お彼岸のお墓参りで、久しぶりに妹と会いました。
妹には「一年振り」と言われ、コロナ禍とはいえ、「それは大袈裟よ」と答えた私です。
秋のお彼岸、お盆、春のお彼岸といつも一緒の私達ですから。
電話では一日おきの頻度でおしゃべりしているのではないかしら。
両親には大した親孝行はできなくて、反省ばかりの私だけれど。
今がもしかすると、一番の親孝行をしている事になるのかもしれない、と思ったりもします。
何故って、私達は稀に見る仲良し姉妹だからです。
性格も趣味もまるで違うけれど、却ってそれがお互いにないものを知ることになり・・・
生きる世界を広げてくれているようにも思います。
無い所をお互いに補い合ってもいるのでしょう。
もちろん似た価値観もたくさんあります。
娘達は、今は仕事と子育ての両立で多忙を極め、なかなか会えないのが現実でしょうが・・・。
将来は私達と似た交流をして、助け合い仲良く余生を過ごしてほしい。
そう強く願っています。
そんな姉妹二人で、いつも通り仲良くお彼岸のお墓参り。
お墓を磨きながら、両親の思い出等、語り合って過ごすこと一時間ばかり。
実は、今のお墓は二度のお引越しを経て、この地に落ち着きました。
はじめは、郷里の市街地の中心に構えられていた大きなお寺の境内にありました。
ところが、そのお寺が突然山の上に移転することになったのです。
遠方で、更に山の上とあっては、もう若くはなかった父母がお墓参りするのは大変。
それで両親がやむなく、もっと近い所にある公園墓地にそのお墓を移しました。
そのお墓を母が亡くなった時、更に私が、今の菩提寺に移したのです。
最初の移転は父母がしたので、私は何も覚えていませんが・・・。
私と妹で今のお寺に移す時は、それはそれは大変な苦労をしました。
郷里と私が住む街の役場でしなければならない手続きが色々あり、それがとても煩雑でしたから。
無事にそれが終わり、遺骨をもって車中の人になった時、心から安堵したものです。
もちろんその前に、我が家の近くのお寺に墓地を取得。
墓石も色々調べて厳選。
費用も結構掛かりました。
そして今、そこに両親と祖父母が眠っています。
このお墓の行方は将来どうなるのでしょう。
我が家は娘二人で後継ぎがいません。
私が死んだなら、夫の遺骨をこのお墓に移し、嫁ぎ先の墓地に眠る人たちは永代供養してもらう。
そのようにしては、と今、私は思っています。
義父は開業医ながら、文学通でなかなかの文化人。
進歩的な人でもありました。
義母は夫が大学生の時に亡くなりました。
その後は、薬剤師の未婚の叔母が一緒に暮らし、家族の面倒と家事を一切引き受けていました。
叔母は足が悪くて丈夫な人ではなかったからでしょう。
私たちは帰省しても、義父は私達が私の実家で世話になることを願っていました。
ですから、いつも泊るのは私の実家。
主人もそうでしたから。
私は嫁いでも、夫の家族の一員といった感じではなく、いつもお客様。
一方、主人は、私の実家の家族の一員になり切っていました。
義父も叔母もその状況に疑問を感じるどころか、とても喜んでくれていたのです。
ですから今更、私の死後、その遺骨を夫の先祖のお墓に埋葬されても、私はとても窮屈。
恐らく義父も同じ思いでは。
「夫婦で私の両親のお墓に入りなさい。
それが一番良い事だ」
と言うに違いありません。
このような思いから、私は将来、夫と一緒に私が住む町のお寺に眠りたいと思っています。
けれど、私には息子がいませんから、私の代で終わりです。
娘たちが年老いたなら、将来的には永代供養をしてもらえればそれで十分。
その墓地を近くに住む次女家が使用してくれても一向に構いません。
住職様が宗派は一切問いません、とおっしゃっていますから。
娘たちが、好きなように対処してくれれがいいと思っています。
内輪の問題を長々と綴ってしまい恥ずかしいです。
娘達への伝言のつもりで書きました。
お読みぐるしい点は、何卒悪しからずご了承下さいますよう、お願い致します。
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