5月8日(水)、ラウンジ懇話会。3か月に一度の「日本歌曲を観賞し
よう」。はや10回目だ。
--20世紀生まれの天才、橋本國彦を取り上げた。
今回は、Sさんのご好意で拝借したBOSEシステムでの鑑賞だ。
橋本國彦は、明治37(1904)年に生まれ、昭和24(1949)年に胃が
んで亡くなっている。まだ44歳だった。
木下保先生と同世代、1歳違い。東京音楽学校教授の同僚だ。
昭和9~12年、文部省派遣でウィーン留学。
團伊玖磨(S17東京音楽学校入学、以下同じ)、芥川也寸志(S18)、
矢代秋雄(S20)、黛敏郎(S20)の「先生」にあたる。
第二次大戦後、東京音楽学校を退職。
畑中良輔先生の『音楽青年誕生物語』(p42)には橋本教授の授業の話
が出てくる(今回、当該箇所を朗読した)。
藍川由美さんに言わせれば、
「単に、『お菓子と娘』やラジオ歌謡の作曲家としてしかとらえられな
いようでは、日本の文化レヴェルはあまりにお粗末すぎる」
ということになる。
懇話会では言わなかったが、私が小学校、中学校と通った学校の校歌は、
昭和23(1948)年、橋本國彦の作曲だ(作詩は石川達三。むろん今で
も暗譜で歌える)。→こちら。
当日の「プログラム」(--作曲年代順に聴く)。
曲名 | 作曲(発表)年 | 年齢 | 作詩 | ||
1 | 垣の壊れ | 大正14 | 1925 | 21 | 北原白秋 |
2 | なやましき晩夏の日に | 大正14 | 1925 | 21 | 北原白秋 |
3 | 牡丹 | 大正14 | 1925 | 21 | 北原白秋 |
4 | 薄いなさけに | 大正14 | 1925 | 21 | 北原白秋 |
5 | 巴里の雪 | 大正14 | 1925 | 21 | 西條八十 |
6 | 薊(あざみ)の花 | 昭和3 | 1928 | 24 | 北原白秋 |
7 | お菓子と娘 | 昭和3 | 1928 | 24 | 西條八十 |
8 | 城ケ島の雨 | 昭和3 | 1928 | 24 | 北原白秋 |
9 | 黴(かび) | 昭和3 | 1928 | 24 | 深尾須磨子 |
10 | 斑猫(はんみょう) | 昭和3 | 1928 | 24 | 深尾須磨子 |
11 | 親芋子芋 | 昭和4 | 1929 | 25 | 浜田広介 |
12 | あぶくなら | 昭和4 | 1929 | 25 | 浜田広介 |
13 | お六娘 | 昭和4 | 1929 | 25 | 林柳波 |
14 | 旅役者 | 昭和4 | 1929 | 25 | 北原白秋 |
15 | 百姓唄 | 昭和4 | 1929 | 25 | 北原白秋 |
16 | 富士山見たら | 昭和4 | 1929 | 25 | 久保田宵二 |
17 | 舞 | 昭和4 | 1929 | 25 | 深尾須磨子 |
18 | 田植唄 | 昭和5 | 1930 | 26 | 林柳波 |
19 | 幌馬車 | 昭和6 | 1931 | 27 | 西條八十 |
20 | スキーの歌 | 昭和7 | 1931 | 27 | 林柳波 |
21 | 母の歌 | 昭和12 | 1937 | 33 | 板谷節子 |
22 | 朝はどこから | 昭和21 | 1946 | 42 | 森まさる |
23 | 乙女雲 | 昭和23 | 1948 | 44 | 藤浦恍 |
24 | アカシヤの花 | 昭和23 | 1948 | 44 | 松坂直美 |
歌手は、藤原義江(1898-1976)、立川清登(1929-1985)、関
定子、藍川由美(1956-)、福井敬(1962-)、澤畑恵美、米良美
一(1971-)というそうそうたるメンバー。
上記1~20の名作、傑作が、橋本國彦20代の作品であることに驚かさ
れる。
深尾須磨子の作詩による「舞」は演奏時間9分(藍川盤では9分35秒)
の大作だ。
さて、次回は誰を取り上げようかしらん。
9:35 この日は雲一つない快晴
9:38 三丁目公園で一休み
9:41
9:43
9:58 まもなく「開演」
10:04 「橋本國彦とは」
10:21
11:56 時間いっぱいで終了
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