絵話塾だより

Gallery Vieが主宰する絵話塾の授業等についてのお知らせです。在校生・卒業生・授業に興味のある方は要チェック!

2023年11月11日(土)文章たっぷりコース第5期・初回の授業内容/高科正信先生

2023-11-13 20:41:16 | 文章たっぷりコース

文章たっぷりコース第5期が始まりました。

まず、皆さんがなぜこのクラスを受講しようと思ったかを含めた自己紹介をし、
高科先生の自己紹介の中では出版されたばかりの『プレゼントはひとつ』(文:高科正信/絵:コマツシンヤ 福音館こどものとも年中向き2023年12月号)
と、前作『はしを わたって しらない まちへ』(文:高科正信/絵:中川洋典 福音館こどものとも2017年10月号)についての話をしてくださいました。

この講座では、「、」「。」の打ち方から原稿用紙の使い方まで、文章の書き方をていねいに教えてくださるそうです。

この日は、中高生のための文章読本 ー 読む力をつけるノンフィクション選(編:澤田英輔・仲島ひとみ・森大徳 筑摩書房)から、
長田弘の詩「世界は一冊の本」という詩と、序文を紹介してくださいました。
この詩は『ポケット詩集』(編:田中和雄 童話屋)に収められた作品です。

『ポケット詩集』からは、茨木のり子の「聴く力」も紹介してくだいました。
今から文章の書き方を学ぼうとする皆さんの心に、届いたでしょうか。

このように、さまざまな書籍の中の文章を取り上げながら「書くとはどういうことか」「いかに書くか」について、
先生ができるだけのことを伝えていこう、書いていくときに本当に必要なものは何かを話していこうと思う、とおっしゃいます。
せっかく受講するのだから、できるだけたくさんのことを手に入れてほしいとのことでした。

そして、今期のテキスト『60歳からの文章入門』(著:近藤勝重 幻冬舎新書686)を皆で音読していきました。
「、」「。」に気をつけながら読んでいくと、作者の意図や意味、リズムや文体が分かり、自分にも身につくようになります。

この日は
●言葉と文字と文章と
・言葉を選択する力
●「思うこと」より「思い出すこと」を書く
・作文10カ条
・文章は最高の自己表現
・体験は「気づき/ひらめき」の素 のところを見ていきました。

とくに作者による「作文10カ条」のところは、これから文章を書くときに気をつけていきたいことです。
書くテーマと自分の間にある程度の距離をとり、自己を対象化して、主観性だけでなく客観性を持たせることが重要だとか
文章を書くということは、たとえ日記であっても誰かに読まれることを前提に書くべきだとか
皆が次々と質問して、授業が盛り上がりました。

高科先生によれば、人類が誕生して他の人に何か(感情・情動)を自分ではない誰かに伝えたいときに、言葉が生まれたのではないか。
最初は表情や身振り手振りや仕草やうめき声だったでしょうが、まず何かを表す言葉ができ、次に洞窟などに絵言葉を描いて残し、そしてその地方独自の文字ができ、それをつなげて意味の分かるものにして言ったのが、文章であろう、とのことでした。

休憩をはさんで、後半は「書く」ことについて学んでいきました。
まずは、これから毎回でる課題を書いていくときに使う原稿用紙の使い方の確認です。

①原稿用紙は縦書きを使う。サイズやメーカーは問わないが、1枚400字詰めのものを選ぶ。
②題名は2行目の3〜4マス目くらいから書き始める。
 短いものは行内でバランスを取るが、題名が長くて2行にわたるとき2行目は1行目より少し下から書く。
③作者名は4行目の下の方に書く。②の題名が2行にわたっていても、作者名は4行目固定で。
④本文は6行目から始め、書き出しは1マスあけて2マス目から書いていく。
⑤1枚に一つノンブル(ページ数)を書いておくと、入れ替わったときに気づきやすい。
⑥ 文末の 、 。が次の行にわたるときは、前の行の欄外にぶら下げる。
⑦「」は一文字と数え、行頭にくるときは段落が変わるときでも1マスあけなくても良い。
⑧撥音(っ・ゃ 等)・長音(ー)は行頭になってもかまわない。
⑨数字や外国語は基本は縦書きだが、文字を寝かせた横書きでもかまわない。
⑩会話文の「」中には文末に。はつけない。
⑪「」『』()などの使い方に気を配る。
⑫以上の表記上の約束事は、一つの文章の中では統一する。
⑬公募などでどこかに提出する原稿は、上に1枚題名と作者名の書かれた別紙をつけるのが礼儀である。

