児島市で開催される「能舞台で聴く(四季)とチェロの響き」コンサートの招待状を受け取った、Tくんのお母様から「夢のようです」と、弾んだ声の電話を頂いた。

Tくんのお父様はコントラバス、お母様はヴィオラ、3人のお子さんはピアノ、という音楽一家に育ったT君。チェロ奏者になりたいと言う夢がますます大きく膨らんだようだ。

こんなこともあるのか! 
と、ラジオが繋いだ不思議なご縁に驚き、もう少しがんばれるかなと力も湧いてきました。

そして、みやまコンセールのOさんのご尽力に心から感謝でした。

「食べない決意」

2010-07-29 21:25:54 | 岩国エッセイサロンより
2010年7月27日 (火)

岩国市  会 員   山本 一

私は医師から食事制限をされているが、なかなか実行できない。問題は私と妻の双方にある。妻は私がたくさん食べるのを喜ぶ性癖があり、元々作る量も多い。結婚する前から妻の差し入れをがつがつ食べた。

 今も「あの食べっぷりで結婚したわ」と言うほどだ。あれから41年。家族は夫婦だけになった。胃を切った妻は極端に小食である。にもかかわらず、妻は2人には多すぎる量を作り、私はあうんの呼吸で残さずに食べる。

 どげんかせんと。毎日の晩酌は絶対に減らしたくない。妻には悪いが食べるの減らそう。
   (2010.07.27 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載


思いは同じ

2010-07-29 21:20:21 | はがき随筆
 母は82歳で亡くなった。闘病半年の間、痛くてつらい治療も我慢して受け、常に感謝の言葉を発していた。自分も入院したら見習いたいが、母とは性格が違うので、いやな治療はしない、痛い時ははっきり痛いと言える患者になりたい。しかし、わがままととられるし、主体は病院側だから、難しいだろうな。
 今は、まあまあ健康だけど、一寸先は闇。自分を戒めて行こう。
 とどつまり、巡り巡ってしつもの文言にたどり着く。“人生はGNP、元気で長生きぴんころり”。友達に話すと笑われた。「思いはみな同じ」と。
  いちき串木野市 奥吉志代子(62) 2010/7/28 毎日新聞鹿児島版掲載

お世辞なの?

2010-07-29 21:09:39 | はがき随筆
 太陽がじりじりと照りつけ、桜島降灰でうっとうしいある日、うつろな目にスピードカット10分の看板。「10分1000円」と独り言をつぶやき、吸い込まれるように理髪店に入る。
 鏡の前にはハサミとバリカンだけで「あっ」と終えた。
 あまりの早さに不安を感じたが、モヤモヤは消え、やけに頭が軽い。安くて早い理髪も捨てたものではないぞと感心した。
 店を出る時店主は「夏場の黒髪は暑苦しく重たい感じがするが、お客様の頭は白髪が目立ち涼しい」と思いがけない言葉。
 暑い夏が過ぎ、冬には、店主からどんな言葉が……。
  鹿児島市 鵜家育男(65) 2010/7/28 毎日新聞鹿児島版掲載

言い訳しない

2010-07-28 20:53:12 | ペン&ぺん
負けた時に言い訳なぞしない。大切なことだ。
  ◇
2002年10月20日。京都の最高気温は22.2度。湿度85%で雨が降っていた。雨は競馬場にも降り注ぐ。
 メーンレースは第63回菊花賞。1番人気は、その年の皐月(さつき)賞馬ノーリーズン。天才ジョッキー武豊が騎乗する。
 ゲートが開いた直後、ノーリーズンはバランスを失う。鞍上(あんじょう)の武は、前のめりの姿勢になり、落馬した。わずか2秒ほどの出来事だった。
レース後、武はノーリーズン(理由不要)の馬名そのままに「自分で(落ちた)。理由はない」と語った。毎日新聞大阪本社版の運動面は「開始2秒、理由なき落馬」の見出しで報じている。
   ◇
 2010年7月19日、鹿児島市の最高気温は32.6度。湿度63%で快晴。ピッチに降り注ぐ太陽光が肌を突き刺す。
 天皇杯サッカー県予選準決勝。今季誕生したばかりのFCカゴシマは、連覇を狙う鹿屋体大に挑んだ。
 前半13分、先制ゴールを許したFCカゴシマは後半に入っても同点ゴールを奪えない。何度か訪れた好機は相手の好守に阻まれた。
 ロスタイムをのぞき残り5分。鹿屋体大のゴール前にボールが落ちる。前に出てGKが、ゆっくり処理しようとした。試合終了のホイッスルを待つ時間帯。一瞬のことだ。FCカゴシマのDF田上裕(たのうえゆたか)がボールをさらい、同点ゴールを決めた。
 試合は延長戦に入り、延長前半6分、FCカゴシマは決勝ゴールを奪われる。残り時間は前がかりに成らざるを得ず、延長戦後半も2失点し、1-4で敗戦した。点差以上の善戦だった。
   ◇
人生に勝ち負けは付き物。天才騎手ですら落馬する。ましてや、発足間もないクラブチームに、言い訳は必要ない。ただ、前進あるのみ。
                              (文中敬称略)
鹿児島支局長 馬原浩  2010/7/27 毎日新聞掲載

