前回の授業から3週間あきましたが、その間に高科先生はインフルエンザに罹られていたそうで、この日もまだ少し元気がなかったような気がします。
他に風邪で休まれている方もいて、皆さんもこの時期はお身体に気をつけてお過ごしくださいね。
ということで、授業は先生のお家の近くにあるアスファルト舗装された駐車場で、マンホールとの境から雑草が芽吹いているという話から始まりました。
「雑草」とは、人の意図にかかわらず自然に繁殖する植物や、景観を損ねる所に生える人に望まれない植物のことを指します。
彼らは自然環境へのさまざまな耐性を持ち、たくましくしぶとく種をつないでいく性質を持っています。
このように身近なものに目を留めて、文章を書く「部品(素材・ネタ)」として自分の「引き出し」の中に溜めておくのも良いでしょう。
そして、テキスト『「書く力」私たちはこうして文章を磨いた』(池上彰・竹内政明 著/朝日新書) 第一章「構成の秘密」の続きは
・読者に展開を予想させないテクニック ─ 巧みなブリッジのかけ方②
・文章に必要な「部品」は探しにいくもの ─ 文章と文章をつなぐブリッジを見つける①
・時には強引に「つなぐ」う ─ 文章と文章をつなぐブリッジを見つける② でした。
文章の構成として「起承転結」がよく使われますが、短いものなら「序破急」でも良いとのこと。
書き出しを読んだだけで「ああ、この話ね」となる入り方はダメで、読み手が「なるほど、こう来たか!」と興味を惹きつけられる構成が望ましいそうです。
テキストの中では「使ってはいけない言葉のリスト」の例として「心の闇」が出てくるのですが、どのような言葉がそれに入るのかという質問があり、自分が嫌だと思う言葉や流行言葉、短縮語などは使わない方が良いとのことでした。
また、簡単な形容詞(嬉しい・楽しいなど)は、できるだけそうではない他の言葉に差し替えるようにとか、自分で気に入っている言葉や言い回しも、頻度に気をつけて使う(400字詰め原稿用紙に2〜3回程度まで)方が良い、と教えていただきました。
そして、参考資料で千早耿一郞の『悪文の構造 ――機能的な文章とは』(ちくま学芸文庫)』 から、
「機能的な文章とは」という箇所を見ていきました。
1979年に木耳選書から発行されたものが、最近文書化された本書では、「名文を書く」より「悪文を書かない」ことを目的として
読みやすい・分かりやすい文章が書けるように、例を挙げて解説しています。
曰く、「文章には、①事実や意思を伝達する働き と、②感情を表したり、相手の感性に訴える働き の2つがある」ということを
理路整然と説明していているのですが、次の授業でも続きを行うので、配付資料を忘れて来ないようにしてください。
ここでまた質問が。
いつか使おうと思って自分の引き出しの中に溜めておく「部品(素材・ネタ)」は、どのような形で残すのか、という問いには
後で(引き出しから)取り出して使う際に困らないように、出典を明らかにしておき、新聞の切り抜きなども紙名や日付は必ず明らかにしておくように、と答えておられました。
言葉を短くすることに関しては、言葉は生き物なので省略形が一般的になっているものもあります。
「それ」を使えば読者に伝わる・認知されるように、作品世界の中での使い方を工夫する必要もあります。
無くなっていく言葉も確かにある反面、残せるものは残した方がよいというのが、先生の見解です。
休憩後はまず、前回の課題「わたしがいちばん○○だったとき」をテーマにした生徒さんの作品を講評していきました。
いちばん長いものを書かれたSさんの作品は、時系列に沿った事実と感情を加不足なく書ききっておられて、お手本のようだと評されていました。
そこで、茨木のり子の詩集『おんなのことば 文庫』(童話屋) から「わたしが一番きれいだったとき」「女の子のマーチ」「汲む」の3作を読んでいきました。
「わたしが一番きれいだったとき」では、“ 平和 ” という言葉が一度も出てこないのに、戦後の時代に背筋をしゃんと伸ばしてこれから生きていこうとしている彼女の姿勢を描いています。
「女の子のマーチ」はなんとも威勢の良い作品で、谷川俊太郎の「男の子のマーチ」(性的表現が多い)とは一線を画し、先生は茨木さんに軍配を上げておられました。
「汲む」はこの詩集の代表的な作品で、最後に収められています。
文章クラスでは以前も詩人の言葉を取り上げたことがあったのですが、今期もまた紹介しようと思っておられるそうです。
最後に、今回は「冬のごちそう」をテーマで何か書く、という課題が出されました。タイトルはそのままでも、独自のものを付けても良いです。
自分にとっての「冬のごちそう」について。ごちそうの中身について具体的に書いたり、シチュエーションについて書いたり、
身近なものでもそうでなくても何でもかまわないので、自分にしか書けない「ごちそう」について書いてください。
枚数は自由ですが、できるだけ難しい言い回しは使わないで、一文が長くなりすぎないように考えてください。
また、自分のことを書くのに事実をそのまま書くとキツくなる場合は、オブラートに包んで表現に言い換える方が良いのか?という質問には
自分のことなので書いても良いけど、被害者意識丸出しのものではなく、反発できるように、跳ね返して笑えるように、読者の共感を得られるような書き方をした方が良いのではとのことでした。
他にも、自由に書くときでも自分でボリュームを設定して書く方が良いのか?という質問には、設定してから書く方が「締まる」のだそうです。
さまざまな文章を書いていると、そのうち自分でこんな感じならこれくらいのボリュームというのが分かってくる。書き終わって読み返したときに、書き足りなかったら書き足さないと行けないし、書きすぎていたら削らないといけない。
長いものを書く練習も必要で、それで筆の走り具合を習得して、長くなりすぎたら削るというのも良いでしょう。
「冬のごちそう」については、できるだけ読む人の目に情景が浮かぶように、その場の空気感(料理から立ち上る湯気とか)や匂いも表現できると良いでしょう。
提出は、次回1月18日(土)の4回目の授業の時です。よろしくお願いいたします。