金沢の観光スポットレポート その948(No.1357)
◇金沢城公園 石垣巡り‐10
<城外周ルート>
10)蓮池堀(百閒堀)縁の石垣
蓮池堀(はすいけぼり、百間堀)縁の石垣は、豊富な刻印に特徴があります。刻印は石切場で刻まれた合印(あいじるし)と考えられ、金沢城では200種類以上が見つかっています。一箇所の石垣に数種類の刻印が混在するのが通例ですが、ここでは地区ごとにまとまりがあり、数メートル間隔で刻印の種類に変化が見られます。
・創建:元和~寛永(1615から1644)頃
・改修:元文2年(1737)等に一部改修
・現状:上部を除けば概ね創建時
■写真は蓮池堀(百閒堀)縁の石垣
■写真は明治初期の蓮池堀(看板より)
11)東の丸東面の石垣
東の丸石垣は、金沢城で本格的な石垣づくりが始まった文禄年間(1592)に造られた城内
最古の石垣です。最上段の6m分は小段をつけて積み上げているものの、石垣の総高は
21mに達し、文禄期の石垣としては日本有数の規模を誇る自然石積み石垣です。
創建:文禄元年(1592)
改修:元文元年(1736)辰巳櫓下
現状:創建時の石垣(一部を除く)
■写真は東の丸東面の石垣(よみがえる金沢城より)
■写真は東の丸東面の石垣
12)三の丸東面の石垣
三ノ丸東面の石垣は、文化年間(1803?16)加賀藩穴生(あのう)の後藤彦三郎、小十郎親子の手で全面的な修築がおこなわれました。「堀縁の石垣は粗く積む」のが作法であるべきと考えた二人は、本来なら石垣勾配にあわせて石を置くべきところを、意図的にずらして荒々しい表情の石垣に積み直したようです。「場にふさわしい石垣づくり」が当時の技術者のこだわりでした。
創建:元和~寛永(1615~1644)頃
改修:寛文頃、文化4年(1807)
現状:文化4年修築時
■写真は桜の三の丸東面の石垣
■写真は三の丸東面の石垣
■写真は雪の三の丸東面の石垣
撮影日:2018.7ほか
(つづく)