変わる図書館

2010-07-27 22:04:38 | 女の気持ち/男の気持ち
 熊本市立図書館に本を返しに行った。カウンターで丁寧な応対を受ける。私も心からお礼を言う。
 おや、見慣れないものが。本の自動貸出機らしい。若い人が操作しているのを遠くからながめる。私もやってみよう。熊本出身の俳人、正木ゆう子の本を指定の所に載せ、図書利用カードを読み取り機にかざす。次々と機械から指示がでる。まごまごしながらようやく借りることができた。
 図書館の出入り口にセンサーがあり、貸し出し手続きをしていない本が持ち出される時はブザーがなるらしい。そんな音はまだ聞いたことがない。もちろん試したくもない。自動貸出機による本も無事通過した。
 数年前、インターネットでほんの予約ができるようになった時は嬉しかった。新聞の書評などで読みたい本を見つけるとすぐパソコンを立ち上げ予約する。どんなに待っても一向に気にならない。本によっては3ヶ月待ちのこともある。年を取り少しでも身辺整理をと思い、手持ちの本をほとんど処分した。それからは図書館に頼りきりで待つこともまた楽しい。
 このごろ電子書籍が話題になっている。若いころ読んだ「蟹工船」を今度は電子書籍で読んだ。それでも私は紙の本を借りて読みたい。世の中が変わり人も変わり図書館も変わる。これから図書館はどんな変化をしていくのだろうか。
 熊本市 生江八重子(64)毎日新聞 の気持ち欄掲載

雲こそわが墓標

2010-07-27 21:56:19 | はがき随筆
 自宅にほど近い出水特攻基地跡に悲しい碑が立つ。
 高さが2㍍弱の石に「雲こそわが墓標。落暉よ碑名をかざれ」と刻まれている。阿川弘之が小説『雲の墓標』の中で、特攻兵の遺書の一部を書いた石碑である。死に向かう若者の切々とした思いは涙を誘う。
 大戦末期、出水基地から出撃し再び還らなかった260名以上という、痛ましい青年兵。
 「沖縄沖の深海に沈むからには墓はいらない。雲こそが私の墓だ」とも読みかえることができる石碑の前文。
 碑文に表された特攻兵の深い悲しみは、今なお心を打つ。
  出水市 小村忍(67)2010/7/27 毎日新聞鹿児島版掲載

夜明けの渚

2010-07-27 21:50:40 | はがき随筆
 白砂青松の海辺は埋め立てられて岸壁となり、渚は4㌔離れた海水浴場しかない。夜明けを待って車を走らせる。
 朝焼けの空が美しく、渚に行って波の音を聞きながら潮風を浴びているのは、何とも言えない良い気持ちである。
 海辺に育ったせいで、老いてもなお海が恋しい。明るくなってくる海は藍深き色を見せ、水平線がくっきりと空を分け、その上に白い入道雲がそびえる。何とも言えない光景である。
 深呼吸をして波打ち際を歩きながら、さわやかな気分になる。そして、私の一日が始まる。
  志布志市 小村豊一郎(84)毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆6月度入選

2010-07-26 16:43:52 | 受賞作品
 はがき随筆6月度、入選作品が決まりました。
▽出水市上知識、年神貞子さん(74)の「こより」(25日)
▽出水市高尾野町唐笠木、岩田昭治(70)の「不思議に流れる」(8日)
▽肝付町新富、鳥取部京子さん(70)の「猫の反省」

