はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

珍獣騒ぎ

2009-07-17 22:10:12 | かごんま便り


 鹿児島市喜入地区で、九州本土にいないはずのマングースが捕獲され、騒ぎになっている。1日以降、県などが仕掛けたわなに3頭がかかった。

 マングースは、日本固有の生態系に害を及ぼす恐れのある「特定外来生物」に指定された食肉目のほ乳動物。県のホームページに、間違われやすい動物として紹介されているイタチやテンとはいわば親類だ。確かによく似ているが、長くて丈夫な尾が特徴。顔つきにもどう猛な性格が伺え、和風で穏やかな表情?のイタチなどとは大違いだ。

 沖繩では明治末、奄美でも30年前にハブ退治の目的で放たれた。だが肝心のハブはさっぱり捕らず、農作物や他の野生生物ばかり食うので駆除の対象になっているのはご承知の通り。マングースとハブの対決は私も見たことがあるが、閉鎖的な「リング上」だから闘うのであり、他にいろんな餌がある自然界で、好物でもないヘビを捕るはずがない。第一、夜行性のハブに対しマングースは昼行性というから、いかにハブの被害が深刻だったにせよ、全く見当外れの試みだった訳だ。

 奄美では、96~99年度調査で5000~1万頭にまで増え、アマミノクロウサギの生息を脅かしていると問題になった。環境省が10年計画で駆除を進めた結果「相当数減ってきたことは確実」(同省奄美自然保護官事務所)だが、事業最終となる14年度までに根絶できるかは微妙という。

 喜入のマングースだが目下、どこから来たのかは不明。南薩の観光施設から逃げ出したのではとのうわさ話も耳にする。市によると、一帯に生存を脅かされかねない希少生物はいないそうだが、放っておけば奄美のように生態系に害をなす恐れは多分にある。早期駆除が必要なのは論を待たないが、そもそも人間さまの身勝手が出現の背景にあることを思えば、無実のマングース君が少々あわれにも思える。

鹿児島支局長 平山千里 2009/7/13 毎日新聞掲載

快挙

2009-06-29 23:25:18 | かごんま便り
 全盲のピアニスト、辻井伸行さん(20)がバン・クライバーン国際ピアノコンクールを制した。テレビのニュースでも新聞紙面でも、暗くやるせない話題が多い昨今だけに、心躍らせた人も多かったのではないか。

 2ヵ月ほど前、彼のDVDを偶然買い求めた。情熱的な演奏で、力強い指さばきと全盲とは思えぬ思い切りのいい打鍵に驚嘆した。日々愛聴しているから、今回の快挙はことのほかうれしい。

 クライバーン氏(1934~)は58年、第1回チャイコフスキー国際コンク-ルの覇者だ。東西冷戦下、旧ソ連が国の威信をかけ、郷土の大作曲家を冠したコンクールを創設した。自国の高い文化水準を世界に発信する狙いのはずが、ピアノ部門の初代王者はこともあろうに仮想敵国のぽっと出の若者。一方、米国民は狂喜乱舞。凱旋パレードまで挙行され、レコードは飛ぶように売れた。

 そんな国家的英雄にちなんで62年に誕生したのが今や米国を代表する音楽コンクールと言われるクライバーン国際ピアノコンクールだ。辻井さんは中国のピアニストと優勝を分け合ったが、日本人が頂点に立ったのはもちろん初めてである。

 スポーツの場合、五輪やW杯での活躍は最大の勲章だが、音楽コンクールはプロヘの登竜門に過ぎずキャリアの頂点を意味しない。事実、クライバ-ン氏は華々しいデビューに比べると、その後は今ひとつでどうも「一発屋」の印象が強い。

 点字毎日文化賞を受けた同じく全盲のピアニスト、梯剛之さん(31)にも言えることだが、ハンディばかりが注目されるのは正当な評価につながらないおそれがある。辻井さんには今後、キャリアを積む中でさらに大きく成長してほしいし、目が見える見えないに関係なく、純粋に演奏自体が評価されることを願う。そして近いうちに彼のピアノが鹿児島で聴けることを心待ちにしている。

鹿児島支局長 平山千里 2009/6/29 毎日新聞掲載

6・17

2009-06-23 16:28:15 | かごんま便り
 鹿児島市の「みなと大通り公園」東側の一角に太平洋戦争民間犠牲者慰霊碑「人間之碑」と題したモニュメントがある。空襲による犠牲者鎮魂のため、戦後30年の節目を控えた74年6月17目に建てられたものだ。

