絵話塾だより

Gallery Vieが主宰する絵話塾の授業等についてのお知らせです。在校生・卒業生・授業に興味のある方は要チェック!

2023年4月15日(土)文章たっぷりコース第4期・10回目の授業内容/高科正信先生

2023-04-23 15:11:39 | 文章たっぷりコース

今年に入ってから、著名人の訃報が続いているという話題から、人間は自分との距離が近ければ近いほど、その人の死を深く悼む傾向があるという話になりました。
先生が、それはなぜかと考えていたら、人の心にある安全弁が自分に近い人であるほど外れてしまい、悲しみの度合いが深くなるのだろうと思い当たったそうです。それは時間とともに修復されていくのですが、またある時ふと悲しみがぶり返すこともあったりします。

先生の近しい人の中では、鹿島和夫さんが亡くなったそうです。
鹿島さんは、高科先生がまだ小学校教師をしておられた頃からの知り合いで、鹿島さんが編纂された子どもの作文集『一年一組せんせいあのね』(理論社)は、日本の作文教育の先駆けとなりました。


鹿島和夫『一年一組せんせいあのね』(理論社)
https://www.rironsha.com/book/20548 ※こちらで紹介しているのは新版の方です

ということで、この日のテーマは「子どもと大人」でした。
まず、子どもの大人の違いを皆で挙げていきます。

違いはいろいろありますが、その境目はどこにあるでのしょう?

ロブ・ライナー監督の映画「スタンドバイミー」では、それぞれが問題を抱えた12歳の少年4人が、夏休みに一泊二日の冒険に出るお話です。
休みが明けると、皆別の学校に進んでバラバラになってしまう彼らの、二度とない子ども時代の最後のひと時が描かれています。
先生の少年時代にも、一緒に遊んでいた子が遊びに参加しなくなったり、半ズボンから長ズボンに変わることで、彼らが大人になったことを知る経験があったそうです。

その、子どもと大人の境目について書いてある長田弘の詩集『深呼吸の必要』(晶文社)から、散文詩「あのときかもしれない」の1と9の箇所を見ていきました。

長田弘『深呼吸の必要』晶文社
https://www.shobunsha.co.jp/?p=6120

その後、4月24日は世界アースデーということで、『沈黙の春』(新潮社)を書いたレイチェル・カースンの『センスオブワンダー』(新潮社)も紹介していだきました。

 

レイチェル・カースン「沈黙の春」(新潮社)
https://www.shinchosha.co.jp/book/207401/

レイチェル・カースン「センスオブワンダー」(新潮社)
https://www.shinchosha.co.jp/book/207402/

この本では、世界中の子どもたちに生まれつき備わっているセンスオブワンダー(神秘さや不思議さに目を見張る感性)は、大人になるにつれなくなってしまう、と書かれています。

以前紹介していただいた河合隼雄の『子どもの宇宙』(岩波書店)でも、子どもが生まれつき体の中に持っている「宇宙」は大人になるにつれ失われてしまう、と書かれています。

河合隼雄「子どもの宇宙」(岩波書店)
https://www.iwanami.co.jp/book/b267809.html

しかし、子どもと大人の違いを明確にする必要はないのかもしれません。
子どもに関わる仕事をする人や、親である人は、境界線上を行きつ戻りつすることが大事なのではないでしょうか。
先生は、子どもと大人の領域が重なる部分で表現できることを考えてきておられて、例えば長新太は「子どもの絵には勝てない」と言い、ピカソも「私はラファエロのように描こうとしてきたが、子どものように描くことを学ぶのに一生を費やした」と言っているそうです。

そして、片山健の『どんどんどんどん』(文研出版)を読み聞かせてくださいました。この絵本は本来の子どもが持つ特性を描いた作品です。

片山健「どんどん どんどん」文研出版
https://www.shinko-keirin.co.jp/bunken/book/9784580813632/

休憩を挟んで、後半は教科書『文章のみがき方』(辰濃和男 著/岩波新書)の「Ⅱ さあ、書こう」から「13. 抑える」と、「Ⅲ 推敲する」から「1. 書き直す」のところを交代で音読していきました。

