絵話塾だより

Gallery Vieが主宰する絵話塾の授業等についてのお知らせです。在校生・卒業生・授業に興味のある方は要チェック!

2023年7月1日(土)文章たっぷりコース第4期・15回目の授業内容/高科正信先生

2023-07-07 17:12:21 | 文章たっぷりコース

この日から7月に入るということで、「この世には2種類の人間がいる」というお話を。
・今年ももう半分終わってしまった と考える人と
・今年はまだ半分も残っている と考える人。
さて、あなたはどちらでしょう?

今回の授業のテーマは、「子どもを生きる」でした。
心理学者の河合隼雄は、『子どもの宇宙』(岩波新書)の中で、
「一人一人の子どもの中に広い宇宙があり、そのことを大人になると忘れてしまう」と言いました。

絵本について考えるとき、よく話題に上るのは「自分の中の子ども」ということです。

保育現場や大学の教育学の授業で必須になる岡本夏木の代表作に、『幼児期 − 子どもは世界をどうつかむか −』(岩波新書)があります。

この中の「大きい子ども」という一説を読んでいきました。
西洋では長らく「子ども=小さな大人」と考えられていましたが、日本では既に12世紀の『梁塵秘抄』の中で「遊びは子どもの本質である」と捉えていました。

『幼児期−子どもは世界をどうつかむか−』(岩波新書)
https://www.iwanami.co.jp/book/b268768.html 

モーリス・センダックは『センダックの絵本論』(訳/脇明子・島多代、岩波書店)で
「人間という存在は、子どもが成長して大人になるのではなく、彼らは “子ども” という独自の生き方をしていて、それは何にも代えがたい。絵本の書き手はそれをこそ描いているのではないか」と言っています。

そして、『たろうのおでかけ』(文/村山桂子、絵/堀内誠一、福音館書店)を紹介してくださいました。

 

『たろうのおでかけ』(文/村山桂子、絵/堀内誠一、福音館書店)https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=52#modal-content

犬・猫・アヒル・ニワトリを連れておでかけするたろうに、大人たちは「危ないから」といろんなアドバイスをします。たろうはとりあえずアドバイスを聞きますが、動物たちは彼の味方をしてくれます。
子どもは「子どもの時間」をしっかり生きているのだと実感できるお話です。

続いて、(高科先生によれば)「子どもを生きる」ことができる作家・長新太の絵本を2冊。

 

『つきよ』(作/長新太、教育画劇) https://www.kyouikugageki.co.jp/bookap/detail/1278/

 

『ぼくのくれよん』(作/長新太、講談社)https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000137890

いずれも、作家の中の「子ども性」が描かせた作品といえるでしょう。

次は、詩人・阪田寛夫の詩集『てんとうむし』(童話屋)から数篇を見ていきました。
「ねむりのくに」では、一人のおじいさんの中に若者と少年とおさなごがいるとうたっています。

『てんとうむし』(作/阪田寛夫、童話屋)http://www.dowa-ya.co.jp/books/poem/enjoy/tentomushi.html

児童文学作家のあまんきみこも、エッセイの中で「私たちは自分の中に、赤ちゃんの時代・幼年期・少年少女期・青年期・壮年期という木の年輪を抱えて生きている。私たちの中の思念は、驚くほど年輪の中心部分に支配され、指示を受けている。(子ども時代の経験がその人を形成している)」と言っています。

マリー・ホール・エッツの絵本『もりのなか』『またもりへ』(訳/いずれも まさきるりこ、福音館書店)では、お父さんがもう二度と子ども時代には戻れないという嘆きが描かれていますが、目の前に存在する子どもを見ていると、自分の中の子どもが息を吹き返すかもしれません。

だから高科先生は、子どもの現場にいる人たちは素晴らしいと思うのだそうです。

教育の現場に長くおられた教育評論家・遠藤豊吉は、世間一般では大学の先生が一番偉いと言われているけれど、実際には幼稚園や保育所の先生が一番えらいのではないかと言っています。
「子どもは独特の時間を生きている」という認識を持つのが、子どもを理解してアプローチする最も良い方法ではないでしょうか。

宮崎駿の著書『本へのとびら − 岩波少年文庫を語る −』(岩波新書)は、前半が宮崎監督が選んだ岩波少年文庫50冊の紹介、後半は児童文学感を語っています。
「子どもの文学のほとんどは、やりなおしがきくお話である」と言い、自身で制作するアニメも「この世に生まれてきて良かった」「この世は生きる値打ちに満ちあふれた世界である」という作品を作りたいと言っています。