 当初、軍需工場を標的とした米軍機の空襲は、やがて市街地の無差別爆撃に移行。国内主要都市のほとんどが焦土と化した。鹿児島市への空襲は、市によると45年3~8月に計8回。その最大のものが同年6月17~18日の鹿児島大空襲である。

 死者は県内の空襲犠牲者の6割超にあたる2316人。り災者数6万6000人余は、当時の人□約19万人(40年国勢調査)のほぼ3分の1.広島、長崎の原爆を除けば地方都市の空襲としては最大級の被害である。

 64年目のその日、生活協同組合コープかごしまが主催した「平和のつどい」に参加した。当時、旧制二中(現・甲南高)3年だった下池和善さん(79)の体験談を聞いたが空襲警報、防空ずきんなどの言葉を丁寧に解説する話しぶりに、64年という歳月の長さを痛感せずにはおれなかった。戦前・戦中生まれがおよそ4人にI人。戦争体験を語れる人はさらに少ないとなれば無理もない。

 「平和のつどい」の前身は「6・17」を風化させまいと84年に始まり、23年目を迎えた。一方、市教委によると中学校の修学旅行の多くが長崎や広島、沖縄などを訪問地に選び、平和教育を一つの柱にしているという。戦争のむごさを実感として知らない世代ゆえ、折に触れて先人の教訓を学び、受け継いでいくのは当然の責務だと思う。

 前述の「人間之碑」で一言。植え込みをまたいで背後に回ると、碑の由来が記してあるものの、当地の戦災についての説明文が周囲に見当たらないのは気になる。ちなみに正面にはめこまれた碑文の一節には、こうあった。「あすのために この碑を建つ」と。

鹿児島支局長 平山千里

投稿のススメ

2009-06-04 08:05:17 | かごんま便り
 毎日新聞地域面の人気投稿コーナー「はがき随筆」の年間ナンバーワンを選ぶ第8回毎日はがき随筆大賞発表・授賞式。郷土の代表、馬渡浩子さん(61)の「応援団」として、毎日ペンクラブ鹿児島の皆さんとともに私も北九州に乗り込んだ。

 鹿児島面で昨年、掲載された作品は387編。九州・山口全体ではおそらく4200編前後か。日の目を見ることなくボツになった作品も多々あるから、投稿数全体では相当な数に上る。各面の年間賞になるだけでも大変なのに、グランプリとなるともう想像を絶する競争率である。

 個人的には、04年の若宮庸成さん(69)以来の″頂点″をひそかに期待していた。それは残念ながら果たせなかったが、上位5傑に入ったのだから文句なしに素晴らしい。馬渡さん、本当におめでとうございました。

 近く特集紙面に掲載される入賞作はいずれ劣らぬ絶品ぞろいだ。ぜひご一読ください!

    ◇

 「はがき随筆」は71年4月、山口で誕生した。鹿児島面で始まったのは遅れて91年2月だが既に18年目に入った。

 当初の掲載規定を見ると「住所・氏名・年齢を含めて240字以内」とあり、現在の本文約250字よりやや短い。活字の大型化などに伴って体裁は微妙に変わっているが、はがき1枚を想定したと思われる基本線は、ほぼ一貫している。

 大賞審査員の直木賞作家、佐木隆三さんは講評で、はがき随筆の寸法を「般若心経より短い」と表現した。この分量で思いを伝えるのは容易ではない。だが投稿者の皆さんが「250字で収めるのは大変だが、やりがいもある」と口をそろえるように、難しさは面白さの裏返しでもある。手軽に書けそうで、実際に書いてみると意外に難しく、それでも楽しくてやめられない。そんなはがき随筆の世界に、ぜひあなたも仲間入りを!!