等々、たくさんの約束事がありました。
文章を書くとき、手元に辞書の他に各新聞社などが出している「用字用語辞典」の類いがあれば
何か書いていて迷ったときにすぐ確認できて、便利です。

そして、今回の課題です。
上記にあるような約束事を守り、「あるく」をテーマにしてエッセイ・創作・詩など、自由な内容・長さの文章を書いてください。
※ この教室での課題を提出する際は、上に1枚つけなくても、本文が書いてあるページからで結構です。

実際に歩いてみて、または以前歩いたときに感じたことや考えたことなど、「自分にしか書けないこと」を思い浮かべながら書いてください。

次の授業は11月25日(土)です。皆さん、頑張ってくださいね!


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2023年7月15日(土)文章たっぷりコース第4期・16回目(最終回)の授業内容/高科正信先生

2023-07-16 21:55:11 | 文章たっぷりコース

文章たっぷりコース第4期も、ついに最後の授業になりました。
昨年11月から約9か月、毎回さまざまなテーマについて学びました。

最終回はいつもと逆で、テキスト『文章のみがき方』(辰濃和男 著・岩波新書)を先に学びました。
この日は「Ⅳ. 文章修行のために」から、「4. 概念を壊す」「5. 動詞を中心にすえる」「6. 」低い視線で書く」のところです。

高科先生も、駆け出しの頃によく「今まで身につけてきた既成概念を壊して書け」と先輩から言われたそうです。
創作する時は、走り幅跳びのように、①気持ちを高めて ②助走のスタートを切り ③加速して ④タイミングを合わせて ⑤踏み切り ⑤空中姿勢を保って ⑥なるべく距離を伸ばし ⑦着地する という工程で進めます。
初心者はつい、次は⑦の着地した所から始めようと思いがちですが、実はまた①から始めなければならない、と先生はおっしゃいます。
一つ完成したら、それをもっと良くしたいと手を加えたくなりますが、そうではないのです。
すぐれた批評家というのは、①〜⑦のさまざまな場面について、アドバイスをしてくれます。

初心者はまた、「私は(この作品を)こんなふうに思って作った」と言いがちですが、完成した瞬間から作品は作者の手を離れて読む人・見る人の手に委ねられ、好きなように読んで・見てもらうような存在になるです。

長田弘はエッセイの中で「今は名詞が多すぎて、動詞が少なすぎる」と言っているそうです。
テキストの中では、新しい名詞がどんどんできて、使い捨てられていく。そして動詞は「カタカナ語+する」という使い方が増えている。その風潮は日本語の根源を揺るがす危機ではないかと問題提起しています。

※ 参考文献として、大野晋の『日本語練習帳』(岩波新書)と、今井むつみ・秋田喜美の『言語と本質―ことばはどう生まれ、進化したか―』(中央公論社)を紹介してくださいました。

 『日本語練習帳』(大野晋・岩波新書)https://www.iwanami.co.jp/book/b268415.html

 『言語と本質―ことばはどう生まれ、進化したか―』(今井むつみ・秋田喜美、中央公論社)

https://www.chuko.co.jp/search.php?name4=言語の本質&btn.x=0&btn.y=0

視線については、「人間中心主義」では発見することができない、視線を低くすると見えてくるものにも、きちんと目を向けていきましょう、とのことでした。

今期は、テキストを最後まで見ていくことができませんでした。
残りの「7. 自分と向き合う」「8. そっけなさを考える 」「9. 思いの深さを大切にする」「10. 渾身の力で取り組む」の箇所は、各自で見ていってください。
そうして、本に書いてあるさまざまなことの中から、自分で良いと思うところを取り入れていくのが良いでしょう、というところで、今期のテキストの授業は終わりです。

ここで、以前学んだ「土地の言葉で書く」ということについて、質問がありました。
ネイティブでない言葉で書くときは、その土地の言葉に精通した人に見てもらうのが一番ですが、それができない時は、できるだけその土地の言葉で書かれたものや、話している音声を聞いて、自分で慣れるしかありません。

 『ブス愚痴録』(田辺聖子、文藝春秋)

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/1671533600000000000O


田辺聖子のように、地の文は標準語で台詞は関西弁という人もいるし、千草茜のように両方関西弁の人もいます。また、宮沢賢治は東北の言葉で書く以外に、独自のオノマトペを使うところが、特徴であり、魅力になっています。

高科先生は、今年の11月に福音館から『プレゼントはひとつ』(絵・コマツシンヤ、こどものとも年中向け12月号)という絵本を出版されます。先生はもう後書きも書き終えて、あとは絵の完成を待っているところだそうです。楽しみですね!

