はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

地方創生の議論を

2015-04-06 21:32:23 | ペン&ぺん
 任期満了に伴う県議選が3日告示された。鹿児島は多くの島を抱え南北600㌔と広大だ。争点は何だろう。川内原発稼働や人口減少、少子高齢化に伴う地方創生への取組だろうか。各選挙区にはそれぞれの問題があるだろう。読者の皆さんも1票に託す思いがあるはず。投票日の12日は地域の声を県議会に届ける絶好の機会であり、県議は伊藤県政をチェックする重要な役目を負っている。県議に限らず市町村議も、我々が納めた血税を有効に使ってもらうため、首長や行政を注意深く監視してほしい。
 若者の政治離れが叫ばれて久しい。棄権した青年に理由を尋ねると「1票で社会や世の中が変わるとは思えない」「政治に何も期待できないから」――といった答えが返ってくる。若い有権者にそんな考えを抱かせた大人たちの責任は重い。
 例えば、人口約10万人の私の古里。子供の頃、にぎわった商店街はシャッター通りに。あれから40年、今も若者は職を求め市街、県外へ。鹿児島と同じ課題を抱える。行政は今までどんな対策を示し、市議や県議らはどんな議論をしてきたのか。残念でならない。
 たかが1票、されど1票。投票することで、候補の氏名や所属政党、公約、主張が分かる。自分が推す候補が当選しなくても、有権者の考えがデータになって現れる。与野党の立場があったり、思想、心情が異なっても知事や国会議員、首長、首相らが誠実なリーダーであれは、必ず少数派の声に耳を傾けるはずだ。
 古里の高齢になる親の介護、学校の統廃合、早く道路を整備してほしい。街づくりもどんなビジョンがあるのか、もっと知りたいな。古里で起業したいが、どんなサポートがあるのか――など、安倍政権が掲げる地方創生に待ったなし。名前の連呼ではなく、具体的な施策を聞きたい。私は転勤族だが、棄権はしない。
  鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2015/4/6 毎日新聞鹿児島版掲載

ようこそ鹿児島へ

2015-04-04 20:40:39 | ペン&ぺん


 チュニジアの首都チュニスにある国立博物館が襲撃され、外国人観光客ら23人が凶弾でなくなったテロ事件。更に、フランス南部の山中で機体が粉々になって見つかったドイツ旅客機墜落事故。世界で悲惨な事件が相次いでいる。どちらも犠牲者の中に日本人が含まれていた。遺族の胸中を思うと「なぜだ」と強い憤りを隠せない。読者の皆さんも、いや私だって被害に遭っていたかもしれない。
 1995年3月20日、東京で起きた地下鉄サリン事件。猛毒の神経ガスを使った同時多発テロで13人が死亡、数千人が負傷。20年前、私は鹿屋通信部の記者だった。ニュースを見て、東京にいる親戚や知人らに片っ端から電話をかけ続けた。死者、重傷者に家族や知り合いがいたらどうしよう……。誰もが心を痛めた無差別テロ。宗教や主義、主張が異なるからといって、人を殺すなんて決して許されない。ドイツ機の事故も副操縦士について様々な報道があるが、徹底した真相の究明が待たれる。なんの関係もない他人を巻き込む行為はもうこりごりだ。
 死者57人、行方不明者6人を出した御嶽山(長野・岐阜県)の噴火から半年。これも昨年9月の行楽シーズンに起きた。まさかの惨劇だった。
 3月29日、鹿児島市の甲突川沿いで多くの人が桜を楽しんでいた。午後3時すぎ、桜島の噴煙が空高く上がった。今年に入り、桜島が活発になっている。過去の歴史を見れば分かるように、桜島のエネルギーはすさまじい。県民なら誰もが知っている。警戒や対策を怠らないようにしたい。
 4月だ。進学や就職などで心機一転、鹿児島で新生活をスタートさせる人も多いはず。桜島の降灰は時にやっかいだが、でもそこは「桜島あっての鹿児島」。明治という新時代を開いた先人や歴史。自然を学び、鹿児島を体感してほしい。
  鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2015/4/2 毎日新聞鹿児島版掲載

