右足のひざから下を切って捨てたいと心底思った。寝ても横になっても、あぐらを組んでも正座しても、すねの痛みは飛散することはなかった。
腰部脊柱管狭窄症と診断されたのは、その痛みで早期退職した後のことである。優雅な退職後の人生と人は言うが、数十㍍で涙する間欠跛行で惨めなスタートとなった。ひきこもり状態で体重は増え、動きも緩慢となり、廃人同様であった。
夏休みの朝のラジオ体操に孫と参加したことで、身体に変化が生じた。
子供たちが力を与えてくれたその夏が、また巡ってくる。
いちき串木野市 新川宣史 2013/5/11 毎日新聞鹿児島版掲載
腰部脊柱管狭窄症と診断されたのは、その痛みで早期退職した後のことである。優雅な退職後の人生と人は言うが、数十㍍で涙する間欠跛行で惨めなスタートとなった。ひきこもり状態で体重は増え、動きも緩慢となり、廃人同様であった。
夏休みの朝のラジオ体操に孫と参加したことで、身体に変化が生じた。
子供たちが力を与えてくれたその夏が、また巡ってくる。
いちき串木野市 新川宣史 2013/5/11 毎日新聞鹿児島版掲載
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