休憩を挟んで、後半は今日のテーマ「子どもの本ってなんだろう?」に沿った作品の紹介です。
先生が何度もおっしゃるように、子どもの本に色濃く流れているのは、ある種の「おめでたさ」「祝祭」です。

 『クマのプーさん』(著・A.A.ミルン、絵・E.H.シェパード、訳・石井桃子、岩波書店) https://www.iwanami.co.jp/book/b269483.html

クマのプーさんのお話は、全てトンチンカンでおめでたいものです。

方言で書かれた『いちにちにへんとおるバス』(文・中川正文、絵・梶山俊夫、ひかりのくに)は、山のタヌキが恩返しをするお話です。作品におめでたさがあるから、読後、息がしやすく・生きやすくなります。

 『いちにちにへんとおるバス』(文・中川正文、絵・梶山俊夫、ひかりのくに)

https://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=22861&pcf=1

続いては『のまどくん』(作・片山健、文溪堂)です。のまど(NOMADO)とは、遊牧民・放浪者の意味で、自由気ままに生活する人をイメージした名前です。
繰り返される「のまどくんは◯◯が好き」というフレーズで、話はどんどん展開していき、概念や価値観にとらわれずに生きていけるというお話です。

『のまどくん』(作・片山健、文溪堂)

https://common.bunkei.co.jp/books/3212.html

 『タンゲくん』 (片山健、福音館書店)

https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=565

片山健の作品は『タンゲくん』(福音館書店)でもそうですが、レイチェル・カースンが言うところの「幸福に驚く力、(ある種の)機嫌の良さ」に満ちており、それが魅力になっています。
子どもの本に必要なのはそういうことだと、清水真砂子・河合隼雄・宮崎駿らも言っています。

次に、まど・みちおの『いわずにおれない』(集英社)から、クスッと笑える3つの詩を紹介してもらいました。彼の作品も、ひらがなを使い、軽みがあるからこそ「おめでたさ」に満ちています。

『いわずにおれない』(まど・みちお、集英社)

https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=4-08-650101-5

まどさんも、前回の授業で紹介していただいた長新太と同じく、「子ども性」を持ち続けている作家です。子どもの本の作家は「子どもを生きる」ことを常に考えて、書き続けているのです。

最後に、前回の課題(おもちゃ、おもちゃ箱、おもちゃの持ち主の子どもをテーマにした短編)を返してもらい、参考文献として高科先生の掌編『ぽいぽいぽーい』と、レオ・レオニの『アレクサンダとぜんまいねずみ』(訳・谷川俊太郎、好学社)を紹介していただきました。

 『アレクサンダとぜんまいねずみ』(作・レオ・レオニ、訳・谷川俊太郎、好学社)

https://leolionni.jp/books/313/

高科先生は、絵本や児童文学の知識が豊富で、毎回さまざまな作品を紹介していただきます。
臨場感のある読み聞かせも楽しく、2時間半の授業があっという間です。
課題のテーマも多岐に渡り、書いたことのないジャンルにチャレンジでき、先生がそれを読んで一人一人に」アドバイスしてくださるので、文章力アップにつながります。

今期はこのような感じで進んできましたが、11月から始まる第5期は、テキストや毎回の授業のテーマも変わるそうです。
このブログを読んで、ご興味をもたれた方、参加してみたいと思われた方は、ぜひご連絡ください。よろしくお願いいたします。


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2023年7月1日(土)文章たっぷりコース第4期・15回目の授業内容/高科正信先生

2023-07-07 17:12:21 | 文章たっぷりコース

この日から7月に入るということで、「この世には2種類の人間がいる」というお話を。
・今年ももう半分終わってしまった と考える人と
・今年はまだ半分も残っている と考える人。
さて、あなたはどちらでしょう?