桜の季節に

2015-03-28 22:02:27 | ペン&ぺん
 


全国のトップを切って21日、鹿児島で桜(ソメイヨシノ)の開花が発表された。春本番だ。
 この季節になると、鹿屋市で開かれる特攻隊の戦没者慰霊祭を思い出す。戦争末期、海軍の鹿屋航空基地から多くの特攻機が出撃し、南海に散った。戦後は海軍から海上自衛隊の航空基地となり毎年4月に小塚公園の慰霊塔で営まれている。20年前、私は鹿屋通信部の記者で慰霊祭を取材。家族らが参列する公園上空を海自の航空機が慰霊飛行したのが忘れられない。特攻機も眼下の桜を見て、沖縄方面に向かったのだろう。遺族の高齢化は当時から顕著で父や兄弟を失う悲しみ、戦争の非情さを語り継ぐ人たちが少なくなっている。MBCテレビでドラマ「永遠の0(ゼロ)」が放送されたこともあって、娘2人を連れ、鹿屋市にある海自の鹿屋航空基地資料館を訪ね、零戦の復元機や戦死した若者らの遺影、家族宛の手紙などを見た。生きていれば89歳で、敗戦の年に20歳だった私の父と多くの特攻隊員が同世代。18歳の長女は「私と同年齢の人やおじいちゃんと同級生ぐらいの人が大勢いたよ。死ぬ前にこんな立派な手紙は書けない」と信じられない様子だった。
 選抜で神村学園は強豪校の仙台育英(宮城)に破れたが、最後まで諦めず、高校生らしいプレーを見せてくれた。県外から「鹿児島の神村」を志して進学してくる選手も多い。毎日新聞社が「選抜」の主催者だからではないが、選手らは取材に対し、誠実に受け答えした。鹿児島の皆さんの応援や協力があったからこそ、甲子園の土を踏めたのだと感謝している。今大会は、本来の実力を出せなかったが、夏の甲子園も、来春の選抜もある。
 この春、受験で失敗した人も、進路の希望がかなわなかった人も、悔しさをバネに、努力を忘れず、大きな夢に向かって再び挑戦してほしい。
 鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2015/3/25 毎日新聞鹿児島版掲載

記録を未来へ

2015-03-18 22:03:54 | ペン&ぺん


 MBCテレビで9日夜に放送された「戦後70年~千の証言~私の街も戦場だった」をご覧になられただろうか。
 戦時中、米軍は戦闘機に「ガンカメラ」を取り付け、地上攻撃する際の戦況を撮っていた。米機は各地を襲ったが、中でも鹿児島は爆撃機による空襲だけではなく、戦闘機の襲来でも甚大な被害を受けた。県内が機銃掃射で襲われる映像が多く衝撃だった。日本側は迎撃する火器も戦闘機もなく、やられっぱなし。地上には子供や女性、お年寄りがいたはず。改めてこれが戦争だと思った。
 70年前、静岡県浜松市にいた母(85)は爆撃機や戦闘機の空襲、艦砲射撃の生き証人。友人らは機銃で足や腕、頭を吹き飛ばされたり、内臓が飛び出したりと、まさに地獄だったという。今の15歳には想像できないだろう。私もだ。「パイロットの顔が見えるくらい超低空で、容赦などなかった」と聞いていたが、映像を見ると、その通りだ。
 さて、21日開幕の第87回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高野連主催)の組み合わせが決まった。神村学園(いちき串木野市)は大会第3日目に甲子園常連校として全国に知られる仙台育英(宮城県)と対戦。春は2年ぶり11回目、夏は24回の出場を誇る。1989年夏と2001年春に準優勝した強豪校。
 だが、相手も同じ高校生。柔道少年だった私も相手が有名校だと闘志が燃えた。昨年のセンバツを思い出してほしい。21世紀枠で初出場した大島(奄美市名瀬)は大観衆の中でも堂々の試合。優勝した龍谷大平安(京都)から2桁安打を奪った。応援組は最優秀賞(日本一)に輝いた。ぜひ神村学園も「鹿児島ここにあり」というプレーを見せ、全国制覇を手にしてもらいたい。そして、野球などに打ち込める平和の尊さをかみしめてほしい。
 鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2015/3/16 毎日新聞鹿児島版掲載