 『本へのとびら−岩波少年文庫を語る−』(岩波新書)https://www.iwanami.co.jp/book/b226119.html

高科先生も、不条理を描いた大人の文学より、希望に満ちあふれた子どもの文学の方がおもしろいと思って、児童文学作家になったのだそうです。

休憩を挟んで後半は、今期のテキスト『文章のみがき方』(辰濃和男 著・岩波新書)の「Ⅳ. 文章修行のために」から「2. 土地の言葉を大切にする」「3. 感受性を深める」のところを見ていきました。

第二次世界大戦後の教育として、現場では標準語を使い、方言をなくすようにされてきました。確かに、標準語を使えば全国どこで暮らしている人にも話の意味は通じますが、土地の言葉を使う方が、迫力も説得力も増します。
井上ひさしや田辺聖子のように、50〜60年代から土地の言葉で小説を書いていた作家も居ますし、長谷川集平は『はせがわくんきらいや』(1976 すばる書房)で、絵本に初めて関西弁を取り入れました。80年代になると明石家さんまがドラマの主役を関西弁で演じるようになり、今ではお笑い芸人が出身地の言葉や地元のローカルネタで笑いを取るようになっています。

レイチェル・カーソンは『センス・オブ・ワンダー』(1996 新潮社)の中で、「自然の中に入ると感受性にみがきがかかる」と言っていますが、高科先生は「都会で暮らしていても風や雨や陽の光を感じることで感覚を磨くことができる」とおっしゃいます。
ドラマチックな経験の有無とは関係なく、耳や口や目や鼻や皮膚全体(五感)で真理を感得し、書きたいことが人に伝わるよう書けるようになりましょう。

次回が今期の文章たっぷりコースの最終授業となります。

最後の課題は、「(わたしにとって)ちょっとした贅沢とは?」です。
このテーマで、創作・エッセイ・コラム … どんなものでもかまいませんので、文章を書いてください。長さや書き方も自由です。

よろしくお願いいたします。

 

 

 


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2023年6月10日(土)文章たっぷりコース第4期・14回目の授業内容/高科正信先生

2023-06-16 18:46:56 | 文章たっぷりコース

この日も、よもやま話から始まりました。
最近は栗の花が咲いているということから、「栗花落」と書いて「つゆり」と読む名字があることを教えていただきました。
なぜ「つゆり」なのかというと、栗の花が落ちる頃に梅雨入りするからなんだそうです。
…などなど、日本語はおもしろい、趣深い、味わい深いというお話でした。

いつもはテーマについてのお話があってから、本を紹介していただくのですが、この日はまず絵本の読み聞かせから始まりました。

最初は『おとうさんのちず』(作/ユリ・シュルヴィッツ、訳/さくまゆみこ、あすなろ書房 2009)。
1935年ポーランドのワルシャワに生まれた作者は、子どもの頃戦禍を逃れて家族であちこちの国へ逃げたといいます。
その体験を元にした本作は、人は極限状態にあっても想像の力で豊かに生きることができるという内容です。
ウクライナで今同じようなことが起こっています。80年経っても人間はちっとも賢くなっていないのですね。
※ 作者のシュルヴィッツは『よあけ』(訳/瀬田貞二、福音館書店 1977)で有名です。

 

『おとうさんのちず』(作/ユリ・シュルヴィッツ、訳/さくまゆみこ、あすなろ書房 2009)https://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=28562

次は『水曜日の本屋さん』(文/シルヴィ・ネーマン、絵/オリヴィエ・タレック、訳/平岡敦、光村教育図書 2009)です。
こちらも、戦争を体験したおじいさんと本屋さんで出会う女の子、店員さんのクリスマスのお話です。

『水曜日の本屋さん』(文/シルヴィ・ネーマン、絵/オリヴィエ・タレック、訳/平岡敦、光村教育図書 2009)

http://www.mitsumura-kyouiku.co.jp/ehon/83.html

最後は『ゼラルダと人喰い鬼』(作/トミー・ウンゲラー、訳/たむらりゅういち・あそうくみ、評論社 1977)です。
子どもを食べてしまう鬼に囚われたのに、得意の料理で手なずけてしまう少女のお話です。
※ 作者のウンゲラーは『すてきな三にんぐみ』(訳/いまえよしとも、偕成社 1969)で有名です。