今回の授業のテーマは、「子どもを生きる」でした。
心理学者の河合隼雄は、『子どもの宇宙』(岩波新書)の中で、
「一人一人の子どもの中に広い宇宙があり、そのことを大人になると忘れてしまう」と言いました。

絵本について考えるとき、よく話題に上るのは「自分の中の子ども」ということです。

保育現場や大学の教育学の授業で必須になる岡本夏木の代表作に、『幼児期 − 子どもは世界をどうつかむか −』(岩波新書)があります。

この中の「大きい子ども」という一説を読んでいきました。
西洋では長らく「子ども=小さな大人」と考えられていましたが、日本では既に12世紀の『梁塵秘抄』の中で「遊びは子どもの本質である」と捉えていました。

『幼児期−子どもは世界をどうつかむか−』(岩波新書)
https://www.iwanami.co.jp/book/b268768.html 

モーリス・センダックは『センダックの絵本論』(訳/脇明子・島多代、岩波書店)で
「人間という存在は、子どもが成長して大人になるのではなく、彼らは “子ども” という独自の生き方をしていて、それは何にも代えがたい。絵本の書き手はそれをこそ描いているのではないか」と言っています。

そして、『たろうのおでかけ』(文/村山桂子、絵/堀内誠一、福音館書店)を紹介してくださいました。

 

『たろうのおでかけ』(文/村山桂子、絵/堀内誠一、福音館書店)https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=52#modal-content

犬・猫・アヒル・ニワトリを連れておでかけするたろうに、大人たちは「危ないから」といろんなアドバイスをします。たろうはとりあえずアドバイスを聞きますが、動物たちは彼の味方をしてくれます。
子どもは「子どもの時間」をしっかり生きているのだと実感できるお話です。

続いて、(高科先生によれば)「子どもを生きる」ことができる作家・長新太の絵本を2冊。

 

『つきよ』(作/長新太、教育画劇) https://www.kyouikugageki.co.jp/bookap/detail/1278/

 

『ぼくのくれよん』(作/長新太、講談社)https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000137890

いずれも、作家の中の「子ども性」が描かせた作品といえるでしょう。

次は、詩人・阪田寛夫の詩集『てんとうむし』(童話屋)から数篇を見ていきました。
「ねむりのくに」では、一人のおじいさんの中に若者と少年とおさなごがいるとうたっています。

『てんとうむし』(作/阪田寛夫、童話屋)http://www.dowa-ya.co.jp/books/poem/enjoy/tentomushi.html

児童文学作家のあまんきみこも、エッセイの中で「私たちは自分の中に、赤ちゃんの時代・幼年期・少年少女期・青年期・壮年期という木の年輪を抱えて生きている。私たちの中の思念は、驚くほど年輪の中心部分に支配され、指示を受けている。(子ども時代の経験がその人を形成している)」と言っています。

マリー・ホール・エッツの絵本『もりのなか』『またもりへ』(訳/いずれも まさきるりこ、福音館書店)では、お父さんがもう二度と子ども時代には戻れないという嘆きが描かれていますが、目の前に存在する子どもを見ていると、自分の中の子どもが息を吹き返すかもしれません。

だから高科先生は、子どもの現場にいる人たちは素晴らしいと思うのだそうです。

教育の現場に長くおられた教育評論家・遠藤豊吉は、世間一般では大学の先生が一番偉いと言われているけれど、実際には幼稚園や保育所の先生が一番えらいのではないかと言っています。
「子どもは独特の時間を生きている」という認識を持つのが、子どもを理解してアプローチする最も良い方法ではないでしょうか。

宮崎駿の著書『本へのとびら − 岩波少年文庫を語る −』(岩波新書)は、前半が宮崎監督が選んだ岩波少年文庫50冊の紹介、後半は児童文学感を語っています。
「子どもの文学のほとんどは、やりなおしがきくお話である」と言い、自身で制作するアニメも「この世に生まれてきて良かった」「この世は生きる値打ちに満ちあふれた世界である」という作品を作りたいと言っています。