13. 抑える では、書きすぎると自分は良くても読み手が物語の世界に入り込めなくなることがあるので、感情は作品の背後に隠すくらいの方が思いが伝わるということでした。「悲しい・寂しい」といったような形容詞は極力使わないようにしましょう。
プロであれアマチュアであれ、文章を書くときは読み手がいるということを頭に置いておきましょう。

Ⅲ 推敲する 1. 書き直す の中には、推敲する時に留意すべき点が23個も書いてありました。
ちなみに高科先生は書き直す時に、①、。が正しく用いられているか、②助詞の使い方は正しいか、③同じ言い回しが続いていないか、④改行がきちんと行われているか等に気をつけているそうです。この点を留意すると、5回くらいは書き直すことになるとか…全て手書きだと大変でしょうね。
大江健三郎は、ノーベル賞受賞後のインタビューで「僕の文学の原点は書き直しにある」と言っているそうです。
本の中に出てくる23個の留意点をクリアすれば、書き直しがうまくいくでしょう。

ある表現をする場合、この言葉を使う方が良いか、他にもっとうまい表現はないかと考えることが重要です。その時に役に立つのは辞書です。

最後に課題です。
前回の「私の得意料理」について、参考として川本三郎の『君のいない食卓』(新潮社)を配っていただきました。

川本三郎「君のいない食卓」新潮社
https://www.shinchosha.co.jp/ebook/E005021/

そして、皆で好きな言葉を1つづつ2回りで挙げていき、たくさん上がった中から3つの言葉を選びました。

今回の課題は「まっちゃん」「ふとん」「じゃり道」の3つの言葉を必ず使って、短いお話(創作)を作ってください、というものです。
出てくる順番も長さも自由です。提出は29日(土)、次の授業の時です。

よろしくお願いいたします。


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2023年3月25日(土)文章たっぷりコース第4期・9回目の授業内容/高科正信先生

2023-03-29 17:05:38 | 文章たっぷりコース

この日のテーマは、「子どもと家族」についてでした。

1950年代に始まった日本のテレビ放送は、最初はアメリカのドラマや娯楽番組を流していましたが、60年代になると独自の作品が増えてきました。
向田邦子や山田太一などの脚本家が描いたホームドラマは、その時代の日本の家族観・家庭観をよく表しています。
74年に放送された向田邦子の『寺内貫太郎一家』は、頑固親父を中心に祖母・両親・孫の3世代が食卓を囲み、毎回さまざまなゴタゴタがあっても、最後には「家族って良いよね」という感じで終わるものでした。
ところが77年の山田太一の『岸辺のアルバム』では、平凡に暮らしているように見える両親と姉弟の4人家族が、実は秘密にしている病んだ部分があって、最後には多摩川が決壊して家が流されてしまい、残されたのは家族のアルバムだけ…というショッキングな内容でした。

映画作品に目を向けると、80年代には森田芳光監督が『家族ゲーム』で家族の崩壊を描き、90年代には相米慎二監督が『お引越し』で離婚した両親の間を行き来する小学生の娘を、2000年代に入ると是枝裕和監督が『誰も知らない』で親に捨てられて子供たちだけで暮らす兄弟たちの壮絶な生活を描いて海外で評価を得ました。
現在では、家族といっても血縁関係がない(養子など)ものや、LGBTQ+の親を持つ子ども、再婚の親同士の連れ子など、家族も複雑化しており、世界的にも問題になっています。

寺内貫太郎一家 https://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d0087/

岸辺のアルバム https://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d0038/

家族ゲーム https://www.nikkatsu.com/movie/26029.html

お引越し https://movies.yahoo.co.jp/movie/151912/

誰も知らない http://www.kore-eda.com/daremoshiranai/index.htm

子どもの文学の世界では、タブーとされているものがあります。
不幸な終わり方をせず、最後はバラ色の未来を予感させることや、セックスの話題を出さないことなどです。
しかし現実には、両親の不仲や老い、死、暴力、子どもの迫害などが存在しています。