 『ゼラルダと人喰い鬼』(作/トミー・ウンゲラー、訳/たむらりゅういち・あそうくみ、評論社 1977)

https://www.hyoronsha.co.jp/search/9784566001114/

この3編に共通しているのは「希望」ではないかと高科先生はおっしゃいます。
福音館書店の創始者・松居直(ただし)は、NHKの講座の中で「人間が生きていくために必要なものは、①水 ②空気 ③言葉である」と言っているそうです。もちろん食べ物も大事ですが、シュルヴィッツは想像することが大事であり、それは言葉を話す人間だからできることではないかと『おとうさんのちず』で示しているのです。
こうして見ると、人間はなかなか捨てたもんじゃない、生きていることは素晴らしいこと、と思えてきます。
次回の授業では、その辺りのことを宮崎駿の世界観を絡めてお話してくださるそうです。楽しみですね!

ここで、工藤直子の『こころはナニで出来ている?』(岩波書店 2008)から、「秘密の引き出しに入れておいた “友人” たち」のところを見ていきました。
1935年台湾に生まれ、戦後博報堂に入社して日本初のコピーライターとなり、後に詩人になった彼女が昔持っていた空想の世界について書かれたこの本は、彼女の作品の中に出ているキャラクターは皆この空想世界に住んでいた昔なじみだったといいます。
彼女も子供時代に戦争を体験しており、この本には想像の力で困難を乗り越えていったその根っこの部分が描かれているのです。

 『こころはナニで出来ている?』(岩波書店 2008)https://www.iwanami.co.jp/book/b256107.html 

休憩を挟んで後半は、今期のテキスト『文章のみがき方』(辰濃和男 著・岩波新書)です。
この日は「Ⅲ. 推敲する」の続きで「8. 流れを大切にする」と、「Ⅳ. 文章修行のために」から「1. 落語に学ぶ」を見ていきました。

文章の流れに関しては、①平明、そして明晰であること ②こころよいリズムが流れていること ③いきいきとしていること ④主題がはっきりしていること 他にもあるでしょうが、この4つがクリアされていれば十分とのこと。

落語の方は、昔の文豪たち(夏目漱石・正岡子規・二葉亭四迷・太宰治・坂口安吾など)もその影響を受けていたと例を挙げており、
今でも落語から学ぶことは多い、とまとめています。
その流れから、高科先生のご友人の児童文学作家・岡田淳さんが書いた『ふるやのもり』(孫の心をわしづかみにするお話―何度でも夢中になれる読み語り』増田善昭 PHP研究所2014より)を紹介していただきました。
岡田さんは漫画も描くし、大学の時落語研究会だったということで、文章を書く時に落語を参考にしていると思われます。

 

孫の心をわしづかみにするお話―何度でも夢中になれる読み語り」増田善昭(PHP研究所2014)

https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025645510-00

 

前回の課題〜「木について」絵本の文章を書く〜の返却に伴い、片山健の『きはなんにもいわないの』(学研2005)を紹介していただきました。「木」そのものではなく、お父さんが木になって子どもと遊ぶお話で、子どもが話しかけるのに「きはなんにもいわないの」とだけ返す、というものです。

『きはなんにもいわないの』 片山健(学研プラス 2005) https://hon.gakken.jp/book/1020242100

その後、高科先生が書いた木についての絵本テキストの原稿を見せていただきました。同じ内容でも、視点が変わると文体も変わったり、推敲の後や、清書してだんだん仕上がっていくようすが知れて、興味深かったです。

さて、今期の授業もあと2回を残すのみとなりました。
今回の課題は創作です。テーマは「おもちゃ」「おもちゃ箱」または「(おもちゃを所有している)子ども」などです。
原稿用紙5枚程度(実質1500字)の短編で、対象は基本的には文章に書かれているおもちゃで遊ぶような子どもと考えてください。
今回は絵本のテキストではありませんので、とくに場面数のしばりはなく、全体を通してどんなストーリーにするかを考えてください。

提出は、次回7月1日の授業の時です。よろしくお願いします。

 


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2023年5月20日(土)文章たっぷりコース第4期・13回目の授業内容/高科正信先生