 『本へのとびら−岩波少年文庫を語る−』(岩波新書)https://www.iwanami.co.jp/book/b226119.html

高科先生も、不条理を描いた大人の文学より、希望に満ちあふれた子どもの文学の方がおもしろいと思って、児童文学作家になったのだそうです。

休憩を挟んで後半は、今期のテキスト『文章のみがき方』(辰濃和男 著・岩波新書)の「Ⅳ. 文章修行のために」から「2. 土地の言葉を大切にする」「3. 感受性を深める」のところを見ていきました。

第二次世界大戦後の教育として、現場では標準語を使い、方言をなくすようにされてきました。確かに、標準語を使えば全国どこで暮らしている人にも話の意味は通じますが、土地の言葉を使う方が、迫力も説得力も増します。
井上ひさしや田辺聖子のように、50〜60年代から土地の言葉で小説を書いていた作家も居ますし、長谷川集平は『はせがわくんきらいや』(1976 すばる書房)で、絵本に初めて関西弁を取り入れました。80年代になると明石家さんまがドラマの主役を関西弁で演じるようになり、今ではお笑い芸人が出身地の言葉や地元のローカルネタで笑いを取るようになっています。

レイチェル・カーソンは『センス・オブ・ワンダー』(1996 新潮社)の中で、「自然の中に入ると感受性にみがきがかかる」と言っていますが、高科先生は「都会で暮らしていても風や雨や陽の光を感じることで感覚を磨くことができる」とおっしゃいます。
ドラマチックな経験の有無とは関係なく、耳や口や目や鼻や皮膚全体(五感)で真理を感得し、書きたいことが人に伝わるよう書けるようになりましょう。

次回が今期の文章たっぷりコースの最終授業となります。

最後の課題は、「(わたしにとって)ちょっとした贅沢とは?」です。
このテーマで、創作・エッセイ・コラム … どんなものでもかまいませんので、文章を書いてください。長さや書き方も自由です。

よろしくお願いいたします。

 

 

 


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2023年6月10日(土)文章たっぷりコース第4期・14回目の授業内容/高科正信先生

2023-06-16 18:46:56 | 文章たっぷりコース

この日も、よもやま話から始まりました。
最近は栗の花が咲いているということから、「栗花落」と書いて「つゆり」と読む名字があることを教えていただきました。
なぜ「つゆり」なのかというと、栗の花が落ちる頃に梅雨入りするからなんだそうです。
…などなど、日本語はおもしろい、趣深い、味わい深いというお話でした。

いつもはテーマについてのお話があってから、本を紹介していただくのですが、この日はまず絵本の読み聞かせから始まりました。

最初は『おとうさんのちず』(作/ユリ・シュルヴィッツ、訳/さくまゆみこ、あすなろ書房 2009)。
1935年ポーランドのワルシャワに生まれた作者は、子どもの頃戦禍を逃れて家族であちこちの国へ逃げたといいます。
その体験を元にした本作は、人は極限状態にあっても想像の力で豊かに生きることができるという内容です。
ウクライナで今同じようなことが起こっています。80年経っても人間はちっとも賢くなっていないのですね。
※ 作者のシュルヴィッツは『よあけ』(訳/瀬田貞二、福音館書店 1977)で有名です。

 

『おとうさんのちず』(作/ユリ・シュルヴィッツ、訳/さくまゆみこ、あすなろ書房 2009)https://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=28562

次は『水曜日の本屋さん』(文/シルヴィ・ネーマン、絵/オリヴィエ・タレック、訳/平岡敦、光村教育図書 2009)です。
こちらも、戦争を体験したおじいさんと本屋さんで出会う女の子、店員さんのクリスマスのお話です。

『水曜日の本屋さん』(文/シルヴィ・ネーマン、絵/オリヴィエ・タレック、訳/平岡敦、光村教育図書 2009)

http://www.mitsumura-kyouiku.co.jp/ehon/83.html

最後は『ゼラルダと人喰い鬼』(作/トミー・ウンゲラー、訳/たむらりゅういち・あそうくみ、評論社 1977)です。
子どもを食べてしまう鬼に囚われたのに、得意の料理で手なずけてしまう少女のお話です。
※ 作者のウンゲラーは『すてきな三にんぐみ』(訳/いまえよしとも、偕成社 1969)で有名です。

