また一人、身近な人が94歳で逝かれた。いつも穏やかな笑顔で、この人は怒るという気持ちがないのかと思い、現代の〝えべっさあ〟と見ていた。
つれあいに先立たれ、娘の家に身を寄せて余生を過ごされていたが、入退院のすえ、体力が衰え延命治療の選択を問われた。家族の心の葛藤はいかばかりか。点滴を外し6日目、残り少ない命を察してか、皆に「ありがとう、最高の人生だった」と笑顔で感謝の言葉を残されたとか。私もこんな最期でありたいと思うのだが、ピンピンコロリと逝きたかったり、まだまだ欲のかたまり。いけそうにない。
阿久根市 的場豊子 2015/9/2 毎日新聞
つれあいに先立たれ、娘の家に身を寄せて余生を過ごされていたが、入退院のすえ、体力が衰え延命治療の選択を問われた。家族の心の葛藤はいかばかりか。点滴を外し6日目、残り少ない命を察してか、皆に「ありがとう、最高の人生だった」と笑顔で感謝の言葉を残されたとか。私もこんな最期でありたいと思うのだが、ピンピンコロリと逝きたかったり、まだまだ欲のかたまり。いけそうにない。
阿久根市 的場豊子 2015/9/2 毎日新聞
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