2023-05-24 21:58:50 | 文章たっぷりコース

この日のテーマは、「幸福のありようについて」。
幸福のありようについて書かれている、さまざまな作品を紹介していただきました。

まず最初は、以前の授業で取り上げた3人の養子兄弟のことを描いた『うちへ帰ろう』の作者、ベッツィ・バイアーズの『18番目の大ピンチ』(作/B.バイアーズ ・訳/金原瑞人・絵/古川タク・あかね書房)です。
70〜80年代のアメリカが舞台で、ベンジー少年がさまざまなピンチの脱出法を考えるというこのお話は、訳者の金原さんのあとがきに「この本はドラえもんのいないのび太の物語」とあります。最後は自分で問題を解決することができ、幸福感を味わうというお話です。

『18番目の大ピンチ』(作/B.バイアーズ 、訳/金原瑞人、絵/古川タク、あかね書房 1993)https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002253715-00

その後、翻訳家の清水真砂子さんが文芸誌に寄稿した「幸福に驚く力」という文章を見ていきました。
幼い頃は大人から見れば他愛ないことが楽しく、幸せを感じることができる「幸福(奇跡)に驚く力」があるが、人生のある時期になるとその力は急速に弱まっていくきます。大人にとっては毎日の生活の中にある幸福(奇跡)に気づくことは難しいことですが、子どもの本の作家たちはそこに目を凝らして、幸福のさまざまなありようを考えて書き、子どもの心に届かせようとしているのです。
※ここで、レイチェル・カースンの『センス・オブ・ワンダー』や、マリー・ホール・エッツの『もりのなか』『またもりへ』などの書名も出てきました。

次に、森永ヒ素ミルク事件被害者弁護団を担当した弁護士・中坊公平の『金ではなく鉄として』(聞き手・編集/武居克明、岩波書店)から、お父さんやお母さんのエピソードを交え、「幸せは、実は日に何度も人を訪れているのではないか」という箇所を見ていきました。そんな中坊さんは、昔お仲間から「お前はほんまにアホみたいなことで、勝手に幸せになれるなあ」と呆れられたことがあるとか。ともすれば悲観的になりがちな私たちにとっては、全く羨ましい話です。

『金ではなく鉄として』(聞き手・編集/武居克明、岩波書店)https://www.iwanami.co.jp/book/b264407.html

高科先生は、長谷川集平の『はせがわくんきらいや』における、ぼくとはせがわくんの関係を「幸せな子ども時代」と捉え、この日は一年生の女の子2人が主役の『あのときすきになったよ』(作/薫くみこ、 絵/飯野和好、教育画劇 1998)も紹介してくださいました。

 

 
『あのときすきになったよ』(作/薫くみこ、 絵/飯野和好、教育画劇 1998) https://www.kyouikugageki.co.jp/bookap/detail/227/

トルストイは「幸福な家庭はどこも一様だが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」と書きましたが、実はそうではなく、幸福にもさまざまな形があり、子どものための本を書こうとする人は、そこにこそ目を凝らして創作しており、高科先生はだからこそ子どものための作家で良かったと思っているのだそうです。

あなたが幸せを感じるのはどんな時ですか? 毎日忙しく過ごしているからこそ、中坊さんのように毎日訪れる幸福に気づいて大切に過ごしたいものです。

休憩を挟んで後半は、『文章のみがき方』(辰濃和男 著・岩波新書)をテキストにして進めていくのですが、この日は瀬戸賢一の『書くための文章読本』(集英社インターナショナル)から、文末の表現について見ていきました。
日本語は文末に動詞がくるので、どうしても同じ言葉が並びがちです。そこで、複合動詞(射し込む・吹き荒れる など)や補助動詞(洗い出す・跳ね飛ぶ など)、オノマトペ(擬音語・擬態語)などを使って変化を出します。体言止めや用言止めは効果的ですが、多用すると良くないので、気をつけて使いましょう。 ※ 次回はテキストに戻ります。

『書くための文章読本』(作/瀬戸賢一、集英社インターナショナル) https://www.shueisha-int.co.jp/publish/書くための文章読本

最後に今回の課題は、「わたしの〇〇」です。
「わたし」の部分は、一人称であれば「ぼく」でも「オレ」でもかまいません。
「〇〇」は基本的に名詞であれば修飾語を+しても良く、具体的なものでも抽象的なものでも何でも良いです。
また、内容は創作でもエッセイでもよく、長さもスタイルも好きに書いてください。
ただし、この日学んだ文末の工夫と、魅力的な書き出しに注意することは忘れずに。

提出日は、次回の授業のある6月10日(土)です。よろしくお願いいたします。

 


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2023年5月6日(土)文章たっぷりコース第4期・12回目の授業内容/高科正信先生

2023-05-07 22:14:54 | 文章たっぷりコース

前回の授業で、子どもの文学はメッセージ性が強いということを学びました。
では、子どもの文学を読むということと、「書く」ということに、どんな関係性があるのでしょうか?

