かねうりきちじの横浜・喫茶店めぐり

珈琲歴四十年の中の人が、珈琲豆荷揚げ量日本一を誇る横浜港のある町の喫茶店でタンザニア産コーヒーを飲み歩きます

頼朝が目にしたかったもの

2012年03月01日 | 旧ブログ記事(長者ヶ原廃寺跡・衣川関係)
 今から823年前の9月27日。

 その日、長者ヶ原廃寺跡のすぐそばまでやって来たのは、後に鎌倉幕府を開く源頼朝。

 どうしてそれが分かるのかというと、『吾妻鏡』という鎌倉幕府公認の歴史書に、

   二品、安倍頼時の衣河の遺跡を歴覧したまう。郭土空しく残り、秋草鏁すこと数十町。
   礎石いづくにあるや。旧苔に埋もれること百余年なり


とあるからです。

 二品とは頼朝のこと。

 安倍頼時は、中尊寺を建立した藤原清衡の母方の祖父。

 頼朝は奥州藤原氏を滅ぼし、鎌倉に帰る前日、祖先が自分と同じように滅ぼした安倍氏の故地、衣川の地をめぐっています。

 いろいろな所に足を運んだのでしょうが、具体的な記述があるのは、郭土(=土でできた囲い)と礎石。

 このふたつが揃って残っているのは、衣川では長者ヶ原廃寺跡しかありません。

 ですので、頼朝は長者ヶ原廃寺跡のすぐ近くまで来て、その礎石を見たかったようですが、秋草に覆われてしまって見られなかったようです。

 今では下の写真のように雪に覆われでもしない限り、礎石はいつでも目にすることができます。

 今年の9月27日に長者ヶ原廃寺跡にやって来ませんか?

 「頼朝は見られなかったものをみた!」と自慢できますよ。

 東上空から見た衣川。右が一首坂段丘、左が関山丘陵


もうちょっと寄った写真。真ん中を流れているのが衣川。
矢印、青が長者ヶ原廃寺跡、ピンクが月山、緑が泉ヶ城、黄が金色堂。



今はこんな感じですが、あと1週間もすれば見えるようになります。


本堂跡の礎石の様子。ありし日は右の絵のような感じだったと推測されています。
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