感謝と支え合う心

2015-03-15 21:39:52 | ペン&ぺん


 第87回選抜高校野球大会(毎日新聞社主催)が21日開幕する。県内からは2年連続5回目の神村学園(いちき串木野市)が出場、活躍が楽しみだ。 3月は卒業式や人事異動など別れの季節。昨春は県立大島高(奄美市)も悲願かない憧れの大舞台に立った。優勝した龍谷大平安から2桁安打の堂々たるプレー。しかも大高生や卒業生らの応援は日本一に輝いた。神村、大高ナインも卒業生もセンバツの舞台に立てたのは、保護者や同窓会、地域などの理解と支援があってこそ実現したことや、感謝の心を忘れずに卒業していってほしい。
 大高に限って言えば、練習環境や費用など奄美という離島の厳しいハンディを乗り越えた初の甲子園は、学校関係者の一生の思い出だろう。大高と直接関係はないのに実に多くの人が喜んだ。スポーツが大好きな薩摩焼宗家十四代、沈寿官さん(日置市東市来町)や島出身者らが集う居酒屋、花りん(鹿児島市西田1)の女将さんらはポスターを貼りセンバツを大いに後押ししていただいた。大高の屋村優一郎校長は「多くの方の協力で生徒たちも甲子園という大きな舞台を体験でき、この経験はきっとこれからの人生を切り開く原動力になることでしょう」とお礼の気持ちを述べた。
 「3.11」がくる。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から丸4年。九州だってまだ寒いのに東北の被災地はもっと寒いだろう。
 「8.6水害」で甚大な被害を受け、大勢の犠牲者を出した。川内原発もあって、原発事故は人ごとではない。いつまた鹿児島が大きな災害に見舞われるか、分からない。鹿児島からさらなる被災地支援ができないものか。私は4年で何かしたのか。もっとエネルギー問題を発信しなくていいのか。明治維新期の鹿児島の人たちならば、どう動くだろうかとよく考える。
  鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2015/3/9 毎日新聞鹿児島版掲載

目をそらさずに

2015-03-14 22:27:06 | ペン&ぺん


 川崎市の多摩川河川敷で中学1年、上村遼太さん(13)の刺殺体が見つかった事件。顔見知りの少年らが逮捕され、全容解明に向け動きだした。上村さんは年上がいるグループに入ったものの、友人に「抜けたい」と漏らしていたという。テレビで流れた目の周りの青あざ、それと屈託のない笑顔のギャップに、誰もが「この少年にいったい何があったのか」と思っただろう。私は柔道の選手だったので、相手の肘などが顔面に当たり、あざができたのを覚えている。私の経験からテレビで見たあざは、相当強く殴られているようだ。
 多くの人が「10代の若者は、友人や年上の者に生活態度や学習、物の考え方が大きく左右される」と思っているはずだ。少年時代の私の友だちにもいた。まだ自分自身の物事に対する考えや善悪の判断、人生の目標が定まっていないかもしれない。社会への反発、欲求不満があるのも分かる。
 「ガラスの○○」などとガラスのようにもろく、壊れやすい10代の若者の気持ち、葛藤をテーマにしたヒット曲も多い。一方、親や周囲も彼らに気を使い、なるべく波風立てず、10代を過ぎてほしいと願う。できれば運動や文化系の部活に専念して。明るくたくましく成長してほしい。これって、私だけの考えか。
 テレビや新聞各紙にるよと、上村さんから苦悩や危機のシグナルは出ていたようだ。暴力を振るわれていた13歳を救えなかったのが悔やまれる。いじめも暴力も殺人も、許されるわけがない。
 本紙社説「遼太さんの死 大人たちが問われる」(1日付)を読まれましたか。私も暴力やいじめは学校や家庭、行政が総がかりで対応しなければ解決できないと思う。今回の事件を教訓に、私を含め親も人ごととせずに鹿児島全体で地域の目としてあらゆる知恵を出し、近所の子供たちを守っていきたい。
  鹿児島市局長 三嶋祐一郎 2015/3/3 毎日新聞鹿児島版掲載

