このブログで何度か紹介している束稲山。
実は、遺跡から東に見えるあの山は、正しくは束稲山ではありません。
赤線の下の部分はラクダの背中のように窪んでいて、その向こうに見えるのが地形図上の束稲山。
上の写真をご覧になればお分かりかと思いますが、地形図で束稲山とされているのはその背後の山で、遺跡からはホンのちょっと、下の写真の赤線で囲まれたしか見えません。
地形図ではこんな感じ。長者ヶ原廃寺跡から見えるのは緑線の左側と赤線で囲まれた部分。
この写真は職場から撮影したもので、束稲山を北西方向から見るとこんな感じ。
長者ヶ原廃寺跡からよく見えるのが緑の矢印の山(無名峰)で、束稲山は青の矢印。
東西に並んでいるのがよく分かると思います。
西行が束稲山の歌を詠んだのは平泉です
手前の山と束稲山の並びは、上の写真とは左右逆になりますが、同じような感じで見えます。
西行は手前の山も含めて「束稲山」と詠んでいると思うのですが(再現CGでもそうなってます。ここをご覧下さい)、どうして手前ではなく奥の方の山を束稲山としたのか・・・・。
調べて分かったら、ここで報告します。
実は、遺跡から東に見えるあの山は、正しくは束稲山ではありません。
赤線の下の部分はラクダの背中のように窪んでいて、その向こうに見えるのが地形図上の束稲山。
上の写真をご覧になればお分かりかと思いますが、地形図で束稲山とされているのはその背後の山で、遺跡からはホンのちょっと、下の写真の赤線で囲まれたしか見えません。
地形図ではこんな感じ。長者ヶ原廃寺跡から見えるのは緑線の左側と赤線で囲まれた部分。
この写真は職場から撮影したもので、束稲山を北西方向から見るとこんな感じ。
長者ヶ原廃寺跡からよく見えるのが緑の矢印の山(無名峰)で、束稲山は青の矢印。
東西に並んでいるのがよく分かると思います。
西行が束稲山の歌を詠んだのは平泉です
手前の山と束稲山の並びは、上の写真とは左右逆になりますが、同じような感じで見えます。
西行は手前の山も含めて「束稲山」と詠んでいると思うのですが(再現CGでもそうなってます。ここをご覧下さい)、どうして手前ではなく奥の方の山を束稲山としたのか・・・・。
調べて分かったら、ここで報告します。