鹿児島支局長 平山千里

2009/6/3毎日新聞掲載

いのちの電話

2009-06-01 23:33:28 | かごんま便り
 自殺予防が目的の悩み相談窓口「鹿児島いのちの電話」(099・250・7000)が今夏、開設20周年を迎える。

 「いのちの電話」は1953年に英国で、日本では71年に東京で始まった。鹿児島は全国32番目として89年7月に開設された。それ以来、年中無休、24時間対応の「眠らぬダイヤル」として、無償ボランティアが交代で相談に応じている。

 相談件数の推移をみると、05年1万5988件▽06年1万7583件▽07年1万8285件――と増え続け、昨年は2万1470件と2万件の大台に乗った。生活苦や健康不安、家族間の不和、仕事のトラブル、学校でのいじめ……とあらゆる悩み事が日夜、寄せられる。このうち自殺に直結しかねない特に深刻なものは、05年485件▽06年818件▽07年880件――とこちらも急増。08年は1292件と初めて4ケタに達した。最近の傾向として、従来それほどでもなかった中高年の女性からの相談が増えているという。

 相談は匿名のため、実はその後どうなったかは分からない。県警の統計を見ると過去4年間の自殺者は、05年522人▽06年547人▽07年718人▽08年647人――となっている。直接の比較は出来ないが「死にたい」と電話してくる人の数から推測すれば、一定の抑止力となっていることは間違いない。

 相談員は現在、約170人。1日6交代で2台の電話機に配置するのはぎりぎりの状況という。新たな篤志家を求めて先日、第23期の公開講座がかごしま市民福祉プラザで始まった。12月まで毎週木曜午後7時からカウンセリングなどを学ぶ。受講希望者は5月末までに住所・氏名・連絡先をファクスで099・259・5245へ。相談員にはなれなくても資金面で活動を支える賛助会員の制度もある。問い合わせは事務局099・250・1890まで。

  鹿児島支局長 平山千里 2009/5/25 毎日新聞掲載











国境を越えて

2009-05-21 23:37:47 | かごんま便り
 児童絵本作家としても知られる画家・八島太郎(1908~94)の「生誕百年展」が、鹿児島市の長島美術館で27日まで開かれている。

 文字通り彼の生涯を振り返る展示は、油彩・水彩、我が子に注ぐ温かいまなざしそのままの絵本の挿絵(未公開作品含む)はもとより、愛用の品や民芸品のコレクションまで並べられている。脳こうそくを患い絵筆を持てなくなった晩年、自由律俳句をたしなみ、しかもそれが余技の域を超えるものだったことは今回の展示で初めて知った。

 小根占村(現南大隅町)に生まれ、旧制二中から東京美術学校(現東京芸大)に進んだが、軍事教練を拒否して退学処分に。プロレタリア美術運動に傾倒して何度も投獄され、やがて画業を磨くために渡米。そのまま米国で生涯を終えた。

 彼の運命は戦争にもてあそばれたが、彼の戦時下の生きざまに私は心を動かされる。米国戦時情報局に身を置き、日本兵に「死ぬな、生きよ」と呼びかけた宣伝ビラ作成に携わったことは、後に芸術家仲間からも非難され、ののしられた。

 戦争の早期終結をもくろむ米国の側から見れば彼が〝利用された〟一面は否定できない。だが彼が僧んだのは日本の軍国主義で、日本の風土や日本人ではなかった。KTS鹿児島テレビ制作のドキュメンタリー番組(2日放映)で紹介された、彼が終戦時「勘弁してくれ」とおえつしたエピソ-ドがそれを物語る。戦時中、彼の同志だった芸術家の多くが翼賛体制に飲み込まれ軍国日本を後押ししたことを思えば、彼を売国奴よばわりするのはお門違いだろう。

 幾多の軍人を輩出する一方、八島のような個性を生んだ鹿児島。その懐の広さには改めて感心する。なお、くだんの番組を見逃した人には「評伝八島太郎   泣こよっか ひっ翔べ」(渡辺正清、南日本新聞社刊)の一読をお勤めしたい。

鹿児島支局長 平山千里 2009/5/18 毎日新聞掲載

大騒動

2009-05-05 21:47:42 | かごんま便り
 酔っぱらって公園で全裸になった人気タレントが逮捕(その後、処分保留で釈放)された。

 普通なら「バカな芸能人がいたものだ」で終わる話のはずなのに、メディアの取り上げ方は少々はしゃぎ過ぎていた。

 逮捕された23日、日ごろは冷静なはずのNHKを含め、テレビ各局のあの騒ぎよう。大阪市の女児不明事件の急展開など他の主要ニュースがかすんで見えるほどだった。薬物中毒や盗撮、売春……など過去の芸能人の不祥事でこんな過熱ぶりはちょっと記憶にない。