高校生に学べ

2015-03-01 00:06:22 | ペン&ぺん


 23日付鹿児島版の「太平洋戦争時 鹿児島南高敷地に軍需工場 生徒自ら語り継ぐ 新聞部同好会」の記事を読まれただろうか。戦時中、鹿児島で何があったのか、高校生が懸命に調べ、語り継ごうとしている。県内は地域面だったが、福岡や北九州市など都市部で配っている夕刊は社会面トップで報じた。
 記事に添えた写真を見ると一目瞭然。米機はこんな低空で鹿児島を襲ったのかと驚く。私の母(85)も敗戦末期、学徒動員で浜松市の軍需工場で働き、何度も空襲を経験した。母から聞いていた話と合致する。
 子供の頃、「米艦載機は操縦士の顔が見えるほどの低さで飛んできて、相手が女や年寄りだろうが、機銃掃射は容赦なかった」と聞いていた。平成入った現代、今度はイスラム過激派組織「イスラム国」(IS)の兵器庫などを空襲する映像がニュースで流れる。地上の風景も鮮明だ。ミサイルが命中すると、建物も車両も吹き飛ばされる。そこには人がいるに違いない。それが、戦争なのだろう。 
 さて、私の長女(高3)、次女(中3)。母の戦争体験談や父のシベリア抑留の話をしても「ポッカーン」としている。私が単身赴任7年で、幼い2人に膝を交えて祖父母の話をしてあげる機会がなかったからかな。
 私の小中高時代の教師たちは私の両親と同世代だったこともあり、授業の合間に自身が戦地で体験したことを話してくれる「元兵士」もいた。それは悲惨だった。今でも覚えている。今、現役の教師で戦争体験者はいない。だが、鹿児島南高の取り組のように戦争について調べ、平和を考える方法は幾通りもある。
 今年は終戦70年。3月11日は東日本大震災、福島第1原発事故から4年。鹿児島は戦争から何を学び、発信できるか。そして、さらなる震災支援ができないか考えたい。
  鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2015/2/25 毎日新聞鹿児島版掲載

初心に帰り運転を

2015-02-21 17:26:48 | ペン&ぺん


 12日、県内は悲しい事故が相次ぎ、尊い命が奪われた。ご遺族の心中を思うと、やりきれない。
 いちき串木野市で小1の男児2人が車にはねられ、1人が死亡、もう一人が重傷を負った交通事故。2人をはねた男(21)は運転中「CDを入れ替え、脇見をしていた」と供述しているという。現場は横断歩道。しかも登校時間だ。時間帯と場所を考えると、よりいっそう慎重な運転が求められるはずだ。
 前を走っていた車が急に止まった。すると方向指示器が点灯、右へ曲がるようだ。もっと早く教えてくれたら、私や私の後に続く車もスムーズに流れたのに……。交差点の信号は既に赤だが、前の車に続けとばかりに強引に突っ込んでくる車も多い。こちらが進む信号はとっくに青なのに直進できない。狭い道を加速して走る車も目立つ。脇から飛び出しがあった時、止まれるのか。
 車を運転する際は運転免許を取得した時の初心に帰り、漫然、慢心ではなく常に謙虚な心でハンドルを握りたい。子供の頃、登校途中の横断歩道には交通指導員や保護者らが立って見守ってくれた。今、全国や県内はどうなっているのだろう。
 海上自衛隊鹿屋航空基地のヘリコプター事故もつらい。かつて私も4年間、鹿屋通信部で勤務。取材で何度も同基地を訪ねた。対潜哨戒機や救難航空機などの操縦士らが日夜、厳しい勤務、訓練に明け暮れている。豪雨で山が崩れ、住人が生き埋めになった取材。さらなる崩落が心配されたが、救助にあたっている自衛官、警察官、消防隊員と一緒だと不思議な安心感があった。当然、眼前の土砂が崩れたら私も自衛官らも生き埋めだった。「安定、安定というけれど、体張って仕事している人もいる」と公務員を目指すひとの専門学校のテレビCM。その通りだ。ヘリ事故の原因を徹底的に究明してほしい。
  鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2015/2/16 毎日新聞鹿児島版掲載