松谷みよ子は1964年から始まった『ちいさいモモちゃん』シリーズで、痛みを果敢に描く姿勢を見せ、評価が上がりました。
この日は『モモちゃんとアカネちゃん』の「ママのところに死神が来たこと」の章を読み、やさしい言葉で父親の不在の恐怖を描いていることを知りました。

 

ちいさいモモちゃん https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000205799

モモちゃんとアカネちゃん https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000205859

神沢利子も、『いないいないばあや』(岩波書店/1978)で家族の負の側面を描きました。

いないいないばあや https://www.iwanami.co.jp/book/b254575.html

長谷川集平の『あしたは月よう日』(文研出版/1997)は、ありふれた家族の休日を描いたものですが、実は翌日震災があって平和な日常は消え去ってしまうというお話です。(震災のシーンは出てきません)

 

あしたは月曜日 https://www.shinko-keirin.co.jp/bunken/book/9784580812123/

高度成長期には右肩上がりだった日本の社会も次第に停滞が始まり、消費は美徳と言われていた時代は終わりました。
だからこそ、子どもの文学の中でも「家族って何なの?」という話が描かれるようになってきたのです。

休憩を挟んで後半は、教科書『文章のみがき方』(辰濃和男 著/岩波新書)の「Ⅱ さあ、書こう」から、「11. 正確に書く」「12. ゆとりを持つ」のところを、交代で音読していきました。

11. 正確に書く では
言い間違いのしやすい言葉や、他の文章を引用する場合の確かさなどの留意ポイントについて書かれていましたが、国語のテスト問題に関する問題提起もありました。
「この言葉は何を表しているでしょう?」という問題がよくあります。
高科先生の文章も問題に使われることがあるそうですが、たとえ作者でも答えを一つに絞れないものが多いとか。
というのも文学や詩の作者は、敢えていろんな読み方ができるように書くことが多いだそうからです。

12. ゆとりを持つ では
文章にユーモアが入っていると、書くほうも読む方もゆとりが持てるというのです。
例文に上がっているのは小沢昭一です。小沢や永六輔が活躍した昭和の時代はそれで良かったのでしょうが、SNSが盛んになり、誰でも気軽に自分の文章を人に読んでもらえるようになった現代では、ゆとりを持つのも難しくなっています。

最後は、今回の課題です。

「子どもの頃のいちばん最初の記憶」について。じっくり考えて、どんなことを憶えているのか思い出して書いてください。自分にとって、古い古いうんと小さい頃のことを、自由な形式・長さで書きましょう。
提出は次の授業(4月15日)の時です。よろしくお願いします。

 


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2023年3月11日(土)文章たっぷりコース第4期・8回目の授業内容/高科正信先生

2023-03-12 20:13:50 | 文章たっぷりコース

この日は、これまでに学んだ「私とは誰か(何か)」「秘密」「家出」というテーマの続きです。

まず最初に、E.L.カニグズバーグの『クローディアの秘密』(岩波少年文庫)を紹介していただきました。
カニグズバーグはアメリカで1967年に同作で作家デビューし、1968年にはアメリカで最も優れた児童文学に与えられる「ニューベリー賞」を受賞しています。同時に候補となったのは、やはりカニグズバーグが書いた『魔女ジェニファとわたし』(岩波少年文庫)だったそうなので、どれだけすごい作家か分かるでしょう。

高科先生は若い頃、子どもの本の作家を目指すなら、カニグズバーグとフィリパ・ピアス(『トムは真夜中の庭で』等)、アーシュラ・K・ル=グイン(『ゲド戦記』シリーズ等)は必ず読みなさいと、先輩の作家の方々(今江祥智 氏や上野瞭 氏 )にアドバイスを受けたそうです。

『クローディアの秘密』 https://www.iwanami.co.jp/book/b269525.htm
『魔女ジェニファとわたし』 https://www.iwanami.co.jp/book/b269559.html

 

成績オール5の賢いクローディアには、家族の中での不公平な扱いや、毎日同じことを繰り返していることに飽き飽きしているなど、家出をする理由がちゃんとありました。
彼女は、お小遣いを使わずに貯めている(小金持ちの)弟と一緒に、きちんと計画を立ててニューヨークのメトロポリタン美術館に家出をします。

