金沢の観光スポットレポート その947(No.1356)
◇金沢城公園 石垣巡り‐9
<城外周ルート>
7)本丸南面の高石垣(辰巳櫓下~申酉櫓下)
自然面を残す粗割り石を積み上げた初期の「粗化工石積み」石垣です。 明治時代に上部の一部が取り壊されて現状の姿になりましたが、もとの高さは約12間(約22m)以上ある城内随一の高石垣あった。
三代藩主利常の頃(1610年頃)、築城の名手篠原一孝の指揮によるものと伝わる。
・創建:慶長年間後期(1610)頃
・改修:寛文6年(1777)、安永9年(1780)、文化13年(1816)
・現状:上部は明治時代に撤去・改変下部はおおむね藩政期の姿をとどめる。
■写真は高石垣
■写真は明治40年ころの高石垣(辰巳櫓付近)(看板より)
8)鯉喉台櫓(りこうだいやぐら)石垣
主に寛文4年(1644)の改修時の姿を残す、歴然とした「粗化工石積み」で、加賀藩の石垣技術者後藤彦三郎は「城内随一」と称しました。高さは約八間(14.4m)ありましたが、明治40年(1907)に上部が壊されいもり堀とともに埋められました。
・創建:元和(1614~24)ないし寛永(1624~44)
・現状:下部は寛文4年時、上部は2010年復元
■写真は鯉喉台櫓(りこうだいやぐら)石垣
9)車橋(くるまばし)門周辺の石垣
堀縁の石垣は、本来この付近で車道側に折れて堀の南端に続いていました。そこには増水時に堀の余水をいもり堀側へ落とす水門が造られ、「車橋」という名の木橋と門がありました。背後左手の石垣は、明治末の道路工事で堀を埋め立てた際の石垣で、当時流行した「谷積み」の手法で積まれています。
・創建 元和~寛永(1615~1644)頃
・改修 江戸後期から明治初期
・現状 江戸後期、明治44年
■写真は江戸後期の車橋周辺(看板より)
撮影日:2018.7
(つづく)