羽ばたけ大舞台へ

2015-01-27 12:30:12 | ペン&ぺん

 「春はセンバツから」――。第87回選抜高校野球大会に、県内からは神村学園(いちき串木野市、神村勲学園長)が選ばれた。2年連続5回目。2005年の選抜で準優勝し、昨年秋の九州地区大会で4強入り。準決勝で糸満(沖縄)に延長11回サヨナラ負け(3ー4)したが、粘り強い攻めの姿勢を評価された。納得いく選考だ。他にサッカーや女子駅団も強豪として知られ、その名はもはや“全国区”だ。
 選抜発表の23日夕、神村学園を訪ねた。高野連から連絡が入るであろう時間まで少し校内を散歩。すると、多くの生徒が「こんにちは」と笑顔で声をかけてくれた。私が選抜を主催する毎日新聞の支局長なんて誰も知らない。やはり、あいさつは人の気持ちをさわやかにさせる。私も元柔道の選手で「礼に始まり、礼に終わる」生活が長かったので、話が娘2人(高3、高2)はきちんとあいさつできているかなと、心配になった。
 柔道95㌔超級のロサンゼルス五輪で2連覇した斉藤仁さんが死去した。54歳。ロス五輪無差別級王者、山下泰裕さん(57)の最高のライバルだった。私の高校時代、身長180㌢以上、体重も100㌔超のある県警機動隊員が胸を貸してくれたが、私は子供同然だった。全日本選手権級の選手だ。でも相手が山下さんだと畳の上に10秒も立っていられない。「一流とか、世界とはこういうレベルのことか」と痛感し、柔道は世の中には「上には上がいる」ことを教えてくれた。その山下さんと互角に戦えたのが、斉藤さんだった。
 その斉藤さんでさえ「山下さんに勝つのが夢」と猛練習した。スポーツも勉強も仕事する大人も「やる人」は、目標を高く掲げ努力する。神村学園ナインも更に精進し、甲子園の大舞台で輝け。受験生もあと少し頑張ってこの春、希望校の合格切符をつかんでわしい。
  鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2015/1/26 毎日新聞鹿児島版掲載

新年を機に

2015-01-22 22:12:28 | ペン&ぺん


 須賀龍郎前知事が死去、90歳だった。1996年、土屋佳照元知事の病気辞任に伴う知事選で初当選し、初の県職員生え抜きの知事だった。当時私は鹿屋通信部記者。直接県庁で取材することはあまりなかったが、それでも日ごろ見かけない私に対しても気軽に取材に応じてくれた。
 当時の二階堂進・自民党元副総裁(故人)、山中貞則・元通産相(同)も取材のアポを取る際、質問項目など細かなことは聞いてこなかった。時間があれば「どうぞ」だった。今、報道機関が政治家に取材を申し込むと「事前に質問事項を文章で提出を」「回答は文書で」というケースが増えている。須賀、二階堂、山中3氏にしてみれば私は息子みたいなもの。「もっと突っ込んで聞かないのか」「ポイントはそこじゃないだろう」なんていいたかったのかも。須賀さんは私の父より1歳上。行政マンたたき上げで、私の父と境遇が似て親近感があった。おおらかな人柄が印象深い。
 有料サイトの料金未納で、支払いを求めるメールが届いた。応じないと裁判手続きを進めるそうだ。仕事柄、この類の記事を何度も書いてきが、お年寄りや慣れない人は「訴訟を起こす」とあれば、驚いて相手に連絡してしまうだろう。私には有料サイトに接続する暇も、記憶もない。早速、鹿児島市消費生活センターに報告した。私の友人にも最近、身に覚えのない料金の支払いを催促するメールが送られてきている。
 阪神大震災から20年。17.18日の本紙を再読してほしい。鹿児島は「8.6水害」の経験があり、桜島も注視したい。災害被害を最小限に抑えるためにも東日本大震災の教訓を踏まえ、新年を機に災害への心構えを再確認したい。インフルエンザや火の元、交通事故、巧妙な詐欺にも十分気をつけてください。今年もよろしくお願いします。
  鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2015/1/19 毎日新聞鹿児島版掲載

諦めないこと

2014-12-30 12:30:49 | ペン&ぺん

 2014年1月12日、1914(大正3)年の桜島大正噴火から100年がたち、我々は火山噴火など自然災害への備えやら心構えを新たにした。阿蘇山の活動が活発になり、御嶽山は多くの犠牲が出た。桜島の大規模噴火はすさまじい。歴史や資料がそれを物語っている。目の前には人口60万人の鹿児島市。もう一度「いざ」という時に、大惨事にならぬよう、対策を講じたい。8月の広島土砂災害も21年前の「8.6水害」を経験しているだけに、人ごとではなかったはずだ。
 14年は、テニスの錦織圭選手ら日本の若手アスリートが世界の大舞台で活躍した。私はソチ五輪の浅田真央選手の滑りを忘れることができない。ショートプログラム(SP)に精彩を欠き、メダルは遠のいたが、フリーは圧巻だった。彼女は諦めず、難度の高いジャンプで圧巻のパフォーマンスを見せてくれた。私は目頭が熱くなった。
 奄美市の大島高校も悲願のセンバツ初出場を決め、鹿児島の春を湧かせた。恵まれない練習環境でも「やればできる」「諦めなければ夢は実現できる」ことを照明した。
 更に、ノーベル賞物理学賞に県出身の赤崎勇・名城大終身教授が選ばれたのも誇らしかった。私は熊本出身だが、鹿児島がうらやましい。第二、第三“世界の赤崎”が出てきてほしい。今から待ち遠しい。教育関係者も気合いが入ったに違いない。
 来年は戦後70年。生きていれば90歳になる私の父でさえ、敗戦時は20歳だった。シベリア抑留の4年を「いつか聞こう」と思っていたら、75歳で死んだ。悔やんでも悔やみきれない。どうか戦争を体験した皆さんは戦争や平和について、自身の体験や考えを若者に伝えてほしい。
 今年は今回で終わりです。皆様も健康管理に気を付け、15年が良い年でありますよう諦めずに、共に頑張りましょう。  
  鹿児島支局長 三嶋祐一郎

