金沢のイベントレポート (No.1026)
◇タケノコ堀りとタケノコ三昧!
5月12日(金)NPOみんなの畑の会のイベント「タケノコ堀りとタケノコ三昧!」に参加したレポート。
■写真はNPO「みんなの畑の会」事務所(ハウス)
○NPO「みんなの畑の会」
金沢市四十万にあるNPO「みんなの畑の会」の設立の趣意として「私たちは子供たちに引き渡す義務がある、なぜなら私達が美しい地球を先人から引き継いだから」。
地域のこどもたちと、住民交流の一環として、後継者不足で荒廃する休耕田、竹林、里山を楽しく交流しながら賑わいの創出と、資源の有効活用をめざす。
<スローガン>
~子供の笑顔と、元気な豊麗者(ほうれいしゃ*高齢者とは言わない)は周りを幸せにする。~
○加賀藩の孟宗竹
加賀金沢藩の足軽岡本右太夫 (おかもと みぎだゆう ?~1818)は、明和3年孟宗竹2株を江戸より持ち帰り桜木町の自宅の自宅に植えたのが始まりである。この惜しくもこの孟宗竹は枯れたので、再度明和7年(1770)江戸詰めより帰郷の際,孟宗竹2株をもちかえり自宅と菩提寺である寺町の妙福寺に植えたところ、今度は植えついた。これが加賀に孟宗竹がはいったはじめとされている。その後、内田孫三郎氏が孟宗竹の普及につとめたと伝えられている。
□妙福寺紹介ページ
■写真はタケノコ掘りと西田会長
○孟宗竹(もうそうちく)とは
孟宗竹(もうそうちく)はアジアの温暖湿潤地域に分布する竹の一種である。種名は冬に母のために寒中筍を掘り採った三国時代の呉の人物、孟宗にちなむ。67年に1度花が咲くとされるが、このことを証明する記録はわずか2回しかない。
日本では栽培により北海道函館以南に広く分布する。延暦20年(801)、京都府長岡京市の海印寺、寂照院の開山・道雄上人が唐から持ち帰った、また安貞2年(1228)に曹洞宗の開祖・道元禅師が宋から持ち帰った、など諸説あるが全国へ広まったのは薩摩藩による琉球王国経由の移入によってと考えられている。「南聘紀考下」によると元文元年(1736)に島津吉貴が、琉球在番として琉球行きを命じられた物頭野村勘兵衛良昌に孟宗竹を輸入するように命じ、勘兵衛は琉球滞在中に清より輸入し、元文3年に帰国すると吉貴のいる仙巌園に孟宗竹を献上したという。
■写真はタケノコと畑で取れたての野菜とデザートのいちご