このお話の中で、クローディアの冒険=秘密を持つこと、であり、秘密の内容は人に知られたくないけれど、秘密を持っていることは知っていてほしい。秘密を持つことで、新しい自分を発見し、家に帰ったのです。

次は、べバリィ・クリアリーの『ラモーナとおかあさん』の紹介です。

 

ラモーナとおかあさん https://hon.gakken.jp/book/1020157600

7歳半のラモーナは、お姉さんのように大人の役に立つことも、お守りを任された小さい子どものように好き勝手することもできない微妙なお年頃。けれども7歳半は7歳半の自立心や自尊心があるのです。
気まずくなって家出の準備をしていたら、パパは「いつ家出するんだ?」と言い、ママはパッキングのアドバイスをする。そうすることで、亀裂が入ってしまった魂の修復を図ったのです。

クローディアもラモーナも、家出をし(ようとする)、秘密を持つことで、新しい自分を発見し、「ぼくがぼくであること」を実感するのです。

  

もう2作。鉛筆で描かれた絵が美しい『手のひらのねこ』(舟崎靖子 著・小泉孝司 絵/偕成社)は、1983年(『ラモーナ』と同年)に出版されました。
小学校に入ったばかりの女の子が、お母さんに内緒で想像上の猫を飼うお話です。

 

続いては、渋紙を切って型染めをした手の込んだ手法で描かれた しなのちづこ の『ぺろぺろ』(偕成社)。子どもがお菓子屋さんの当て物でズルをするという負の秘密を持ち、それに関する心の動きを描いたお話です。

深刻なものでなくても、私だけが知っている、誰も知らない、もしくは私と誰かだけが知っている、それがマイナスをもたらす場合もありますが、人間はそういう秘密を持つものなのです。

田島征三の『しばてん』(偕成社 https://www.kaiseisha.co.jp/books/9784032040500)のように、その秘密を時間が経って文章に起こす、といった作品もあります。

休憩を挟んで後半は、教科書『文章のみがき方』(辰濃和男 著/岩波新書)の「Ⅱ さあ、書こう」から、「8. わかりやすく書く」「9. 単純・簡潔に書く」「10. 具体性を大切にして書く」のところを、交代で音読していきました。

8. については、井上ひさしの言葉
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」を頭に置いて書くのが良いでしょう、とのことでした。
例に上がっていた行政用の文章は4行で1文になっていて、とても分かりにくいので、できるだけ短く簡潔に書くのが良いでしょう。

9. では、「日本一短い手紙」を例に挙げて、読む人に一番伝えたいことを伝えるために、必要な言葉を取捨選択する修練を積みましょう、とのことでした。
的確に表すための語彙を増やすのにユニークな事典などを参考にするのも良いでしょう。
一文は短かめに(2〜3行程度)おさえ、主語と述語はできるだけ近くに置くよう心がけます。
ただ、標語やキャッチコピーは心に強く響くので、言葉を単純化する時はそれが及ぼす影響も吟味しなければなりません。

10. は、具体的に書くと、描かれたシーンが読み手が想像しやすいからです。
描写には情景描写と心情描写の2種類がありますが、具体的な固有名詞を使ったりすると、心に掻き立てられるものが違い(エモい?)、説得力が増します。
例えばターシャ・テューダーの書く文章は、身近でよく知っている景色や人物を描いているので、現実感が滲み出て、いきいきと絵が浮かぶのです。

今回の課題は「私の得意料理」について。
単なるレシピでも、他に伝えたいもの・ことがあればそれも、とにかく自分が「書きたいこと」を書いてください。
枚数・スタイルは自由ですが、とにかく読み手に「伝わるように」「分かりやすく」「具体的に」を心がけてください。

提出は、3月25日(土)です。よろしくお願いします。

 


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2023年2月25日(土)文章たっぷりコース第4期・7回目の授業内容/高科正信先生