 『ゼラルダと人喰い鬼』(作/トミー・ウンゲラー、訳/たむらりゅういち・あそうくみ、評論社 1977)

https://www.hyoronsha.co.jp/search/9784566001114/

この3編に共通しているのは「希望」ではないかと高科先生はおっしゃいます。
福音館書店の創始者・松居直(ただし)は、NHKの講座の中で「人間が生きていくために必要なものは、①水 ②空気 ③言葉である」と言っているそうです。もちろん食べ物も大事ですが、シュルヴィッツは想像することが大事であり、それは言葉を話す人間だからできることではないかと『おとうさんのちず』で示しているのです。
こうして見ると、人間はなかなか捨てたもんじゃない、生きていることは素晴らしいこと、と思えてきます。
次回の授業では、その辺りのことを宮崎駿の世界観を絡めてお話してくださるそうです。楽しみですね!

ここで、工藤直子の『こころはナニで出来ている?』(岩波書店 2008)から、「秘密の引き出しに入れておいた “友人” たち」のところを見ていきました。
1935年台湾に生まれ、戦後博報堂に入社して日本初のコピーライターとなり、後に詩人になった彼女が昔持っていた空想の世界について書かれたこの本は、彼女の作品の中に出ているキャラクターは皆この空想世界に住んでいた昔なじみだったといいます。
彼女も子供時代に戦争を体験しており、この本には想像の力で困難を乗り越えていったその根っこの部分が描かれているのです。

 『こころはナニで出来ている?』(岩波書店 2008)https://www.iwanami.co.jp/book/b256107.html 

休憩を挟んで後半は、今期のテキスト『文章のみがき方』(辰濃和男 著・岩波新書)です。
この日は「Ⅲ. 推敲する」の続きで「8. 流れを大切にする」と、「Ⅳ. 文章修行のために」から「1. 落語に学ぶ」を見ていきました。

文章の流れに関しては、①平明、そして明晰であること ②こころよいリズムが流れていること ③いきいきとしていること ④主題がはっきりしていること 他にもあるでしょうが、この4つがクリアされていれば十分とのこと。

落語の方は、昔の文豪たち(夏目漱石・正岡子規・二葉亭四迷・太宰治・坂口安吾など)もその影響を受けていたと例を挙げており、
今でも落語から学ぶことは多い、とまとめています。
その流れから、高科先生のご友人の児童文学作家・岡田淳さんが書いた『ふるやのもり』(孫の心をわしづかみにするお話―何度でも夢中になれる読み語り』増田善昭 PHP研究所2014より)を紹介していただきました。
岡田さんは漫画も描くし、大学の時落語研究会だったということで、文章を書く時に落語を参考にしていると思われます。

 

孫の心をわしづかみにするお話―何度でも夢中になれる読み語り」増田善昭(PHP研究所2014)

https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025645510-00

 

前回の課題〜「木について」絵本の文章を書く〜の返却に伴い、片山健の『きはなんにもいわないの』(学研2005)を紹介していただきました。「木」そのものではなく、お父さんが木になって子どもと遊ぶお話で、子どもが話しかけるのに「きはなんにもいわないの」とだけ返す、というものです。

『きはなんにもいわないの』 片山健(学研プラス 2005) https://hon.gakken.jp/book/1020242100

その後、高科先生が書いた木についての絵本テキストの原稿を見せていただきました。同じ内容でも、視点が変わると文体も変わったり、推敲の後や、清書してだんだん仕上がっていくようすが知れて、興味深かったです。

さて、今期の授業もあと2回を残すのみとなりました。
今回の課題は創作です。テーマは「おもちゃ」「おもちゃ箱」または「(おもちゃを所有している)子ども」などです。
原稿用紙5枚程度(実質1500字)の短編で、対象は基本的には文章に書かれているおもちゃで遊ぶような子どもと考えてください。
今回は絵本のテキストではありませんので、とくに場面数のしばりはなく、全体を通してどんなストーリーにするかを考えてください。

提出は、次回7月1日の授業の時です。よろしくお願いします。

 


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2023年5月20日(土)文章たっぷりコース第4期・13回目の授業内容/高科正信先生