大義はどこに

2014-11-27 20:24:23 | ペン&ぺん


 任期はまだ2年もあるのに、衆院解散で世間は総選挙モード。安倍晋三首相は記者会見で「アベノミクス解散」と述べた。皆さんもさまざまな意見をお持ちだろうが、私は首相が言う解散の大義に納得できなかった。
 2年前、私たちの清き貴重な1票を投じての国の行方を託したのだから、4年間は腰を据え、みっちりやってほしかった。首相の胸一つで、いとも簡単に解散だなんて、私たちの1票がいかに軽いか、思い知らされた。 
 原発を所管する経済産業相は小渕優子氏から宮沢洋一氏に交代したが、国家最上級レベルの問題なはずなのに選挙後、経産相の人事はどうなる。東日本大震災の被災地復興よりも、なぜ衆院選が先なのか。総選挙にかかる国の経費は約7兆円という。東北の冬はとても厳しい。震災復興に700億円を充てる考えはなかったのか。
 北朝鮮による拉致事件の解決もしばらく空白期間が続くのか。私にも娘2人がいて、横田めぐみさんの母早紀江さんらをテレビで見ると、いたたまれない。「安倍政権は本当に解決する気があるのか」と疑ってしまう。鹿屋市には、拉致された市川修一さんの兄健一さんがおられる。拉致被害者の家族はいずれも高齢者。多くの方が「北朝鮮との交渉はどうなった。選挙をやっている場合か」と思っているはずだ。 
 師走の総選挙でかき入れ時の飲食業界の皆さんから、ため息が聞こえる。選挙絡みで「飲ませ、食わせしているのでは」とあらぬ疑いをかけられないようにと忘年会や宴席を自粛する業界、団体があるという。予約の入りもいま一つらしい。
 アベノミクスの地方への効果の検証や原発、拉致、憲法改正、経済再生など鹿児島の私たちにも選挙の争点と直結する課題が山積する。候補予定者の声に耳を傾けたい。
  鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2014/11/27 鹿児島版掲載

運動会と地方創生

2014-11-01 05:29:02 | ペン&ぺん


 相次ぐ台風で、けがや家屋損壊など大丈夫でしたか。奄美大島など離島の農作物の被害が心配。まだ油断はできないが、台風一過で秋も深まってきた。予定されていた運動会が台風で延期や中止になった学校や地域もあったと思う。受験などで春に開く学校が増えたが、私にとって運動会は秋と同義語だ。
 子供の頃、今ごろは幼稚園や小中高校周辺は運動会の準備でにぎやかだった。本番当日は「教育は母任せ」だった父や親戚も集まり校庭で弁当を広げた。他の多くの家庭もそうだった。最も盛り上がったのは部活対抗や学年対抗、校区内町内会リレーだった。教師やPTA役員も化けた仮装行列も忘れられない。我々の親が当時30代後半~40代。地元の学校に通ったが、1学年8学級、6歳上の姉は9学級。少子高齢化なんて、まだ先のことだった。私の娘が通う学校の運動会は春。競技数も少なく、昼食が済むと、午後の競技はあっという間に終わり閉会。これが少子化の現実か。
 子供が減り、若者は働く場を求めて都会へ。もう何十年も続く。随分前から「地方の時代」といわれるが、53歳の私が高校や大学を卒業した時と何ら変わっていない。
 土砂災害で多くの犠牲者が出た都市部の広島市でさえ、復旧には若者らのボランティアが喜ばれた。鹿児島も県本土なら、若者が駆けつけてくれるだろうが、離島は厳しい。災害時に心強いのは地域の互助力だが、ご近所は高齢者ばかり。更に御嶽山噴火や桜島の降灰で日本が火山列島であることを多くの人が再認識しておられるだろう。
 離島で大きな土砂災害が起きたら……。防災や地域活力の面からも、人が住みたくなるような地方がいいにきまっている。安倍晋三首相が重要施策に掲げる地方創生。看板倒れにならぬよう地方創生も桜島の動きも注視していきたい。
   鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2014/10/20 毎日新聞鹿児島版掲載