子どもの本の中でもっとも大切なテーマとして選ばれるのが、「生きる」とか「死ぬ」ということです。
子どもたち自身の身の回りにいる生き物や、身近な人たちの死は子供にとってどういう意味があるのでしょう?
“そこ” をこそ書く意味というのを、作家として見つめていかなければならないと高科先生はおっしゃり、
ご自身の著書『ぼっちたちの夏』(絵/渡部洋二・佼成出版社)にも、愛犬との別れが書かれていることを教えていただきました。

読み聞かせてくださったのは、ナネット・ニューマンの『ぼくのイヌ』(訳/掛川恭子・絵/長新太・国土社)です。
これは、愛犬を亡くして悲しんでいた少年が新しい相棒を得るまでの話で、訳者の掛川さんは後書きで、「生きとし生けるものの命は、単独では一つかもしれないが、亡くなってしまった愛するものたちを思い出すことで、命の鎖はどこまでも繋がっていく」と言っています。
このように、「死」と「死への恐怖」、そして「愛するものの死をどうやって乗り越えるか」ということは、子どもの文学にとって重要なテーマなのです。
 

 

次に読み聞かせてくださったのは、谷川俊太郎の『おばあちゃん』(絵/三輪滋・イソップ社)です。
1981年に出版されたこの本は、まだ「認知症」という言葉が一般的ではなかった時代に、「おばあちゃんは赤ちゃんみたい」「宇宙人になっていく」と書いて、問題提起をしています。
「老いる」ことを受け止め、受け入れるということは、当時まだあまり話題にはなっていませんでした。

子どもの文学は、前回も言ったように向日性です。それでも避けて通れない、子どもの本には書かれないタブー(老い、両親の不仲・親による虐待・いじめ・性の問題)があり、それは子どもの本には不向きなので書かないようにしましょう、と言われてきました。
それでも、そのことについて書いてきた作家はたくさんいます(松谷みよ子・神沢利子・石井桃子など)。

 

次に紹介していただいたのは、木葉井(きばい)悦子の『ぼんさい じいさま』(瑞雲社)です。
これは、たくさんの盆栽を大事に育てているじいさまが、ひいらぎ少年に連れられて旅立っていく、じいさまを慕う動物たちとの別れを描いた作品です。残念ながら作者は若くして亡くなったのですが、晩年は仏教についての作品が多くなったそうです。
その頃の作品が、みずまき』(講談社)カボチャありがとう』(架空社)です。

   

続いて紹介していただいたのが、写真絵本こいぬがうまれるよ』(著/ジョアンナ∙コール・翻訳/つぼいいくみ・写真/ジェローム∙ウェクスラー・福音館書店)です。仔犬が生まれて成長していく過程を、ていねいに描いています。
犬の寿命は10〜15年くらい。人間の子どもも一緒に大きくなって、やがて別れの時を迎えます。
子どもは、命は順番につながっていくのだということを学ばなければなりません。

 

「老い」や「死」と「生」は、紙の表裏のように一体になっていて、どちらか片方だけではなく両方とも書く必要があります。
どちらか一方を書けば、もう一方をあぶり出すことになるのです。
子どもの本の作家たちは、書くことを通して「生きる」とか「死ぬ」ということを探求しているのです。

もう一冊。福音館書店のかがくのともより『えぞまつ』(文/神沢利子・絵/吉田勝彦・監修/有澤浩・福音館書店)を。

 

色鉛筆で丁寧に書き込まれた絵で、北海道の森の中の命の移り変わりを描いていて、死ぬ(木が枯れる)ことを悲しみの対象とせず、新たな命へ受け継がれていく様子がわかるようになっています。※ 倒れた木の幹で新芽が育つ=倒木更新

休憩を挟んで、後半は教科書文章のみがき方』(辰濃和男 著/岩波新書の「Ⅲ 推敲する」から「4. いやな言葉は使わない」「5. 比喩の工夫をする」「6. 外来語の乱用を避ける」のところを交代で音読していきました。

