緑ヶ丘・第二幼稚園 最新かがやき日記

緑ヶ丘・第二幼稚園のかがやく子ども達の成長を見守り、親も教師も園長も子どもに負けず共に成長する日々を綴った日記です。

8月19日、預かり保育は台風の為中止です。

2006年08月18日 18時50分50秒 | Weblog

8月19日(土)は

台風10号が、停滞中の為、

園児と教職員の安全を第一に考慮し、

預かり保育中止とさせていただきます。

18日夕刻のお忙しい中、連絡網を回していただき、誠にお手数をおかけしました。

皆様のご協力有り難うございました。園長 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝の讀賣新聞『編集手帳』から

2006年08月18日 18時28分56秒 | 子育て

8月18日(金)

 また、16日に続き、戦後61年目の話になりますが、

美空ひばりが、母を亡くした靴磨きの少女を演じた映画『東京キッド』は、

1950年(昭和25年)に封切られた。

その時には、私は、昭和24年生まれだから、まだ赤ん坊で、

記憶には何もインプットされている筈は無いのだが、

『りんごの唄』他、数々の懐メロと共に『東京キッド』の主題歌は、よく覚えている。

「右のポッケにゃ夢がある、左のポッケにゃチュウインガム、

空をみたけりゃビルの屋根、もぐりたくなりゃマンホール…」

(作詞:藤浦 洸 作曲:万城 目正

小学生の頃同居していた山口県在住の叔母が、歌謡曲の大ファンで、

朝、放送開始と共に起き、歌謡曲になると、ラジオの音量を大きくしてかけていた。

だから、お陰で同年代の友人達よりも、懐メロも幾分詳しく育った。

                    

 さて、今朝の讀賣新聞によると、

作詞家の阿久悠さんが、岩波新書『愛すべき名歌たち』の中で、

美空ひばりは、単なる天才少女歌手といった生やさしい存在ではなかった

「敗戦の焦土が誕生させた突然変異の生命体で、

しかも人を救う使命を帯びていた」と…

私は、美空ひばりには、つい数年前までは、あまり関心もなく、

どちらかといえば涙で歌う『悲しい酒』等は、好きではなかった。

が、不思議に思わずじーっと聴き、共感してしまって

癒されている自分がいたのは確か…

日本人なんですね~

ところが、園の周年行事で『川の流れのように

 http://www.youtube.com/watch?v=iDQw00qswJc を練習し、

緑ヶ丘・第二幼稚園のママさんコーラス『あすなろグリーンコール

で歌ってからは、特に

他の歌も改めてよく聴き直すと、

鉛筆が一本http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/enpitsuga1pon.html

も『愛燦々

http://www.youtube.com/watch?v=zzQv-53ldsg&feature=related 

も素晴らしい

しっかりした音程歌唱力

演歌特有のコブシが意外にも全然はいっていない

なぜジーンと共感してしまうのか?

自分自身の過去を振り返ると…

確かに、私の幼い頃の写真を見ても、

どれもひどいつぎあてだらけのみすぼらしい姿。

これが、当時の最先端つぎあてファッション?

母の手縫いの あまりお洒落とは言いがたい…

取り敢えず 教師の娘 と おぼしき格好です。

食べ物も着る物も、戦後は本当に不足していたのです。

最高にお洒落して写っているのは、母のお下がりの七五三の着物姿と、

米町小学校の入学式の記念写真くらいのもの。

私が、小学生の頃は、まだ皆 空腹を抱え、

その日の糧を求めて、さまよう人が大勢いた。

その当時の終戦後の小倉駅周辺には、身寄りの無い人や

物乞いをする傷痍軍人や、浮浪者が、恐ろしいほど沢山いた。

今の新幹線側は、山のようにホームレスがいた。

駅横の銀座通りや、砂津へのガード下を、友だちの家に遊びに行くときや

ピアノのレッスンに通うときには、真っ暗で恐くて、後ろから声をかけられたら

心臓が止まる位?早足で駆け抜けていた。

ガード下や橋の下にも、ホームレスになった浮浪者が溢れていた。

そのような時にそばを通り抜ける時には、怖くて、自分自身を勇気づける為に

決まって心の中で歌う歌が数曲あった。

 

今や、紫川は、末吉興一市長のルネッサンス計画の一環で

『マイタウン マイリバー』 整備事業が進められ、不法建築は撤去され、

川の水も 清流に甦った。

昔の、室町や、紫川の畔には、無数の不法建築?船?が犇めいていた。

まさか?と訝る若者も多いが、まさに隔世の感がある。

などというと、えらく自分が年寄りになった気分ですが、私は、団塊の世代。

 今、充実した日々を過ごしながらも、時々、過去の恩人や恩師や

先だった懐かしい人々の事を感謝の念で思い出す。

              

 が、日常の仕事や家事の多忙にかまけて、また、早く誰かに

語り伝えておくべきことが、あまりにも多くて、どうしたものか?…途方に暮れる。

「…食うことに追われ、生きる道を手探りし、誰もが時代の孤児だった。終戦から61年、左のポッケにゃ(チュウインガムどころか、溢れんばかりの)豊富な品々で、膨らんでいる。右のポッケにある夢は、さて」

と、編集手帳』筆者は疑問を投げかけているが、

私も、周りに、夢も希望も無い若者が増えている気がして、大変気がかり。

ひばりさんが、世を去って17年になる。

東京両国の江戸・東京博物館では、今、『美空ひばりと昭和のあゆみ展』

が開かれているらしい。

             

来週8月24日日(木)~26日(土)は、研修で上京の予定だが、

もし、日程に余裕があれば、足をのばしたい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする