「ファミリーヒストリー」で取り上げたが、私には、二吉(1880
年生まれ)と弥七(1887年生まれ)という二人の祖父がいた。
日露戦争の「勝利」の時、二吉は25歳、弥七18歳だった。
昭和元(1926)年、二吉は46歳、弥七は39歳となり、ともに家庭
を持っていた。私の父は8歳、母は3歳だった。
二吉、弥七ともに40代(壮年期?)の昭和初期はどんな時代だっ
たのだろう、とあらためて調べてみたら・・・・・・
<浜口雄幸内閣とロンドン海軍軍縮条約>
昭和2(1927)年、若槻内閣時に「金融恐慌」が起こる。これで
若槻内閣(憲政会)は総辞職。田中義一内閣(政友会)になる。
昭和3年の「満州某重大事件」がもとで「天皇の不興」を買い、4
年、田中義一首相が辞任。
その後は、民政党の浜口雄幸が内閣を組織した。民政党は4年年頭
に「十大政綱」(マニフェスト?)を発表。
その中に、ロンドン軍縮問題への対処と金解禁があった。
国民も浜口内閣の方針を支持し、民政党は、5年2月の第2回普通
選挙(衆議院議員選挙)で圧勝し、議席数59%の第一党となる。
浜口内閣は、ロンドン海軍軍縮条約に調印した。
これに不満な海軍強硬派や右翼(国家主義団体)は、「統帥権干
犯」だと大批判。
しかるに憲法学者美濃部達吉は、憲法の天皇大権は第11条の軍令
大権と第12条の軍政大権に分かれており、前者が「軍隊そのもの
の行動を指揮し統帥する権」であるのに対し、後者は「軍備を維
持するために臣民に向って命令を為し国費を支出する等の権を謂
うのであって、これについては一般の行政作用と同じく国務大臣
の輔弼を要する」(『憲法講話』大正元年、7年)と解釈しており、
「当時は」これがスタンダードとなっていた。
立花隆『天皇と東大』によれば、
統帥権干犯を主張して、あくまで抵抗しようとする海軍に世の同情が集まり
かけたとき、美濃部は「東京朝日新聞」に「海軍条約の成立と統帥権の限界」
と題する長文の論説([昭和5年5月]3日間にわたって連載された)を書いた。
これが海軍の見解を正面から批判し、はっきり政府見解に軍配を上げたため、
世論も急速に政府寄りに傾くことになった。
日本史の教科書を読んでもよく分からないけど、この問題から、
昭和10年、美濃部達吉は、右翼サイドから攻撃され、著書を発禁
にされ、貴族院議員辞任に追い込まれた(天皇機関説事件)[ん
ですね~]。
一方、浜口内閣の旧平価での金解禁は、世界恐慌とあいまって、
大不況の到来となった。
<参考図書>
猪木正道『軍国日本の興亡』
茶谷誠一『宮中からみる日本近代史』
小山俊樹『五・一五事件』
いずれもまことに良書なり。
立花隆『天皇と東大』、美濃部達吉『憲法講話』
ちなみに、美濃部達吉『憲法講話』には、
「天皇の不可侵性」として、憲法第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘ
カラス」とあり、天皇の法的不可侵(無答責)について分かりやす
く説明されている。
cf.「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」(55条1項)
明治憲法の天皇は、ロシアのような専制君主ではなかった?
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<東京五輪>
〇男子サッカー:テレビ番組表では、19:30からMHK総合で中継
となっていたが、実際は18:00キックオフでEテレによるLIVE。
どうなってる?
メキシコは、53年前メキシコ大会3位決定戦と今回のグループ
リーグとの雪辱戦で気合入る。結果は1対3の敗戦。
53年前の銅メダルメンバーの「銅はもういらないよ」という辛
口応援がよくなかった?(笑)。
「惨敗」にガックリ。
メキシコ選手になぐさめられればられるほど悔しい?
〇女子バスケット:すごい!のひと言。
〇陸上女子1500m:田中がまたまた4分切りで8位入賞の歴史的快
挙!!--私は視た。
〇女子スポーツクライミング:野口、野中が銀と銅!!
金メダルヤンヤにヤンヤの喝采。
〇空手男子 形:沖縄の喜友名、礼儀正しく、見事な金メダル!
やってみたい。カーッ。
〇陸上男子400mリレー決勝:多田から山縣へのバトンが繋がらず。
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満州事変で、朝日、毎日が販売部数を伸ばしたのは、新聞が好戦的な気分をあおった面はあるものの、単に戦地(満州)の事情を知りたいというのが最も大きな購読理由だったようです。
そんなモンかも知れませんね~(笑)。
一方、戦争は景気がよくなるということで喜んだ人たちもいたのかも知れません(笑)。
いずれにしても戦争のない「時代」に生まれてよかったです。
ワテの親父も、中国~ニューギニアと転戦しました。
実家では、ズーッと読売を購読してました。理由として、亡くなった親父の話では、朝日、毎日、より読売の従軍記者が素晴らしい「記者魂」を持っていて好感が持てた?、、、との事でした。
いつもコメントから「知的刺激」をいただいています。
いつか、戦時中の朝日、毎日、読売新聞の読み比べをしてみたいものです(既に誰かやっておられるかしらん[笑])。