 私は彼のファンではないし不始末を擁護する気はない。だが他人に危害を加えた訳ではなく、釈放後の会見で本人の弁の通り「大人として恥ずかしい行為」をしただけである。ワイドショーや芸能誌ならともかく、ニュース番組がこの程度の話題を大々的に取り上げるのには違和感を覚えた。

 事件を受け、各局は番組の差し替えなど対応に大わらわだった。彼が地上デジタル放送の旗振り役だったこともあり、最も被害を被ったのはテレビ局だったはずで、不祥事自体よりむしろ、放送業界への影響、各局のドタバタぶりの方が「ニュース」だったのでは?

 その辺の事情を脇に置いたまま、彼の所業のみを執ように責め立てる報道ぶりは、はた迷惑の腹いせにたたきまくっているとしか見えなかった。業界の思惑から過度の攻撃調に走ったとすれば、それは「大人として恥ずかしい行為」ではないのか。調子に乗って「最低な人間」とコメント(その後訂正)した軽薄な大臣といい勝負である。

 翌24日。朝刊各紙(一般紙)の多くは社会面トップで報じた。記事のトーンは比較的冷静だったが、業界の混乱に一通り触れながらも重心はあくまで事件の詳述に置かれるなど、各局の過熱ぶりにやや引きずられた印象だ。なりふり構わぬバッシング報道に対し、批判的な視点も欲しかった。

鹿児島支局長 平山千里 2009/4/27毎日新聞掲載

犯罪被害者支援

2009-04-07 11:25:12 | かごんま便り
 独り身遺族の申請拒否――。1月15目朝刊社会面の見出しをご記憶だろうか。

 母を殺害された鹿児島市の40代女性が、単身者用の空きがないなどの理由で県営住宅への入居を認められなかったという記事だ。犯罪被害者等基本法が公営住宅への優先入居を保障し、国交省が災害被災者用住宅の転用など柔軟な対応を自治体に通知しているにもかかわらず、である。記事には県の“お役所的な”な対応を「法の趣旨に反している」と批判する識者談話も添えられていた。

 I週間後「一転して入居提案」の見出しとともに、県が初のケースとして目的外使用を認め、女性に入居を提案したことを伝える記事が載った。女性はその後、無事に入居し、新たな生活の一歩を踏み出したという。

犯罪被害者に施策の光が当たり始めたのはつい最近だ。加えて4年前に施行された基本法の趣旨すら徹底されているとは言えない状況である。

 例えば、犯罪被害者の心のケアや法律相談に応じる機関は各都道府県ごとにあるが、あくまでボランティアの任意団体。県内の犯罪被害者の自助グループ「南の風」の二宮通代表によると、今回のケースではそうした機関から有効な支援は得られなかったという。質的にも量的にも「犯罪被害者支援」と銘打つのにほど遠い実情は、もっと認知される必要がある。

    ◇

 心温まる報告を一つ。記事で窮状を知った読者から複数の寄付の申し出が毎日新聞に寄せられた。福岡本部に寄託された匿名の寄付には、米国の童話作家の、次の言葉が添えられていた。

 「生きていれば、落ち込むこともあります。状況を好転できると思ったら、ぜひ努力すべきです。でも、変えられないなら、それを受け入れて歩み続けるしかありません。何があっても『生きていることを楽しもう』という気持ちを忘れないで」

鹿児島支局長 平山千里 2009/3/6 毎日新聞掲載





危ない!

2009-03-18 15:02:05 | かごんま便り
 先日、鹿児島市内を自転車で移動していた時のことだ。目の前の角から中年男性の乗った自転車がいきなり猛スピードで曲がってきた。とっさに急ブレーキをかけたが間に合わず、先方のハンドルがブレーキを握ったままの両手指を直撃した。

 私より年配とおぼしき男性は、割と大きな自転車(ちなみに当方は軽量の折り畳み式)だったおかげ?で無事だったらしく「あ、失礼」とだけ言い残して立ち去った。呼び止めて文句を言いたかったが、情けないことに激痛で声が出なかった。

 別の日、近くの郵便局に出向いた折り、自転車を降りて歩き出した私の目の前に、片手運転で傘を差した中年女性の自転車が飛び込んできた。ぶつかると思ったが文字通り「寸止め」となり辛うじて衝突は避けられた。

