かねうりきちじの横浜・喫茶店めぐり

珈琲歴四十年の中の人が、珈琲豆荷揚げ量日本一を誇る横浜港のある町の喫茶店でタンザニア産コーヒーを飲み歩きます

あったのか、なかったのか、それが問題だ~小山評定跡

2014年08月19日 | 旧ブログ記事(文化財関係)
帰省中おいしいと親友から教えてもらったラーメン屋に行ったついでに、こんな所に立ち寄ってみました。

 
背後の建物は小山市役所。

小山評定跡(小山市指定史跡)です。

小山評定とは、簡単にいえばこうです。

徳川家康は上杉景勝を攻めにいく途中、石田三成により、自らの拠点のひとつ伏見城を攻撃されます。

その報に接した、家康はどのような対応をすべきかの軍議を開きます。

この軍議が小山評定で、この結果、家康は西国にとって返し、関ヶ原の戦いに臨みます。

つまり、小山評定は家康が天下を握るきっかけになった出来事なのです。

そんな小山評定が行われた場所が小山市指定史跡に指定されているというので、行ったわけなのですが、帰宅して色々と調べると、最近は小山評定そのものは作り話なのではないかという新説が出されて論争になっているようです。

そもそも小山評定があったということを伝える同時代の一次史料、例えば日記や手紙がなく、ずっと後になってから編纂された物語、つまり二次史料でしか確認できないのです。

あったのか、それともなかったのか、それが問題。

どんな風に決着するのか、論争の行方が気になります。
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あこがれの寺院遺跡

2014年08月18日 | 旧ブログ記事(文化財関係)
昨日、帰省から帰盛したわけですが、帰省中は恒例の?近くて遠い史跡に。

行ったのは・・・・



結城廃寺跡(ゆうきはいじあと)です。

多分、実家から一番近い史跡かもしれません。

この通り・・・・



何があるというわけではないので、とても地味です。

が、長者ヶ原廃寺跡という今となってはなんという名前のお寺なのか分からなくなってしまった遺跡の調査と整備を担当する者としては、うらやましい遺跡なのです。

というのも、かつてはこのお寺、『ほうじょうじ』と呼ばれていたのが、ほぼ確実だからです。

今から約1100年前に、朝廷から独立し自ら新皇と名乗った平将門。

その将門の放棄から討死までの物語である『将門記(しょうもんき)』には、下総国結城郡(今の結城市と八千代町周辺)に「法城寺」というお寺があったことが記されています。

長く、この法城寺がどこにあったのかは不明のままだったのですが、結城廃寺跡の発掘調査で「法成寺」と記された瓦が出土したことで、結城廃寺跡が『将門記』の法城寺だということがほぼ確実となりました。

2字目が、城と成とで違いますが、

 ① 本来は城だが、土偏を省略した。
  ←瓦に文字を刻む時に画数の少なくするために、省略することはよくあることです。
 ② 城も成も音読みではジョウと共通するので、ホウジョウジという読み方は同じ。
  ←古代人は読みが同じならば、どの字を使うかはあまり気にしてませんでした。


ので、どちらも間違っているわけではありません。

このように、結城廃寺跡は、かつては法城寺あるいは法成寺という名だったことが、『将門記』と発掘調査によって明らかになったのです。

実はこのような事例は極めてまれで、かねうりきちじが知る限りでは群馬県前橋市の山王廃寺=放光寺ぐらいです。

長者ヶ原廃寺跡の話をすると、なんていう名前だったのかということをよく尋ねられます。

その時、「分からない」回答せざるを得ないのがとても悔しく、そのせいで結城廃寺跡や山王廃寺のように、名前がほぼ確定できる遺跡がとてもうらやましく感じるのです...
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土偶のなれの果て

2014年08月17日 | 旧ブログ記事(文化財関係)
帰省から帰盛した本日。

まずすることは、たまっていた新聞を読むこと。

かねうりきちじは、地元紙の岩手日報と日本経済新聞を購読しているので、すぐにたまってしまいます。

まぁそれはいいとして、最後に読んだ本日付の日経新聞。

日経の毎週日曜日のセンターページは、『美の美』というコーナーなのですが、先々週から3回連続で土偶特集でした。

最終回の掉尾を飾る土偶は、皆さんもご存じの青森県つがる市・亀ヶ岡遺跡出土の遮光器土偶(重要文化財)かと思いきや・・・・



弥生時代の人面付壺形土器でした。



この土器、一時期、中学校の社会の教科書にも掲載されていたことがあるので、見覚えがある方もいらっしゃるかもしれません。

実はこの土器、ワタクシの実家のある茨城県筑西市の女方(おざかた)遺跡から出土したもので、現在は上野の東京国立博物館に所蔵され、時折展示されています(写真は一昨年展示されていたのを撮影したもの。その時のワタクシのブログはコチラ

遺体をいったん土葬し、骨だけになった頃合いに掘り返し、その骨を納めるという再葬墓という弔い方に用いられたものです。

・・・・ということは知っていましたが、記事によれば『この土器の顔が土偶の名残』なんだか。知りませんでした・・・・。

研究は日々進んでいるのですね(^^)

夏休みボケをすることなく、仕事を黙々と進めたいと思います( ̄^ ̄)ゞ
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お盆にはやっぱり蓮の花

2014年08月13日 | 旧ブログ記事(その他)
今日からお盆休み。

まずは髪をさっぱりしようと床屋に行きました。

途中、今では珍しい蓮田の脇を通るのですが・・・・



数輪咲いておりました。
 ※ちなみにプロフィール写真の蓮の花もここの蓮田のものです。

お盆だということで・・・・



車を少し離れたところに停めて、アップで撮影。

みなさまよいお盆休みを!
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今年も期待できます、岩手のお米

2014年08月12日 | 旧ブログ記事(長者ヶ原廃寺跡・衣川関係)



昨日、パンフレットの補充に長者ヶ原廃寺跡へ行って来ました。



遺跡の中の田んぼの稲。

つい先日、出穂したと思ったら、結構実が詰まっていました。

例年より早いかもしれません。
 2013年2010年の記事です。

今年の作柄予想は、岩手県では104で平年よりやや良。

春先に冷夏の予想だったので、心配してましたが、今のところ生育は順調そう。

今から新米を食べるのが楽しみです。
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