2023-03-01 17:20:43 | 文章たっぷりコース

ロシアのウクライナ侵攻から1年経ったということで、最初にフォトジャーナリストの安田菜津紀さんの話をされました。

安田さんは世界の難民の人たちと話をされる機会が多いそうで、ウクライナ難民に世界の同情が集まっているなか

以前から難民として他国に移住しているシリアの人たちが、「自分たちが受け入れてもらえないのは白人ではないからか?」

と言われ、答えに困ったと言っておられたそうです。世の中の矛盾というのは、たくさんあるのですね。

この日も、前回の続きで「わたしとは誰か」というテーマで授業を進めていきました。

前回紹介してくださった、楳津かずおの『わたしは真悟』(小学館)の冒頭には

「奇跡は誰にでも一度は起こる。そのことに誰も気づかない」という言葉があるそうです。

先生は「何の変化も起こらないありふれた日常こそが奇跡なのではないか?」とおっしゃいました。

こんなに毎日、いろんなところでさまざまな問題ごとが発生する世の中なら、本当にその通りなのかもしれませんね。

この日先生が紹介してくれたのは(『ボクラ小国民』(講談社)で有名な)、山中恒の『ぼくがぼくであること』(岩波書店)です。

1968年に出版されたこの本は、家のしがらみから離れたい主人公の少年・秀一が、夏休みに家出をするお話です。

ベトナム戦争で疲弊していたアメリカの若者の間でレオ・レオーニの『あおくんときいろちゃん』(訳:藤田圭雄/至光社)が流行したように、この本も日米安全保障条約で揺れていた日本の学生たちの間でブームになりました。

60年に締結した条約が70年に自動延長されるということで、以前のように反対運動をする気にもならず

自暴自棄になり、自己否定していた学生たちは、この本を読んで主人公のように「僕は僕で良いんだ」

「俺は俺であることをわかってもらおう」という気持ちになり、どんどん広がっていったのだそうです。

  

ぼくがぼくであること https://www.iwanami.co.jp/book/b269561.html

ボクラ少国民 https://www.keisoshobo.co.jp/book/b23353.html

 

そして「私」という漢字の説明がありました。

「私」という字は「禾」と「△」から成っています。

「禾」は米麦粟稗豆(五穀)、「△」は囲うということを表しており、主要な穀物を囲い込むのが「私」という漢字だそうです。

農耕が始まった当初は、収穫をみんなで均等に分け、原始共同体として暮らしていたものが、だんだん格差が出てきて、収穫物(財産)の私有化が始まりました。

助け合わないと生存が危険にさらされるから共同で暮らしていたものが、そのうち危険をおかしてもそこから出る必然が生じます。

「家出」もその一つで、「自分とは何か」「自分はこのままで良いのか」を知るために、外に出なければいけない時がきます。

志村志保子の短編集『ミシンとナイフ』(集英社)の中に入っている「即興動物園」は、主人公である中学生の少女が、義母との関係を確認するために家出をして、異父兄弟のところに居候する話です。

 

子どもは家出をしなければいけない。が、その家出は実際に家を出る必要はありません。

詩人の くどうなおこ は、よく空想の家出を克明に思い浮かべることをしていたといいます。

実行はしなくても、親離れをするために「家出」を経験しなければならないのです。

高科先生の著作『オレのゆうやけ』(理論社)では、主人公の少年は学校に家出をします。

子どもの物語によくある「行って帰ってくる話」は、日常から別世界へ行って、目的を達成すると帰ってくるというものです。(注:行ったままは死を意味します)

そういう意味では、「家出」も自分を確認する旅〜子ども成長をとらえるもの〜だと考えたら良いでしょう。

そしてもう一つ神沢利子の『ふらいぱんじいさん』(あかね書房)を紹介してくれました。

長年使い古されたふらいぱんじいさんが旅に出て、いろんなものに出会って、どんどん食べていきます。けれども、食べても食べても飢餓感はおさまらず、とうとう宇宙へ飛び出していくというお話です。

このように「自分は何者で、どこからきてどこへ行くのか」という根源な問題が、子どもの文学にもきちんと盛り込まれているのです。

  