 用を済ませて再び走り出すと、信号待ちで偶然にも先ほどの女性に出くわした。「片手運転は危ないでしょう」と話しかけたが、悪いのはそっちだとでも言いたげな表情である。あきれて二の句が継げなかった。

 昨年6月施行の改正道交法で、原則「車道通行」の自転車が、歩道を走っていい例が明文化された。道路標識で指示された場所▽身体障害者と子供、高齢者▽状況から見てやむを得ない場合──などである。この「やむを得ない場合」が実に悩しいことは1日付社会面「はい! 報道部」でも取り上げた。

 交通量の多い車道を走るのは実際、危険だ。そのため歩道を走りがちだが、そこには別の危険がつきまとう。冒頭で紹介した経験談も、いずれも歩道上での出来事だ。

 県警によると、08年に県内で起きた自転車の交通事故は、自転車対車1015件(死者7人、負傷者999人)、自転車対列車1件(死者1人)、自転車対歩行者24件(負傷者7人)、自転車単独163件(同161人)。最後の二つは、実際はもっと多いはずだ。

   鹿児島支局長 平山千里 20093/16 毎日新聞掲載






放置自転車

2009-02-16 08:21:22 | かごんま便り
 鹿児島に来て以来、移動手段にはもっぱら自転車を便っている。佐多岬を目指すなんてむちゃはやらない(できない!)が、鹿児島市中心部の行き来程度なら、これが一番便利だ。朝夕の渋滞時など、下手に車で移動するより早いくらいである。環境にも財布にもやさしいし、健康にもいい。
 もっとも、便利なだけに、時として安易で無秩序な振る舞いが問題になる。市がここ数年、対策に頭を悩ませている放置自転車もその一つだ。
 例えば、JR鹿児島中央駅近くの鹿児島中央郵便局。局舎前の駐輪スペースはしばしば「満車」状態で、利用客がまばらな深夜でさえ自転車やバイクがびっしり、というのが珍しくない。局に用のない、駅や周辺商業施設の利用者が、駐輪場に行く手間を惜しんで「失敬」しているようだ。
 日本郵便鹿児島支店に聞くと、長期間放置している悪質な例もあり、本来の利用客が止められないとの苦情は少なくないという。午後8時までは駐車場整理の担当者が目を光らせているものの「最終的にはお客さんのマナー頼み」(同支店総務課)が実情らしい。
 電車通りをはさんで反対側、キャンセビル前も似たような状況だ。店舗の営業が終わっているにもかかわらず、結構な数が並んでいる。一見して長期開置きっ放しと思われる自転車も目につく。
     ◇
 人通りの多い同駅周辺や繁華街の天文館地区は06年から順次、市が放置禁止区域に指定し、代わりにいくつか有料の駐輪場が設けられている。
 駐輪場まで行くのは多少遠回りになるし、お金がかからない方が誰だってありがたい。その施設を利用しないのに勝手に置いたり、長期開置きっ放したりする一部の不心得者さえいなければ、そもそも駐輪場なんてなくても済むんじゃないか。  駐輪場を利用するたびに、そんな思いが頭をよぎる。
   鹿児島支局長 平山千里
   2009/2/16 毎日新聞掲載

金ピカ?

2009-02-04 07:48:18 | かごんま便り
 当初、無投票かと思われた西之表市長選に告示直前、新人が名乗りを上げた。「通称の『金ピカ先生』で届け出るそうです。市選管も受理する方向です」。担当のF記者から報告を聞いて一瞬、絶句した。

 選挙に立候補する場合は本名(戸籍名)で届け出るのが基本だが、選管に申請して、本名の代わりに広く通用していると認められれば、通称で届け出ができる。共産党委員長・議長を歴任した不破哲三氏がペンネームなのは有名だし、参院議員だったコロンビア・トップ氏(故人)や参議から大阪府知事に転じた横山ノック氏(同)も芸名で政治活動を続けた。

今回のケースは少々悩ましかった。まず姓がどこまでで名がどこからなのか。最終的には「金ピカ」を姓と見なすという常識的?な線で陣営の了解を得た。次に困ったのが末尾の「先生」。普通は敬称・尊称として用いられる語だ。すると「~先生」氏の表記は明らかに変だ。だが「~先生」が丸ごと人名なら「氏」抜きは呼び捨てになる。議論の末、多少の違和感には目をつぶり通常の「氏」表記で落ち着いた。