ジャンルや言い回しを問わず、自分の中に「いやだと思う言葉」や「居心地が悪いと思う言葉」を蓄え、それを使わずに文章を書くように気をつけましょう、ということで、2002年に出版された 江國滋の『日本語八ツ当たり』(新潮社)には江國さんが当時気になっていた言葉がたくさん出ていると教えていただきました。

  

比喩表現については、瀬戸賢一の『日本語のレトリック』(岩波ジュニア新書)に載っている、30ものレトリック表現(隠喩・直喩など)をまとめた表を見ていきました。次回から、文章を書くときに参考にしてください。
アリストテレスの時代から、レトリックは魅力的な言葉で人を説得する技術ですが、使い過ぎはくどくなるので、オリジナルで洒落た比喩表現を的確に使うように心がけましょう。

カタカナ語は乱用を避ける、の一語に尽きます。特に新しい技術や経済用語をカタカナで表記することは多いですが、日本語で表現できることは日本語で表すべきでしょう。

最後に、前々回に出た「まっちゃん」「ふとん」「じゃり道」の3つの言葉を使って創作するという、いわゆる「三題噺」の課題を返却してもらいました。
最近では、企業の入社試験でも使われるというこの手法は、同じ言葉を使っても、使い方によってずいぶん雰囲気が変わるので、その人の資質や性格を見るのに良いのだそうです。

前回の課題「木をテーマにした絵本のテキストをひらがなで書く」は、次の20日に提出して」いただきますので、皆さんよろしくお願いいたします。

 


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2023年4月29日(土)文章たっぷりコース第4期・11回目の授業内容/高科正信先生

2023-04-30 19:26:40 | 文章たっぷりコース

今期の文章たっぷりコースも後半に入り、これからしばらく「子どもの本について」というテーマの授業を続けます。

大人と子どもの本はどこが違うのか。
一般的に大人の本は問いかけが、子どもの本には答えが書かれていることが多いようです。
子どもの本は「向日性」の文学と言われ、ストーリーの中でいろいろなことがあっても、最後はハッピーエンドで終わって「あーよかった」と思えるような性質を持ちます。
中にはそうでないものもありますが、人生を明るく前向きに捉えられるような内容で、決して読んだ後で不安にならないように書かれています。

子どもの本には強いメッセージ性があるものが多く、メッセージの中身は多種多様です。
例えば「どうしたら幸せになれますか?」「どうしたら友達ができますか?」というような質問に対する、さまざまな角度からの答えが書かれているのが、子どもの本です。そこにこそ力を注いで書いているのが、先生を含めいわゆる子どもの本の作家です。

お話の中にあるとても大切なメッセージに「人を愛する」「愛とは何か」ということがあります。
今日は、「愛」をテーマにした子どもの文学を紹介してくださいました。

1907年生まれの英国の作家ルーマー・ゴッデン(映画「リトル・ダンサー」の元となった「バレエダンサー」の作者)が書いた『ねずみ女房』(福音館書店)は、家の中の世界しか知らないネズミの奥さんが、家主が鳥籠で飼い始めたキジバトと知り合い、仲良くなって、彼を助けて鳥籠の扉を開け、森へ返してあげるという話です。
ハトを助けると、二度と会えなくなります。それでも彼を逃すという行為は、見返りを求めない愛の原型ではないでしょうか。

ルーマー・ゴッデン/石井桃子 『ねずみ女房』 福音館書店(1977) https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=288

次は、シェル・シルバスタイン『おおきな木』です。70年代に、ほんだきんいちろう訳で出版されたものが、40年ほど経って村上春樹の訳で再販されました。
この作品の原題は『THE GIVING TREE』といい、おおきな木は自分の持っているすべてのものを与え続けることが嬉しいというお話です。

シェル・シルバスタイン『おおきな木』ほんだきんいちろう訳(1976)篠崎書林/村上春樹訳(2010)あすなろ書房 http://www.asunaroshobo.co.jp/home/com/index.html

山下明生の『島ひきおに』(偕成社)は、人間と仲良くなりたい鬼が自分の住んでいる島を引っ張って別の島へ行くものの、どこへ行っても誰も遊んでくれず、それでも鬼は遊んでくれる相手を探していつまでも島を引き続けるというお話です。
浜田広介の『泣いた赤鬼』は、他人の自己犠牲や献身で異形のものと仲良くなる結末ですが、この二つの作品は全く違います。
愛を描くときは、表面的に「仲良くなりました」で終わるのではなく、もっと深く掘り下げる必要があるのではないでしょうか。