●ふらいぱんじいさん https://www.akaneshobo.co.jp/search/info.php?isbn=9784251006356

次にエズラ・ジャック・キーツの『ピーターのいす』(訳:木島始/偕成社)を読みきかせてくれました。キーツは『ゆきのひ』(訳:木島始/偕成社)で1963年のコルデコット賞を受賞した作家で、コラージュの手法で絵を描いています。

妹が生まれ、自分のものがどんどんピンクに塗られていくのを見て、黒人の少年ピーターは家出をします。最後には自分が大きくなったことを理解して、妹に譲るのでした。

子どもには子どもの自尊心があり、傷つけられると外に出たくなるが、帰ってくるために必要な理由が見つかると、成長して戻ってくるのです。

※ 主人公が黒人の絵本は珍しいのですが、ドン・フリーマンの『くまのコールテンくん』(訳:まつおかきょうこ/偕成社)の主役も、カラードの女の子です。

   

●ピーターのいす https://www.kaiseisha.co.jp/books/9784033280608

●ゆきのひ https://www.kaiseisha.co.jp/books/9784033281209

●くまのコールテンくん https://www.kaiseisha.co.jp/books/9784032021905

休憩をはさんで、『文章のみがき方』(辰濃和男 著/岩波新書)の「Ⅱ さあ、書こう」から、「5. 借り物ではない言葉で」「6. 異質のものを結びつける」「7. 自慢話は書かない」のところを、交代で音読していきました。

5. については、①自分にしか書けないことを ②自分の感覚、心でとらえ ③借り物ではない自分の言葉で ④誰にでも分かる文章で書く とまとめられていますが、これはなかなか難しそうです。

6.については、Aについて書きたくてもそれだけでは話しが単調になるので、異なるジャンルのXの話を持ってきて、うまく結びつける。そうなれば成功だそうです。

7. 気の利いた文章を書くためには、自分の欠点を情け容赦なく書いてピエロになることであり、反感を買うのは、欠点を書いているように見えて実は自慢話になっていること、だそうです。気をつけたいですね。

最後に前々回の課題についてに言及されました。

同じ話を2パターン書いて提出された方がいらっしゃったのですが、絵本ではそういうことをされる方が多いそうです。赤羽末吉は、5パターンくらい構図や画材を変えたものを描いておられたそうです。

今回の課題は、高科先生のデビュー作『たんぽぽコーヒーは太陽のにおい』(理論社)から「ひみつきち」の箇所を読んで、原稿用紙3〜5枚程度で感想文を書いてください。

好きなように読んで、解釈の仕方は何でも自由、中に描かれている人物やできごとに関して好きに書いてください。

提出は3月11日(土)です。よろしくお願いします。

 


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2023年2月11日(土)文章たっぷりコース第4期・6回目の授業内容/高科正信先生

2023-02-18 22:02:23 | 文章たっぷりコース

今日は「私とはいったい何者か?」ということについてのお話です。

このことは人類が言葉を獲得し、社会的な存在として集団生活を送るようになって以来、最も古くて根源的は問いではないでしょうか。

ゴーギャンの絵(我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか)にもありましたが、

「人間とは何か?」ということを体系的に学問として捉えようとする一番最初は神学でした。

それでも解明しきれないため、哲学が生まれましたが、人間はどんどん複雑化していき、今度は心理学が生まれました。

シュタイナーが人間を4つに分類したりしますが、それでも答えは出ない。

やがて産業革命が起こって、それまでは「子ども」という認識がなかったのが、小さい人たちには知識を与えなければいけない、そんな場所を作る必要があるということになり、ペスタロッチなど教育を追求する学問〜すなわち教育学が生まれました。

近代化が訪れた後も人間はどんどん複雑になっていきます。

現代でも親による子どもへの虐待、その逆などを含め人間の醜い部分も社会現象化していき、人間というものを捉えられなくなっていきます。

そういう時に、例えば1900年頃になって「人間とは何か」「人間とはこういうものである」ということを教えるために児童文学が誕生したのではないか、と今江祥智が言ったそうです。(元々は神父さんが言った言葉だそうです)