 金ピカ氏は元々、大手予備校の名物講師。大学受験ラジオ講座も担当していた。当時は本名で活動し「金ピカ先生」はあくまでニックネーム。風ぼうから「やっちゃん先生」とも呼ばれ、やくざ映画にも出演していた。

 彼はその後、活動のすべてを現在の通称に統一し、商標登録までしているという。だからこそ市選管も使用を認めたのだが、果たして地元で「広く知られた通称」だったのかどうか。単なる冷やかしと受け止めた向きもあるとすれば、選挙戦略としてはどうだろうか。

 本名よりはるかに知られた「そのまんま東」の芸名を封印した東国原英夫・宮崎県知事。タレント業の延長ではなく、本気で政治に取り組む決意の表れならば、これこそ慧眼(けいがん)であろう。

鹿児島支局長 平山千里

2009/2/2 毎日新聞掲載

センバツ

2009-02-01 19:34:29 | かごんま便り
 小雨まじりの23日はけっこう寒かった。第81回選抜高校野球大会の出場校を決める高野連の選考委員会当日、神村学園(いちき串木野市)の会議室で、学校関係者や大勢の報道陣とともに吉報を待った。

 秋の九州大会準Vの実績から出場は間違いないと思ったが、連絡がないまま時計の針が刻々と進む。やがて電話が鳴った。神村勲学園長の手が伸びるとフラッシュの嵐。笑みを浮かべた神村学園長が静かに受話器を置き、拍手がわき起こる。県勢の出場は一昨年の鹿児島商、昨年の鹿児島工に続き3年連続の快挙だ。

 正面玄関前。別室で待機していた野球部員が興奮した様子で走り寄る。松ケ野透教頭が一同を制して整列させ、出場決定の報告。バンザイ三唱に始まり、円陣を組んで雄たけび、帽子を放り投げてガッツポーズ。彼らは何度も何度も、全身で喜びをはじけさせた。

◇ ◇

 学園の正門を入って左手に「栄光のあと」と題した石碑がずらりと並んでいる。記されているのは、全国大会で活躍した先輩たちの歴史だ。前身が女子校のためかソフトボールに駅伝、剣道、野球、サッカー……と女子の華々しさが目立つが、創部わずか2年目で初出場した第77回選抜高校野球大会の準優勝も誇らしげに刻まれている。
鹿児島支局長 平山千里 
2009/1/26 毎日新聞掲載
 

今年の漢字は?

2009-01-19 19:30:51 | かごんま便り
 鹿大法文学部の「マスコミ講座」は、県内に取材拠点を置く新聞・通信・放送各社が大学側と協力して授業を展開する全国的にも珍しい試みだ。一線の記者やデスクなどを講師に、取材の実習などを交えながら、報道機関の役割や課題などを学んでもらう狙いである。
 先日、担当するクラスで作文の模擬試験をやった。課題は「09年はどんな年になると予想(または期待)しますか」。併せて「漢字1文字の題」をつけてもらった。京都・清水寺で発表される「今年の漢字」をまねた訳ではないが、若者の新鮮な感覚が時代をどう表現するか興味があった。
 10編の作文で、出てきた漢字は次の九つ。安・活・協・差・実・変・耐・魅・迷──。
 「変」「迷」「差」「耐」などは、深刻な不況など、今の暗い世相を比較的ストレートに表現している。
 次はちょっとひねった部類。「活」は、08年に表面化した「活(い)きにくさ」からの脱却を望む内容。
 「就活(就職活動)」の不安を取り上げた点はいかにも学生らしい。「実」は、食の問題で露呈した誠実さの欠如、実態なき経済が生んだ不況、実績を残せなかった麻生内閣など、失われた〝実〟の回復への願い。「協」は、失業者を支援する派遣村ボランティアの話題から、人々が助け合う必要性を訴えていた。
 明るいイメージの漢字は素直な期待感の現れ。「安」は、北京五輪の感動を引き合いに、野球のWBCやサッカーW杯最終予選での日本チームの活躍が、国民の不安を吹き飛ばしてほしいとの趣旨だ。
 「魅」はかなりの変化球か。新世代の環境対策車にみられる優れた省エネ技術が景気回復への足がかりだととらえ、資源の乏しい日本で培った技術力が世界を「魅せる」年になってほしいという希望が述べられていた。
 さて、あなたは今年の漢字に何を予想(期待)しますか?
鹿児島支局長 平山千里
2009/1/19毎日新聞掲載

