植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

金沢城公園 石垣巡り‐3

2018-08-08 04:30:37 | 日記


金沢の観光スポットレポート その941(No.1350)

◇金沢城公園 石垣巡り‐3

2011年に石垣巡りを掲載したが、まいどさん勉強会や金沢城・兼六園研究会入会をきっかけとして、再度掘り下げてアップします。



<城内ルート>約1.5Km

4)二の丸北面石垣

 この付近の石垣は、形や大きさをそろえた割石が積まれている。「粗化工石積み」の中でも、最も完成されたものといわれており、加賀藩の石垣技術者、後藤彦三郎は「城内でも指折りの石垣」とほめたたえています。石垣の上には、二の丸表能舞台の楽屋に使われた長屋が立てられていた。

・創建:寛永8年(1631)頃
・現状:貫文8年(1668)改修時の姿を残す







■写真は二の丸北面石垣



5)土橋門石垣

 前(東側)の石垣は、後(西側)の石垣とあわせ、土橋門の土台になっていた。いずれも「切石積み」の技法が用いられています。前の石垣に組み込まれた六角形の石(亀甲石)は、水に親しむ亀を表したもので、防火の願いが込められています。

・創建:寛永8年(1631)頃
・現状:前(東側)は享和(1801-04)改修時
      後(西側)は寛文5年(1665)の姿を残す。





■写真は土橋門左石垣の亀甲石(城内には2個のみ)



■写真は土橋門石垣



■写真は土橋門図(よみがえる金沢城より)



6)数寄屋敷石垣

この付近は数寄屋といわれ、藩主の側室たちの住まいがあったところです。石積みの技法は、石の表面を長方形に仕上げた「切石積み」で、刻印が見られる右側の石垣は創建時のものです。表面がきれいに整えられて縁取りのある左側の石垣は、文化5年(1808)に改修されたものです。刻印は、石を切り出す時の作業分担などを示すために付けられたものといわれてます。刻印を探してください。

・創建:寛永8年(1631)頃
・現状:寛永から文化(1804-17)までの各時期の姿を残す。

■写真は切手門と旧第六旅団指令部













■写真は数寄屋敷石垣(向かって左から)

撮影日:2018.8.6 - 8.5

(つづく)