の3点です。

 サッカーのワールドカップは残念でした。サッカーが、野球や相撲を越えて、これほど人々の心を捉えるとは、10年前には想像もできませんでした。おそらく舞台が世界だからでしょう。若い人にかぎらず、日本人の関心が軽々と国境を越える時代が来たということかもしれません。私などには、気軽に南アフリカまで応援に行くことなどとても考えられません。
 年神貞子さんの「こより」は懐かしい文章です。子どもの時に、父親から七夕の短冊を結ぶこよりの作り方を教えて貰ったことを懐かしく思い出しています。最近の子どもたちは、大人になってどういうことに両親をしのぶでしょうか。ふと気になりました。
 岩田昭治さんの「不思議に流れる」は、自分の時代の教員生活と現在の教員の日常とを比較し、変われば変わるものだという感慨を抱くが、その時々で何の不思議も感じないままに過ごしている。考えれば時の流れは不思議なものだという、奥深い内容の感想です。
 鳥取部京子さんの「猫の反省」は、巣の中の小雀を一羽は蛇が、二羽は猫がたべてしまったという残酷な内容です。ただ、猫の飄逸な表情(?)の描写で文章がしめくくられていますので、印象は暗いものにはなっていません。生命のはかなさを感じされる文章です。
 入選作の他に3編を紹介します。
 若宮庸成さんの「巡り巡って」(30日)は、沢山のイワヒバの栽培は、将来の妻の生活の足しにと言った冗談が、いつのまにか婦人会では奥さん孝行の美談になり、自分に還って来た時には自分でも何のことだかわからなくなっていたという内容です。森園愛吉さんの「『はやぶさ』帰る」(23日)は、話題の人工衛星帰還に対する感動が綴られています。確かに、使命を果たして金色に燃え尽きる時の映像は、命あるものの一つの意志さえ感じ取られました。山室恒人さんの「沖縄で見たもの」(6日)の、「戦場となった沖縄を軽率に語ってはならない」という一文は重いですね。
 (鹿児島大学名誉教授 石田忠彦)

私を越えるパン

2010-07-26 16:34:16 | はがき随筆
 旅先のドイツで食べたパンの味が忘れられない。食べるには自分で作るしかない。「よし!」とパンの本を買った。
 妻と娘の冷たい視線をよけながら、レシピ通りにライ麦粉で酵母を集め続けた。五日目、そのタネに小麦粉と塩を練り込み2次発酵まで終わる。電子レンジで焼くこと40分。部屋中パンの香りでいっぱいになった。
 そっと食べる。と、固い! が、味はいい。「これがホントのパンよ!」と娘。「ショーチューのツマミにいいね」とほほえむ妻。絶賛された私…。
 それ以後、2人の注文により私のパンは私を越え始めた。
  出水市 中島征士(65) 2010/7/25 毎日新聞鹿児島版掲載

副産物

2010-07-24 10:14:38 | はがき随筆
 水門の深みで優雅に泳ぐコイが、大ジャンプして浅瀬を上り始めた。滑りまろびて土手を下り、やぶを突っ切る脳裏に苦い記憶がよみがえる。
 昨秋、水落としされた用水路にウナギを発見。子どもでも捕れる。高を括り、U字溝のすき間に逃げられた。
 昨秋の二の舞はごめんだ。走る。コイと組んずほぐれつ格闘する浅瀬は地の利。産卵前の太鼓腹は天の利。天地の利を生かし、抱き捕りに成功した。
 ウナギの敵をコイで捕り、大ゴイをぶら下げた凱旋帰路は、意気揚々と鼻もそびえた。ウオーキングの副産物に破顔一笑。
  出水市 道田道範(61)毎日新聞鹿児島版掲載
写真はフォトライブラリ-

絵はがき

2010-07-23 18:17:51 | はがき随筆
 東京で学生時代を共に過ごした親友が、私の病気を知り、会いに来た。それ以来、毎日のように絵ハガキをよこす。絵ハガキはシリーズになっていて県の風物詩、観光名所、はたまたジュディ・オングの木版画まで多種多様。文面は走り書きだが、日によって絵の説明に始まり近況、逸話に至るまで幅が広い。文末には私を励ますための詩や句が一つは添えられている。妻は「奥羽山脈の雪を見せたいと病む夫に秋田の友は便りに記す」と感謝の気持ちを歌に詠む。
 私と友には約束がある。私が回復して、彼が退職した暁には夫婦伴い相互訪問をしようと。
  伊佐市 山室恒人(63)2010/7/23 毎日新聞鹿児島版掲載
(おことわり)
上記のはがき随筆「絵ハガキ」は先月、亡くなった山室恒人さんの遺作です。
遺族の了解を得て、掲載させていただきます。なお、年齢は執筆当時のままとしました。