2009年

2009-01-15 14:25:40 | かごんま便り
 「百年に一度の金融・経済危機」「先行きの全く読めない厳しい時代」。県内諸団体の年始会では「篤姫」ブームへの期待感にあふれていた昨年から一転、暗いあいさつが相次いだ。

 そんな中、全国高校サッカー選手権大会での鹿児島城西の快進撃は久々の明るい話題だった。多少粗削りながら怒濤(どとう)の勢いでゴールに迫る圧倒的な攻撃力。点を取られてもそれ以上に取り返すたくましさ。直球で押しまくる剛球派投手さながらの“力技”は、素人目にも実に壮快だった。

 大会得点王の新記録を作ったFW大迫勇也君を筆頭にチームとしても大会最多得点記録を更新。広島皆実の堅守の前に頂点にはあと一歩届かなかったが、記録と記憶、双方に存在感を示した城西イレブンの活躍は、県民にとっても大きなお年玉となった。

 前述の年始会で、今年の話題として取り上げられたものを紹介する。

 まずは島津斉彬公(1809~58)の生誕200年。「篤姫」の翌年というのが少々残念だが、ブームの余韻とあいまって引き続き観光面での恩恵にあずかれれば、むしろ好都合かもしれない。

 次に肥薩線の全線開通100年(当時は鹿児島線の一部)。SLブームのころマニア注目の的だった矢岳越えのD51重連が懐かしい。現在は観光列車「いさぶろう」「しんぺい」号が人気だが、100年記念でSLが復活するのも楽しみだ。

 そして7月22日の皆既日食。最も長く皆既が見られる悪石島(十島村)では混乱も予想され、手放しでおめでたいとはいかないが、鹿児島に世界の目が注がれることは間違いない。

 09年はどんな年になるだろうか。当然、景気のいい話ばかりがそう転がってはいまい。「怠らず行かば千里のはても見ん、牛の歩みのよし遅くとも」という道歌もある。やはり地道に頑張るしかない、か。

鹿児島支局長 平山千里 2009/1/13 毎日新聞掲載

本土最南端

2009-01-05 21:36:11 | かごんま便り
 「自転車で、目指すは佐多岬……か。面白そうじゃないか!」。新年紙面を議論していた支局の企画会議。若手記者の思いつきに即座に飛びついた。実際に走るのはもちろん私じゃなく言い出しっぺである。無責任な支局長の後押しで、村尾哲記者の運命は決まった。

 行きがかり上、当日は大隅地区担当の新開良一記者(鹿屋通信部)と共にサポート役を務めた。新開記者は四輪駆動車、当方は650㏄の大型バイク。いずれも折り畳み式自転車に比べれば楽ちんこの上ない。当日は雲一つない快晴、絶好のツーリング日和となり、3人の中で多分、私が一番はしゃいでいたと思う。

 実は佐多岬を訪れたのは初めてだった。聞きしに勝る絶景に感動した半面、いくつかの不満も覚えた。まず「ゴール」となる駐車場。ここが本土最南端の地だと分かる表示は電話ボックスに書かれたものだけ。実際の岬はやや離れた場所だから仕方がないと言えばそれまでだが、ちょっと肩すかしを食らった気分だ。

 入園料を払って一路、岬へ。左右に開ける展望に心を奪われていると突然、廃屋と化したレストハウスが出現。眺めがすばらしいだけに落差を感じることはなはだしい。また台風でガラス戸が吹き飛んだままの有料展望台。結果的に素通しとなって抜群の眺めを損なわずに済むのは皮肉だ。

 観光地として往時のにぎわいに程遠いことは知っている。それでも「最南端」の魅力は捨てたものではないようだ。現地の神社に置かれたノートには「日本一周(縦断)」「九州一周」などの文字と共に熱いメッセージが数多く記されていた。自転車の人(ただし「もう少し性能のいい自転車」だが)が少なくないことにも驚かされた。

 人工物で固めた観光地がいいとは思わない。観光のニーズも時と共に変わる。だが観光立県をうたうなら「資源」の生かし方に課題は多そうだ。

鹿児島支局長 平山千里 2009/1/5 毎日新聞掲載