「自分はいったい何か?」「どこから来てどこへ行くのか?」という問いに、答えは出ることはありますが見つかった答えが果たして正しいのかというのは、大変難しいことです。

そこで、先生が紹介してくださったのは、楳津かずおの『わたしは真悟』(小学館)です。

小学6年生の悟の父親の町工場に産業用のロボットが来て、悟は工場見学の時に別の学校の少女・真鈴と出会います。やがてロボットたちが意志を持って移動し始め、二人を自分の両親だと思うようになって…というストーリー。「私はいったい何者なのか」「私はどこから来たのか」「私はどこへ行けば良いのか」という問いかけがされていて、1983年に出版されたこの作品は、先生が読んで最も面白いと思った漫画の一つなのだそうです。

  

「わたし」をテーマにした絵本には、谷川俊太郎の文に長新太が絵を付けた『わたし』(初版は1976年・福音館書店

https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=427)や、

2018年1月号の「こどものとも」(福音館書店)に載った五味太郎の『わたしとわたし』

https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=5417#modal-content)という作品もあります。

神沢利子が井上洋介の可愛い絵とともに、古典的で根本的な難しい問題の答えを子どもの文学で出したのが

『くまの子ウーフ』のシリーズ(初版1969年・小学館)です。

彼女は作品の中でいとも簡単に問いの答えを出したり、子どもに考えさせるように仕向けたのです。

 

『はらぺこあおむし』で有名なエリック・カールの『ごちゃまぜカメレオン』(ほるぷ出版 → 偕成社)は

自分以外の何かになりたいカメレオンの話です。が、最後は自分は自分で生きていくしかないというふうになっています。

    

子どものための作品も多いフランスの詩人、ジャック・プレヴェールの書いた詩に「わたしはわたしよ もともとこんなよ」というのがあり、高田渡が曲をつけて歌っているそうです。

   

イエルク・シュタイナーが文を、イエルク・ミュラーが絵を描いた『ぼくはくまのままでいたかったのに…』(ほるぷ出版)は

クマが人間に間違われて、さまざまな仕事をさせられるという不思議なお話です。

これとは逆に、まど・みちおさんの詩集(『まどさんのうた』阪田寛夫 編・童話屋)には

「くまさん」にしろ「うさぎ」にしろ、自分がクマでありウサギであることが嬉しくて仕方がない詩が載っています。

ここで授業の前半が終わりです。次回も違った角度から「わたしとは誰か」というテーマでお話ししましょう。

 

後半はテキスト『文章のみがき方』(辰濃和男 著/岩波新書)の「Ⅱ さあ、書こう」から、

「3. 書きたいことを書く」「4. 正直に飾り気なく書く」のところを皆で音読していきました。

①書きたい気持ちが沸き起こった時に書く。 

②難しい言葉を使うのではなく、誰にでもわかるような文章で組み立てる。

③ただ単に書くだけではなく、内容が深いかどうかが重要。

④③のようなものを書くためには、観察する力・解釈する力が必要であり、見識を深める・広めることが重要。

ベバリィ・クリアリーの『ヘンショーさんへの手紙』(あかね書房)には、主人公の少年が作家のヘンショーさんに

「僕もヘンショーさんのように文章を書く人になりたいです。どうしたらなれますか?」と手紙で尋ねたところ、ヘンショーさんは

「まずよく見る。それからよく聞く。そしてよく考える。それがうまくできようになったら、それから書く」と答えます。

この教科書の中で、著者の辰濃和男が言っていることと同じですね。

文章を書くために、さまざまな見識を深めていくように心がけましょう。

今回の課題は、「秘密」です。(ひみつ・ヒミツ・ヒ❤️ミ❤️ツ、表記方法はなんでも可)

どんな語り口でも構いません。自分の秘密を告白してもいいし、秘密のお話を考えても構いません。スタイルも、長さも自由です。

ということで、次の次あたりで「秘密」についての内容の授業をしようと思います。

「秘密」の提出は、次回25日の授業時です。よろしくお願いします。


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