山下明生/梶山俊夫『島ひきおに』偕成社(1973)https://www.kaiseisha.co.jp/books/9784033300207

アーノルド・ローベルの『がまくんとかえるくん』(文化出版局)では、二人ののんびりした友情に、人と人が深いところでつながる大事なことの原型が描かれていおり、子どもの文学にはそれが貫かれています。
そして、大人・子どもに関わらず、世の作家たちは何を書けば自分のメッセージが読者に伝えられるのかを考えながら書いています。
これは、書くことの本質と結びついている大切なことです。

休憩を挟んで、後半は教科書『文章のみがき方』(辰濃和男 著/岩波新書)の「Ⅲ 推敲する」から「2. 削る」「3. 紋切り型を避ける」のところを交代で音読していきました。

「2. 削る」の冒頭には最初に太宰治の言葉が引用されていて、それは「文章の中のある箇所を切り捨てたら良いか残す方が良いか、途方に暮れた場合は必ず切り捨てること」という内容で、そのことについての補足が書かれています。削ることで残った部分をきわだたせることができ、主題が浮かび上がってくるので、削れば削るほど文章の本質が明らかになってくるというのです。
まずは予定の文字数より長めに書いて、読み返した時に同じ言葉や言い回しが続いていることに気づくと、ザクザク削って書き直します。それはある種の快感である、と辰濃さんは言っておられます。

例えば、文章の冒頭部分。どれだけ手間暇をかけて書いたとしても、後で読み返した時にそこが良くないと感じたら、迷わず書き直しましょう。
物語の書き出しは大切です。例えば書店で本を選ぶとき、手に取って読んでみるのは書き出しの部分でしょう。ここに魅力を感じたら、レジに持って行って、家に持ち帰ってもらえることになるので、最良の言葉を見つけて書くようにしましょう。

「3. 紋切り型を避ける」では、「雲ひとつない青空」「抜けるような空」など、皆がよく知っている使いやすい言葉・表現はできるだけ避け、形容詞の多用も避けるようにしましょう。そうすることで、自分らしい文章のスタイルが完成に近づくでしょう。

参考として、鶴見俊輔の『文章心得帖』(ちくま学芸文庫)から「三つの条件」の箇所を見ていきました。
鶴見氏にとっての理想の文章は、①誠実であること ②明晰であること ③わかりやすいこと だそうです。
文章を書く時は、いま一度上記のことに気をつけて書いていきましょう。

それから、前々回の課題になっていた「うんと幼い時の最初の記憶」の参考として、姫野カヲルコの『ちがうもん』(文春文庫)のあとがきから、本人によるものと、辰濃和男による解説の箇所を見ていきました。

姫野氏もそうだと書いているように、クラスの皆も今回の課題を書くにあたって、自分たちの記憶のカケラを引っ張り出し、たぐり寄せて書いたことでしょう。そうするうちに、思いもかけないことが出てくることがあります。それは一体どういうことか、根っこには何があるのかを考えて書いてもらうための課題でした。

今回の課題は、「絵本のテキストを書く」です。絵本ですから、創作でお願いします。
書籍は紙の取り分の関係から、8の倍数のページで作られています。絵本の場合は16とか32ページで、2ページが1見開き(場面)として構成されています。
そのうちの扉と奥付の部分には文字が入りませんので、−2ページで構成される見開きに入る文章を考えてください。(絵本の場合11か15見開きが多いです)
1見開きごとに番号を打ち、次の見開きに進む前に行を少し開けて、ページをめくっている感じを出してください。
文章はすべてひらがなで書き、必要なら場面の説明(どんな絵が入るのか等)をト書きで入れてください。
※ 実際の絵本のようなわかち書きにはしなくても良いです。
文章量は、先生の場合は15見開きで7〜8ページから10枚程度で書きますが、内容によって増減しても大丈夫です。
テーマは「木」。木は動きません。そんな木が登場する、木にまつわるお話なら、何でもかまいません。

次の授業は6日で、日にちがあまりありませんので、提出は次々回の20日でお願いします。

今期の授業では、今回初めての試みになります。最初ですので、そんなにうまくいかなくても構いません。とにかく物語、木の物語を書いてください。
どんな木か、それは自分で考えてください。難しいかもしれませんが、とにかく一度やってみてください。

よろしくお願いします。

 


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