バイククライマー

2010-07-23 18:01:02 | 女の気持ち/男の気持ち
 毎週休日、ナナハンのオートバイを駆って山の麓まで言って登山し、下山途中の小滝の前で詩吟をうなって帰宅することが習慣となってもう15年が過ぎた。
 理由は職場でのストレス解消。どちらかというと逃げが嫌いなので、トラブルを抱えていない日の方が少なかった。顧客の一方的な言いがかり、それにまつわる対応の誤りや部下のミス。無論、自分自身の知識不足やミスも一因だった。
 休日になってもそれが頭から離れず、酒でごまかし、また1週間が始まるという悪循環が続いていた。
 過労で入院したのを機に生活を変えようと、医師に勧められた登山を始めた。雑念を振り払い息を弾ませながら頂上まで急ぎ遠くを見ながらぼーっとしていると、頭の中を風が吹き抜けるような爽快感があった。下山時、学生時代に始めた詩吟をうなっていると体の中から力がわいてきて「乗り切れる」という自信を持てた。帰りもオートバイゆえ渋滞に巻き込まれず、いらつかずに済んだ。
 第二の人生に入った今、トラブルを抱えることはなくなったが、この習慣をやめることなく続けている。思い返せばこれがあったから長いサラリーマン生活を続けることができた。同世代が集まれば必ず出るのが自身の病気のこと。言うべきものがほとんどない身の幸せを思う。
 リタイア後は全国に山に挑戦してみたい。その日を心待ちに日々働いている。
  福岡県宗像市 浜尾幸一(61) 2010/7/23 毎日新聞  の気持ち欄掲載

うったらし顎

2010-07-22 22:19:02 | はがき随筆
 この言葉は郷里の種子島で、特に食べ物について、期待はずれになった場合に使っていた。
 昭和25年3月末、3年生になったら、米国の援助で学校給食が始まるとの事で、アルマイトのカップと皿が配られた。4月、給食の開始を期待して登校した。しかし、いっこうにその気配が無い。そのうち、先生が「朝鮮戦争が始まるので給食は中止」と言った。とっさに「うったらし顎か」とつぶやいた。みなも「うったらし顎だ」と声に出して言った。当時大半が貧しかった。期待が大きかった分、落胆も大きかった。この言葉は今も侘びしさを誘う。
   薩摩川内市 森 孝子(68) 2010/7/22 毎日新聞鹿児島版掲載

お義母様へ

2010-07-21 23:17:26 | 女の気持ち/男の気持ち
 峯子お義母様が「あちら」へ逝かれたのは昭和24年6月29日。その3ヶ月後に私は「こちら」に誕生しました。
 25年前、プロポーズをされた後で「僕の古里へ行こう」と、山口県光市へ初めて連れていかれた時、デパートがないと聞いてびっくり。静かな海と山。のんびりした田舎で、気持ちが良かった。それ以来、妻として毎年6月は欠かさずに、お墓参りに行きました。
 今春、彼の都合で結婚生活を終了。先日、後片付けがほぼ終わり、私の気持ちも落ち着いたので、けじめをつけるために最期のお墓参りに行きました。
 離婚話が出て、届け出にサインをするまでの1年数ヶ月、悩み苦しみ、一生分の涙を流したと思っていたのに……。お墓を前にした途端に涙があふれ、義弟たちのお墓でも涙、市内をドライブしては涙。これが見納めと思うと、何を見ても涙が出て困りました。
 峯子お義母様の命日には好物の和菓子と紅茶をテーブルに用意しておきました。ぜひ、我が家へもお立ち寄りくださるように、と。
 「お義母様、成ちゃんは元気にしていますか? こちらで私は生んであげることができなかったけれど。お義母様にとっては3番目の孫。23歳になりましたが、どんな大人になっているでしょうか。私があちらへ逝った時、一番の楽しみはお義母様と成ちゃんにお会いすることです。その日まで……ごきげんよう」
  北九州市 林風与子(60)2010/7/21 毎日新聞の気持ち欄掲載