有明町のUさんは長崎での原爆被爆者である。後遺症があるけれども84歳にしては元気である。病院などへの外出は、もっぱら奥様の運転である。
2人には1人息子さんがいるが、イタリアに住んでいる。鶏のヒナの鑑定士で各国で指導してきたが、イタリアの方と結婚され、ミラノに定住された。
帰国の折、夫婦にお会いしたが、奥様は全く日本語が話せない。でも、Uさん夫婦には通訳なしで通じ合っていた。
Uさん宅は毎週日曜日、夜8時は留守にできない。ミラノからの電話は定刻に来るとか。
この絆を誰かに話したい。
志布志市志布志町内之倉 一木法明 2010/12/12 毎日新聞鹿児島版掲載
2人には1人息子さんがいるが、イタリアに住んでいる。鶏のヒナの鑑定士で各国で指導してきたが、イタリアの方と結婚され、ミラノに定住された。
帰国の折、夫婦にお会いしたが、奥様は全く日本語が話せない。でも、Uさん夫婦には通訳なしで通じ合っていた。
Uさん宅は毎週日曜日、夜8時は留守にできない。ミラノからの電話は定刻に来るとか。
この絆を誰かに話したい。
志布志市志布志町内之倉 一木法明 2010/12/12 毎日新聞鹿児島版掲載
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