前回の授業(1月14日)から後に高科先生ご夫婦も、生徒さんの一人もコロナに感染して発症されたということでした。
この日はもう症状は落ち着いておられましたが、他にも年末年始に発症してまだ後遺症が残っている方もいて
いつどこで誰が感染するか分からない時代になりました。いろんなことがありますね〜という話から始まりました。
10年に一度の大寒波もやってきて、北海道では渡り鳥が飛び立つときにさざなみが立って、水面が凍ってしまい
鳥の脚が凍りついて取れなくなって…といかにもわざとらしいお話をされるな〜と思って聞いていたら
どうやら落語の「弥次郎」だったようです。高科先生はいろんなことを知っておられますね!!!
さて、この日の授業は「行って帰ってくる話」というテーマでした。
子どもの文学には、ここから どこか知らない ここではない所 に出かけて
そこで事件が起こり、それを解決して、ここに戻って来る話がとても多いのだそうです。
1937年に出版されたJ・R・R・トールキンの『ホビットの冒険』は、ファンタジーの古典として有名な作品で
1965年に岩波書店から瀬田貞二の訳で出版され、1997年に原書房からは山本史郎訳で出版されました。
双方は原文の違うバージョンを元にしていたり、時代の推移とともに言葉使いが変わったりと
ずいぶん雰囲気が違う書物になっているようで、高科先生は瀬田訳の方を支持されているとのことでした。
瀬田貞二は日本のこども本の第一人者で、『幼い子の文学』(中公新書)など、講座の内容をまとめた書物も出しています。
この本の中には、幼い子が好む物語にはある構造上のパターン(行って帰ってくるお話)があると書かれています。
マージョリー・フラックの『アンガスとあひる』(瀬田貞二 訳・福音館書店)には
アンガスの居る場所〜日常(安心安全で保護されている場所・退屈?)と、
アヒルたちが居る場所〜非日常(よく分からない未知の領域・危険?)または「新しい経験領域」を
行き来する物語が書かれています。この場合、中央にある生け垣が分水嶺といえます。
左起こし・横書きの絵本ですので、左から右へと時間が進んでいきます。
それから、モーリス・センダックの『かいじゅうたちのいるところ』( じんぐうてるお 訳・冨山房)を読み聞かせてくださいました。
この本で特徴的なのは、絵の大きさです。
お話が進むにつれてだんだん絵が大きくなって、読み手も物語の世界に入っていくような気分になれるのです。
そしてここで注目すべきは、異世界に赴く方法です。
アンガスの場合は生垣を越えてアヒルのいる場所へ行きますが、『かいじゅうたちのいるところ』のマックスは
目を閉じて想像するだけで、たやすく異世界(空想の世界)に赴き、帰ってくることができるのです。
ここで大切なのは、アンガスにしろマックスにしろ、別の世界へ “行く必要がある” ことです。
こういう物語は必要性がないのに行って帰ってくることはありません。
ある必要から別の世界へ行きますが、それが満たされると元の世界へ帰ってくるのです。
大雑把に言うと、絵本でも物語でも、こういうパターンでできています。
J・K・ローリングの『ハリー・ポッター シリーズ』(静山社)も、最初のうちは同様のパターンだったのですが
人気が出て、映画になったりしているうちに、帰ってこないでずっとあちらの世界に居る話に変わってしまいました。
こういう物語の場合、異世界に行くためには必ずある “仕掛け” が必要です。
例えば扉、あるいは古い大きな衣装箪笥…と、C・S・ルイスの『ナルニア国物語』(全7巻 瀬田貞二 訳・岩波書店)を紹介してくださいました。
その仕掛けこそが境界線(三途の川)であり、そのこちらが此岸(聖者の世界)、向こう側が彼岸(死者の世界)なのです。
だから、子どもの文学では向こう側に行っても必ず帰ってこないといけないのです。
昔からあって今の子どもたちにも読まれている絵本ということで、
『おしいれのぼうけん』(ふるたたるひ 著・童心社)と『100万回生きたねこ』(佐野洋子 著・講談社)がある、と紹介してくださいました。
元々本を読んだり映画を見るということは、ここではないどこか連れて行ってくれる楽しみを見出してくれるものですが
ウディ・アレン監督の『カイロの紫のバラ』では、ヒロインが映画の世界に入り込んでしまうお話になっています。
休憩を挟んで、授業の後半はテキスト『文章のみがき方』(辰濃和男 著/岩波新書)の「Ⅱ さあ、書こう」から、
「1. 辞書を手元に置く」「2. 肩の力を抜く」のところを皆で音読していきました。
文章を書くとき、辞書を手元に置いて、分からない時・迷った時に確認することは必須です。
例えば「うとうと」と「うつらうつら」の違いや、「特徴」と「特長」の違い、漢字の正しい送り仮名など
人の目に触れる文章を書くときは、辞書を引いて確認してから書く習慣をつけましょう。
たとえば『朝日新聞の用語の手引き』(朝日新聞社用語幹事 編・朝日新聞出版)など、各新聞社から出ている記者用の手引きは
間違いやすい慣用句や送り仮名、カタカナの使い方など、知りたいことがまとまっていて便利です。
高科先生は「新明解国語辞典」(三省堂)がお好きで、愛用されているそうですが
他にも類語辞典や逆引き辞典、難語辞典など、興味深い辞書があると言って
『エモい古語辞典』(堀越英美 著・朝日出版社)を紹介してくださいました。
そして「2. 肩の力を抜く」では、まず机の前に座って毎日何かを書くことを心がけるように
と書かれています。
武田泰淳が妻の百合子に「何も書くことがなかったら、その日に買ったものと天気だけでもいい」と言ったそうです。
「自分の書きやすい方法で、肩の力を抜いて書けば良い」と。
そうして書かれた日記が、後に出版されることになり、多くの人に読まれることになったのです。
前々回の課題にもありましたが、散歩をすると書くことが見つかることがあります。
書くために散歩をすると、今まで意識していなかったことを発見したり、記憶に留めることがあるからです。
宇野千代も気楽に文章を書き始めることを薦めており
①毎日机の前に座る。
②うまいこと書いてやろうなどと思わずに、なんでも良いから書く。
③最小限度の単純な言葉で、自分の見たもの・聞いたもの・感じたものを素直に書く。
などを心がけるようにと言っています。このくらいなら、できそうではないですか?
最後に、今回は「掌編を書く」という課題が出ました。掌編とは、短いお話(作り話)という意味です。
短編より、ショートショートより、もっと短いストーリーを原稿用紙3枚程度で書いてください。
何もないと書きにくいかもしれないので、
主人公が散歩に出かけ、途中で何かに出会い〜〜〜〜終わる。という
始まりと展開、終わりのある、コント的な?「作り話」を考えることに挑戦してください。
参考に、星新一の『へんな怪獣』(理論社)に収録された作品を紹介してくださいました。
提出は、次回11日(祝)の授業の時です。
よろしくお願いいたします。