補助犬に優しい県

2014-09-12 14:14:39 | ペン&ぺん


 この欄で私憤を述べるのは避けているが、でも今度ばかりは我慢ならない。皆さんもご存じの盲導犬オスカーが何者かに刺され、けがをした“事件”。盲導犬は視覚障害者の生活を支えている。まさに目の不自由な人の体の一部。盲導犬であっても犬は「物」。犯人を捕まえても、日本の法は器物損壊罪でしか問えないという。
 福岡市に住む姉(58)は親子で盲導犬や介助犬の子犬の世話をするパピーウォーカーを15年続けている。姉によれば、「一人前になるまで手間もお金もかかる。それでも一人前になれない犬もいて、そう簡単に育成できないのも現実」けがが元でオスカーが亡くなれば、大きな損失だったという。温厚な姉も怒り心頭だった。心ない人間から、補助犬を守る新法ができないものか。
 盲導犬や介助犬など補助犬への嫌がらせ、いたずら、障害者への暴言などが次々と表に出てきた。自分や家族が障害者だったら、相手の身になってとか、考えないのか。飲食店の中に「動物同伴の入場お断り」の張り紙を見ることがあるが、良識、常識のある店には必ず「盲導犬、介助犬など除く」と但し書きがある。法が同伴の受け入れを義務づけており、それを拒むことは障害者を受け入れないのと同じ。よく「他のお客が店内に動物がいるのを嫌うから」と聞くが、補助犬はペットとは違う。入店を拒否する理由にはならない。なぜ、おもんばることができないのか。
 鹿児島県民は、今回の件で最も憤慨している県民気質のはず。鹿児島には国内外から多くの観光客が訪れる。公共機関は当たり前で、どこでも障害者に優しい県でありたい。補助犬と一緒に来県する人も増えてくるに違いない。そこで、「鹿児島県は補助犬に優しい県」と条例などで、注意喚起してほしい。
  鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2014/9/9 毎日新聞鹿児島版掲載

轍を踏むな

2014-09-07 03:59:32 | ペン&ぺん


 お盆も終戦記念日も終わり、皆さんはどのように8月を過ごされましたか。9月1日は関東大震災(1923年)を忘れないよう設けられた「防災の日」。今夏、全国各地が記録的豪雨に見舞われた。広島市北部を襲った広島土砂災害は多くの命を奪い、゜自然の怖さを思い知らされた。
 新聞やテレビで広島の惨状を見た多くの方が、100年に1度とされた鹿児島の「8.6水害」(93年)を思い出されたに違いない。私たちは鹿児島や広島の教訓を防災や生き残るため心に焼き付けなければならない。自分が暮らす地域はどんな土壌構造なのか。避難場所。家族に要介護者がいるならば、いざという時にどのように避難するのか――など見直す機会だ。ご近所との情報交換、互助も大事で、何より早めの避難を心がけたい。
 「東日本大震災の際にお世話になったから」と東北の震災被災地から大勢のボランティアが広島に集まり、炎天下に被災家屋の後片付けに汗を流している。仕事とはいえ、警察や消防、自衛隊による土砂撤去や捜索、救出作業には頭が下がる。手伝いたいが「仕事で行けない」「気持ちはあるが、高齢で体力に自信がない」など、もどかしく思っておられる方は毎日新聞の「8月豪雨災害救援金」で協力できる。8月30日付本紙26面の告知記事を読んでほしい。
 MBC気象予報士、亀田晃一さんの「亀ちゃんのお天気百話『幻の最高気温46・4度』」も、平成に生きる私たちの戒めにしたい。このエッセーは時に気象と日本、鹿児島の四季、行事などとの関係を分かりやすく紹介してくれている。31日付エッセーで「大地震は必ず来る」「同じ轍は踏みたくない」と結んでいる。台風はこれからも来襲するだろう。桜島もいつ大噴火するか分からない。もう一度、周囲を見回して万が一に備えたい。
  鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2014/9/1 毎日新聞鹿児島版掲載