2023-05-24 21:58:50 | 文章たっぷりコース

この日のテーマは、「幸福のありようについて」。
幸福のありようについて書かれている、さまざまな作品を紹介していただきました。

まず最初は、以前の授業で取り上げた3人の養子兄弟のことを描いた『うちへ帰ろう』の作者、ベッツィ・バイアーズの『18番目の大ピンチ』(作/B.バイアーズ ・訳/金原瑞人・絵/古川タク・あかね書房)です。
70〜80年代のアメリカが舞台で、ベンジー少年がさまざまなピンチの脱出法を考えるというこのお話は、訳者の金原さんのあとがきに「この本はドラえもんのいないのび太の物語」とあります。最後は自分で問題を解決することができ、幸福感を味わうというお話です。

『18番目の大ピンチ』(作/B.バイアーズ 、訳/金原瑞人、絵/古川タク、あかね書房 1993)https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002253715-00

その後、翻訳家の清水真砂子さんが文芸誌に寄稿した「幸福に驚く力」という文章を見ていきました。
幼い頃は大人から見れば他愛ないことが楽しく、幸せを感じることができる「幸福(奇跡)に驚く力」があるが、人生のある時期になるとその力は急速に弱まっていくきます。大人にとっては毎日の生活の中にある幸福(奇跡)に気づくことは難しいことですが、子どもの本の作家たちはそこに目を凝らして、幸福のさまざまなありようを考えて書き、子どもの心に届かせようとしているのです。
※ここで、レイチェル・カースンの『センス・オブ・ワンダー』や、マリー・ホール・エッツの『もりのなか』『またもりへ』などの書名も出てきました。

次に、森永ヒ素ミルク事件被害者弁護団を担当した弁護士・中坊公平の『金ではなく鉄として』(聞き手・編集/武居克明、岩波書店)から、お父さんやお母さんのエピソードを交え、「幸せは、実は日に何度も人を訪れているのではないか」という箇所を見ていきました。そんな中坊さんは、昔お仲間から「お前はほんまにアホみたいなことで、勝手に幸せになれるなあ」と呆れられたことがあるとか。ともすれば悲観的になりがちな私たちにとっては、全く羨ましい話です。

『金ではなく鉄として』(聞き手・編集/武居克明、岩波書店)https://www.iwanami.co.jp/book/b264407.html

高科先生は、長谷川集平の『はせがわくんきらいや』における、ぼくとはせがわくんの関係を「幸せな子ども時代」と捉え、この日は一年生の女の子2人が主役の『あのときすきになったよ』(作/薫くみこ、 絵/飯野和好、教育画劇 1998)も紹介してくださいました。

 

 
『あのときすきになったよ』(作/薫くみこ、 絵/飯野和好、教育画劇 1998) https://www.kyouikugageki.co.jp/bookap/detail/227/

トルストイは「幸福な家庭はどこも一様だが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」と書きましたが、実はそうではなく、幸福にもさまざまな形があり、子どものための本を書こうとする人は、そこにこそ目を凝らして創作しており、高科先生はだからこそ子どものための作家で良かったと思っているのだそうです。

あなたが幸せを感じるのはどんな時ですか? 毎日忙しく過ごしているからこそ、中坊さんのように毎日訪れる幸福に気づいて大切に過ごしたいものです。

休憩を挟んで後半は、『文章のみがき方』(辰濃和男 著・岩波新書)をテキストにして進めていくのですが、この日は瀬戸賢一の『書くための文章読本』(集英社インターナショナル)から、文末の表現について見ていきました。
日本語は文末に動詞がくるので、どうしても同じ言葉が並びがちです。そこで、複合動詞(射し込む・吹き荒れる など)や補助動詞(洗い出す・跳ね飛ぶ など)、オノマトペ(擬音語・擬態語)などを使って変化を出します。体言止めや用言止めは効果的ですが、多用すると良くないので、気をつけて使いましょう。 ※ 次回はテキストに戻ります。

『書くための文章読本』(作/瀬戸賢一、集英社インターナショナル) https://www.shueisha-int.co.jp/publish/書くための文章読本

最後に今回の課題は、「わたしの〇〇」です。
「わたし」の部分は、一人称であれば「ぼく」でも「オレ」でもかまいません。
「〇〇」は基本的に名詞であれば修飾語を+しても良く、具体的なものでも抽象的なものでも何でも良いです。
また、内容は創作でもエッセイでもよく、長さもスタイルも好きに書いてください。
ただし、この日学んだ文末の工夫と、魅力的な書き出しに注意することは忘れずに。

提出日は、次回の授業のある6月10日(土)です。よろしくお願いいたします。

 


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